紙の本
たくさんの「なぜ」
2013/10/30 13:39
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投稿者:こーちゃん - この投稿者のレビュー一覧を見る
共同通信の社会部記者2人が見ず知らずの姉妹を惨殺した凶悪事件の犯人を追いかけたルポ。事件記者は日々発生する事件・事故を追いかけることだけで疲れ果てる。聞きかじりしたわずかな捜査情報を「続報」として追いかけるのに精いっぱいだ。事件のその後に関心を抱いたとしても、裁判になれば、そこには別の担当記者がいる。でも、時に連載という形で事件を追いかけ、すぐれたルポが生まれることが時よりある。この本もそうした1冊だ。
私自身、この事件はこの本を読むまで記憶から消えていた。読みながら「そんな凄惨な事件があったな」との印象をわずかに蘇った程度だった。つまり、そんなに誰もが知る有名な事件ではない。だが「死刑でいいです」と言い、自分の本心を明かさぬまま犯人が死刑が執行された事件は、被害者の遺族はもちろん、実は何も私たちの社会に還元されないまま消え去っていったという思いが残る。そして、犯人の生い立ちや、事件までの経過からは多くの私たちが考えなければいけない「なぜ」が残る。ぜひ、読んでもらいたい1冊だ。
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投稿者:まきの - この投稿者のレビュー一覧を見る
こうして一つの命が救われることなく消えていくのだと思うと、ぞっとしました。
生まれた時から死刑になるまで、一つも救いがなかったというと、そうではないのかもしれない。
彼自身が自ら選択した部分もあったと思います。殺人など。
ただそれでも、彼をどうにかして救えなかったものだろうかと、思ってしまいます。
来世があるのなら、心から愛されて幸せに生きられる人生をただ願うばかりです。
紙の本
思考がループする。
2019/09/19 19:29
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投稿者:ライディーン - この投稿者のレビュー一覧を見る
結局、何なんだろうか。
障害と犯罪を結び付けて考えてはいけないのはわかる。
しかし、被害者側すれば「そんな事は関係ない、反省の概念すら無い人間から被害を受け、持って行きようのない気持ちは何処に向ければ。」と言う感情があるのは至極当然である。
しかしながら、加害者側も生い立ちを考慮するとある意味で被害者とも言えるが、やはりそれは別問題である。
と、行ったり来たりの考えが巡る。
考えれば考えるほど、結局最善策は見当たらず、思考は只々ループするだけだが、当然放ってはいけない問題。
自分の周囲で類似した現実が無いだけで、殆どの人は実感がない現実。
難しい。
紙の本
生きる場所、生きやすい場所をを間違えてはいけない
2015/12/20 18:06
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投稿者:szk - この投稿者のレビュー一覧を見る
本音を言わぬままこの世を去ってしまった。彼の望んだ死刑によって。。というが、彼の言っていることが、本音として?という仮説は立てなかったのだろうか。大人側が納得のいく答え、殺人犯の模範的な心理を求めすぎてはいないか。とにかく、彼の心理をあばきたい一心で書かれているので、そこに疑問を持つのはお門違いかもしれないけれど。私だって本音を言って死んで行くかわからない。彼が真実を言いたくなかったのなら、それが「本音」なんじゃないのかな。
また障害によって、事件が悪化したことは事実なので、同じ障害をもった人間が同じような事件をおこしたとき、再犯をふせぐのが第一の目的であろう。それ以前に事件を起こさせないことだけれど。彼は、少年院から出るべきではなかったし、また彼みたいな障害も持った人間が、事件をおこすことなく人生を送れる場所を作るべきだ。指導者がいてきちんと生きていけ、それが負担にならないのなら、そういう生き方も認め、ありとするべき。隔離、区別されて生きやすい人もいるのだ。
