紙の本
変えますか?
2014/05/05 19:12
3人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:Tucker - この投稿者のレビュー一覧を見る
ここ数年、憲法についての話題になる事が多い。
そのため、毎年、この時期、憲法に関する本を読む事が恒例となりつつある。
今年、読んだのは内田樹と、彼が選んだ3人が語る憲法9条を中心とした憲法論である本書。
「虎の尾を踏むのを恐れない」という触れ込みだが、主に踏んでいるのは改憲派の「尾」
4人に共通しているのは「なにがなんでも憲法を守れ」と言っているわけではない、と言う点。
「変えてもいいけど、なぜ今、変えなければならないのか?」という点が根底で共通している。
自分が分からない点もまさにそこだった。
結局のところ、改憲派の人は「変える事」が自己目的化しているような気がする。
突き詰めると「自主憲法を制定した」という事実を作って、自分のプライドを満たそうとしているだけでは?
今の憲法を根本的に変えたとして、何を目指すのか?
なんだかんだ理屈はこねても、「平和国家」という看板は降ろさない(まさか憲法で「侵略国家」を掲げよう、という人はいないだろう)から、結局、9条がジャマなのだろう。
9条を無くす事で「普通の国」になる、と言う人もいる。
が、「普通の国」とは他国と戦争する事もできる、という意味になる。
そういう覚悟を持った上で主張しているのかは、はなはだ疑問。
自分だけは安全な所にいる、という前提でモノを言っている気がしてならない。
(特に政治家は安全な場所にいる充分な理由があるから)
本書の中では、町山智浩氏が最後にこう語っていたのが印象に残る。
「そんなに軍隊を持ちたいなら持てばいいが、その場合は自分もちゃんと兵隊やれ」
(外国では職業軍人に軍隊を独占させるのは危険なので、国民皆兵制を敷いている国もあるらしい)
改憲派の人たちは、どう答えるだろうか。
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投稿者:ぽにょ - この投稿者のレビュー一覧を見る
9条がどういうものかということを考え、9条を変えるなら、なぜ、いつ、どのように、といったことが重要だということを執筆陣は言いたいのだと思った。
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2012/10/13 Amazonより届く。
2016/8/2〜8/4
内田樹氏、平川克美氏、小田嶋隆氏、町山智浩氏による憲法論議。2006年の刊行だが、内容は古くなっていない。町山さんのが一番面白かった。改憲、護憲何れにせよ、感情的議論ではなく、論理的にやらないといかんな。
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竹島、尖閣諸島の問題から、近頃また騒がしくなってきた憲法第9条を巡る論争。2006年、安倍政権が打ち出した改憲論に危惧を覚えた4人の論客による憲法についての考え方。根底にあるのは「憲法を変えることで、誰がどのようなメリットを享受するのか」が不明確なこと。そもそも憲法というものはどういうものなのか。それは国民を縛るものではなく権力者が逸脱して国民を苦しめないようにあるものではないか。また憲法とは本来「国として求めるべき理想」であるべきで、現実に即して書き換えるようなものではない、ということ。
個人的には「普通の国」になりたいから改憲して交戦権を得たり、軍事力を所有したりする、というのは情けないと思う。まず「普通の国」の定義が不明確だし、更に言えば「普通の国」ではなし得なかった戦後60年にわたる平和を実現した「特別な国」であることを誇りに思えば良い。「神の国」であると言えるのであれば、そのくらい他と違っていたっていいでしょう。
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憲法9条について、4人の論客がその見解を展開している。
私の中で、憲法9条の重要性は考えるまでもない。
それは、平和を願ってのことである。
はっきり言って、押しつけの憲法や丸腰外交に屈辱感を持つ意味も理解できない。
けれども、それは性善説をもとに理想論の上に成り立っている考えなのかもしれない。
というわけで、憲法改正論争のなんたるかを理解したいという思いと、論客4人のメンバーに惹かれ本書を読んでみた。
4人のそれぞれの見解に納得し、私の浅い知識がいくらか深まった。
結論を述べていない人もいたが、熟考すればするほど結論を出せない問題なのかもしれないと思う。
しかし、私自身の結論は変わらなかった。
「憲法は現実を追認するものではなく、目指すべき目標」であるということを忘れてはいけないと思う。
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あーーそれだよそれ、となる。日頃感じていることをうまく言語化してもらえたような感じ。
