紙の本
政治学者が挑む渾身の取材記録。
2015/10/11 19:20
1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:朝に道を聞かば夕に死すとも。かなり。 - この投稿者のレビュー一覧を見る
著者の本業は政治学者さんです。
でも、この事件を追うことで現代社会の問題をあぶりだします。
読んでいると、いろんな外的・内的要因が犯行の動機であり、そこに濃淡があり、私たちが考える程の二分法や単純化した論理で片づけられないことに気づきます。
こうした事を私たちが単純化して考えるのを採用するのは、恐らく「暴力について考えるのは、とてつもなくしんどい」からだと思います。
複雑なものをある程度単純化して認識しないと混乱し、単純化した認識だと合理的に進むという信憑があります。
あとは個人の問題として矮小化するのも、見たくないものは排除しておきたいという認識であり、難しい問題です。
難しい事を保留して「今は決められませんよ」って生き方だってある。でもそれは「逃げ」なんだろうか?って思いにもとらわれる。
犯人が悔しがるほどの「社会との接点」が私たちは持つことができるのか?別の本で筆者は「弱い紐帯」「ナナメの関係」というキーワードを持ち込みます。
ひょっとしたらこのあたりの予備知識を持って読んでみれば、消化不良にならずに読めるかもしれません。
紙の本
秋葉原事件の犯人の人生がくまなく著わされています
2020/09/10 14:25
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:広島の中日ファン - この投稿者のレビュー一覧を見る
あの「秋葉原事件」の犯人だった男の、事件を起こすまでの人生を、著者が余すことなく詳細に著した1冊です。
一気に読み切れる内容です。
投稿元:
レビューを見る
人の温かさを感じる本だった。もちろんこの本は凄惨な殺人事件の犯人を迫ったルポ、こんな感想を抱くのは見当違いかもしれない。しかし、彼をとりまく人たちの中には意外にも温かい人が多かった。幼いことに辛くあたった母親にしても、後に彼に向けて謝罪の言葉を口にしているし、事件後に母親が泣き崩れて謝罪する写真(モザイクは付いていたが)もネットで見たが、なんとも言えず切ない気持ちだけが込み上げる。
一言で片付けられがちな事件、特に「母親からの厳し過ぎる教育」「良いとは言えない容姿」「派遣社員」とキーワードがいくつも揃っていればなおさら。でも実際は、彼が他人からの優しさに触れながらも拒絶してきてしまった過去、人から受けた優しさに対する涙、なんでもない日常のやり取り、ネットで知り合った女性との本音の会話、職場で評価されるような勤務態度、突如としてキレるという一面、そしてコミュニティの中での「ナナメ」の関係を失った現代社会、様々な要素が絡んでいる。
中村うさぎの著書と同様、彼の軌跡をたどること自体が、この事件に対する祈りであり、救いの行為であると思う。
投稿元:
レビューを見る
小説のようにすらすら読める。加藤は絶対に許されるべきでは無いが、やはり人が成人するまでに絶対的な関係を良くも悪くも持たざるを得ない「家庭」というのは、その人間を形成する全てのファクターに通じる根幹を担うモノなのだと改めて確認させられた。先日、みのもんたの息子が逮捕され、みの自信が謝罪会見を行った際に、「どこまでが親の責任か?」みたいな議論が巻き起こっていたが、まず間違いなく言えることは、加藤にしろ、みのの息子にしろ、そんな大人になってしまった源泉は、小中学生時代=人格形成期での「親」の彼らに対する接し方、育て方にある。それは間違いが無いと思う。
投稿元:
レビューを見る
秋葉原無差別級殺傷事件の被告人の生い立ちやらネットでの関係やらを詳細に記した本。正直言って、何でこうなるのか結局のところ全然分からんし、ただひたすら幼稚で自己中心的な被告人に腹が立つ。同情するなんておかしい、ほとんどの人が建前で上手く生きてて、現実世界で本音を受け止めてくれる人なんてそうそう持ってる訳じゃなくてそれで当然じゃないの?
