電子書籍
アメリカ文学屈指の名作
2020/01/20 02:54
1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:有理 - この投稿者のレビュー一覧を見る
有名すぎて、長年読んでいなかった小説。初めて通して読んで、その熱量に圧倒されました。アメリカ文学屈指の名作と言われるのも頷けます。
セイラムの税関で赤い布と古い記録が発見され、物語は清教徒の戒律厳しい過去の時代へと飛び、本編が始まります。宗教的に抑圧された時代を背景に、ヘスター、ディムズデール、チリングワースが、三者三様に情熱というか生命を燃やし尽くす、しかも自分の内面だけで、というのが凄い。社会的に苦しい立場に置かれたヘスターが一番現実的で、男二人は自分の中だけでエネルギーがぐるぐる回ってます。ヘスターとディムズデールに愛があるのかどうかさえ、よく分かりません。話の途中までは、登場人物も物語自体も、すごく抑制されているようなのに、最後の最後でエネルギーが噴出します。勝手解釈ですが、魔女っ子のようなパールの描写は、ディムズデールが真を隠す隠さないの象徴なのかなぁ、と思ったりしました。
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:雄ヤギ - この投稿者のレビュー一覧を見る
アメリカ文学の傑作のひとつ。プロテスタントの信仰が篤いニューイングランドのセイラムという港町を舞台に、旧世界に夫を残しながら不倫によって子を宿した若い女、父親であるにも拘らず名乗り出ず、「誠実さ」によって人々の尊敬を集める若い牧師、旧世界から渡ってきて復讐の為に身元を隠す夫の三人による物語。なぜ女は不倫をしたのか、夫への愛情はそもそも無く、夫が中途半端に女の気を引いてしまったため、とされているが、そこはよくわからない。恐らく「罪と許し」がテーマであって、なぜ罪を犯したのかはそこまで重要視されなかったのではないか。その分、牧師による罪の告白は感動した。
はじめにある「税関」がきついと感じる人もいるかもしれないが、そこを抜ければ不通の小説だし、「税関」こそがこの小説が書かれるきっかけになった、と作中で設定されている物について取り扱っているので、ぜひ読んでもらいたい。
紙の本
緋色というのは黄色がかった赤色のことで、英語ではスカーレット
2020/01/05 22:23
1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:ふみちゃん - この投稿者のレビュー一覧を見る
緋色というのは黄色がかった赤色のことで、英語ではスカーレットというらしい。だから原作のタイトルは The Scarlet Letter。主人公・へスターの服に縫い付けられた緋色のAは何のことかというと、本文には説明がないのだけど不倫(adultery)のAのこと。初めは緋色のAは肌に直接刻まれたものと誤解して読んでいたのだが、どうもそうではなくて服に縫い付けられたものだということがわかった。だったらそんなAは外してしまえばいいではないかと思うのだが、あの頃の清教徒と言われる人たちはまじめだったんだな。言われたとおりにずっと身に着けていた。正直、最初の税関の話は退屈で長いのだが、これも含めてこの小説だから仕方がない
紙の本
胸に刻む
2018/05/03 11:27
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:Todoslo - この投稿者のレビュー一覧を見る
「A」の文字を刻み込まれた女性の悲劇には胸が痛みました。ピューリタン的な風習や時代の重苦しさも伝わってきました。
投稿元:
レビューを見る
CL 2021.12.10-2021.12.18
新訳でとても読みやすくなっている。
7年も自分だけ罪を隠して、隠しておけなくなったら死んでしまうディムズデール牧師は情けない男ではないか。
ヘスター・プリンはその間もずっと幼い子どもを抱えて世間から拒絶され、差別され、たったひとりで敢然と生きてきたというのに。
我が子パールへの責任もかけらも果たさず、ただただ己の都合、思いだけで、ひとり逝ってしまうとは。
たとえこれが1600年頃のアメリカの話だとしても、男の情けなさに怒れてくる。
現代的な基準では語れないのは承知の上で、それでも素直な感想は上記のとうり。
投稿元:
レビューを見る
胸が締め付けられる。
出てくる登場人物の誰もが、少しの悪と、沢山の苦しみと愛を持ち合わせていた。
それにしても、悔恨が心身にもたらす影響力の強さよ。
アメリカ(特に田舎)には、素朴さや真面目さが感じられるけれど、それはピューリタンの流れを汲む歴史が脈絡と受け継がれているのだろうと思った。
ヨーロッパの小説と違い、ヘスターが強い女として描かれているのが印象的だった。
時に牧師や医者に対し、強い意志やその壮絶で孤独、しかし思考が自由に解き放たれた女として、力強く、優しい言葉を発する。
ヨーロッパの小説だと、彼女はもっと弱々しい存在として描かれたんじゃないかな。
