紙の本
悪夢は、目覚めたときに、それと知る
2016/04/30 11:29
8人中、7人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:6EQUJ5 - この投稿者のレビュー一覧を見る
現在(2016年4月)、「ヘイトスピーチ」の規制に関する法案の検討が行われています。
この本は、1923年の関東大震災の後に発生したジェノサイド(大規模殺戮)について、当時の証言・資料をもとにまとめた本です。
状況として、大規模自然災害とレイシズム台頭、合致する面に不安を覚える方は、著者だけではないはず。
凄惨な内容が続くなか、特に「子供たちの見た虐殺」(p129~)が、印象に残りました。当時の子供の作文からの引用。著者の指摘するとおり、”同情や虐殺への疑問がうかがえる表現がほとんどない”。
悪夢でうなされ、目が覚めて夢だったことに安堵した経験はないでしょうか? しかし「悪夢のなか」にいるときは、現実か夢か自覚できない。
歴史の暗部と、目をを背けたくなる事件ではありますが、一読をおすすめします。
紙の本
地震の恐怖より
2015/12/13 15:14
5人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:テラちゃん - この投稿者のレビュー一覧を見る
1923年の関東大震災。朝鮮人が井戸に毒を入れたという噂が流れ、自警団などにより多くの朝鮮人が虐殺された。非常時に現れる人間の本性。大杉栄も混乱の犠牲になった。阪神大震災、東日本大震災と、地震災害が続く日本。90年前の出来事を教訓として胸に刻まねば。よくできたノンフィクション。
紙の本
こういうことが本当にあったということを忘れてはならない
2022/01/24 20:57
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:まなしお - この投稿者のレビュー一覧を見る
様々な資料から集められた話が、日付順に収められている。悲惨な話ばかりなので、読み進めるのがしんどかった。特に小学生の作文がきつかった。こういうことが本当にあったということを忘れてはならない。
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どんどんおかしくなる日本で、いま読むべき本。
毎日通る京成の鉄橋からの風景、もう俺の目には今までと同じようには映らない。
息子と散歩して、慰霊碑にお参りしに行こう。
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人間はどこまで残酷になれるのか。
1923年の関東大震災時の朝鮮人・中国人虐殺の証言を丹念に集めた労作。
この3月に出版されたばかりです。
これは決して誇張ではなく、あまりにも凄惨な描写に、読みながら何度も目を固く閉じました。
でも、同時に目を逸らしてはいけないとも思いました。
いま学ばなければいけない教訓が、ここにはあるからです。
著者も言及していますが、「良い韓国人も悪い韓国人もどちらも殺せ」などという差別的で無慈悲なプラカードを掲げた在特会のデモが数年前から問題視されています。
この3月には浦和レッズのサポーターがサッカー場で「JAPANESE ONLY」の横断幕を掲げ、問題となりました。
私はナショナリストとして人後に落ちないと自負していますが、誤解していただいては困ります。
彼らは愛国者などではありません。
ただの人種差別主義者、レイシストです。
外国人(特に韓国人、中国人)排斥の動きは近年、マグマのように噴き出しています。
いま、外国人居住者がかつてとは比較にならないほど増えた東京で大きな地震が起きたら、どうなるのだろう。
再び外国人虐殺が起きることはないのか。
私は本気で懸念しています。
震災に見舞われた極限状態の中で、在特会あたりが
「中国人がこの機に乗じて窃盗を繰り返している」
「韓国人が集団で日本人に暴行を加えている」
などとデマを流せば、不安に駆られた日本人被災者はかつてのように自警団を組織し、罪のない外国人を捕まえては暴行するのではないか。
群集心理を侮ってはいけません。
90年前の悪夢がよみがえります。
しかも、いまは1923年の関東大震災時とは別種の懸念材料を抱えています。
携帯電話にコミュニケーション手段をほぼ全面的に依存している若者が、震災でその手段を絶たれたら、パニックの度合いはいや増しに増すのではないか。
関東大震災では情報の不足が暴力行為を後押しした側面があります。
いまは平時と非常時の情報量のあまりの落差が、暴力行為を後押し方向に作用するのではないか。
他人事ではありません。
私はこれを自分事として読みました。
環境次第では、私だって本書に登場する加害者のようにならないとも限りません。
震災が起きて外国人が日本人を暴行している→家族を殺された日本人もいると同胞が異口同音に語る→身の危険は自分の家族にも迫っている→結束して外国人に対抗しよう―。
悪い条件が幾重にも重なった時、それでも理性を保てるほど人間は強くありません。
また、そのように自覚しておくべきとも思います。
いま、本当にいま、ぜひとも読んでおきたい一冊です。
これも決して誇張などではありません。
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関東大震災のとき、東京のあちこちで朝鮮の人たちを襲った人たちがいた反面少なからず助けた人もいたよう。
助けた人たちは「日本人としての誇りを」守ったのではなく「人と人との小さなつながり」を守ったのだ…というくだりがとても印象に残った
こういう風に相手をヒトと思えないと暴力へとエスカレートしていくのかな?
