紙の本
興味は尽きない
2019/02/12 13:01
2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:るう - この投稿者のレビュー一覧を見る
皆さんプロであり趣味を仕事にした方々の対談集でもあります。
趣味を愛しながら俯瞰で見る冷静な視点が確かにある。
これができるかがプロとアマの境目なんですね。
紙の本
対談相手
2021/05/14 20:09
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:ヒグラシカナ - この投稿者のレビュー一覧を見る
よしながふみさんの対談なら読みたいし、
対談相手を知ってますます読みたくなった。
長く作品を作る人ならではのプロ意識が
随所で見られ、時折手に取り何度も読んでいます。
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対談相手の半分が、初めて知る方々だったのですが、作品作りや、好きなものへの情熱が伝わってきて、興味深く、大変面白かったです。人と楽しく話した後の、一人反省会は身に覚えがあるので、親近感がわきました。
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自分が「好きだ」と思うもの、思うこと(いわゆる「趣味」と称される全般)について、おそらく世の中の大部分の人は、「なぜ好きなのか」について、それほど深く考えないのではないか、と思います。
「楽しい」「面白い」「かっこいい」「可愛い」という主観的な感情が「好き」の理由としてもう成立する。
だけど漫画を心から愛している私にとって、漫画が「面白い」のは当たり前の大前提で、「なぜこの漫画が面白いのか」「なぜこの作者が好きなのか」「なぜこのキャラをかっこいい、可愛いと思うのか」ということを考えずにはいられないのです。
それ自体すでに漫画の魅力に捉えられた人間の業であって、考えても考えてもブラックホールのようにより深く漫画の世界にハマっていくだけで、ちっとも自分の「好きな理由」を言語化できずにもどかしいんですけど、この本は、そんな「業」を抱えた人たちのなりふり構わぬ対談集でした。
しかも、かなり自分たちが好きなものに対する「なぜ好きなのか」「なぜ面白いのか」が明確に言語化されていて、私としては「あああああっ、そうだったのかーーー!!!」と雷に打たれたような霧が晴れたような感覚をページをめくるごとに味わいました。
そして、私の血は間違いなく少女漫画でできている…それを今、再確認しました。
もちろん、よしながふみも対談相手の人たちも私と全く同じ考えではないので、全てが分かったわけではないのですが、出口もなくモヤモヤしていた思考に、一筋の光明が見えたような感動を覚えました。
やっぱり人と語り合うって自分の考えを整理して言語化するうえでも大事なんだよな。私も、もっと友達と漫画について語り合おう!
でも、この本で語られていることに共感できる人はきっと少ないと思うので、あんまり人には勧められないですけど(笑)
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よしながふみさんの対談集。
三浦しをんさん、羽海野チカさん、萩尾望都さん、堺雅人さんなど、様々なジャンルの人と漫画を中心に対談。
三浦しをんさんがもともと好きで、そちらがこの本を読もうとしたきっかけでした。
三浦さんとの対談で、幅広い範囲での漫画についての語り、それこそ好きだからなんでしょうけど質量ともに圧倒されました。
他の方々との対談も、互いに漫画への深い造詣を感じるものでした。
私が全く知らない漫画も多く、もっと漫画を読んでいたら、更に楽しめたんだろうなと思いました。
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よしながふみって、どんな声でしゃべるんだろう?
作家が語ってるのって、聞いたり読んだりする機会けっこうあるけど、
漫画家が語ってるのって、そうないので、
とてもおもしろかったし、いい本でした。
どの道のプロもそうなのかもしれないけど、
ここに出てくる漫画家たちは、ホントにマンガを愛してるな~。
そして、ただ好きっていうんじゃなく、
なぜ、どんな風に好きか、自己分析してる。
私は、熱心なBL読者ではないけど、
このやおい論がすごく的を得ていて、
今後にヤバい影響がありそうな気がする。
ていうか、志村貴子が同い年で驚き!