最近の報復テロの応酬をみていると、誰かが大人になって憎しみの連鎖を断ち切らないといけないと思うし、その役目に一番相応しい国でありたい。
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今の私はTVに映る自信に満ち溢れた〇〇の顔を見るのも嫌で、反吐が出そうです。こういう態度は反知性主義の最たるものでしょうが、この激情は自分自身ではとても抑えがたいものです。ですから、内田樹氏や鶴見俊輔氏の仰ることを鈍い頭でなんとか理解し、気持ちを鎮めておとなの振る舞いをしようと努力しています。でも、政府のあまりの蛮行に地団太を踏み続けすぎて、とうとう椎間板ヘルニアを発症し、手術することになりました。今の政府は私にとって毒以外の何物でもありません。
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内田樹、平川克美の文章が出色。
「彼らに共通しているのは現実というものは、自分たちが作り出すものに他ならないという認識の欠如である。現実に責任を取るということは、現実に忠実であることではなく、現実を書き換えるために何をすべきであるのかと考え続けることである」
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この本は、単行本で出たときにも読んでいる。2006年、安倍晋三が前に首相だった頃だ。安倍内閣では、愛国がどうのこうのというイキオイで教育基本法が改正され、憲法改正の段取りだとばかりに国民投票法が制定された。"国民投票法を知っていますか"みたいなパンフレットが近所の公民館のチラシ棚にまで並んで、憲法改正へいってしまうのかと案じたこともあった。が、お腹痛いと安倍が退陣して、それから政権交代もあって、民主党という寄り合い所帯にも改憲派はいるものの、おもてだった改憲の動きは沙汰やみになったと思っていた。
しかし、お腹が痛かった安倍が、ええクスリができたと復活して、またまた首相になってしまった。2006年よりも改憲をいう政党が増えた感じで、この先どうなるのかと思ういま、文庫になったこの本をまた読んでみる。
この本に書いている4人は、これまで半世紀近く繰り返されてきた護憲派/改憲派の言葉を越えて、これまで誰も言ったことがないようなことを書こうとしている。そのことを、内田樹は「臆断の檻」から解き放つ言葉、と書いている。
▼獄舎の扉が外からしか開かないように、私たちを「臆断の檻」から解き放つ言葉は、檻の外からしか到来しない。…(略)…
必要なのは「鉄格子の隙間を抜けることができるもの」である。
たくみな「言葉使い」は、彼の本体を閉じこめている檻の鉄格子の外に言葉だけを逃すことができる。そして、外に出た言葉だけが扉を外から開けることができるのである。(p.22、下線は本文では傍点)
どう読んでも「恒久平和主義」を掲げる憲法と、「戦力」をもつ自衛隊と、この両者の存在の"ねじれ"をどういう方向で読み取るか。大きく二つの主張がある。一方は自衛隊は憲法違反だと言い、他方は憲法こそが現実にそぐわないものになっていると言う。前者は護憲を言い、後者は改憲を言う。
この本の4人はどんなことをいうか。
内田は、日本はこの"ねじれ"を病むことで生きのびてきた、という。
▼憲法九条と自衛隊の「内政的矛盾」は、日本がアメリカの「従属国」であるという事実のトラウマ的ストレスを最小化するために私たちが選んだ狂気のかたちである。そして、その解離症状から引き出しうる限りの疾病利得を私たちは確保してきた。それは世界史上でも例外的と言えるほどの平和と繁栄をわが国にもたらした。だから、私はこの病態を選んだ先人の賢明さを多としたいと思う。(pp.71-72)
軍隊オタクの町田は、戦争は男の本能だってなことを書いていて正直ちょっと引くが、改憲派の言ってることがどうヘンかというのを縷々述べたうえで、もしも改憲するなら徴兵を!という。
▼欧米では徴兵制度の廃止に反対しているのは、日本とは逆にリベラル派である。というのも、職業軍人だけに軍隊を独占されるのは危険だからだ。国民皆兵制は、アメリカ憲法修正第二条と同じく、国家権力の横暴を防ぐためのものである。
もし改憲で軍隊が生まれてしまったら、…改憲に反対していた人たちもみんな一緒に来て欲しい。そして、軍が悪に進まぬよう力の限り内部から監視し、告発し、闘うのだ。『兵隊やくざ』��ように。(pp.118-119)
※アメリカ憲法修正第二条は「人民が武器を保有しまた携帯する権利を侵してはならない」というもので、それは「規律ある民兵は、自由な国家の安全にとって必要であるから」という理由がついている。
小田嶋は、日本国憲法は大胆な理想主義で、若干ポエムっぽく、文体が翻訳くさいが、全体として悪くない、ほとんど美しいとさえ言える、と書いている。
▼なにより、国家観が良い。
国家主義者に言わせれば、国防を放棄した国家は、タイヤを持たない自動車が自動車でないのと同じように、そもそも国家ではない。なんとなれば、近代国家の第一の機能は、まず何よりも国防だからだ。
