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笑ってしまった。
2014/01/06 15:30
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投稿者:イントルーダー - この投稿者のレビュー一覧を見る
第3章 DSGEモデルの系譜については、おかしくて笑ってしまった。
RBCは、非現実的な理論を振りかざし、ケインズ派からも、古典派からもこき下ろされた。
DSGEも結局、ちょっとのショック程度は、含意できるが、大恐慌や、リーマンショック後の、米失業率10%超えには、何も回答を示すことができない。
結局、「大ショック(恐慌など)」は、なぜ起きるか???の、ケインズに戻ってしまった。
リーマンショック後は、古典派は、沈黙してしまった。同じDSGEの上に乗っかっていたニューケインジアンモデルも轟沈してしまった。
各金融当局がとった行動は、金融政策+財政政策の、オールドケインジアンモデルだった・・・・。
金融政策で、利子率を目いっぱい下げたが、これ以上金融政策は使えない。で、財政政策復活・・・。
経済学って、いったい、何をやってきたんだ?????
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専門家でなくともわかりやすい
2024/02/24 22:25
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投稿者:ichikawan - この投稿者のレビュー一覧を見る
ゾンビ経済学とは、すでに論理的に否定されているはずなのにいつまでも死ぬことなく現実政策にも影響を与えてしまっている経済思想のことである。専門家でなくともわかりやすいので、まともな経済政策を考えるうえで参考にしたい。
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考え方によってはケインズの理論も充分ゾンビ経済学
2019/10/01 02:11
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投稿者:ホンの無視 - この投稿者のレビュー一覧を見る
結局のところ、
経済学の流行が市場原理主義と修正資本主義との間を振り子のように揺れ動いているだけのような気もする。
そもそも、
「世の中に求められている思想が時代ごとに変わるため経済学もそれに合わせて変化している」
というだけならゾンビ経済学などという題名にはならないだろう。
この本で問題とされているのは過去に否定されたはずの理論が未だに幅を利かせているという点であり、
世の潮流とはあまり関係なくそれらの理論が死んだり生き返ったりを繰り返しているのがゾンビ経済学の恐ろしいところだろう。
世の潮流と経済学の流行は必ずしも一致していない。
世の中の動きにあっていない経済学の理論に何の意味があるのだろうか。
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新自由主義の敗退
2013/04/14 01:37
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投稿者:sskkさかた - この投稿者のレビュー一覧を見る
経済政策に単一の主義主張は不要
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一般的にゾンビ経済学というと市場競争力を失ったものの政府等の資金援助で生きながらえている企業が存在する経済市場、即ち、公共投資が減ったにも関わらず未だに数が多すぎる建設業がまずは指摘されている。潰れるものは早く潰してしまえ、という清算主義者も居る一方で、景気回復までの雇用の受け皿でその存在価値は無いわけではないとする主張もある。まあ経済学の示すところはその学者のよって立つ位置によって異なるので中々判断は難しいものだが。
で本書の「ゾンビ経済学」とはそのようなゾンビ経済を指すのではなく、本当は現実の経済に当てはめると全く意味を成さないのに未だに死に絶えることなくゾンビの如く事あるごとに蘇る不毛の経済学「理論」「思想」のことだ。
曰く、大中庸時代説(安定した経済がずっと続く)、効率的市場仮説(市場は合理的でバブルは起きない)、DSGE(ミクロ的基礎付けを持つマクロ理論が重要)、トリクルダウン説(金持ちが豊かになれば貧困層にも恩恵がある)、民営化(政府が行っているあらゆる機能は、民間企業のほうがうまくこなすという発想)の五つでそれらの理論が出てきた背景やそこから派生して採用された政策などが紹介されている。
一言で表現するならばアンチ「市場原理主義」というようなものではあるが、一方では伝統的なケインジアンなども多かれ少なかれ同じ土俵で議論をしているという批判も加えている。経済学は純粋な学問なのか、それとも神学なのかは常々悩ましいところではあるのだが、少なくとも実態経済に取り有益であるどころか有害なものとして挙げられているこれら理論は早めに退場願いたいものである。だが其れに代わる新たな神学の登場では何も変わらない話だ。時節柄話題になっているノーベル経済学賞の廃止がまずは最初に求められる変革かもしれない?