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ニコニコニュース(2019.10.26):「人を殺すために生まれてきた」母親殺しの出所から僅か2年後に強姦殺人、男の歪んだ死生観とは【社会を震撼させた死刑囚たち】 https://news.nicovideo.jp/watch/nw6103998
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死刑制度に強く興味を持っていて、意識的に書籍を集めて読んでいる。死刑の賛否は決めかねる。死刑にすれば罪は本当に償われるのかという疑問は相変わらずあるし、かといって死刑を廃止にすれば、「死」が罪びと自身を永遠に滅ぼす最大級の罰であるという概念が強くある日本に於いて、犯罪の抑止力がなくなってしまうのではないかという思いも残るからだ。
「死刑でいいです」といって死んでいく罪びとたちに一様に感じるのは「この世に死にに来たの? 死ぬことで生きに来たの?」この絶対矛盾。
読了して、読後感をまとめることがしばらくできなかった。
それはとても良心的な書ではあるけれど、私の印象では、結局発達障害を持つ罪びとが一筋縄ではいかないという印象と、究極発達障害は面倒だという印象が払しょくできないでいるからだ。「対岸の人々」という印象を根付かせているからだ。
当事者であり死刑囚・山地悠紀夫が最終的に「居場所」をなくし、結果、姉妹を殺めるに至った経緯がこの本では全く抜け落ちているので、唐突の感も否めない。
「結果の間」に何があったのか。この世から本格的に自分の居場所を奪いさる自殺を選ばなかったのは、他人を殺めることで自分を生かそうとしたからだとしか思えない。
この世で自分らしく生きるということは、どういうことだろうか。
自分のセンスの赴くままに生きてみて、どうやら他人に迷惑をかけているようだ、傷ついているようだ、自分ではそのつもりはないのだけど、結果的に自分がいることで他人も自分も居場所を狭くしていくのであれば、死ぬしかないよね‥‥。
そんな山地の声が読み取れはすまいか。
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人間という面で見ると、
精神障害、パーソナリティ障害、発達障害、
犯罪という面で見ると、
刑罰、反省と更生、再犯防止
どれもこれも、なんとなく違いをわかったつもりで
わからず漠然と同じ様に捉えていた。
考えさせられた。(きっとあとがきのように
忘れてしまうのだけど)
この本を読んで、違いが分かったわけではなく、
この事件で何かを学び、他者と自身との
違いをわかろうとし、お互いが生き易い、
生まれてよかったと思う
悲劇が繰り返されない世界を。
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発達障害者が加害者となり処罰される。そこに至る成育歴は被害者と言える。漸く法整備されつつある病であるが、社会的理解と支援が必要。2017.5.15
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福祉とはなんだろう。ここ10年ぐらいでアスペルガー症候群の知名度はかなり上がったけど、先天的な要素が強いらしいので昔からあった病気だろう。昔はそんなに若い子が凶悪な事件を起こすってなかったよなぁ。必ずしも犯罪につながる病気ではないらしいし、今よりも人間関係が濃くて、フォローしてくれる人も多かったんだろうな。
なんでもかんでも福祉っていうのはちょっとどうなのかな、と読み終わってから思ったけど、そこしかないのかな、とも思った。
便利な世の中になったけど、その分確実になにかを失ってる。それを補うのってやっぱり福祉になっちゃうんだろうな。
内容は濃くて、読んでて面白かったけど、著者たちの上から目線がもうイライラした。
なんだろ、「俺たち社会のためにがんばってます」みたいな。自分たちがいいことをしているってことに疑いを持っていないというか。
私の偏見だけど、「新聞記者」の典型。なんだかんだ正論めいたことをいうけど、結局は人ごとなのかよ、って感じたので、星-1。
あと、時間軸が前後して読みにくく、識者インタビューも読みにくかった。
