紙の本
戦争と人間の狂気を克明に描いた空前の侵略史ドラマ、ここに頂点を迎える
2012/08/08 21:25
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投稿者:よっちゃん - この投稿者のレビュー一覧を見る
昭和15年、ドイツがパリを制圧する。日本軍は北部仏印に武力進駐。大政翼賛会の発足。日独伊三国同盟。
昭和16年、日本軍は華北での治安強化を進める。ドイツのバルバロッサ作戦。日ソ中立条約。ドイツのソ連進攻。帝国国策要綱、関東軍特殊演習。南部仏印進駐。ABCD包囲網に対する戦争準備のための帝国国策遂行要領。尾崎秀美、ゾルゲ検挙。第三次近衛内閣総辞職と東条英機内閣。御前会議で開戦の決定。日本軍の英領マレー制圧の軍事行動開始と真珠湾攻撃。
昭和17年、そしてシンガポール陥落。
英米独ソ、そして中国の思惑。これに翻弄されるままの大日本帝国。リーダーを欠如した内閣、軍部により外交は混乱に終始し、マスコミの熱狂は国民を対米戦争へと駆り立てる。船戸は整然と史実をとらえながらも、驚くべき筆圧で歴史をドラマティックに展開してみせる。わたしらの年代なら、太平洋戦争へ向けて、秘話とか言われる通説も含めた断片的知識はある。だがそれは個々のエピソードの積み上げにしか過ぎなかった。いまさら恥ずかしいことだが、数々の断片が一貫した流れの中で浮彫りされた全体像を、わたしはこの小説で初めて把握することができたことになる。
とにかく読み応えのある第7巻だった。
間もなく終戦の日を迎える今、本書を読むには絶好のタイミングだ。
目下のわが国の末期的政治状況を重ね合わせれば、なおさらである。
引き続き、敷島四兄弟の見聞としてこの複雑な国際・国内情勢が詳細に語られる。そして彼らが体験するのは侵攻第一線の血なまぐさい現実である。
五里霧中のうちに軍部は南進へと舵をきる。英領インド、英領ビルマ、英領マレーにある反英勢力を組織化し、武器供与を供与する。仏領インドシナにおける反中国活動等、いくつもの帝国謀略機関が擬似的な独立運動支援を旗印に秘密裏の行動を展開していく。
元馬賊の頭目・次郎と信望厚い武人の関東憲兵隊大尉・三郎は、日本軍の南進作戦に沿って満州から華南、香港、海南島、仏領インドシナそして英領マレーへと移動していく。彼らの軌跡上にこの侵略戦争の犠牲者となる人の群れがある。
ヨーロッパを追われ、救いをこの地に求めるユダヤ人組織。インド独立の遊撃隊として次郎が軍事訓練するインド人の婦女子たち。731部隊の人体実験用に供される白系ロシア人捕虜。ビルマ独立義勇軍作りに海南島で軍事訓練を受けるビルマ人の若者たち。長い歴史の中で漢人に支配されてきた中国周辺の少数民族。英領マレーのマレー人、インド人、中国人。ほとんどがわたしの知らない逸話なのだが、次郎、三郎の命がけの行動の中で、いくつものエピソードが戦慄のディテールで語られていく。これが迫真力をもって読者に伝わるのは、次郎・三郎が訪れる町・村・地域の情景、大国に対して歴史的に抱くそれぞれの民族感情が実にリアルに描写されているからである。船戸は膨大な資料を検証したに違いない。そして小説家としてのセンスも抜群にさえている。
太平洋戦争の開戦を語るには真珠湾攻撃が当たり前だと思うのだが、船戸はこれをしなかった。その直前のマレー上陸作戦を詳述したのだ。戦闘機対戦艦の戦いであった真珠湾攻撃とは異なり、シンガポール陥落までの道のりは敵味方血みどろの白兵戦であり、反日華僑に対する虐殺もあった。
戦争と人間の狂気を直視した感性のエッセンスがダイナミックに描写された、この「雷の波濤」は全巻中白眉の出来栄えであるとして言い過ぎではない。
船戸与一氏は病気療養中と聞く。愛読者としてはただただ健康の回復を祈るばかりである。