でもこういう内容の本を読むといつも思うのは、「その場にいたら果たして自分はどっちの側につくのだろうか?」ということ
それとアメリカを襲ったハリケーンカトリーナのときに同じようなことが起こっていたということをこの本で知った
集団心理というか
人間って恐いな
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この本のカバーに使われている絵は、震災直後に小学校4年の子が描いたもので、「一人の朝鮮人を、大勢の日本人が手に手に武器らしきものを持って追跡している」図だという。
関東大震災の直後、「朝鮮人が暴動を起こしている」という流言蜚語が広がり、数多くの朝鮮人が虐殺された事を、今どれだけの日本人が知っているのだろうか?
僕はたまたま大学のゼミで学んだ事があるので知識として知ってはいた。しかし、これが一部の地域だけではなく、こんなにあちらこちらで行われていたとは知らなかった。
この本は、この忌まわしい歴史的大事件を解説したものではない。
著者が言うように、この本の主眼は「関東大震災時の朝鮮人・中国人虐殺について、事実を『知る』こと以上に、『感じる』こと」に置かれている。
時系列順に綴られたひとつひとつの出来事は、まるで短編映画を観ているようでさえある。その光景は、先日観た映画「アクト・オブ・キリング」を思い起こさせる。人間とは、なんでこんなに残酷になれるのだろう。
2005年、アメリカ南部を襲ったハリケーン・カトリーナの時にも、「治安回復」の大義名分のもと、自警団による黒人やマイノリティへの銃撃などが行われた。これって、人間の普遍的なものなのだろうか?
そして90年たった今、繰り返されるヘイトスピーチ。書店に並ぶ「嫌韓」本。
「右翼政治家たちがけしかけ、メディアが展開する、集団ヒステリーのような『非人間』化=レイシズム・キャンペーンを、誰もが疑問に思わない状況」。
著者は言う。
「東京の特殊性。私たちは、かつてレイシズムによって多くの隣人を虐殺したという特殊な歴史をもつ都市に住んでいるのである」と。
今、東京で大震災が起きたとしたら、同じような事が起きないと誰が言い切れるだろうか。
一人でも多くの人に知ってほしい。そして感じてほしい。「共感」してほしい。
著者まえがきより
「新大久保が10数年で大きく姿を変えたように、東京の路上に90年前の面影を見出すのは難しい。だが実は、あの虐殺の『残響』は、街にも、人の心の中にも響いている。90年前の路上を訪ねることは、今に続く残響を聞き取ることでもある」。
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小中学生が作文に「死んでいました」とか「お父さんが殺しにいきました」と、特異な事実を平板に書く彼らの日常とそれを取り巻いた状況の異常さが酸鼻を極める。そしてその異常さは現在のわれわれと完全に隔たったものではなく、いつだってその異常さは、とくに現在の日本において差し迫った問題として考えられなければならない。
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90年前1923年9月1日関東大震災と「その後に起きた出来事」の丹念な調査報告である本書は、淡々とした証言の記述と時系列と地理情報の整理の中でその土地の現在の姿(写真)を重ね合わせる構成はかえって血生臭い事実が際立ち、メディア未発達時代ゆえの流言デマで暴走した庶民と歴史の授業では教わったような気がするけども、当時官憲すら率先して信じてそのデマ拡散尽力した事実や、また火事場に紛れて軍部に謀殺された朝鮮人のみならず中華系労働者らの正気を疑う事実も知れます。
改めて思うのは、この僕らの曽祖父にあたる日本人と外地人の間で起こった出来事は「昔話」としては簡単に片づけられないでしょうと。2011年3月11日東日本大震災から福島原発事故に至るいまだなお終わりの見えない情報錯綜の中で扇動者の熱狂と傍観者の鈍麻を見てきた以上。
その中でも被害者を体張って守ろうとした日本人、それは一人の警察署長であったり、一人のキリスト教徒であったり、一人一人が生活レベルから朝鮮人と関係性を築いた市井の人々だったり、そんな彼らがちゃんと居てくれたことに安心を感じてしまう自分に情けなさを覚えつつ、果たして自分がその現場に立った時に、一人の朝鮮半島人を群衆で囲んで難詰し罵倒し殴り蹴り叩きのめし、あげくに鳶口で頭を突き立てるような側に立つのか?己が信条からか己が生活感からか移民を守る盾となる側に立ちえるのか?またなんて惨いことだ酷いことだと思いながら傍観者側に隠れるのか?一番目ではけしてないだろうと信じられる(信じたい)自分がいつつ、三番目の簡単な選択に落着してしまいそうで正直な無力感を覚える。