ただ、幼少期の教育(という虐待)が人間のその後の思考や行動に与える影響には考えさせられるものがある(もちろん言い訳にはならないが)。
あとは、マスコミで騒がれた派遣切り云々は直接の原因ではないという点で、世間の無責任さを感じもした。
投稿元:
レビューを見る
確かに家庭環境や人間関係、仕事、ネット活動などうまくいっておらず、ずっと抑圧されていることはわかったが、それでも人との繋がりで涙するこの人がどうして無差別殺人を起こしてしまったのか、理解に苦しむ。社会は何をすべきなのか…。
投稿元:
レビューを見る
動機を明らかにしたいという著者の気持ちが取材力に出ていた本でした。両親も友人も同僚もいて、趣味も行動力もあったけれど、リアルな世界では人間関係が希薄でも良いと考え、ネットの世界で人間関係を築こうとしていました。この感覚が特別なことではなく、多かれ少なかれネット上で表現をする現代のみんなに共通して理解出来る感覚でないかという指摘に大いに納得。
投稿元:
レビューを見る
○ノンフィクションライターの中島氏の著作。
○秋葉原連続殺傷事件の犯人が、なぜこのような事件を起こすに至ったのかについて、その生い立ちから人間関係、生活の細部にいたるまで、取材を通じて明らかにしたもの。
○知らないことばかりであったし、むしろ、勝手な偏見を持っていたが、その実態を知ると、本当に誰でも同じようなことを起こしてもおかしくないのかなと思う。また、それを止めるスベがなく、無策のままでいるという現状にも、もどかしさを感じる。
○一方で、犯人の自己中心的かつ乱暴で幼稚な言動や行動は、とうてい許されるものではない。特に、自己中心的で思い込みの激しい様子、自分を隠す姿勢については、犯行に至る動機としては大変わがまま。
○著者の言うように、安易に「○○が悪い」ということはできないのだということが、本書全般を通じて理解できた。
投稿元:
レビューを見る
事件後に共感を呼ぶ声が多数あったようだが、二度とあってはならない事件も二度以上あると思う。
この人がおかしかったとかじゃない、普通の人でしょ?誰が起こしてもおかしくない事件の象徴とも思えるが。
事件がどうこうというよりは、
人とはこういういきものだと考察できる。
人は話さなくなるとダメになってしまう。
老人のよくある話と同じ。
老人に限らずだ。
環境も一因だけど、
人は唯一言葉が話せる動物で、言葉があるからこそ自分、他人に対して何かを築き上げることができる。
人は誰かがいて成り立つ生き物だ。
一人でやっていけるのは誰かがいるからあるいはいてくれるから。
特定でも不特定でもその人たちの繋がりを悉く切っていくのはいかん。
人は人と話すことをやめてはいけない。
人が一番分からん生き物だから。
お互いを理解する姿勢をとらなければ、な、難しいけど。
投稿元:
レビューを見る
秋葉原にトラックで突っ込むまでの加藤智大の軌跡を追ったルポ。家庭環境のことが言われていて、その一点にかけては加藤に同情してしまった。親子のコミュニケーションがすべて間接的で一切の説明がない。だから加藤も間接的な行為でしか自分のメッセージを伝えることができず、つねに相手がそれを察してくれるのを期待する。そしてその期待が裏切られると、さらに行為=表現をエスカレートさせる。しかし秋葉原にトラックで突っ込むことが「自分の不満をわかってくれ」というメッセージの表現だったと言われても、唖然とするしかなかった。あまりにも幼稚で、ひとりよがり。とはいっても、ルポじたいはすばらしい。
投稿元:
レビューを見る
大学の先生が書いた秋葉原連続殺傷事件の本。学者らしく、分析はシャープで、すらすらと読める。加藤がエヴァンゲリオンを愛好していた点など、彼の心象風景を知る上で良かった。それにしても、彼のような孤独な若者が集う秋葉原を犯行場所にした理由は、読後も釈然としない。
本作では犯行に至った要因を一つに限定はしていないが、家庭環境の問題も大きいと思った。家庭の描写は加藤の弟が週刊現代に発表した手記の引用が中心。兄は殺人犯で、弟はニートで自殺という結末を迎え、母親は自身の子育てをどう考えているのか。一度話を聞いてみたいと思った。反面教師として。
投稿元:
レビューを見る
秋葉原無差別殺傷事件の加藤智大被告。彼は幼い頃に母親から過剰な教育を受け、自分の言葉を失った。職場では自分の存在が認められていないと感じる。強く居場所を感じていたネット掲示板でも存在を否定されたように思った。
承認を求めながら承認されない加藤被告の姿は他人事には見えなかった。
投稿元:
レビューを見る
秋葉原事件を起こした加藤死刑囚の人生を追いながら事件について考察していくもの。
年少期から事件発生までの加藤死刑囚の人生を知ることができ、事件発生の原因や加藤死刑囚の考えなどを推察できる。
しかし加藤死刑囚へのインタビューがなく、彼の生の声がないのがネック。
投稿元:
レビューを見る
当時、大きな話題になった秋葉原事件。ニュースでその内容を知り、事の大きさを感じた方も多いかと思いますが、この書は犯人側の思考や行動をつぶさに追い綴って書かれている部分は、読み応えがあります。事件の経緯から追い立ちまで、読む毎に考えさせられる部分も多くある印象です。過去の凄惨な事件だけでは留めず、このような書籍を通して実情を知る事も、読んで損はない一つなのではないかと感じます。
投稿元:
レビューを見る
解(加藤智大著)と同時に読むと加藤智大の心の奥底がよくわかった。大切なのは社会との接点を持っていること。誰であれ彼のような状況にいたら事件を起こしかねないだろう。彼はサイコパスなんかじゃない。普通のどこにでもいる人間だったのだから。