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ノモンハン以降ソ満国境は睨み合いとなり、ドイツ帝国の情勢を待たずに、この国は日米開戦という有史以来最も愚かな選択を行ってゆく。開戦当時は無敗が続く中で国民は異様な戦勝のムードに浮き足立つ。軍に統制された新聞は国民に夢のようなことしか書かない。
満州事変はまだしも夢や理想に支持されたものがあったろう。しかし、その後蒋介石率いる国民革命軍は持ちこたえ、中国共産軍・関東軍と勢力のトライアングルの中で膠着してゆく。日米開戦を前提にすれば兵站の不足が想定されるゆえ、石油を求めての南シナ海沿岸の国々への出兵となる。英仏からの独立運動支援というスローガンを笠にきた領土侵犯以外の何ものでもない戦争行為を、日本は世界を敵にしてまで推し進めてゆく。
陸・海軍間の争い、政党の崩壊、大本営の混沌。すべての要素が日本を率いるべきでない者たちの選択に委ねられ、破滅の方向を目指してゆく。そんな動きの中で、敷島四兄弟はさらに翻弄されてゆくかに見える。太郎は外務省高官として、次郎は戦争請負人のような柳絮の如き立場で、三郎は憲兵隊大尉として、四郎は満映脚本部職員として、いずれも祖国を遠くにしながら、歴史という残酷な御者の立つ四輪馬車に乗せられて搬ばれてゆく。
真珠湾攻撃によって日米は開戦の火蓋を切るが、日本が宣戦布告前に攻撃を開始した、あるいはそのように米国側が仕組んだこと、そして空母だけが見事に真珠湾から避難していたことなどは、他の書物でも頻出している。これによって日本は卑怯な先手を打った国として国際的に避難されたばかりか、太平洋戦争での制空権を失ってゆく。すべては開戦時からアメリカ側によって書かれたシナリオ通りの展開となってゆく。
国を導くはずの権力者たちがお互いに疑心暗鬼となってゆき、思わぬ方向にすべてが向かってゆく戦争とう力の狂気を数多くの書物が描いて来ているとは思うが、船戸世界では、わずか4人の主人公らの眼を持ってこれら巨大な誤てる国家の動きを描いてゆく。どこにも勧善懲悪は存在せず、人間が生きてゆくことが罪であるかのように。聖書のように。預言書のように。
この先は読みたくないな、と思いつつも文章の力によって読まされてしまう船戸的亡国論。何の結論も出ていない本書ではあるが、この物語の辿り着く果ては見たくなくても否応なく開示される地獄絵図になるだろう。そんな予感ばかりが強まってくる本巻である。刮目して対峙すべし、か。
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満州国演義シリーズ第7作。ドイツの電撃的侵攻によってフランスは降伏し、ドゴールの対独ゲリラ戦に入った。イギリスではチャーチルが首相に就任。インドではチャンドラ・ボースなどが独立を画策。この時点で万一、独ソ戦が勃発した場合、関東軍がどう動くかが問題になってくる。関東軍がソ満国境を超えるとなると、極東ソ連軍はそこに釘付けになるからだ。内地では米内光政政権が潰れ、近衛文麿再組閣。近衛の政治翼賛化により、大政翼賛会というもとは軍部に対抗させるために作ったものが軍部に簒奪されるように。日本は三国同盟を伊、独と締結。この三国同盟がアメリカに対する抑止力となることを期待したが、同盟締結でルーズベルトとハルの態度は一段と硬化。ハルノートを突き付けられた挙句ついに大東亜戦争に突入し、真珠湾を奇襲するのであった。
詳細→
http://takeshi3017.chu.jp/file9/naiyou10145.html
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満州国の話から昭南島とかに広がってきた。遂に太平洋戦争が始まる。通史的な事実と物語のバランスが魅力であったが、物語の部分が弱く小さくなってきた感がある。特に太郎の部分は浮気の話だけでダイナミックさが無い。かろうじて次郎の話だけが物語として成り立っているが最初に比べると史実をなぞるための存在になっている。物語側に引き戻す腕力を期待。
