紙の本
興味深い
2023/05/09 10:52
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投稿者:なつめ - この投稿者のレビュー一覧を見る
江戸時代の文化について、グローバリゼーションとの関連の中で解説されていて、興味深く読むことができました。
紙の本
鎖国していたはずの江戸時代に「グローバリゼーションの中の江戸」って?
2020/06/14 22:37
2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:タオミチル - この投稿者のレビュー一覧を見る
本書は、江戸時代の前提めいた部分(=鎖国していた)を揺るがす論で貫かれている。
時代の一歩手前は、戦国時代という内乱状態。江戸時代は、経済が疲弊しまくった中でスタートし、弱い経済の日本を守るために、国を全面オープンにはしないという選択をした。それに付随するあれこれの施策が、いつの間にか鎖国的に見えただけなのかもという立場。一方、海外の技術は積極的に取り入れて、日本の技術として移植⇒発展させたという時代の始まりでもあった。
江戸時代の日本は、ただ国を閉じていたのではなくて、積極的な取捨選択していた時代だったんだ!いう発見。ちょっといろいろ調べて、著者の論を自分なりに追ってみたくなりました。
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岩波ジュニア新書717~1江戸の西洋ファッション:2江戸の茶碗とコップ:3江戸の視覚の七不思議:4江戸時代が出現したグローバルな理由~肝は4であって,1492コロンブス一行のイスパニョラ島上陸・・1510ポルトガルのゴア占領・・1511ポルトガルのマラッカ占領・・1525舟山群島にポルトガル居住区建設・・1533神屋寿禎の石見銀山灰吹き法精錬成功・・1538日本の銀輸出開始(倭冦の前後期の交替)・・1543後期倭冦による日本への鉄砲売り込み・・1560-メキシコ・ペルーで銀生産・・1575長篠の戦い(硝石輸入増大)・・1580東南アジアの和船急増・日本人町の建設・・1592・97秀吉の朝鮮半島侵略とアジア植民地計画・・1600リーフデ号事件・・1609家康が対墨通商・鉱山技師派遣をフィリピン総督に依頼・・1633-36海外渡航禁止・銅山開発・蘭東印会社専従による貿易維持・自給能力の向上計画・・・これを解説して繋げよう。種子島に鉄砲を伝えたのはポルトガル人も加わった倭冦であったといのは目から鱗
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とくに興味深かったのが「3 江戸の視覚の七不思議」。恥ずかしながら、レンズを通してみた想像の絵や遠近法や陰影法を駆使した絵など、ここまで黄表紙がおもしろいとは思ってなかった。ほか、柳田国男『木綿以前の事』から、磁器の登場が庶民に喜びを与えたことなど、江戸時代の庶民レベルにおけるグローバル化の具体例が紹介されている。東アジア文明圏における「徳」の価値観は物理的な世界征服を必要としないとの指摘から、江戸時代ではその「徳」の価値観が行動に、行動が結束や感化のネットワークになったとの由。挙げられている事実と結論が少し遊離しているきらいはあるし、その主張も現代的な価値観に流されているような感じもするが、それらの事実を取り上げること自体は大切な仕事だと思う。
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今から思い返すとあまり根拠はなかったのですが、江戸時代というのは鎖国をしていたので「グローバリゼーション」には全く縁がない社会であると思っていました。
しかしこの本を読むことによって、江戸時代の末期においても、当時の役人は当時の世界状況(中国で起きていた出来事等)を理解してペリーとも交渉していたことが紹介されていて、今までの考え方を見直すことになりました。