よしながふみも同世代っていうので、よけいに共感するのかもしれないけど、
なんかこの世代ならではの感覚ってある気がする。
(三浦しをんが年下ってのもびっくり)
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大好きなマンガ家さん(よしながふみさん、羽海野チカさん、萩尾望都さん)の対談集ということで購入。
そうそう!と共感するとこもありましたが、 知らないこと、未知なことが沢山でした。
ボーイズラブは食わず嫌いだったんですが、その世界は広いんだな〜とちょっと興味が湧きました。でも手は出さないままで終わりそうですが笑
あと、堺雅人さんが結構フランクに話す方なんだな〜と意外でした。
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(実際に読んだのは2007年刊の太田出版版)
よしながふみと、やまだないと×福田里香、三浦しおん(1・2)、こだか和麻、羽海野チカ、志村貴子、萩尾望都との対談集。
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感想はブログでどうぞ
http://takotakora.at.webry.info/201408/article_4.html
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よしながふみの対談集。
よしながふみ作品に出てくるセリフは作者自身の話し言葉なのだとよくわかる。
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『大奥』を6巻まで読み終えたところで、文庫版語りおろしの堺雅人さんとの話だけまずは読む。堺さんもすごくノッていて、深く、読み応えがある。
そしてこれを読む前に『大奥〜有功編』の録画消去してしまったことを悔やむ。コミック版とテレビドラマ版をもういちど味わい比べてみたくなる。
さらに次に読む作品としては『きのう何食べた?』かな、とねらいがさだまった。
(↑2015年頃か?)
『大奥』完結記念で改めて読む(2021年3月)。それ以外の対談もぼちぼちよみはじめてみて、霧が晴れるように自分がこの作家この作品にひきつけられる理由がわかった。「日本とアメリカでは、物語における最大の宗教は恋愛」、そこに乗れないでもやもやしているひとは意外といっぱいいるのかもしれない、と頼もしく感じる。そしてBLというジャンルについて、自分は食わず嫌いだったのではないかと気がついた(SFについてもそうだったので、たぶんそうなのだろう)。「大奥」を見届け、「きのう何食べた?」もTVドラマをきっかけに少しずつ読んでいるけど、よしながさんの他の作品も少しずつ読んでみよう。
「大奥」ファンの長女はこのたびはじめて読んで、「これって堺雅人と菅野美穂が結婚する前?」ときいてきた。2013年5月発行前の語りおろしなので堺雅人との対談は2012年秋のテレビドラマ&暮れの映画公開の直後だと思われるが、対談では菅野美穂の話題もでてるのに結婚のけの字も匂わせてないのがたしかにおもしろい(この本が出る直前、2013年4月入籍)。
***
よしながふみの書籍でわたしがいちばん最初に買ったのが、堺雅人の対談目当てで買ったこの本(ちょうど十年前)。そのあとテレビドラマを楽しんだ「大奥」を読み始め、他の作品もあれこれ読み漁り、「きのう何食べた?」もけっきょく買い揃えている。
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三浦しをん、羽海野チカ、志村貴子、萩尾望都、堺雅人(以上、敬称略)という豪華メンバーが勢ぞろいのよしながふみ先生対談集。
三浦しをん先生、志村貴子先生との対談は、個人的に共感できるところがたくさんあるので何度も読んでいます。
とても勉強になります。
他の人がただ「好き!」で終わらしてしまうところを、細かく分析して結論を導くところが読んでいてとても気持ちいいです。
すきま時間にぴったりの本♪
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色々凄い。『愛がなくても食ってゆけます』のYながはどこへ!?作品を読んでいて感性も頭の回転も良い人なのだろうなと思ってはいたけど、正直雲の上の人になってしまった。創作・表現している身にとっては、かなり打ちのめされる内容でもあった。