最後のラストは薄々感づくのに、その場面に遭遇したくて、はやる気持ちを抑えながらページをめくった。
19世紀の小説だけど、とても読みやすいのは、小川高義さんの訳によるところも大きいと思う。
名著だった。
投稿元:
レビューを見る
いつか読もうと思ってここ数年過ごしていた#緋文字 も、ようやく読了。十重二十重と包まれているような文章で、裾を踏んづけながら歩くよう。不倫という罪(姦通罪)が、17世紀のアメリカにおいてどういうものだったのか。その罪の重さで、心身共にに病むって大袈裟…と思ってしまうしまう、現代に生きる私…。主題みたいなものより、17世紀アメリカの空気を感じることが面白かった。
投稿元:
レビューを見る
米文学史の授業で初めてその名を知った、ホーソーンの代表作。
授業でのあらすじの説明から、なんて暗い話を19世紀に書いたのか、疑問でならなかった。
その疑問は解けてはいないが、ヘスター・プリンの強さと、不倫相手の弱さと苦悩を描かずにいられなかったのだろうと推察した。
それにしても、授業であらすじを紹介されていなければ、あの牧師が不倫相手だということになかなか気づけなかったんじゃないかと思う。
授業では、牧師は苦しみ抜いて最後は死ぬが、その死にはまったく意味がないと先生が言っていた。その通りだとも思うし、そこまで言ってはかわいそうとも思ったが、結局は牧師という公職(?)についていながら、近くでへスターを助けるわけでもなく、ただただ自己満足の懺悔をしただけなんだから、やはり先生の言う通りなのだろう。
投稿元:
レビューを見る
有名な米文学ですが、私は「ひもじ」作者は「ホーソン」だと思い込んでいた。ダメですね。生半可な知識は。書かれたのは19世紀半ばですが、舞台は17世紀です。日本は江戸時代です。アメリカがまだ新天地だったころでしょう。主要人物は若く美しい主人公へスター・プリンと、男二人。そしてへスターの生んだ幼い娘。古い話です。信仰というものが命と同じくらいの重さであるということがわかります。へスターは不倫の罪で、忌み嫌われ後ろ指をさされながら生きていきますが、強靭で優しく魅力的です。人間の力を教えてくれます。
投稿元:
レビューを見る
税関の部分は、だらだらと長く続き、読みにくい。しかし、『私』のセイラムの地への愛着は郷愁を喚起し、寂れた街で過ごす人々もまたセイラムの地に縛られているのかと考えると哀愁を帯びて感じられ、改めて読み直すと共感を覚えた。地縁的なものに敏感な人には、通ずるものがあるのではないか。
本編は、ストイックな牧師の姿が印象的だった。三角関係とそれぞれの変化は解るが、パールの役割や緋文字のAについては消化不良に終わった。
投稿元:
レビューを見る
私に宗教の観点が欠けているので、
牧師の苦しみがもどかしく感じる。
そこまで罪の意識に苛まされるのだったら手を出すなと。
投稿元:
レビューを見る
愛と苦悩
(実際に読んだのは角川版)
古典の名著といえば、そのうちの一冊にホーソンの『緋文字』があげられるだろう。
なるほど、清教徒入植間もないアメリカで、姦通の罪で晒されたへスター、その夫、姦通した相手の若い牧師のそれぞれの心のうちを巧みに描いている。
また、罪の子、パールの無邪気な姿が、その無邪気さのために光源となってそれぞれの姿に影を作っている。
たしかに、たしかに文学作品としては素晴しいのであろう。
ただ、私の感想はそうではない。
まずは『緋文字』の序として『税関』という物語が併せて掲載されているのだが、これが淡々として、43頁まで読むのに、酷く苦労した。
ここで少し面白くなってくるのだが、61頁まで、またこの淡々に付き合わされる。
挫折しかけた。本当に。
さて、物語がやっと始まってくるのだが、一冊読み終えるのに一週間かかってしまった。
読後は何とも言えぬ不快感。
いや、物語自体は希望ある終わりかたではある。しかし......。
鴎外の『舞姫』に似たような展開だと思った。
内容が類似しているというのではない。
男、姦通した側のディムズデイルの情けなさに心底腹が立ったのだ。
へスターが相手の名前を明かさず、罪の証を胸につけ、さらし者になり、罪の子を育て上げる強さに対し、ディムズデイルは私は罪を犯したと自らの救いを求めるばかり。
挙げ句の果てにその罪の重さに堪え兼ねて告白をするはいいが、そのまま天に召される。
何とも勝手な御仁である。
神よ、私を許したもう、そればかりだ。
多少はへスターに対する気持ちや、自らの子を愛するそぶりも見せるが、結局彼が悩んでいるのは自分のため。
へスターやパールに対してではないのだ。
それを美辞麗句で飾り立て、「苦悩」という自己満足を完結させる。
それに対し、裏切られたことで復讐を考える老博士のほうがよっぽど「悪」に徹していて好感が持てる。
また、へスターの強さは「愛」故の行動なのだろうと思われる。
二人とも「愛」のために選んだ道が異なっただけで、己の身勝手さを理解している。
この三人とも紛うことなき人間の姿であるといえば、確かにその通りだ。
どこに感情移入するかで物語はまったく異なる様相を見せるだろう。
それが名作たる所以なのかもしれない。