最近は江戸時代の詳細な状況(良い点も悪い点も)が、学術論文ではなく、私が読むような本によって紹介され、歴史の好きな私にとって良い環境になってきました。今後も様々な意見を得て、自分なりの江戸時代の姿をイメージできるようになりたいです。
以下は気になったポイントです。
・この本はすでに15世紀末から地球規模で起こっていたグローバリゼーションの中で、日本人がどのように「自分の体に合った服」をつくり、その激しい流れに呑み込まれずに、独自に生活していたかということを書いた本である(はじめに、P5)
・インドのように紀元前から蓄積してきた木綿業を奪われた国もある、支配国イギリスがインドの綿花を安く買い、インド国内で機械により木綿の大量生産を行い、低価格でインドに売りつけた(はじめに、P8)
・江戸時代の日本は、グローバリゼーションの中で、そこに自らを合わせることなく、導入するものとしないものを分別しながら自らの道を行った(はじめに、P16)
・江戸時代になってポルトガル船、スペイン船への渡航禁止令を出しても、日本はあまり困らなかった、オランダ東インド会社が、ポルトガル船の代わりをしてくれたから(P7)
・オランダ東インド会社は、アジアに約20か所の拠点があった、全従業員は1753年時点で、約25,000人、最大はバタヴィア(ジャカルタ)で5000人、長崎は最も小さく11人の社員のみ(P14)
・1636年の記録では、オランダ東インド会社が日本に売った60%は中国生糸、21%は中国綿織物、1705年には、インド木綿(21%)やベンガル、ペルシャ等の生糸もあった、日本が絹織物の技術をもったから(P15)
・明治維新と戦後に起こったのは、都市設計・建築物・エネルギー政策・衣類・食べ物に至るまで欧米化することであった、欧米社会の生活を「豊かさ」だと思いこんで、幸せがあるはず、と考えて目標にしたから(P23)
・江戸時代には様々な食べ物が外国から入ってきた、ジャガイモは南米原産でジャカルタから、天ぷらはポルトガル、でも米と大豆と海産物の組み合わせは不動、シンデレラはアメリカのカボチャを馬車にしたもの(P57)
・江戸時代の人々は蝋燭を採用したが部分的で、油を使う行灯が圧倒的(P60)
・竹を使って多くの生活必需品、道具類を使った、40年ほど前まではタケノコの皮は肉屋でよく使われていた(P60)
・小田野直武は、浮世絵師ではなく、藩の絵師として様々な植物画や、それを取りいれた花鳥画、風景画を描いている(P85)
・江戸時代には31日という日付は無かった、30日の3を「み」10を「そ」日を「か」と呼んで、月末を「みそか」と呼んだ(P91)
・高尚な本は京都を中心に(ものの本屋)、大衆的なマンガ本やゲームのようなものは、江戸(絵草紙屋)で出されていた(P105)
・コロンブス一行は、アメリカのイスパニョラ島に上陸した時にそこを「ジャパン」だと思い、キューバを「中国」、大陸を「インド」と思ったと航海記に記している、コロンブスが旅立った1492年にグラナダ王国が陥落し、700年に及ぶイスラムとキリスト教徒の戦いは終わり、欧州は完全にキリスト教域になった、これがグローバリゼーションの始まり(P121)
・1510年にポルトガルがゴアを占領して、アフリカ人が南アメリカに奴隷として運ばれた、アジアの奴隷貿易が終わろうとしていたころに、欧州人によるアフリカ人の奴隷貿易が始まった(P122)
・ポルトガル人によって、イスラム教徒によって担われていたアジア貿易は変化した、ゴア・マラッカ・ホルムズの三大商業拠点は、ムスリムと闘って得たもの(P122)
・朝貢貿易から締め出された欧州人は、海賊たちと一緒に行動しない限り仕事がなかった、鉄砲は中国人とポルトガル人倭寇が扱う貿易商品であったので、種子島には漂流したのではなく商売として来ただろう(P127)
・歩兵に対する鉄砲配給率は、朝鮮侵略では14-26%であったが、関ヶ原では40%超であった、原料の鉄はインドや中国福建省、タイから輸入していた、秀吉の刀狩も鉄の供給のためという説もあり(P129)