とは言え財政を巡るアメリカの民主党・共和党の論争を見ていると未だにこうしたゾンビ理論が大いに幅を効かせているのは明らかであるし、日本でも経済成長のためには規制緩和、即ち民営化が絶対の善とする議論も絶えることなく続いているので決して対岸の火事ではない。
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経済評論家の三橋貴明さんと上念司さんがこの本は名著だとおっしゃっていたので購入。
重厚な内容なので私のようなニワカ経済知識では読むのに結構パワーが要ります。
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内容的に面白いのだが、文章の問題か訳の問題か読みにくい。同じような問題を書いた本としてはスティグリッツやチャンの本の方が読みやすいかな。
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世界金融危機で大ダメージを喰らった死ぬかと思ったら、粘り強く生き残ろうとしている経済学上の各種の思想の、生誕のバックボーンから成長、金融危機に突入するまでの流れが纏められた本。
つまり単純に言ったしまうと、ケインジアンの経済学者による、新自由主義経済学の思想のダメ出しの本です。
内容は非常に面白いし、門外漢にはそれはもうわかり難い大恐慌後の経済学思想の流れがわかりやすく纏められているので、経済学に興味があるし基礎はわかるよっていう人にはオススメ。
ただ、上に書いた様にケインジアン視点から新自由主義をくさしている本なので、新自由主義陣営からはまた別の反論もあるでしょう。その分は割り引いて考える必要はあるかと。
以下、本文中のお気に入りの一節
『現在幅をきかせている、数学的論理的厳密性の強調は、他の社会科学にはない内的整合性を経済学に与えてくれた。だが整合的にまちがっているなら、何の意味も無い』
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ゾンビ思想とは、殺されても繰り返し復活する思想のこと。
経済学でもそのような考え方が繰り返し出現している。
大中庸時代
歴史の終わり、レクサスとオリーブの木
リスクが世界に分散されたという誤解。
オーストリア学派のビジネスサイクル論
効率的市場仮説
市場は君が破産するより長く不合理でいられる(ケインズ?)
効率的市場仮説では、公共投資より民間投資のほうが効率的になる。
資産価格の変動性は効率的市場仮説が予測するよりずっと大きい。
IMFのワシントン・コンセンサス=金融自由化と民営化。実際はこれが危機を引き起こした。
LTCMはマルチンゲールルールと同じ。
ケインズ派のあとはフリードマンなどシカゴ学派のマネーサプライ。
インフレはマネーサプライに左右される。マクロ経済政策は実体経済には短期でしか作用できない。
動学的確率的一般均衡(DSGE)
トリプルダウン経済学
民営化
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実証に耐えられず失格の烙印を押されて死んだ理論がなぜか経済政策談義では幅を利かせている状況を、死んでも這いずり回るゾンビになぞらえてつけたタイトル。書かれているのはあくまで経済理論解説であってゾンビを考えるものじゃありませんw
とりあげられているゾンビ理論は「大中庸時代」「効率的市場仮説」「動学的確率的一般均衡」「トリクルダウン経済学」「民営化」。
それぞれ誕生、生涯、その死、復活、ゾンビ以後とまとめられています。
帯には「なぜ、破綻した経済理論が幅を利かせているのか」とあるがこの本自体にはそのなぜはあんまりない。
経済学者たちが理論や実証で殺したはずの理論をゾンビとして使役するネクロマンサー達。
彼らを倒す「銀の弾丸」は民衆が使いこなせない限り効力を発揮しないのだろう。
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効率的市場仮説からニューケインジアンまで幅広く攻撃を加えています
ただ、叩く際に持ち出す文脈がかなり恣意的であったり、批判のやり方に少し公平性を欠く印象は受けました
本書にもありましたがクルーグマンの90年代の数冊の著書に中身も思想も似ています
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翻訳がアレなのは相変わらずだが、変換ミスみたいなのをそのまま出版するのはやめてくれ。
内容は面白かったが。
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一度は死んでいるのによみがえって、生きている人間を苦しめる…
なるほどね。
著者によれば、トリクルダウン、民営化はすでに一度はその生命力を絶たれた経済理論だ、と。
