紙の本
教育に一石を投じる著者の決意が感じられる一冊
2015/09/25 14:23
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投稿者:SAVA - この投稿者のレビュー一覧を見る
教育をめぐるさまざまな不毛な対立を克服し、一定の解答を導くことができるのだ、という著者の強い決意が感じられる。
少し言い回しがくどいと感じる部分もあるが、論理から解を導く説明がとても丁寧で、そのこと自体が今の世の中で必要とされているものではないか、などとも感じた。
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序章における、自由への欲望を満たすためにこそ、教育が必要であるとの指摘、しびれました。また、「平等」と「競争・多様化」のバランスに関する主張も興味深く読みました。
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明快で分かりやすい。大事なポイントを繰り返し述べてくれるので、頭に残りやすい。
筆者の教育の本質をどう評価したらよいかはまだ分からないが、筆者のスタンスには共感できるところが多い。
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苫野さんの本だから楽しみに読んだけど、やはりこのひとは哲学的な話をしているときのほうが輝いている気がした。
本書では、教育のかたちを具体的に述べているけど、それが逆に、誰でも言えそうな、少し軽いものに感じてしまった。
前著『勉強するのは何のため?』でされているふわふわした話のほうが、個人的には好き。
ただ、教師は極端なのでない限り、どんな人間でもいい、ということを著者も言ってくれているのが嬉しかった。
しかし、早稲田を去ってしまうのは残念。
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デューイの系統を受け継いだ新教育と伝統的な教育を、必要や状況に応じて組み合わせて提供することを20〜30年かけて実現するという、革新の情熱と客観的視座による冷静さを合わせ持った主張と理解した。
賛同する点として大きく二つ挙げたい。
第一に、教育が進むべき姿を表す3つのキーワードのはじめに「個別化」を置いている点だ。第二のキーワードの「協同化」は、それだけを見ると、一斉授業にグループ学習を時々入れ込むことをしている教員が「自分の授業はすでに協同型の学びになっている」と勘違いさせてしまう恐れがある。「みんな」で意見を出し合っていれば、学び合っていると考えるのだろう。しかし、「協同型の学び」は、あくまでも個が主体として動くという前提に立っている点で、伝統的な一斉授業とグループ学習の組み合わせとは、異なる。
まずは、個別化がなされて、そこに協同化が織り交ぜられていく。
そこに向かって教員に求められるのは、「一人ひとりの学びを支え導くとともに、学びの協同化をファシリテートする」力だと著者は言う。ここに大きく共感する。
第二に、著者が哲学から導いた教育のあるべき姿を具体化する個別化&協同化、そしてプロジェクト化というキーワードを挙げる一方で、必ずしもみんなが最強のファシリテーターである必要はなく、いろんな教員がいていい、要はそれらの教員の協同だという点である。
自分が属する初等教育の場においても、様々な教員がいるが、個別化、協同化しない教員が全否定されるべきではないと考える。伝統的な教育のあり方であっても、二十年、三十年というキャリアはそれ自体尊重されるべきであり、実際、引き出しは多い。協同相手に学ぼうとする姿勢が互いにある限り、多様な経験は歓迎されるべきである。私から問題提起すれば、経験のことなる人々が互いの実践に学びあい、児童がその恩恵を得るためには、どの程度の協同がなされる必要があるにだろう。
現在の自分が属する革新が目指されている文脈では、プランニングの共有レベルでは十分ではない。十分ではないという意味は、革新的な素人と伝統的なエキスパートが分かれてクラスを持つと、後者が前者と比較されて保護者に批判されてしまう。プランニング以上の更なる協同のためには、初等教育上望ましくないかもしれないが、教科で責任をわけて同じ集団に両方が関わるというあり方も必要になってくると考えられる。しかし、いわゆるティームティーチングは、流れだけでなく、形成的評価を共有しようとすると、両者が同じ人間になることを目指すようのものになり、事前に時間がかかる。既に確立されている実践を変えて行きたいと願う場合、考えなければならない事由だろう。
自分としては検討が必要と感じた点を一つ。最近見させてもらった実践と一緒だったが、グループ学習をしていて、学びが成立しているt時は教員はなるべく関与しないという点がなるほどと思いつつ、引っかかった。ファシリテーターというより、いつも一緒という訳にはいかないが、協同参加者という立場で、教員がともに話し合い、考え合うことにはどんなデメリットがあると想定されているのだろうか。この辺りを考え、実践した���と思った。
最後に、何度もデューイに端を発する新教育やオープンプランのことが述べられ、奈良女や伊那の学校が挙げられているのに対して、個人的なことで申し訳ないが、日本初のオープンプランスクールを謳い、開校前に職員がデューイスクールにも見学に行ったはずの前職が全く例としてあがってこないことを勤めていた人間としても不甲斐なく思わずにはいられない。そして、現在勤める学校がこのような主張を支える一例として挙げられるよう進むことを祈っている。
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・教育は「自由の相互承認」のため。公教育はすべての子供が自由な存在たりうるよう、そのために必要な力(教養)をはぐくむことで、各人の自由を実質的に保障すること。相互承認の実質化。
・社会のためか、子供のためかの二元論では前に進めない。
・一般福祉の原理。平等と競争のバランス。義務教育段階の過度な競争は意味がない(と断じている)
・現代は、生涯を通じて学び続けることを余儀なくされている。学び続けなければ、市場において低い価値しか与えられない。そして、その学び続ける力は家庭の経済力や家庭環境に大きく依存している。過去のような知識詰め込み型ではない。
・学ぶ力をどうやって伸ばすか。
①学びの個別化
②学びの協同化
③学びのプロジェクト化
・イジメ対策としての教師の流動化。グループの流動化(毎日異なるメンバーとグループになる)は非常にいいアイデア。
閉じられた空間からオープンな学校にすることで、何か解決できるかもしれない。
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うれしい名著。
・<自由>に生きるための<教養=力能>を身につけること、<自由の相互承認>の感度を高めることを目的とする
・政策オリエンテーションの開発
・時間は必要なのか重要なのか
・成長を信頼する
・教師の支援
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よい教育とは何かを原理から解き、これからは個別化・協同化・プロジェクト化が求められることを明らかにし、そのための学校や教師のあり方、さらには今後のビジョンまで記した、きっと名著と呼ばれるようになる書。教育にかかわる人にはぜひ読んでほしいです。
この前に読んだ菅野・西川両氏を引いてあるのも、私の考える教育の方向性が間違っていないのを裏打ちしてくれたようで、うれしいです。
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≪目次≫
序章 そもそも教育は何のため?
