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これは相当アツい本ですぞ。
テクノロジーは、人間の意思とは無関係に自律的に発展していくのであり、それ自体いい悪いとか言うのはナンセンスであり、止められるものでもない。
なので、人類とは別個の生態系であるテクニウムとうまく共存していく道を探っていくのが、我々にできる唯一のコトなのだー。
21世紀初頭の新しい思想書として、古典になりそうな雰囲気もある大作です。
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内容すごく面白そうなのだけど、なかなか頭に入らず読むのに時間がかかったので途中で断念。
また読みなおす。
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ワイアードの創刊編集長ケヴィンケリー。彼が若い頃に途上国を旅したテクノロジーを排して生きるミニマリストだったとわw そういう時間を過ごしたからこそ、テクノロジーのありがたみをわかる。
ひどいアイデアに対する正しい反応は思考停止ではない。よりよいアイデアを思いつくことだ。何のアイデアもないより悪いアイデアがあったほうがいい。少なくともそれを修正すればいい。
禁止ではなく方向転換。禁止したり放棄するだけではうまくいかない。それより新しい働きを見つけた方がいい。テクノロジーの表現は一つではない。色々な初期値を持ちうる。政治的にも役割は複数ある。禁止するよりテクノロジーの方向性を変えてもっと共存できる形にすればいい。
ひどいアイデアに対する正しい反応は思考を止めることではない。良いアイデアをおもいつくこと。(ーーではない、からの批判的発展)何もないより悪いアイデアがあった方がいい。修正すればいいだけだからだ。
Convivial自立共生
イヴァンイリイチ『コンヴィヴィアリティのための道具』の中で自立共生的な道具を定義して「自律的な個人や一次集団の寄与を拡大するもの」
ところどころ、特に動物行動学や歴史など、面白い話はあるのだが、少々神秘主義にかかっている部分もある。「有意味」を感じられる知識とはどの辺にあるのか、という疑問を持つに至る。
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読みました。生命という現象は、水と有機化合物を混ぜ合わせただけのものではない。同じように、テクノロジーも単体で見るのではなく、それらの生成や進化の過程、他の技術や人間、環境との関連性をふまえた「テクニウム」という概念で見ないと、その未来や評価を正しく見ることはできませんよ、という話。
著者のケヴィン・ケリーはWiredの初代編集者で「ホール・アース・カタログ」の編集もやっていたような、デジタルヒッピーの元祖みたいな人なので、なんかところどころ「なにかをキメているのではないか」と思うような主張や表現も出てきますが、なかなかおもしろい視点を得ることができます。
アメリカで大ブレイクしたこんまりの片付けの魔法とやらも、この文脈なんだなーと思った(小並感
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テクノロジーを「テクニウム」という生物種になぞらえ、その様相について驚くべき深い洞察と極めて重要なビジョンを示す非常に興味深い本です。
テクノロジーの性質は、リチャード・ドーキンスの『利己的な遺伝子』風に、人間の知性を<乗り物>にして一種自律的に進化するものである。その進化には方向性がありしかも「進化が進化する」驚異的なものである。
では人間はテクノロジーにどう向き合い、付き合えば良いのか。ここで原理主義的なラッダイトを実践したユナボマーと、テクノロジーの受容と選択を共同体としてコントロールするアーミッシュについて考察し、テクノロジーを「選択肢を解放するもの」と考え、とにかく新しいテクノロジーは「常に監視しながら継続的に試験されなくてはならない」としている。
筆者は最終章に神を引き合いに出していますが、正に神学や歴史学も同じフレームで考察すべきなのだと思います。筆者は(テクノロジーにおいて)未来は現在よりも良くなる史観をもっています。「テクノロジー」の定義からして人間はこれから逃れることは不可能であるため、やはりテクノロジーに対する態度は「常に監視しながら継続的に試験されなくてはならない」となるべきであると筆者の意見に賛成します(これはエリック・ブリニョルフソン他の『機械との競争』に対する部分的な回答になっており、結論の核の部分で一致しています)。
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元wired編集長のケビンケリー入魂の書。あまりに自分にど真ん中なので下北沢のB and Bで開催された著者講演会にも参加してサイン本を購入してのゆっくり読書。IDとかに下手をすると落ちてしまうとても微妙なサブジェクトを、アメリカ西海岸楽天思想によって描いた作品です。未来を楽天的に見ようという意志であって、見方をどう設定すれば楽天的に見ることができるのか?という話なので、正しい話をするとかそういうことではないと思って読んでいるのが僕の立場。みうらじゅん名づけるところの「カリフォルニアの青いバカ」ってやつですな。それで、まあ要約なんてできるわけがないんですが、本書のアイディアの流れを一応示すと、技術っていうけど、これは自然界と異質なもの、対立したものではないんだよ。という話が一つ。つまり、原初の生命というのもテクノロジーなんだと。それで、じゃあテクノロジーの定義はなんなの?って言ったら、「自分の生まれた後に世の中に現れたもの全部」だと。それで、でも技術って世の中に悪いこともたくさんしているけどいいの?という問いに対する立場は、よくよく検証してみれば、技術入れたほうがちょっとだけいいんじゃない?っていう。技術悪いところたくさんあるけどそういうのは直していけばいいじゃん。みたいな。それで、技術に対してとても慎重な立場をとるコミュニティとして「刑事ジョンブック」とかに出てくるアーミッシュに対する取材に基づく観察が述べられている。それからユナボマー。あとソロー。まあもともとwhole earth catalogな人なので地球の論点とかスチュワートブラントな言及もたくさんありますよ。なので、singularity来ても大丈夫そこは天国みたいって思いたい人はぜひ読んでね。それ以外の人もぜひぜひ。面白いですよ。あと、服部桂さんすごい。とても読みやすい。値段以外は。