・中国の冊封国は、朝鮮王国、琉球王国、ヴェトナム、マラッカ、インドネシア等、広範囲に広がっていた、冊封国になるためには「国王」を名乗り、中国皇帝の臣下になること、日本も1402年に足利義満が日本国王になり1408年の死去により離脱した(P132)
2012年9月8日作成
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江戸時代は「鎖国」という通俗概念を否定し、江戸時代こそ日本がグローバルな世界の中で、平和国家として位置付けられる第一歩だったという史観で語られる内容。内容の半分は江戸時代の文化的発展と需要、もう半分は豊臣秀吉の朝鮮出兵から、アジアの中の自立した国家を目指す徳川幕府の頑張り……が語られる。
岩波ジュニア文庫といっても、内容は結構難しくて、本当にジュニア向けかと思うことが多々あるけれども、この本は別の意味で「ジュニア向けとしていいのかな?」と思った。いろいろと問題点はあると思うけれども、第一はやはり作者が歴史学者でないことが挙げられると思う。このことの何が問題かというと、物事を一面で語りすぎていて、知的発見の喜びが大きい前半に比べると、後半はちょっと同意できかねる部分が多々あった。
江戸時代が他の時代と比べて特筆するほど平和だったのは確かだし、輸入品目の国産化が日本文化を発展させたことは確かだけれども、自由貿易しなかった弊害は大きくて、日本では江戸時代に二度の大きな大飢饉が起きていることを考えれば、外国から穀物を輸入できなかった江戸幕府の体制的限界は褒められるものではなかったと思う。さらに、徳川幕府は一貫して秀吉の朝鮮侵略を「武威を示した」と称揚しているし、帝国的側面でいえば蝦夷地の開拓でロシアと一触即発の状況になっている。そもそも、そんなに徳川幕府が朝鮮や中国と仲良くしたければ、「征夷大将軍」なんて肩書きは真っ先に変えるはずだけれど。
中国にしても、中国的世界観を是とはできない(西洋的世界観を是とできないように)。冊封制度は西洋の帝国主義と同じように横暴だった。明朝だって侵略戦争はしたし、そもそも冊封制度の「世界は俺のもの」思想は、徳とは別の理屈で、その尊大さがのちに英中戦争の遠因になっている。あと、秀吉を読み書きできない人のように書いているのは、マジで語るに落ちていると思う。
中南米の銀が世界的に(日本にも)影響を与えるくだりなどは良かった。でも、結局、時代の流れの中では、国の興亡はどうしようもないことだということは解るが、だとしたら作者の史観はどうしようもなく古いものでないかと思うんだよね~。「中国の冊封は良い帝国主義」なんて本気で思ってそうなところが評価を下げている。
江戸時代のエコを語っているけれども、江戸時代はリサイクル社会ではあっても、自然についてはむしろ環境破壊社会だった。人間が牛馬のように働き、身分も固定化され、余剰人口を抱えることも難しい社会だった。そういうスタンスで語られる本も併せて読むと良いと思う。でも、作者の本業の日本文学や社会学の辺りは、知的に楽しめるものになっている。
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田中優子著『グローバリゼーションの中の江戸』.
大航海時代を経て、我が国は世界史と接触をもつ時代がはじまる.
科学技術の発展は、航海術など諸科学の機能のうえに、アジアとヨーロッパが<海洋>でつながる時代にはいる.
グローバリゼーション.地理的空間を圧縮する.そのために異なる文化、利用不可能が活用可能となる.
資することもあればと利点をあげ、かえす論理で競争、不幸、植民地化、アメリカ化と不平等を示す.
グローバリゼーションは、生活・文化・習慣にも変革をもたらし、受容のうえに<主体性>を試される.
変革と受容に政権と庶民.どちらが利点の恩恵に浴し、どちらが利益を提供する役割を担うか.
そこを緻密に問い直そうとするかの感が、行間にうかがわれる.