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面白い。深いテーマがいろいろと、すごく楽しく語られている。
萌えとはなんぞや、という人にもオススメ(笑)。
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よしなが 「別マ」はごらんになってましたか。
福田 毎月読んでた。中でも大人になって、構成のすごさを再認識したのは、くらもちふさこ作品。
よしなが くらもち先生もコミックス買いだな。なんか、くらもちさんってずっと新しくなってるから、何が好きっていうのがみんな違うんですよね。その人の青春時代のときにやってたくらもちさん、みたいな。私のころは『A-Girl』とか『アンコールは3回』とかのころだった。そのあと古いのも面白くて『おしゃべり階段』とか……。
福田 『おしゃべり階段』世代ですよ(笑)私とかだと。
よしなが 女の子がアイロンで「あちちち」とか言いながら、髪の毛をまっすぐにしようとするところとかを覚えている。くらもちさんて、すごいよね。ずっと変わっていくっていうか、私、『東京のカサノバ』っていうのが好きだったんだけど、そのときにはだいぶ変わってたかな。『おしゃべり階段』とくらべて。
福田 そうですね。結構、男の人の関節とか喉仏がちゃんと描いてあって……、絵がちゃんと動いてた。
やまだ あと、コンバース描くのがうまかったんだよね。くらもち先生って。
よしなが 絵が上手だった。くらもちさんて、いまだにそうだけど絶対芸術家っぽくならないじゃない。こんなにマンガが上手なのに、芸術家肌の、天才肌の方によっていかない。それがすごいと思う。
福田 食べ物をうまく使ってるんですよね。『いつもポケットにショパン』も、ピアニストをお嬢様扱いしちゃいけなくて、生活感が大切だっていって、おかあさんと主人公の麻子は仲が悪いんだけど、麻子が聞いてないと思っておかあさんが、すごい得意気に、「うちの麻子はシチューが得意なのよ」っていうのよね。
やまだ そうそうそう(笑)。
福田 そういうところに絶妙にいつも、食べ物がからめてあったりして、あと、何の話だったかな、すごく一所懸命、「絶対このメーカーの生クリームじゃないといけないのよ」っていう話があった。
よしなが あったあった! それ、『A-Girl』! あのU印ってやつですよね。あのときに、なんだっけ、男の子の家で、八宝菜作ってもいい? ってきいた彼女に、いい問いかけだねっていうんだよね。ふつう女の子は「作ってあげる」って言うのに、君は「作ってもいい?」ってきく、みたいなところが、ちょうど私が中学生で、中学生のときって友だちの言葉尻とかが気になるのよ。それで、なんて上手なんだろうって思った。だけど、くらもちさんて、そう言う話が痛々しい話にならなくて、あくまでもシャラってふれてあって、結局、王道の「別マ」の少女マンガに統合されていくところが、プロとしてほんとすごいと思う。いまだにそうですね。『α』とかも。
福田 私、あの人のカラーインクの使い方に衝撃を受けた。で、買ったんだけど、全然使えなかった。
やまだ わかるよ。あの、なんだっけ。ホルベインじゃなくて、マクソンのどピンクとかでしょ。ガーッと顔をショッキングピンクで塗っちゃうんだよねえ。
福田 そう(笑)。ウォーターカラーのきれいな色なのよねえ。あれで、みんなウォーターカラーを使い出し��、でもくらもち先生ほどやっぱりうまくない。で、いまだと絶対コンピューターでやってるでしょ。なんか、新しい画材に挑戦しようとする意欲がすごいなあ。
よしなが あと、絵ががらりとどこかでっていうんじゃなくて、つねにマイナーチェンジですよね。一作ごとにマイナーチェンジして、古くならないようにしている。
やまだ 私、はじめてよしながさん読んだときに、くらもちさんの系列なのかなって思った。よしながさんのホモのマンガ読んでなかったからさ(笑)。くらもちさんみたいな感じと思ったら、以前に福田さんが「東京の女」っていう話をしてたけど、くらもち先生もそうじゃん。あ、なんかその感じなのか、と思った。
よしなが くらもち先生の描く高校生が、割と私服が多くて、当時都立高校に上がったときに、すごいリアルなの!