が、新しい国家は違う。
新しい国家は、主権国家が国防のための捨て石と考えていた当のもの、すなわち国民の生命をなによりも優先して防衛する対象としている。(p.165)
平川は、法と現実の関係が変わってしまったことを述べ、現実に法をあわせるべきだと主張するような人びとには、改憲してほしくないという。
▼わたしは、現行の憲法は何が何でも総体として変えてはならないと主張する護憲派ではない。いや、たとえ一字一句同じ憲法であったとしても、日本人はもう一度、憲法というものを自ら選び直す必要があると思っている。また、専守防衛の自衛隊の構想と、今のような自衛隊を育ててきたことを評価してもいる。その上で、自衛隊の存在意義を憲法に位置付けられればいいと思っているのである。
しかし、この間の改憲の議論を見ていて、「彼ら」には憲法を変えていただきたくないと思うのである。「彼ら」とは、世界の現実に合わせて、あるいはアメリカの極東軍事戦略に沿って、憲法九条を変更して国軍を海外に展開したいと望んでいるもののすべてである。…(略)…
「彼ら」に共通しているのは、「現実」というものは、自分たちが作りだすものに他ならないという認識の欠如である。「現実」に責任をとるということは、「現実」に忠実であることではなく、「現実」を書き換えるために何をすべきであるのかと考え続けることである。そのように考える言葉を信頼するということである。(pp.223-224)
国民て誰やろう?日本人て誰やろう?とも思うけど、そんなんも考えながら、ねちねち読む値打ちはある本だと思う。
(2/5了)
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基本的に9条を肯定、又は少なくとも現在の段階では肯定する人たちの意見でまとめている。読むとそれなりに説得力はあり、変える必要はないのでは、と考えさせられる。
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■内田樹
・そもそも法律は「よいことをさせる」ためではなく、「悪いことをさせない」ためにある。「人間は放っておけば必ず戦争をする。」これを前提に、「どうしたら人間に戦争をさせないようにできるか」を考えなくてはいけない。
・9条二項を改訂して「(条件付きで)武力を行使できる。」とすることは、どう考えても「戦争ができるようになりたい」ということ。
・改憲派も護憲派も、武力を持たないことと自衛隊の正当性の矛盾の解消を求めているが、9条こそが自衛隊の正当性の根拠になっている。
・自衛隊は、憲法制定とほぼ同時にGHQの指導のもとに発足した。つまりこの二つの制度は本質的に「双子」であり、両者が矛盾した存在であるのは、「矛盾していること」こそが、そもそもはじめから両者に託された政治的機能だったことを意味している。
・憲法9条と自衛隊はアメリカが日本を「従属国化」するために採択した政略であり、「奴僕」の立場に甘んじる限り、この二つの間に何の矛盾もない。敗戦国である日本人は、奴僕国家として「正気」であることよりも、「人格分裂国家」となる道を選択したことによって、独立国として生き延びることができた。
・この病気を直すことよりも、この病気に向き合い、病とともに生きるというあり方が日本人が選びうる最適なソリューションではないか。
・9条を改正しても、アメリカとの従属関係が改善されることはない。むしろ、アメリカは9条廃止を黙認し、増加した国防予算で米製兵器の大量定期購入を要求してくるはずだ。
・改憲しても、改憲派が求める「普通の国」には慣れない以上、確信犯的にあえて病み続けるべき。
■町山智浩
改憲派の掲げる改憲目的
1有事の際に迅速に有効に対処するため
2海外に出兵できるようにするため。集団的防衛、国際貢献に必要。
3憲法は時代にあわせて書き換えられるべき。
4自衛隊は「戦力」。9条との矛盾を解消する必要あり
5自国を守る権利を持つ「普通の国」になるため。
6アメリカから押し付けられた憲法なので、日本人の意志で書き換えるため。
7日本人の誇りを取り戻すため。
・1、2は口実でしかなく、改憲派の本音は6、7。
・「平和憲法があるのは世界中で日本だけ」は間違い。「平和」や「不戦」を謳う憲法は120カ国以上ある。ただし「すべての戦力の保有を否定」は日本だけ。
・「60年も改正されていないのはおかしい」というのも嘘。ドイツは、憲法5条「表現の自由」で、憲法批判さえ認めていないし、アメリカの独立宣言、フランスの人権宣言にあたる憲法の基本理念部分は、未来永劫書き換えることなどできない。
・軍隊には実は戦争よりももっと重要な役割がある。国民を作ることである。本来「国民」は「民族」ではないが、日本ではその認識が明確になっておらず、偏狭なナショナリズムが台頭する恐れがある。国民というアイデンティティが民族というアイデンティティを押しつぶさないよう、両者を分離して考える必要がある。
・改憲したとして、徴兵制のない、65歳以上が人口の4割を超える老人国で、だれが兵隊になるのか?