グローバリゼーションは必然.その時代に生きることを否応なく求められている若者に、試金石を示すということのようだ.(岩波書店 2012年)
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大変長い引用になるが、「おわりに」に、著者の想いが十二分に綴られているので、書き写したい。
「おわりに」
私はこの本を、2011年3月11日の東日本大震災のあとで書いています。1945年原子爆弾がアメリカに落とされたのは、皆知っていると思います。では原子力発電所はどうでしょう?これは爆弾ではないので「核の平和利用」と名づけられました。名づけたのは、アメリカのアイゼンハワー大統領です。
アメリカは第二次世界大戦中に原子力の研究を行い、日本に落とすことを研究していました。落としたあとは情報を統制し、どのような被害が出たか調査しましたが、日本人には知らされませんでした。核爆弾は「実験」だったのです。それから9年後、1954年に太平洋ビキニ環礁でアメリカは水爆実験をしました。このとき太平洋に暮らす人々と日本の漁船「第5福竜丸」が被爆しました。日本はこのとき、女性たちが声をあげて「原水爆禁止運動」が始まりましたが、その背後で日本政府は、アメリカと原子力協定を結び、原子炉をアメリカから購入しました。
その後日本はさまざまな技術を発展させ、高度経済成長を実現しました。その日本経済の発展を支えたのは、二度と戦争をしないという「憲法9条」でした。しかし一方で日本は、アメリカと朝鮮の戦争、アメリカとヴェトナムの戦争を支援し、またそれによって経済的に潤いました。さらに、経済成長に間に培われた価値観は、大量生産・大量消費、自由貿易、軍備の増強とその使用によってお金を循環させ、GDPを増やすことで人が幸せになる、という米国的な価値観でした。
この日本の状態はグローバルでしょうか?
沖縄は日本列島の中で唯一、「戦場」になりました。その後、アメリカ軍の統治下に置かれ、1972年に再び日本になりましたが、今でも統治時代と同じようにアメリカ軍基地がおかれています。
この日本の状態はグローバルでしょうか?
今まで見てきたように、江戸時代の日本は中国の政治思想を基準にしながらもヨーロッパの情報を集め、ものを各方面からある程度輸入してそれを国産化し、思想や医学も多方面から学びながら、それぞれの学者が日本の実情に沿った思想を築いて来ました。
しかし一方で、外国の脅威や軍事力に晒されると、一挙に排外的になる弱点を持ち合わせていました。しかしこの弱点は庶民のものというより、幕藩体制が既得権益を守りたいがためのものでした。つまり、もっともグローバルな状態から遠いのは、自らの権力を守ろうとする人々とその組織です。足下を固めようとするこの姿勢は、江戸時代の初期には極めて重要で有効なものでした。それがあるからこそ、地球を被う植民地主義の波にさらわれることなく、この日本列島の特質にあった発展をする事が出来たのです。
が、時間が経つと権力の固定化が起こり、それを守り通すことが目的になりました。商業の発展は幕藩体制に役立てることが出来ます。幕府主導の海外貿易も、幕藩体制に役立っていたはずです。しかしそれが幕府の手を離れることになったらどうでしょうか?欧米が求めてきた「自由貿易」「渡航の自由化」は、貿易の利益が幕府の手から離れることを意味していました。江戸時代の大半通じて幕府は、幕府のみの軍事力では国内をまとめ切れないことが分かっていました。貿易と渡航の自由化は、いったん幕府の手を離れれば諸藩及び商人(企業)にゆだねられます。外国船打ち払い令の様な極端な排外行動は幕府の既得権益守旧のための行動だったのであり、その様な権力の行動は、決して日本特有なものではありません。
社会は進歩しているわけではなく、進化しているわけでもありません。社会は人間がつくっているのですから、放っておいて自然に良い方向に向かうことなど、あり得ないからです。しかし変化はしています。特に日本は、多くの断層の上に成り立っていますから、地震の多い国です。これは紛れもなく日本の特徴です。火山も多いです。しかし一方で、国土の70%が山地であり、川や水や地熱や多数の温泉に恵まれています。また海に囲まれていますので、津波にも襲われたり、台風の通り道に成ります。同時に豊かな海の資源をもっています。これらの風土的条件は、絶えず天変地異に出会う事を意味しています。さらに近頃では、地球温暖化による気候変動があります。
そして15世紀末以降、日本はグローバルな変化のただなかにいます。つまり私たちは常に地球上で起こる事をよく観察し、自らの起こる変化を冷静に受け止め、それを社会をよくするチャンスに変えていかねばならないのです。それが「グローバルに生きる」ということです。