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テクノロジーと呼ばれるものの背後にある何かを「テクニウム」と名付けし、その性質を明らかにする。
ドーキンスが「利己的な遺伝子」で述べた遺伝子が生物を利用する、と同じようにテクノロジーがまるで意思を持っているかのように人類を支配、つまり、なくてはならない存在になっている。そのテクノロジーの進化の原理がテクニウムだという。ただし、読み進めてもそのテクニウムが一体何なのかはわからない。読者へ判断をゆだねる形で本書は結ばれる。
400ページを超え、正直、読みづらさはある。先に解説を読んでから、本章に入っていくのがよさそう。
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近年読んだ書籍で最も影響を受けた一つ。ケヴィン・ケリーが本書で語る「テクノロジーの進化は生物が進化してきた歴史の延長にある」という主張は慧眼だと思う。その主張に至るまでの例証もどれも興味深い。この本を読み、テクノロジーの進化というものが善悪論を超えて、ある種冷静に一つの現象として観察できるようになった気がする。
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未来について考える、哲学シリーズ3冊読了。
人類はどこへ向かうのか?より良い未来とは?
人類とテクノロジーは切っても切り離せない。テクノロジーは問題も引き起こすが、良いことをもたらすことのほうが少しだけ多い。これまでもそのようにして発展して来た。(中世の王様より、現代の我々一般市民は確実に良い生活環境を授かっている)
このようにしてテクノロジーの進化を促す目に見えない流れをテクニウムと呼ぶ。
しかし、そのようにして発展して来たのは、必然なのか?それとも、我々自身の意思によってなのか?人間には自由意志はあるのか??我々は初めから決められたレールの上を走っているだけなのか?
自由意志に関する現在のコモンセンスは「自由意志はない」ということらしい。しかし、「あると思いたい」。なぜなら、自ら熟慮し、判断し、選択することが「より良い未来」を作るはずだから。そしてまだまだ劣勢ながら「自由意志はある」という勢力が増して来ているらしい。
より良い未来のためには、テクノロジーを活用しながら、生命や宗教といった多様性を容認していかねばならない。
そのためにも、もっと人間を理解しなければならない。これからの人類において、間違いなく脳科学はキーテクノロジーだろう。
なーんてことを学び、考えたのでした。
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テクノロジーの進化論とも言える1冊。自分にとっては、少し抽象度が高く、読みながら足元がフワフワとした感覚だった。
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テクノロジーの総体は、まるでDNAが組み込まれているようにある一定の目標に向かって進化する。現在可能な技術や、人類史における技術動向の指向性を読み解けば、未来予測は可能か?あるテクノロジーが爆発的に広がるためには、ハードウェアとソフトウェア両方にあらかじめ一定水準の普及が進んでいることが必須である、と。これは当たり前といえば当たり前で理解できる話。
結局のところ、テクノロジーの大局的な動きは個人で制御できないが、流れを読みながら時機を見抜くことで、発明した道具やサービスを「より使われる」ようにはできるってことなのかな。論としてはすごく完成されているのだろうけれど、どう活用するかがなかなか難しい本。
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生命の進化が同時多発的に起きているように、テクノロジーの進化(発明)も同時多発的に起きている。
このFACTから、物事には定められた進化の方向性があるのだろう。
今後起こるであろう方向性を、
複雑性、多様性などの観点で解説。
かなり抽象度が高いが、事例も豊富。
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かつて生物学者は、生命は単なる物質の組み合わせではなく、生命というモノがあると考えたが、分子生物学の発達とともに、生命はデオキシリボ核酸という化学物質に還元される。けれども、生命はその構成物質の所与を超えて、自律性を獲得していることは自明である。著者は、テクノロジーもまた、生命と同じだという。テクノロジーは物理的・化学的メカニズムに還元されるが、そのこととテクノロジーがその生成構造を超越することは矛盾しないと。
この、テクノロジーそれ自体が人との関わりとは別に自律性を持ち得るという想定を可能にするのが、「テクニウム」という考え方だ。テクニウムは科学的記述の限界ということもできるし、神の新しい定義と考えることもできる。
このアイデアの正当性が証明されるには時間が必要だが、これまでにない視点の斬新さには、強く興味をひかれる。
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いろいろ考えさせられる内容である!
アーミッシュが、脱炭素原理主義者のように技術を全否定するのではなく、使ってみて評価して使い続けるのかを決めると言うのは興味深かった。
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テクノロジーの本質について、生物の進化史を敷衍しながら解き明かす革命的名著。テクノロジーを動詞的で「生命を持った精神」と措定し、その普遍的構造や進化のベクトルについて詳らかにしていくプロセスは圧巻の一言に尽きる。ケリー氏の慧眼にただただ瞠目。