・欧米では徴兵���度の廃止に反対しているのは、日本とは逆に、リベラル派である。それは、職業軍人だけに軍隊を独占されるのは危険だから。国家権力の横暴を防ぐためのものでもある。
・「そんなに軍隊を持ちたいなら持てばいいが、その場合は自分もちゃんと兵隊やれ」それができないのであれば、別の方法で極東での地位を確立した方がいいのではないか。
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「改憲論議」の閉塞状態を打ち破るには、「虎の尾を踏むのを恐れない」言葉の力が必要である。四人の書き手によるユニークな洞察が満載の憲法論! (アマゾンより)
憲法がこのままで何か問題でも?(内田樹)
改憲したら僕と一緒に兵隊になろう(町山智浩)
三十六計、九条に届かず(小田嶋隆)
普通の国の寂しい夢(平川克美)
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私は大学の一般教養で憲法を学習して以来、御無沙汰だった人間なんで・・・たくさんある憲法・9条本から何を読もうか、アマゾンのレビューを参考に選んでいるんですが、この本は賛否両論でそれほど期待してませんでした。
読み終わって。
良かったです。
9条について初心者だから良かったのかもしれません。「どこかで聞いたことがあることばかり書いてある」と酷評している方がいましたが、私はどれも初めて聴くようなことばかりだったので(苦笑。
(介護にあけくれている間、いろんなことがあったんだなあ・・・としみじみします。)
4人のどの方の憲法論も勉強になりました。特に私は内田氏と町山氏が好きです。語り口がやさしくておバカなワタシの脳ミソにもスンナリ入ってきます。
ブクログの引用で書ききれない部分は、いつものようにノートに書き写しorコピーして貼りました。
いつか、私の脳ミソにしっかり理解できるようになるまで(オバサンは年とるとスグ忘れちゃうのよ)ときどき読みたいな、と。
オススメです。
(憲法や9条の本で他にオススメがあったら、是非教えてください。)
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近代憲法のあり方から考えさせられます。
近代って個人も国家もガラリとかわっているところなんですね。はっきりいってそうでない時代の思考法をうまく想像できない。今をそのまま当てはまることができるのか、どうなんでしょう。橋本治ならストンと考えちゃうんでしょうけど。
明日はレ・ミゼラブル見てこよっと。
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これ!絶対みんな読んだ方がイイ!!
全文引用して書き留めておきたい内容。
憲法なんて、現実と乖離してていいんだって!
そこ、共通の認識にしようよ。
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むずかしいことをやさしく、
やさしいことをふかく、
ふかいことをおもしろく、
おもしろいことをまじめに、
まじめなことをゆかいに、
そしてゆかいなことはあくまでゆかいに
ご存知、井上ひさしさんの「名言」です
さて
「九条のお話し」
まさに
「九条をどうすべきか」
「九条を考える」
「九条を堅持する」
「九条を打破する」
などではなく
ー九条どうでしょう
というタイトルそのものに
井上ひさしさんの提言が
そのまま
日常の言葉で
日常の文脈で
こういうことは考えていきたい
ものです