そのために私たちは、良い方向への変化を押しとどめようとする既得権益を持つ人々の守旧的な行動を見抜かねばなりません。最近の出来事で言えば、世界で最も地震の多い国のひとつであるこの国に原子力発電所を建てることは、絶望的な政策であることを、世界の多くの人が理解しました。そしてその絶望の中から、新しい国をつくろうとする希望を持つ人々も現れています。にもかかわらず、その動きを押しとどめようとする勢力もあります。これは既得権益ゆえなのですが、それを「日本の経済が衰退する」という理由で説得しようとします。
新しい社会への希望もなく経済が発展するわけはありません。そしてそもそも「経済」という言葉は、江戸時代では「経世済民」、つまりこの世を営むことで全ての人々を救済することでした。GDPの数字を上げることでなく、全ての人々が救われることなのです。
グローバルに考えグローバルに生きるということは、どこかの大国を見習ってその通りに生きることではありません。自分が生きている地域が、そこにふさわしい発展をするように、世界の中にあるさまざまな可能性を取捨選択することです。
あなたも、他人の真似をして生きることは出来ませんよね?素晴らしい人がいれば見習うこともあり、また反面教師として観察しながら「あの人のようにならないようにしよう」と思うこともあるでしょう。たくさんの人の生き方を見ることで、自分なりの生き方を、その能力と変化に沿って探り、自分で考えながら組み立ててゆくのが「自立」です。しかし自立は孤独でも孤立でもありません。
日本にはかつて「自前で生きる」という言葉がありました。「自立」は孤立を感じさ��る言葉ですので、むしろ「自前でやってゆこう!」と表現した方がいいかもしれません。多くの人と関わり助け合いながら、それでも「自分なりに」あることが「自前」なのです。グローバルに考えグローバルに生きるということは、「自前で生きていく」ということなのです。(182p)
もしかしたら、これは古典に入るべき書物なのかもしれない。読み進むうちに、私はそう思った。
時代に対する鋭い批判的認識があるのである。特に、読んでお分かりのように、アメリカ言うなりに進めてきたTTPと原発問題に対して、深い憂慮を持っていることは明らかである。深く時代にメスを入れる本は、深く時代を超える条件も持っているだろう。
グローバリズムを否定しているわけではない。この一書はむしろ、グローバリゼーションを高らかに讃えている本なのである。江戸を代表するファッションかすり文様は、インドから来ていた。瀬戸物という磁器は朝鮮半島から来ている。江戸時代のガラス、顕微鏡、眼鏡、印刷技術等々は全て外来のものである。それらのモノを取り入れながら、日本文化を作りあげる「内発的発展」を著者はグローバリゼーションがもたらす長所だと強調しているのである。少年少女向けの本であるが、大人にもお勧めします。
2012年9月30日読了
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本書は、少年・少女向けの「ジュニア新書」であるが、ブクログの他の方のレビューを読んで興味を持ち、手にとってみた。
「グローバル経済」とは、現在よく語られている言葉だが、その概念についてあらためて深く考える機会はあまりないように思うが、本書は、「江戸時代」という切り口でその「グローバル経済」をわかりやすく考察している。
本書は、「グローバル経済」とは最近になってからいきなり始まったわけではなく、「大航海時代と言われる15世紀末から、世界はグローバリーゼーションに突入」し、「江戸時代は1603年に始まり、まさにその中で成立した」という。
その具体的影響の実例としてあげられている「ボタンとズボン」や「インド更紗」「文様」などの話は興味深く読めた。
また、江戸時代の「陶磁器」や「風景画」などの文化の話は、「グローバル」と結びつけるにはちょっと違和感があったが、日本が外国文化を取り込んで換骨奪胎することが当時からすでに行われていたことがよくわかる。これは日本の文化的特性なのだろうか。
しかし、「江戸時代が出現したグローバルな理由」を読むと、豊臣秀吉や山田長政をまったく評価しないなど、どうも視点に独自のイデオロギーの裏打ちというか偏りががあるようにも感じる。
著者は本書の内容以上に語りたいことがもっとあるのではないかと、読後にちょっと違和感をもった。
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江戸時代は鎖国の時代?