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ドキュメンタリーを読むのが好きです。野次馬根性なのかもしれませんが、知りたいと思うのです。どうしてそんな事件が起きたのか、関係者はその後どうなったのか。
わずか4ヶ月前に起きた大量殺人事件も、1ヶ月前に起きた小学生が未来を奪われた悲惨な交通事故も、発生直後の大量の報道と、その後しばらく垂れ流される論評が一段落すると、続報はぱたりと見かけなくなります。
マスコミや、日本人の「飽きっぽさ」を問題視する声もありますが、これはやむを得ないことでしょう。マスコミが発信できる情報の総量にも、個人が受け取ることができる情報の総量にも、限りはあります。新しい事件が発生し続けるのであれば、過去の事件に割く資源の量は少なくなります。
ですから、一度関心を持った事件のその後を知るには、ドキュメンタリーはありがたい存在です。私たちの手に届くまで時間はかかりますが、その分、事件や事故について、まとめて俯瞰的に読むことができます。
そういう意味ではこの本は、物足りません。
凄惨な事件(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E9%98%AA%E5%A7%89%E5%A6%B9%E6%AE%BA%E5%AE%B3%E4%BA%8B%E4%BB%B6)の犯人である山地悠紀夫の「一般の人と違った特性」を追い、「次の事件を防ぐ手掛かりはないだろうか、と問題提起したかった」のだそうですが、成功しているとは言いがたいと思います。
まず、聞き取りが全く足りません。
本人(は他のドキュメンタリーでも無理でしょうけれど)、両親(父はアル中で死に、母は本人に殺されています)はもちろん、「孤立が生んだ二つの殺人」のタイトルで分かるように山地が心を開いた相手はほぼ皆無だったようで、そもそも「犯人山地」を語れる人が存在しないようです。
聞き取りができた相手は弁護士や少年院で山地と面談を重ねた医師、そして「少年犯罪」や「アスペルガー症候群」について一般論でしか語れない「カウンセラー」や「精神科医」などの「識者」…ワイドショーのコメンテータと大差ない人たちだけです。(母親殺害事件を「あれ、この年にそんな事件あったっけ」と言ってしまう程度の人たちです)
さらに、再犯はどうすれば防げたのか、というテーマそのものが、加害者寄りです。死刑制度の是非や発達障害を持つ人の刑事責任能力の有無について語ることは注意深く避けられていますが、でも「再犯防止」を考えるということは、加害者の立場で考えると言うことです。
アスペルガー症候群の当事者など「相手への共感性が乏しく、反省を感じにくい子」の再犯を防ぐためのキーワードとして【反省なき更生】というキーワードが繰り返し出てきます。反省よりも再犯の防止が優先、という考え方は、耳ざわりがよく聞こえる人もいるかもしれませんが、でも本当に「反省はしていないが二度と殺人はしない」人がどれほど不気味かは、「神戸連続児童殺傷事件」の「酒鬼薔薇聖斗」が書いたとされる手記「絶歌」の
『大人になった今の僕が、もし十代の少年に「どうして人を殺してはいけないのですか?」と問われたら、ただこうとしか言えない。「どうしていけないのかは、わかりません。
でも、絶対に、絶対にしないでください。もしやったら、あなたが想像しているよりもずっと、あなた自身が苦しむことになるから。』
を読むと痛感します。
人を殺すことがタブーであると思っていない人は、その人が思っている「人を殺してはいけない理由」という歯止めが外れた瞬間、また人を殺しそうです。私は例え完全犯罪ができるとしても殺人はしないでしょう。でも、これを書いた人は、苦しまない――逮捕され、収監されないのであれば、また人を殺すかもしれません。そんな人を「許される限り長く刑務所に収容」して欲しいと思うのは当然で、これを「耳を疑う」と斬って捨てる人たちが書いている「ドキュメンタリー」はやはり偏っていると思うのです。
母親殺害事件について寛大な処遇を求める嘆願書に260人の署名が集まったことには触れ、姉妹の殺人事件に関して死刑を求める嘆願書に2万2796人の署名が集まったことには触れない程度には偏っています。