痛快だねぇ。
トリクルダウンの章の冒頭では
「トリクルダウン経済学が改めて人気を得たのは、政治的な右派や金融のグローバル化と同時期に起きた。これらは政府が所得を資本から労働に再分配する能力を成約した。/これはまたまちがいなく、ほとんどの経済学者がこのプロセスで得をする側にいた、ということも影響している」
と。
これらのゾンビ経済学が復活するのは、それでおいしい思いをする人たちがいるからだ。
民営化の章でハッとしたのは、
「一九八〇年代の民営化は、資本主義経済における国の関与増大トレンドを逆転させた。ソ連共産主義の崩壊は、自由市場改革が単なる振り子の揺り戻しにとどまらないものだ、と裏付けるかのようだった。当時の勝ち誇った書物の代表格が言うように、それは『歴史の終わり』だとされたのだ。」
と。
日本をふくむ西側諸国で民営化の波がひろがったのとソ連崩壊が重なり、「国有・公有は歴史的に終わり」、「市場原理こそ勝者」と、それが加速されていったという指摘は重要だ。
その後、イギリスでの鉄道の再国有化、オーストラリアで全国ブロードバンド網整備のために政府が電気通信事業に再参入、ニュージーランドで2001年に航空会社の再国有化などを例にあげて、世界的に「民営化」理論の死=破たんが明らかになりつつあることを示している。
考えなくてはいけないのは、日本ではまだ公務員攻撃=「民営化」論が吹き荒れていて、社会的にまだ克服できていないこと。
その背景の一つに、ソ連崩壊についての認識が社会的に浅いという問題があるのではないだろうか。
ソ連と当時の東欧政権の崩壊を「共産主義の敗北」とだけとらえていては、現在の中国をはじめ、ベトナム、キューバが生き残り、比重を高めていることをまったく説明できないではないか。
中国、ベトナム、キューバを「共産主義の亜流」で説明するのではなく、ソ連こそが崩壊にまでいたった特殊な社会・経済体制であった、とみるのが妥当だろう。
10年前の2004年、ドイツの映画「グッバイ・レーニン」が「東ドイツもひどかったけど、資本主義だってそんなにいいもんじゃないでしょ?」と批判するのを見て、その立直りの早さというか、冷静さにびっくりした。
同時に本書は、資本主義の国、といっても香港のようなほぼ完全な自由主義の国と、北欧のような計画経済との混合経済をおこなっている国とをいっしょにするな、とも指摘する。(メモがなくなったので正確な引用ではないが)
あらゆる市場介入・公共投資的な政策に「社会主義」とレッテル張りをし、資本主義=徹底した新自由主義を対置して二者択一を迫るという日本の風潮にグサッとメスを入れる一冊だ。
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世界金融危機でその実証性が否定されて、危機時に役立たずである事が露呈したが、しぶとく生き残っている五つの経済学的考えを批判したのが本書。構成としては以下の通りになっている。
第一章:大中庸時代、
第二章:効率的市場仮説、
第三章:動学的確率的一般均衡理論(DSGE)、
第四章:トリクルダウン経済学、
第五章:民営化
大中庸時代とDSGEの章、効率的市場仮説と民営化の章がそれぞれ対応していて、四章のトリクルダウン経済学が独立した内容となっている。
一章と三章では、「新古典派経済学」や、マクロ経済学のミクロ的基礎づけを目指す「DSGE」が主に批判の対象だが、不況を解決するには、金融政策が主な政策ツールと考えて、その中心的な狙いは低位安定インフレの維持だという考えの「ニューケインジアン」も容赦なく攻撃されている。ここでは、バーナンキが批判の対象として名前が挙がっており、グリーンスパンと同じく、世界金融危機を招いた責任があると述べている。昔ながらの財政金融政策併用のケインジアンの立場からの批判であろう。
一番読んでいておもしろかったのは、トリクルダウン経済学を扱った章。よくアメリカは「機会平等」の国だと日本の論壇で言われていたが、ブルッキング研究所のロン・ハスキンスとイザベル・ソーヒルの研究によると大嘘で「機会の平等」も「結果の平等」もないようだ。
また民営化について書かれたのを読むと、一時期民営化の成功例と思われていたニュージーランドは、本当は民営化で大失敗、再国営化の道を歩んでおり、ベタな民営化推進論者の自分にとって考えを変える機会になった。
おもしろい。 おもしろいのだけど、ある程度経済学を齧った人でないと内容はよく理解できないと思う。訳は普通だが、結構誤字が多いかなあ。
評点:9点 / 10点。
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大中庸説(安定した経済がずっと続く)、効率的市場仮説(市場は合理的でバブルは起きない)、DSGE(ミクロ的基礎づけを持つマクロ経済理論が重要)、トリクルダウン説(金持ちが豊かになれば貧乏人にも恩恵がある)
参考文献、推奨文献も紹介