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- カテゴリ:一般
- 発売日:2014/06/27
- 出版社: 白水社
- サイズ:20cm/256p
- 利用対象:一般
- ISBN:978-4-560-09034-3
紙の本
かつては岸 (エクス・リブリス)
「かつては岸」:島のリゾートホテルに滞在するアメリカの未亡人と、その給仕を務める半島出身のウェイター。それぞれ大切な家族を亡くした二人が抱える悲しみは、やがて島の岸辺で交...
かつては岸 (エクス・リブリス)
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商品説明
「かつては岸」:島のリゾートホテルに滞在するアメリカの未亡人と、その給仕を務める半島出身のウェイター。それぞれ大切な家族を亡くした二人が抱える悲しみは、やがて島の岸辺で交錯する。「残骸に囲まれて」:1947年春。アメリカ軍による軍事演習が続くなか、島のそばに爆弾が投下される。行方不明の息子を探して、老夫婦は日本軍が遺棄していったトロール船に乗り、海に向かう。「彼らに聞かれないように」:今も現役で海に潜るベテランの海女アーリム。彼女のもとを、近所に住む日本人移民の息子が訪ねてくる。日本占領下の記憶を抱えるアーリムと、事故で片腕を失った日本人の少年は、世界や国籍を越えて心を通わせていく。「そしてわたしたちはここに」:関東大震災で孤児となり、日本から島の孤児院に送られた美弥。太平洋戦争後も島にとどまり、朝鮮戦争の野戦病院で働いている。そこに、かつて孤児院での日々をともに過ごした淳平が負傷兵として運び込まれたことをきっかけに、彼女の日々に変化が生まれていく。新世代の韓国系アメリカ人作家による、“O・ヘンリー賞”受賞作を収録したデビュー連作短篇集。【「BOOK」データベースの商品解説】
朝鮮半島の南に浮かぶ架空の島、ソラ。日本占領下から現代に至る時間の流れのなかで、そこに生きる島民、日本からの移民、米兵たちのささやかな人生が交錯し…。表題作ほか全8篇を収録した連作短篇集。【「TRC MARC」の商品解説】
収録作品一覧
かつては岸 | 7−32 | |
---|---|---|
残骸に囲まれて | 33−54 | |
炎を見つめる顔 | 55−80 |
著者紹介
ポール・ユーン
- 略歴
- 〈ポール・ユーン〉1980年ニューヨーク生まれの韓国系アメリカ人。ウェズリアン大学卒業。作家。短篇「そしてわたしたちはここに」で2009年のO・ヘンリー賞を受賞。
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紙の本
時間の経過によって生じた「喪失」が、平穏な日常に皹をいらせ、葛藤を生む。
2014/07/20 16:24
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:abraxas - この投稿者のレビュー一覧を見る
どこへ行くにも一時間という小さな島を舞台にすることで登場人物は限られ、出入りも少ない。全篇に古いモノクロームの映画を見ているような静かな時間が流れている。孤独で寡黙ながら、日々の暮らしを篤実に生きる人々の間に生じる心の交流とすれちがいを、感情を抑制した文体で書きとめてゆく。
著者は韓国系アメリカ人。1980年ニュー・ヨーク生まれというから、戦争当時のことは話に聞くか資料で調べたのだろう。冒頭に置かれた表題作「かつては岸」は、2001年にハワイ、オアフ島沖で起きた「えひめ丸」の事故を脇筋に、次の一篇では1947年春、竹島(独島)であろうと想像できる無人島で操業中の韓国漁船を米軍機が訓練中に誤爆した事故を主たる題材にとるなど、多くの主要な登場人物の人生に戦争(訓練も含む)が影を落としている。
この若さで、あの時代の戦争を自分の小説の重要なモチーフにすることに、戦後生まれの読者としては意外な感を覚えるのだが、支配、被支配の関係から言えば、支配されたほうが記憶にとどめているのは当然のことで、第二次世界大戦で破れた日本軍が去ったと思ったら、朝鮮戦争が勃発し、今度は米軍が侵攻してきた韓国にあっては、戦争当時のことは、済んだ話として済ませるわけにはいかないのだろう。とはいえ、作者は韓国系ではあっても、アメリカ人である。露骨な日本批判や反米思想が声高に語られるということはない。訳者もあとがきで触れているように、全篇にたゆたっているのは「揺るぎない静謐さに満ちた世界」である。
作者は過去と現在という二つの時間を操ることで、忘れていた事実の思いがけない想起や、日々の暮らしで忙殺され見過ごしてきた互いの間に広がる溝の深さへの突然の気づきといった「事件」を梃子として、静かに見えた日常に皹を入らせ、葛藤を生じさせる。その手際は若さに似合わぬ老練なテクニシャンぶりを見せる。特に、基調となっているのは時間の経過による「喪失」という主題である。
時代を第二次世界大戦、朝鮮戦争の頃に採ることで、戦中戦後の混乱による戦災孤児、戦病者、脱走兵といった過酷な運命に翻弄される人物を主人公、或は準主人公とすることが可能となり、短篇小説という限られた枚数の枠のなかに劇的な緊張を持ち込むことができる。しかも、直接に戦争を描くのでなく、幼少であったり、老齢であったりすることで、戦争という剥きだしの暴力によって心ならずも自分の人生を歪められ、自分に、家族に、肉体的、精神的欠損を生じさせられたことに、抗うこともできなかった人々が慎重に選ばれている。
鮫に片腕をもぎとられた少年、爆風で視力を奪われた少年、母を亡くした子、と「喪失」を象徴するモチーフの頻出は、一見陰惨なようにも思えるが、それを所与として生きる本人たちの一所懸命さに心揺さぶられ、読後感は悲哀のなかにも仄かな救いを感じるものが多い。たとえば、互いに長年言葉を交わすことを忘れていた「残骸に囲まれて」の老夫婦は、洋上に浮かぶ無数の遺骸の中から一人息子を探す作業を通じて心が一つになってゆく。
一つの島を舞台とすることで、つながる連作ならぬ短篇集だが、硬質の抒情性を漂わせた作品世界と独特の余韻を残す結末に共通するものがある。凛とした個性を感じさせる新進作家である。ひとつ気になるのは、訳のせいなのか原文がそうなのか分からないのだが、平易な言葉で綴られ、決して難しいわけではないのに、文意が通じず、意味の分かりづらい箇所が散見された。同じ訳者による『アヴィニョン五重奏』の方は、なかなかの出来だと思っているので、実際のところは、どうなのだろう。