福田 そう、都立の感じ!
よしなが それこそ、具体的な学校名もでるくらいの、ちょうどあそこらへんだ、「杉高?」(笑)、と思うくらいの濃いリアリティのある学校を描いてる。
福田 『いつもポケットにショパン』に音楽学校が二つ出てくるんだけど、その微妙な違いとかを、これはリアルだなってわかる感じで描いてあって。でも私はないとさんの描く西欧やパリの街にも同じ質のリアルを感じたよ。あと、『ポケショ』とよしながさんの『ソルフェージュ』は十数年を経て私の中では美しい一対、光と陰を構成している『裏ポケショ』みたいな(笑)。
やまだ わたしが高校生のときが、『A-Girl』とか『カサノバ』とか、くらもちさんが、第2期というか……。
福田 でも、よしながさんはその次の世代じゃない? どっちかっていうと、『瞬きもせず』とかに人気が移っていったとか。
よしなが すごいローカルの話なんだけど、バレー部とかテニス部の、ふだんマンガを読まないような子たちは紡木たくさんに夢中で、私の友達の少女マンガ好きな人は、くらもちさんと吉野朔実さんだったんですよ。つまり「ぶ〜け」だったのね。『少年は荒野をめざす』か『A-Girl』かの友だちにわかれてた。
やまだ でも紡木たくさんが出てきて「別マ」がすっかり変わっちゃった。
福田 くらもち先生も紡木たくさんをものすごく意識してたと思うよ。だってくらもち先生、田舎の話とか描く必要ないよ。『天然コケッコー』は、くらもち先生なりの練りに練ったカウンターーなんだと思う。だからこそあの精度で描き切ったんだと感じましたね。
やまだ わざわざ方言まで使って。
よしなが 私は山岸涼子さんを先に読んでたので、そういう業の深いマンガを先に読んでたから(笑)、くらもちさんをみたとき「職人」だなって思った。やっぱり「別マ」ってエンタメの雑誌なんだと思って、白泉社ってそこからはみでた人の集まりじゃないですか。
福田 たしかに。
よしなが 『はみだしっ子』とかね(笑)。みんなが業のかたまりみたいにしてマンガ描いてた。
やまだ くらもち先生、三原順先生と同期だもんね。
よしなが くらもち先生はやっぱり軽やかなのよ、ぜんぜん。
やまだ 対照的に、いくえみ綾先生てすごい迷走してたんじゃ? そういう新しいのが入ってきたときに新しいのが入るたびにいくえみ先生て迷走するんだけど、すぐなんか、ふっと落ち着くというか、やっぱりいくえみ先生になっちゃうんだけども。
よしなが 消化するんですかね、新しいものを?
やまだ どうなんでしょうかね。私が青年誌に行っちゃってからのいくえみ先生は見てないんだけども、先生は青年誌を意識したことはあったのかな。岡崎京子さんが出てきたあたりで、少女マンガに青年系っていうか、A5判系っていうか、別の流れがでてきちゃったような気がしたんだけど。いくえみ先生はあのころ、そっちに行きたくなったりしなかったのかなあ。でもくらもち先生って動かずにずっとやってるよね。
よしなが それはそれで、いま振り返るとすごい。その後、「コーラス」っていうおねえさんの雑誌に移られたけど、でも第一線には違いないっていうか、「コーラス」って、でもやっぱりレディース誌じゃないんですよね、「YOU」とかと違って、やっぱり少女マンガの範疇に入ってる。
よしなが 少女マンガって、広いじゃないですか。いわゆるオメメキラキラの恋愛ものから、それこそ白泉系の『はみだしっ子』みたいなものまで。でも結局、少女マンガって一様に言えるのはやっぱりマイノリティのためのものだなと思う。女の子って、もう女性っていうだけで経済的にも権力の担い手としても腕力の世界でもマイノリティだから、社会のなかで、そういう人の、たたかって勝ち取って一番になるっていうことかが基本的にできない人たちが読むマンガだと思ってる。