紙の本
ムーミン誕生以前
2018/11/28 22:29
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投稿者:6EQUJ5 - この投稿者のレビュー一覧を見る
トーベ-ヤンソンの初期の作品を集めた一冊。
-ヴァイオリン
-鬚
-大通り
-手紙
-街の子
-よくある話
-サン-ゼーノ-マッジョーレ、ひとつ星
-カプリはもういや
の、8つの短編を収録。
ムーミンとは全く別の作品世界。パリやドレスデンやヘルシンキなどヨーロッパ各地の情緒が感じられる小説です。
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デビュー作を含むのヤンソンの初期短編集。画学生だったころの自分をモデルにしたようなおはなしやら、ちょっと物悲しい感じのお話が多いかな?
ムーミンとは別のヤンソン。
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トーベヤンソン短編集「旅のスケッチ」 https://www.chikumashobo.co.jp/product/9784480832092/ … 読んだ。呑気の下に暗さや不安定さが漂っているのはムーミンシリーズと同じ。手放しのハッピーエンドは無いのに読後は穏やかで充足した気分になる。悪人由来のアンハッピーではなく、人生いろいろ的だからかな
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パリ、ドレスデン、セルムランド、ヘルシンキ、ヴェローナ、カプリを旅する人達の物語。
旅する場所に期待するものは人によって違うけれど、その期待が完璧に満たされることはまずない。
でもだからこそ記憶に残るのかもしれない。
「カプリはもういや」の夫婦はきっと新婚旅行のことを忘れない。
2人の意見が食い違う度に思い出して歩み寄るようになるはず。
そんな風に登場人物のその後を想像すると楽しい。
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読まなくても良かった。比較的、何言ってんのかわかんない文章が多かった。あとがきまで、わけ分かんなかったのは、笑ってしまったのだけど。
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イタリアヴェローナの夜のカフェ巡り。グラニータ・コン・パンナの味比べ。一見すると楽しいはずの夜のお散歩が、街で孤独に暮らすヨランダと彼女に連れ回されている旅行者という組み合わせだと、さびしいような痛々しいようなシーンになりました。
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トーベヤンソンという人は、絵であっても文章であっても、いつも心の内側を描く人だ。出てくる人物はみんな少しずつもの悲しい気持ちを抱いている。
才能のないヴァイオリニストの恋、来ない手紙を来る日も来る日も待つ若い娘のために、郵便局にうけ取りに行く役目を見つけた老人、画家とプラトニックな交流を持つことに憧れる娘。だいたいが頑固で、夢見がちな人たちばかり。なぜか分からないけど胸に迫る本だった。
パリをはじめとするヨーロッパの街の情景が浮かんでくるのが楽しい。これから何度も読み返したくなるだろうなぁと思う。
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「ムーミン」でおなじみのトーベ・ヤンソン。彼女のデビュー作を含む8編を収めた、短編小説集。旅する人たちの物語がつづられ、作者自身が渡り歩いた当時のヨーロッパ各都市の様子と、そこに暮らす人々の姿がありありと描かれます。さらっと読めますが、挿入されたイラストの数々が味わい深い一冊です。
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O・ヘンリを読んでる方がマシだ。人間や恋愛を題材にして大人向けの話を創作するのはトーベ・ヤンソンにはあまり向いていないのかもしれない。全体的に重い。
『手紙』ラストで手紙を捨てるものかと思ったら捨てないんだもの。起承転結がきちんと感じられなかった。
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ムーミンで有名なトーベ・ヤンソンの、ムーミンじゃない短編集。
何が起こるというわけでない、若い女や、孤独な老人や、売れない芸術家などの自意識の物語。
読み終わったのがずいぶん前なので、印象を書き留めるのみとなりますが…。
お仕着せの幸せや、みんなが夢中になるばか騒ぎや、ありふれた刺激では満足できない。だって私は特別なんだからーー。という心の鎧を、着続けて着こなして確かにかっこいい特別な人もいるけれど、多くの人は凡人なわけで、あるいは逆にすべての人が特別なわけで、ふと、「あ、これ脱いでも大丈夫みたい」と気付く瞬間がやってくる。
それでもまた、寒くなったら着たり、気取りたい日には着たり、することもあるのだけれど、脱ぎ捨てた瞬間の解放感を知らずに生き続けるのはなんだか苦しそう。
「自分は特別なんじゃないか」という買い被りを、笑うことなく責めることなく、いとおしむ。それでいて「自分のような人間は掃いて捨てるほどいる」という真実に打ちのめされず、むしろそれを救いとして提示する。
なんだかそういうところに惹かれる。