そして最後に、「アスペルガー症候群」に対する理解が足りないような気がします。「アスペルガー症候群」「広汎性発達障害」「人格障害」などの言葉が随所に出てきますが、一人歩きしているように思います。診断名はともかく、人の気持ちがわからない人、人間関係が築けない人は一定数いて、なんとか仕事をしながら日々生活しています。アスペルガーだから犯罪を犯しやすい、だけどアスペルガーの人はこうすれば再犯が防止できる、なんて、括らないで欲しい。
それにしても「死刑になって当然」という重大事件がどうして起きたのかを知ることは、やはり難しいことなのでしょうか。加害者の理解しがたい言い分がどこまで露悪趣味や強がりや言い訳でどこからが本音なのかは、やっぱり当事者にしかわからないのかもしれませんね。
【追記】
担当弁護士さんは、山地に宮部みゆきさんの「R.P.G.(http://booklog.jp/users/hanemitsuru/archives/1/408747349X)」を差し入れてたという記述があります。山地はこの本の真犯人にどんな感想を抱いたのでしょうか…。
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まことに気が重い
どうしようもないくらいに気が滅入る
それでも
これは 確かな事実
これは 実際に起こってしまった事件
さまざまな凶悪な犯罪事件が
耳目に入ってくる
なぜ そんなことが起きてしまったのか
なぜ そんなふうになってしまうのか
なぜ その時に起きてしまったのか
そして
その後のことが気になる
その凶悪犯罪の背景をとらえ
その事件の それまでを考え
そして
その事件後の これからを
考え続ける
優れたルポルタージュは
より良い 世の中にするための思考を
我々に 強いてくる
世の中の全てのことは
自分とつながっていることを
自覚させてくれる
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新聞連載時に読んでいて、これはフィクション?ノンフィクション?かわからず、文庫で出版され購入。
後に読む「累犯障害者」と一緒で、どうしても手厚く見守れない社会なんだと感じる。
ご都合主義で、元犯罪者をどんどん社会に放出し、危険をばら撒いている国にも責任はあるし、たった一人でもいいから、犯人であるその人の傍にだれがいて、話を聞いてあげられなかったのかと、不条理を感じる。
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読了の「居場所を探して~累犯障害者たち」と非常に関わりの深い内容であり福祉介入の向上と私たち一般人も勉強し認識を高めるべきだと痛感している。刑を既に執行された山地死刑囚に対しては成育歴による人格障害かアスぺルガー障害だったかは専門家でさえ意見が分かれるだけに素人には言える立場ではない。しかし幼少時からの虐待・貧困・いじめの三重苦を強いられて、健全な精神が宿るわけはない。母親を殺害して感じた「全てが整理された」この感覚が後に仕事や人間関係の混乱からフラッシュバックしたことはあり得ることの様な気がした。
アスペルガー障害・ADHDだからと言って全ての人が犯罪を犯す訳ではないし、それに対して偏見を抱いてはいけない事を著者は強く主張している。そうなればやはり家族や福祉の協力は絶対的なものである。山地は全ての条件に見放されいた。彼自信がもし障害を抱えていると自覚していたらどうなっていただろうか。死刑執行前に「生まれてくるべきではなかった」という言葉に無念しか感じない。なんらかの学習障害を抱えている人は30人に1人と言われている。学校のクラスでいうと1クラスには1人いることになる。現代社会で人間関係による ”生きずらさ”を感じている人が増加している様に感じるだけに周り気付きが必要である。この様な本は教材として使用されるべきだと強く感じている。
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なんちゅう負のスパイラル。誰ひとり幸せになれない結末に終わった。空しい実話。山地…死刑でいいです…。この言葉で彼を取り巻く短い人生と出会い、被害者、すべてを濃縮している。
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仕事的にも非常に役に立ったし考えさせられた一冊でした。罰すればそれで済むのか。刑事政策を考えるうえでも必読の一冊だと思います。