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このシリーズは読むのに時間が掛かる。史実に基づきこれを書いている作者は凄い。でも昔の船戸作品の方が好き。
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7巻にしてとうとう日米・日英開戦に突入。次郎と三郎は気付けばシンガポール攻略に立会い、ハリマオまで出てくる。あと数巻でソ連侵攻でのカタストロフィで全てのケリが着くまで、関東軍の麻薬問題、731部隊、(従軍)慰安婦と皇軍の闇を炙りつつ、どう話を展開していくか楽しみ。四兄弟という設定をすることで戦前・戦中の日本の雰囲気が、司馬遼太郎の描く幕末のように克明に伝わってくる。
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満州事変前夜から始まったこの物語も7巻目を数えてついに日米開戦へ。
昭和15年から始まる7巻目、後半は真珠湾攻撃からシンガポール占領まで破竹の日本軍が描かれる訳だが、読者にしてみれば、もう戦いに倦んでいる気配が感じられる。
それはそのまま敷島四兄弟の気分に他ならない。
戦線の拡大にしたがって四兄弟の居る場所も南北へと広がり、序盤で気になった特務間垣徳三の神出鬼没ぶりも絡んでくる特務が増えたことにより違和感がなくなった。
何よりも満州事変に直接携わった間垣が戦況の拡大に否定的になってきていることが驚き。
船戸与一の描くこの戦争は、国際紛争解決のための軍事行為などではなく、陸軍と海軍の、政府と大本営の、軍内の統制派と皇道派の、あるいは軍人同士、政治家同士のパワーゲーム、意地の張り合いだけで拡大した戦争にしか見えない。
物語が着地する場所は歴史が教えてくれている訳だが、果たして敷島四兄弟の、間垣徳三の行く先は何処になるのか、まったく見えない。
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歴史的事実の真相は判らない。その背景を、実在の歴史的人物の間にちりばめられた敷島四兄弟をはじめとする作中の登場人物が縦横無尽に説きつくす。いよいよエルロイのアメリカンタブロイドの昭和史版という印象を強くした。対米開戦には一貫して反対してきたはずの帝国海軍がなぜ戦争に踏み出したか。それは、大本営政府連絡会議で陸軍省や参謀本部から「戦争をする気がないのなら石油は要らんだろう、備蓄している軍用石油を陸軍にまわせ」と突き上げられ、備蓄した石油権益を守るために海軍も開戦に備えていると言わざるを得なかった、太平洋戦争は陸軍と海軍の省益衝突の結果だったという分析には驚愕させられる。
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満州国を舞台の4兄弟の大河小説第7巻目。
本巻は1940年~1941年を描いている。
三国同盟、日米開戦と蟻地獄に落ちていくことがわかりながら、
歴史に逆らい切れなかった日本の状況がよくわかります。
物語としては、相変わらず4兄弟は歴史的証人以上の役割はないです。
ただ、それぞれのスタンスが明確になってきたように思います。
太郎は上流階級の崩壊小説、次郎は冒険活劇小説、三郎は軍記小説、
四郎は青春思想小説として読めばよいと感じました。
だから、今回のように満州自体は落ち着いていて、
実際の歴史的活動拠点が東南アジアまで広がれば、
自由に動ける次郎ストーリーが一番面白い(あのジャンクオーナーなど脇もよい)。
また、従軍する三郎ストーリーから、マレー、シンガポール戦の詳細がわかり、
簡単に陥落したように見えて、それなりの犠牲などがあったことを知りました。
太郎ストーリーは、もっと破綻しないと盛り上がらないし、
四郎ストーリーは、本巻では最も印象に残りませんでした。
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シリーズ第7巻。いよいよ三国同盟がなり、舞台は満州にとどまらず、東南アジアへ広がる。