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トーベ・ヤンソンによるムーミン以前の短編小説集。
どの作品に出てくる人たちもどこか役割を演じているような、背景すらも書割りであるような雰囲気がありながらも、そこに確然といるという存在感も示しています。そしてそこに出てくる人物たちは、他の人物をまたはその場所自体に役割を与えそこに自分を投影させようとします。謂わば勝手に相手の理想像を作り上げ勝手に失望もし勝手に諦めるのです。
若い女性は芸術家に、老いた男は若い娘に、新婚夫婦は旅行地に対して、芸術家は芸術に対して、故郷を去ったものは故郷に対して自分の理想と諦めをぶつけていく。果たして現実は何処にあるというのか。
それでいて読後感は陰惨な感じを与えず、さっぱりとして清々しさすら感じさせます。その清涼感は作者自身が持っていた性質によるものだったのか。諦めの先に未来があることを示唆しているのか。実に面白い感覚でした。
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ムーミンの作者であるトーベ・ヤンソンの短編集で、ひとり旅、恋人同士、老人、夫婦の「旅先」での出来事を描いたもの。社会的背景や価値観が理解できない描写が少なくなく、伝わらないこともあるが、第二次大戦まえの状況で書かれたものと考えると腑に落ちる。こういう本を読んでいると、文中に登場するヨーロッパの都市を訪れたくなる。
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このヴァイオリンをセーヌに投げすててやろうか。
ヴァイオリン より
「あいつら、雁首そろえてキリストにでもなる気かな」
大通り より
「なにもしない甘美さ」(ドルチェ・ファール・ニエンテ)
サン・ゼーノ・マッジョーレ、ひとつ星 より
「さりげなく折りたたまれた請求書つきでね」
カプリはもういや より
ムーミンでしか知らなかったトーベ・ヤンソンの初期短篇集。パリをはじめとしたヨーロッパの異国を舞台にしてあります。
端々には皮肉とユーモアの込められた台詞もあり楽しんで読むことができました。ムーミンを発表したのが終戦する年の1945年。なかば逃避的な背景から作られたファンタジー作品でしたが、本作は現実のお話。イラストも多く掲載されていました。表紙はフィンランドの食事風景、1940年。風刺画ですね。
後年、女性パートナーと生活していたみたいで、『サン・ゼーノ・マッジョーレ、ひとつ星』を読むとどこか一夜の友情を描いた物語とはまた別の側面を自分は感じました。
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『「そういう呪われた日に、ぼくら人間は、いわゆる善き決意と意図とやらを固めるんだ――いや、新年の前にさ。いやによそよそしく判然としない空の下、のろのろとタベが進んでさ」「ぼくは思った、最後の夕べってやつは電信柱みたいに歌うんだな、とね」』―『よくある話』
訳者あとがきを読んで、ようやくトーベ・ヤンソンの皮肉屋としての世の中の見方がどこから来たものなのかが解ったような気になる。ヨーロッパを席巻する独裁政治と排他的民族主義なものの考え方に気触れて自らの正しさを熱く主張する人々の空虚さに、異国で絵画を学ぶ若い女性として直面したこと。それが、地に足を確りと付けて立つ決意のようなものに繋がり、軽薄なものへの皮肉となって口をついて出て批判せずにはいられないという人格を生む。
パリの街角に立ち絵を学ぶヤンソンを想像することは、フィンランドの自然の中に生きる印象の強いヤンソンからは少し隔たりのあることだが、考えて見れば絵を学ぶ若者がパリに留学するのは不思議でも何でもない。しかし第二次世界大戦前の、全てが全体主義に絡め捕られていきつつある世の中で無かったとしても、ヤンソンが疎外感を託ったであろうことは想像に難くない。それはスウェーデン語を母語としているとはいえども、隣国との複雑な関係を強いられてきたフィンランドの歴史を背負うものとしての矜持のようなものが他者との距離を保つからなのかと想像する。
『二百人か三百人が多くても少なくても、街にとっては大差ないのよ、わかる? 人間は大海の一滴にすぎず、沈んで溺れていく。無でさえない――」「でも、あなたはいったわ、街にやって来た人間だけがひとかどの者になれるって」とエレンは遠慮がちに口を挟む。「そう、浮かんでいられるならね』―『街の子』
しかしパリに在って都会的なものへの魅力を感じつつ、田舎の自然への圧倒的な帰属意識を持つというアンビバレンツな立ち位置をヤンソンが苦労して成立させようとしていたであろうことは、この短篇集の中に繰り返し出て来る両者の対比の構図を見ても容易に想像できる。ヤンソンによる対比は必ずしも「田舎のネズミと都会のネズミ」の話のように単純にどちらがよいという結論には至らない。どの短篇もおしまいはあっけなく、場合によっては肩透かしと言ってもよいような展開を見せるが、それがヤンソンの価値観に尤も則した形なのだろうとも思う。
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ムーミン作者の短編集。
自分の勝手知ったる大通りから裏道へと外れる若者たちとの対比が描かれた、「大通り」(大衆と大通りをかけてるのか?)、待ち人を描いた「手紙」、他人の中に自分を見出してしまった時の話を「よくある話」というタイトルにしたセンス、さみしさを素直に表せない人が出てくる「サンゼーノマッジョーレ、ひとつ星」などが印象に残った。