第1部 「よい」学びをつくる
第1章 「学力」とは何か
第2章 学びの個別化
第3章 学びの協同化(協同的な学び)
第4章 学びのプロジェクト化(プロジェクト型の学
び)
第5章 学力評価と入学試験
第2部 「よい」学校をつくる
第6章 学校空間の再構築
第7章 教師の資質
第3部 「よい」社会をつくる
第8章 教育からつくる社会
終章 具体的なヴィジョンとプラン
≪内容≫
星の数を少し悩んだ。理想に過ぎるのではないか、現場を知らない声だ、と。しかし、根本的な部分では著者の声に賛成したい。しかし、大学入試や就活の改善、政治家の教育の不介入、などを条件としての賛成だ。
殊に教育の方法はイメージできたので賛成なのだ。しかし、上記の部分が解消されないと、こうした教育は実現しないか、骨抜きにされる恐れが多分にある。その結果、再び以下のような教育統制がかかり、暗黒の時代になるだろう。
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どこかで聞いた話をつなげてまとめました、という本。大学生の卒論を、ですます調にした感じ。でも経営者から学者まで、教育本ってどれも似たようなものだから、驚きはしないが。
たとえば序章で教育の目的を「教育は、<自由の相互承認>の感度を育むことを土台にして、すべての子どもが<自由>になるための<教養=力能>を育むためのものです。」(P.31)と言うんだけど、こんなの言い古されていることなんだけどなあ。だから「生きる力」だの「キャリア教育」だの「総合的な学習の時間」だのがでてきてるわけで。今の教育現場はもう一歩先へ行っているのだ。「効率と公正」とかね(これあんまり好きじゃないけど)。
他にも例をあげると、学びの個別化だの多様化だのというけれど、そんなのはみんな分かってるんだよ。「ゆとり教育」だって、もとはそこでしょ。だいたい、できない生徒をケアしつつ頭のいい子には知的欲求を満たすような授業をしたいって、どの教師だって考えるよ。でも、それがなかなか難しいんだよ。それに予算も人手も足りないから、家庭教師みたいにできるわけないしね。学校では自学自習を基本にすればいいとかいうけれど(P.93)、やらない子は本当に何もやらないよ。反転授業の最大の問題点だって、本人の性格や家庭環境によっては全然自宅学習をしてこない生徒がいることだよ。こんなの教員やってれば誰でも気がつくことなんだけどね。嘘だと思うなら実際に教師をやってみなよ。
そう、いつも思うんだけど、学校教育についての本を書きたいなら、5年でもいいから教師をやってみればいいのにねえ。免許さえあれば、非常勤講師の枠なら結構あるし、けっして出来ないことではないよ。教師に社会経験を求めるなら、学者にだって教員経験を必須にしてほしいな。
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これからの学びは、「個別化」「協同化」「プロジェクト化」していくことが大事であると筆者は訴えている。現行学習指導要領でも取り上げられていることであるがなかなか進んでいない。教師の力量がいることであるのでなかなか一足飛びにできないことだろう。
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学び続ける力が求められている。
現代社会においてはプロの専門知さえも、いやむしろ専門知こそが、変わっていかざるを得ない。絶えず学び続けなければならない。
今日プロフェッショナルとは、省察的実践化のことを指す。
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教育に対する不毛な議論に終止符を打って、もっと子どもたちと未来のために建設的な教育論議を重ねていきましょう。その礎になる良書です。
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教育方法学のテキストとしても使えるくらい論旨明確であり,必要な情報が収められている。多様さに応じた「よい教育」とは何かを考える機会を提供するだろう。
ゼミのテキストにするかなぁ。単純化した議論に陥らないようにする姿勢も学生は学べるか。
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反転授業,学び合い,時間の弾力化,学びの個別化…
それぞれ「捉え方によっては」いい部分もあるのだろうが,現状のシステムにおいてどれも最適とは考えられない。また,予想していたが子供の事実に関する記述がない。
反転授業一つとっても,そもそも家庭で学習できない状況の子にどうするかという視点が欠落している。
また,はじめに自宅での学習ありきになっているのはそもそもどうなのだろうか。
著者は,「教育はとかくさまざまな対立が渦巻く世界」として,「不毛な対立を克服し,教育を建設的に考え合い…」と書いているが,対立ではなく,よりよい教育を求めての論争は必要だと思う。
あれもよいこれもよい,ではなく,「あの実践よりもこの実践の方が優れている。そしてそれは子供の事実に裏付けされている」という根拠をもった論争こそ必要なのだ。決して「不毛な対立」などない。
しかし,「自分たちのやり方が一番で他のやり方は間違っている」と決め付けてかかるのはもちろんよくない。
自分の核となる考えをもちつつ,他の考え,方法も柔軟に取り入れられる教師でありたいし,教育界全体がそうであるべきである。
教師自身が学び続けること,それを行政が支援することには共感できる。