なぜ、「鎖国をしていた」「開国した」ということになったのか。教科書で習ったことを、疑わないまま、それを常識として知識にしている。それが危険だな、と思った。学校で習ったことが、すべて本当ではない。江戸の文化についても、なかなか面白かったけど、それに加えて、「鎖国」「開国」「日本」などのことばをどういう立場で使うのか、という視点でも面白かった。
グローバル、ということばを、世界均質化、と捉えてはいけない。どこか大きくて強い(と思われる)国を真似すればいいってもんじゃない。
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江戸時代、日本はみずから「鎖国」の道を選び、長崎の出島でのみ細々とオランダ、中国と貿易を行っていたとするのが、従来一般の江戸幕府に対する外交観だろう。1492年にコロンブスがアメリカに到達し、その後の南アメリカでの銀山開発、鉄砲の伝来と国内生産、秀吉の朝鮮侵略、そして家康の江戸幕府。こうした一連の流れの中で、16世紀以降の日本はグローバリゼーションに巻き込まれ、やがてそのことを自覚し、転換していった歴史だと捉え直す。しかも、本書の目的は現代の日本が真にグローバルであることの意味を問いかけることにあった。
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グローバリゼーションの功罪を問う。
リサイクル時代江戸を賛美しすぎるきらいはあるが世界中が消費社会と化した現代に一言物申した本であり青少年のみならず大人も読むべきである。
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岩波ジュニアー文庫という洗脳教科書では
見ることのできない角度から
若者に向けた世界史の中のニホンを浮き彫りにする
特に《鎖国》と呼ばれている江戸前後を解剖する
鎖国はむしろ江戸以前であって
江戸は自主的に管理しながら
海外情報と貿易を庶民の目線で広めていることを
独特の視点から解き明かしている
その証拠として現代のお祭りでも
ポルトガル人や挑戦や琉球からの使節団に扮した
仮装行列がアチラコチラで行われているというし
浮世絵やファッションや食器やメガネなどの技術を通して
あるいは政治や経済や侵略戦争を通して
人間の悪行と成長を紐解いて行く
経済を江戸では《経世済民》と呼び
世を営むことで全ての人や自然を救済することを
意味したという
GDPとは無関係に暮らしを過不足なく豊かにする
グローバルに生きるということは
力尽くの大国に従って真似することでなく
地域ごとの特色を活かしながらも
世界の中から可能性を選び出して補い合うということだと
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前半は目からウロコの連続。縞模様の語源は「島=インド」の模様だとか、八重洲の由来はヤン・ヨーステンだとか、人に話したくなるウンチクが満載で。
後半はいまいち読むのがつらかったな。「鎖国」という言い方がいかに的をはずしているのかはよくわかったけど、秀吉への評価は一方的で一面的だと思うし、朝鮮出兵への断罪の仕方も近視眼的であるように感じた。いや断罪はいいんだけど、あれを断罪するなら、元寇はどうなんだとか、もうちょっと広い視野からの批判が必要であるように思う。
あと明らかに経済を敵視しちゃってるところも引いちゃう。経済を重視するってのは「贅沢を尊ぶ」みたいなのとは別次元のはずなんだけど、その辺の批判の仕方が荒い。
ま、とはいうものの、全体的には「読んでよかったな」と思います。レンズの語源はレンズマメってことが知れたし。
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江戸時代は世界のグローバリゼーションの中で出現した。また、「江戸時代は庶民も外国の文物に触れる機会も多く、それによって江戸文化も成熟していった」という考え。
前半は退屈だか、後半の3章、4章は秀逸だと思う。後半だけでも読んでみるては?