一つ思うのは、自然災害自体よりも自然災害後に起きる「何か」が決定的に怖く、仮に生き延びることができて一旦災害を乗り越えたという自覚を得たら、その動揺不安をまずは鎮め、次にやってくる「何か」に備えて、大量に出回るであろう「情報」に対して冷静に対処できる能力を築いておきたい。
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何があったらしい。
ということを調べて書いている範囲については、大変参考になった。
しかし、筆者による、最近の情勢についての解釈には、ちょっと賛同しかねるところがある。
著者は「植民地支配に由来する差別感情」が朝鮮人を「非人間化」したことが虐殺の要因であったとし、現代においても「メディアは今や毎日、毎週、『嫌韓』「嫌中』と称する「非人間化キャンペーンを続けて、レイシズムに栄養を与えている」としている。
現代においては、「非人間化」されているのは、敗戦国である日本であり、国際政治の舞台で、レイシズムの対象として攻撃され続けているように感じられる。
「嫌韓」「嫌中」が盛り上がっているとするなら、その反作用ではないだろうか。
ま、どっちが先の「非人間化」であっても、いずれにせよ幸せに暮らすにはよろしくないことではある思うが。
ただひとつ言えるのは、嫌韓を燃え上がらせるのは、嫌韓を言い立てる人ではなく、反日と反日の肩を持って見せる人だということ。
そういう意味で、この本は筆者の意図を上手く表現できていないと思う。
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新大久保でのヘイトスピーチ。をやっている人たちの顔。
マスコミでの扇動の仕方。右翼的な政治家。石原前都知事
の発言。などを考えると、自信はそんなにないですが、90年前の東京で、この本に書かれてあるような、所謂在日の
人たちへの虐殺というのはあったのだろう。
そういうことが90年前にあった都市で生活している。そういうことをした民族であるという特殊性。
それから、世界各地で起こっている虐殺は、我々も
経験しているのだということの普遍性。そのどちらも
を認識して、かたりつがなければならないのだと強く
思いました。
本書のあとがきと最後の『非人間』化に抗するという章
の内容は、子どもに読んでおいてもらいたいと思います。
阪神淡路・東日本のそれぞれの災害で、こういうようなことが少しでもおきていないのであれば、それは非常に
胸をなでおろす感じがしますが、次の震災(首都直下など)がおこった際に、今のマスコミの風潮や新大久保でのヘイトスピーチをする人たち。政治家たちの影響で
90年前と同じようなことが少しでもおこったら、それは、本当に我々日本人。そういう扇動を行った民族は
万死に値するのではと思います。
非人間化に対抗して、お互いの個々としての共感を
追及していくことが当たり前の世界になっていくように
願うべきだと強く思います。
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ここ数年、よく見かけるようになった「嫌韓」「嫌中」という言葉の醜さがずっと気になってる。
子供の頃はなかった差別意識が、好むと好まざるとに関わらず醸成される環境に私たちは置かれている。
それを醸成させたいのは、90年前に復讐されることを恐れる人たちでしょう。無知は恐ろしい。何も知らなければ、彼らにそのまま取り込まれてしまう。
せめて私にできることは、どんな状況でも「おかしい」と感じる直感を手放さないでいることだ。同じことを繰り返さずにいられるように。
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TBSラジオ「ライムスター宇多丸のウィークエンドシャッフル」で紹介されていた本です。
「在特会」「嫌中・嫌韓」の流れを見る上で、読んでみました。
本書は、地震発生後の(当局含む)人々の足取りを、徹底して記述している。
短い論文を書くにも、情報や引用にかなり慎重にならざるを得ないので、本書くらいの長さになると、相当な作業だったと推察します。
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自警団、在郷軍人など聞き慣れない単語が登場しました。この話は、民間の暴行のみならず警察まで正しい情報を掴めておらず、何の根拠もなく煽られていたことに驚きました。普段からその地域で働き生活する朝鮮人と交流があった地区では必死に自警団から守った人物があったことも読み取れました。
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当時の新聞をチョロっと読んで「虐殺はなかった」とか言い出してる「ノンフィクション作家」がいるらしいが世も末である。