頑張ればなんとかできると、いくら少年マンガを読んでも思えないっていう人たちのために、その人たちがどうやって生きてくかっていうことを、それは恋愛だったり、友情だったり、っていう、それぞれの形で答えを少女マンガは提示している。女の子たちって生育歴によって何が抑圧されてるかってのみんなばらばらなので、それでたぶん、男の子にくらべて、女の子の志向ってばらけちゃうんだと思うんですよ。でもいまって女性もだんだん自己表現できるようになってきたでしょ。だから女の子が少年マンガを楽しく読めて少女マンガが売れなくなってきてるのはある種の必然だと思う。で、いまさそのかわり男にも負け犬入るので、男女問わず負け犬の読むマンガとしてサブカルがあるのではと。
よしなが その子の生い立ちとか家庭環境とかわかってきて、「あ、だからこういうこと言うんだ」ってわかる瞬間がある。別にフェミニズム的なことじゃなくても、相手が「え?」って思うようなことを言ったときに、最初はわからないし腑に落ちないのが、ずーっとその人とおつきあいしていくと、ふとした瞬間に一気に回路がつながって「わかった! あなたの思考回路、こうなっているからこうな考えるのね」ってわかる瞬間があって、それがおもしろいんです。
よしなが 中学の頃からそう言う子が周囲にいたんですね。あとでその子の家庭環境とか考えてみると、仕方なかったんだと思う。すごく過酷な現実にあったので家の外で自分をものすごく必要としてもらえること=恋愛しか居場所がなかったんだって思う。自分が大変な思いをして、それを作品の中に吐き出すって人ももちろんいると思うし、私自身ももちろんそういう部分もあるんですが、BLを描いている時は恋愛の要素が強いから、そう言う友達のことをいつも思い出して、どうやったらその子には良かったのかなあっていうのを考えてますね。世のたくさんの男性の中でいつか彼女を救ってくれる人がいるんじゃないかという願望をこめて描いているところがあるんですよ。
三浦 そこでやっぱり客観性というのが一回働いているので、〈受〉〈攻〉どちらかに感情移入しているのとちょっと違いますよね。女の子を主人子にする、でもこんなキャラだったら腹がたつという、少女マンガが抱えていた難しい部分をクリアするためにBLが生み出されたところもあるかもしれません。
よしなが あ、そうか! 三浦さんすごい! 今の少女マンガが難しいのは、女の子が魅力的に描けて、読者の人が嫉妬しない主人公にしなくちゃいけないからか。『のだめ』とかもそうですけれど、そのためにゴミ女にしたりいろんなテクニックが必要になってくるのかも。
よしなが 男の人はよく「どうして女の人はホモが好きなの?」っていうけれど、それこそ歌舞伎の昔からナチュラルな事だからなあ。
こだか 歴史は長いよね。しっかりと語られてはきていないけど。
よしなが どうして女の子が男の子同士のものが好きなのかっていうとね、ひとつは、男の子は女の子に憧れないけれど、女の子は男の子に憧れるかからだと思う。
こだか あー、そうかも。
よしなが 同人誌をやっている女の人で、真剣に生まれ変わったら男になりたいと思っている人はたくさんいるけど、逆位、同人誌やってる男の人から、女はラクでいいよなあという話は聞いても「切実に」生まれ変わったら女になりたいっていう話はめったに聞かないもん。それは、どれだけ女の人のほうがこの世で生き難いか、やはりみんな知っているってことでもあると思う。女の人がいかにもゲイの人らしいゲイが苦手なのは、憧れないからだと思うのね。ゲイの人たちは差別されていて、女である自分たちと同じように抑圧されている人たちだから、その立場には憧れないんだと思う。だから、ゲイゲイしくない、普通のサラリーマンとかに萌えるのよ。ちょっと複雑なのは、そういう人たちを苦境に貶めたいというような気持ちもあるんだよね、きっと。
三浦 創作物の楽しみのひとつですからね、行間を読むというか。