投稿元:
レビューを見る
作品は1850年に発表されたものだが、舞台はさらに200年も遡ったアメリカのニューイングランド。
そこはピューリタンの町で、当然ながら厳格な信仰が守られているコミュニティだ。
タイトルの緋文字とは、そこで姦通の罪を犯した女性への罰として、その衣服の胸のところに常に着けるように定められた緋色のAの文字のこと。
その女性は、町で尊敬を集めている牧師と関係を持ち子をなしてしまうが、彼女には夫がいたため、罪とされた。一方牧師の方はその関係がバレずにいた。
後から町にやってきた夫は、医師に身をやつし町の中で一定の位置に居座るようになるが、二人に執拗に復讐をしようとしていく。
キリスト教をベースにしているため、罪とか罰という観念が、現代から見ると大きく異なっている気もする。正直、そこまで苦しまなくとも、とさえ。
しかしそれが当時の空気感であり、それがいわゆる「世間」であったということを思えば、一概に昔話にしてしまうこともできない。
よくも悪くも、一定の規律やルールを定めずにはおれない、そしてそれに縛られることを自ら望むのが人間ということか。
また、物語の後半でも描かれるのだが、罰を受けるがゆえに聖性を帯びてくるという展開も、キリスト教的なものと言えまいか。
しかしこの論理は極めて危険なものであるということは、歴史が示しているとおり。それをあえて19世紀半ばに描くという点は、もう少し深掘りできることかもしれない。
投稿元:
レビューを見る
最後まで読み、「辛い」と声が出た。結局、牧師と神との間で交わされる神聖な対話や関係の前では、子供を産んだヘスターは無力だ。森での美しいヘスターも歯が立たない。牧師は、「ヘスターの苦しみを痛いほど知っていた(だからこそ辛かった!)、他人に罪人であることを隠して苦しんだ!、死ぬ前に罪について告白するのだ!(その直前に壮大な説教をして大衆を心酔させている)、ヘスターに自分達は永遠に結ばれないと彼女を戒める!」という論理を展開していく。牧師は、神の采配で、迷いから救われたという。宗教的には勝利したのだろう。でも、ヘスターは。。。神との誓いを優先して、美しい信仰心を讃えて先に死ぬ牧師。残されたヘスターは、複雑な思いを抱えながら生きていくようだ。妊娠、出産、子育て全てをたった一人でやり遂げたヘスター。彼女には、牧師のような自己陶酔的な宗教的正義の境地には至れなかった。観念的な世界だけで完結できない日常がある。そのかわり、ヘスターには、パールがいる。女性らしい美しさを、隠し否定して生きなくてはならなかったヘスターだが、娘には美しい衣装を着せて育てた。「成熟した未来に、神聖な愛が人を幸福にするものだということを、うまくいった実例として、証明できる人」が、パールであればよいな、と思う。最後に、、、上記に書いたような、こんな単純な話ではない小説だと思いました。一気に短時間で速読したので、大切なポイントがごっそり抜けてる気もします。パールや緋文字の意味など、気になりながらも、深く分析することなく、読み終えました。後日、改めてじっくり読みたいと思う作品となりました。
投稿元:
レビューを見る
緋文字という言葉はときどき耳にしたことがあり、「スカーレットレター」というとなんだかロマンチックだし、とずっと引っかかっていた言葉だった。図書館でたまたま見つけて読むことにした。
ホーソーンの作品には序文が寄せられることが多いそうで、「税関」を読むことで、緋文字本編を読む際に、実際にあった出来事を覗き見しているような、物語への没入感が強まったと感じる。
物語そのものとしては、パールの父親が誰なのか?があまりにあっさりしていて、もう少しミステリーものの要素やドラマティックな要素があるかと思っていたので、「なーんだ最初から登場してる牧師なのか」と拍子抜けしてしまった。
パールとヘスターのその後も、愛情を胸に幸せに暮らしました、という感じで、もっと波瀾万丈な物語を期待していたので物足りなく感じてしまった。
ヘスターと牧師がどんなふうに親密になったか、へスターと結ばれる際の牧師の心境はどうだったかの描写も読みたかったけれど、この作品は筆者があえて書かなかった部分(牧師の緋文字の様子など)があるし、そこは想像に任されているのかな。
キリスト教の教えに関して知見が足りていないこともあり、全体的にふうんと思って読んでしまった。
ピューリタンの教えの厳しさは意外なものがあった。いまのアメリカの(都市部の)イメージとはやはり結び付かなくて、どんな経緯でこの厳格さは薄まって行ったのだろう?
そして1800年代当時で、既に失われた技術と評されたヘスターの緋文字の刺繍はどんなものだったのかなあ。
光文社の古典新訳文庫は初めて手に取る。
なんとなく「古典の表紙でよく見るあのイラストね」というイメージだけ持っていて、古典は読みにくいだろうし、と避けていたものの、とっても読みやすかった!
今回緋文字を読んだことで光文社の古典新訳文庫が「いま、息をしている言葉で、もう一度古典を」という意図のもと発刊されていると知り、もっと早く読めばよかったと思った。他の古典も読もうと思う。