本書の中で時間はゆっくり流れていくが、確実に日本が破滅への道を辿っていることを、時代に翻弄されながら生きている登場人物たちの言葉を通じて表現されている。
日本を破滅の道へと突き動かした力は何だったのか。それは、統治権力を持った組織が存続するためだけに必要とするもの、すなわち官僚主義だ。この主張は著者にこれまでの著作に共通した見解ではないかと感じている。
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久しぶりに面白かった。マレー進攻とともに日本軍はいよいよ大東亜戦争に突入。ハリマオこと谷豊も登場し、東南アジアを舞台にした物語のクライマックスに近づいてくる。
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船戸与一のライフワークにも思えるこの満州国演義は、ついに開戦しシンガポール陥落に至った。主人公4兄弟のうち2人が満洲を離れ、話しはどんどん広がり、題名をも乗り越えていくようだ。この筆者らしく、残虐な場面もたんたんと乾いた筆致で描いているが、その何気なさがなんとも恐ろしい。この戦時の狂気にはゾッと悪寒が背筋を走る。それにしても、いったいどのようにこの物語を終結させるつもりか、最後まで読者としてついていくしかないだろう。
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ノモンハン事件での果てしなく大きな犠牲は何だったのか。それが国民に伝わることはなく、関東軍の暴走は止まらない。敷島四兄弟は、一気に渦中へと引き込まれていく。あの悩める四郎より、今や長男の太郎が最も危うい。
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ついに太平洋戦争が勃発する七巻。
対米戦争回避に向けた近衛内閣の最後の努力に紙面の多くが割かれているののの、それも虚しく真珠湾攻撃とマレー侵攻を皮切りに戦争が始まるのはよく知られている通り。
驚かされるのは、当時の軍部にしろ政府にしろ大半の識者達が"対米戦争は無理"という認識では一致していたにも関わらず、お互いに足を引っ張り合っていたこと。敗戦を半ば確信しながらも予算削減を恐れて対米戦回避を口に出来ない陸海軍の高官達もそうだし、日独伊三国同盟にソ連まで加えることができたらアメリカも戦争しようとは思わない筈という杜撰な計算をしていた外相の松岡洋右にしてもそう。
そういう状態で、対米戦争を煽るメディアに熱狂された国民感情を押さえられる筈もなく、また景気回復のために戦争を望んでいたルーズベルトに戦争回避を決意させられる筈もなく、結局はヨーロッパで早くも停滞しつつあったナチスドイツと心中するような形で、太平洋戦争に至ってしまう。
上記のような対米戦前夜におけるゴタゴタやマレー作戦、あるいはシンガポールでの華僑虐殺事件なんかも印象的であったけれども、本巻にて何よりも目を引いたのは、この時期の満州国に関する二つの描写だ。
一つ目は大観園という、ハルビンに築かれた阿片と売春の歓楽街についてで、阿片浸けの廃人達が汚物にまみれて生きるでも死ぬでもなく蠢いている様子が書かれている。地獄絵図のような場所だったのだろう。三巻にて満州国経営の柱として開始された国家主導の阿片商売が、この地獄へと繋がっていったのかどうか。
もう一つは開拓女塾という、日本から満州国に移民してきた開拓民村の男達に花嫁としてあてがわれた東北出身の若い娘達の話だ。こちらは、一巻にて話が出ていた東北の貧しい農村における娘の身売りと繋がっている。彼女達には他の選択肢などなく、誰も頼れる者もいない満州の地に連れられて、汚ならしい姿をした得体の知れない開拓民達と強制的に結婚させられていく。
これらのおぞましい光景が"五族協和の理想郷"の成れの果てであったというのは、何というかあまりにも悪いジョークがすぎるような気がする。