よしなが 描き手側が残してくれた手がかりをもとに整合性を見つけ出していくというのは、本筋の楽しみ方でもあると思うんですよ。
三浦 それって、話を作る作業の本質と重要に結びついていると思います。そのキャラがどんな人物で、どんなふうに話にかかわっているのか、それが矛盾なく作者の中で設定できているのか、そこが甘いと、話として面白くないですもんね。
よしなが それこそお話描いているから、なんか霊媒体質というか、一緒になって考えてるとその人の気持ちになっちゃう。
羽海野 霊媒体質ってのはわかる。私はそれを「イタコ」って呼んでたのね。
よしなが その人の気分になって聞いてると、「ああ!」「ああ!」って思って、一緒に気持ちがのしかかってきて。
羽海野 もの描いてる人って、皆そうかな、やっぱり。程度の違いはあるかもしれないけど、話を聞いてると、「それってこんな気持ちかなあ」って入り込んで聞こうとしちゃうんですよ。��かなかヘビーではある。
よしなが うん。
羽海野 マンガのキャラ描くときだって、「私がこの子だったら」っていつも描いてるから。
羽海野 本当に、よしながさんが喋ているのを聞いててね、マンガを読んでてもそうなんですけど、ここに矛盾がないんですよ。で、それって難しいことらしいんですね。ご本人に会って、マンガと全然違うっていうのはよくあることなんですけど、私が好きなマンガを描かれてる先生って、お会いすると作品とご本人がぴったり重なっている場合が多いんですよ。「マンガってこうだよね」「こうなってこうなってこうなるんだよね」っていうふうにパターンにのっとって話すんじゃなくて、さっき言った憑依体質、私は「イタコ」って言ってるんですけど、本当にそのキャラになって考えていく。なんだろうなあ、嘘がない感じ。そういう人が好きなんだなあ。でも、生きるの大変そうだなあとも思う。
よしなが 初めて志村さんにお会いしたときにも言ったんですが、そういう感じ方をする人でないと書けないマンガというのがこの世にはあるんですよ。『どうにかなる日々』で、離婚歴のある主婦が「今日はスムーズに会話ができた。そんなことで喜ぶなんてバカな私」って自分ツッコミをしているところがあるじゃないですか。私はそこで胸がきゅーんとなってしまって。
志村 あれを描いているときは、本当にひどい精神状態で、担当さんにずっと泣き言を言ってばかりのときだったんですね。描いたあと自己嫌悪に陥ったんですが、あれはもう、そのまんま私なんですよ。
よしなが 人ってひどい状態になっているときは取り繕うことが出来ないので、作品の中に全部自分の隠していたいことが出ちゃうときがあって、それがまたいい味わいなんですよね。読む側にとっては。
志村 私は、あんなものを描いてしまって…と思っていたんですが、実はあの作品がまわりで一番反応がよかったりするんですよ。
よしなが 要するに、みんなの中にある本当のことが描いてあるんだと思うんです。安達哲さんの『さくらの唄』に、主人公の男の子が女の子とデートしたときに段取りが何もかもうまくいかないエピソードがあるんですが、昔それを読んだときに、どうしてこの作家はこんな気持ちがよくわかるんだろうって思ったんです。私は男の子でもないし、そういうデートをしたことがあるわけじゃないんだけれど、やっぱり胸がきゅーんとなりました。思春期にみんなが思ういたたまれないような、そんな気持ちがすごくよく伝わってきた。私はそういう気持ちを感じさせてくれる作品が好きだったんですが、マンガって全部が全部そういうことが描いてあるわけじゃないですよね。もちろんどんなマンガも面白く読むことはできるんだけど、私が昔読んだあのときみたいな“あれ”…上手く言葉にできないんだけど、“あれ”はどこに行ったのかしらって思っていたら、のちにサブカルにいることがわかった(笑)。