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我々は、日々選択して生きている。選択こそが人生といってよいだろう。その選択を、いろいろな観点から調べたのが本書。本書を読めば、選択肢が多いほうが良いとは限らない、人に選択してもらったほうが良い場合もあるなどの、私のような自己中心的な人間には理解できない性向あることがわかって参考になる。「人の代わりに選択してあげる」は商売になるのではないか、と思う。
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「選択」という行為を科学的に分析した本。
人間(に限らず動物も)は、選択をしたがるいきものである。
がしかし、選択肢が多すぎると不利益になる場合がある。
学習や実践を通じて対処能力を高めるか、専門家に任せることが、よりよい選択の手助けや近道になることがある。
育った環境によって、選択に対する考え方が違ったり、ファッション業界などにおいてはそもそも選択自体が創造されたものであったりと、選択に関する様々な興味深い話があった。
選択と言っても、様々あり、時には命に係わるものもある。家族の延命措置をすべきか否かの判断を迫られた話を考えたとき、その判断は専門家である医師に任せることが最良のように思える。
とても読みやすく興味深い話がたくさんあり、面白かった。
ただ、実験結果などの記述は、もう少しコンパクトになったのではないかと思う。
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人生は選択する連続で成っている。人は後悔したり満足したりを繰り返しながら選択をしなければならない。時にはすごく後悔したりする選択で落ち込むこともある。また、哀しい事だが決めなければならないので選択しなければなら時もある。人にはそれは重すぎる。だから、神が決めたのだと思いたいし、仏が守ってくれているのだと思って選択を決意する。
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示唆に富む一冊である。
本書のキーワードはズバリ「選択」である。
日常生活でもビジネスシーンでも何かを選択する機会はいくらでもある。
さてさて、その選択について我々はどの程度知っているだろうか。
たとえば、選択肢は多いほうが良いのだろうか、そもそも選択とは自由であることと同義であろうか、選択をするのは自由意志なのか、何か特別なパラメータに強く依存するのだろうか。
これらを知っているのと知らないのでは、結果は大きく違うことになるだろう。
結論としては、
・専門的な判断が必要となる場合には重要な選択でも専門家の判断を仰いだ方がいい
・選択肢は多すぎないほうが良い。最大でも30!
・アジア人は選択について、全体最適化する傾向があり、アメリカ人は個人最適化をする傾向がある
・選択結果の精度を上げたい場合は、その選択を選んだ際に、それをなぜ選択したかを自問自答すると良い
ということであろう。
当たり前だと言われるかもしれないが、上記の主張に対して科学的な実験の結果を交えて紹介されているので説得力がある。
個人的には、選択結果に人種に依って変わりうるという事が興味深い。
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いくつか自分のために抜粋。
選択するためには、まず「自分の力で変えられる」という認識を持たなくてはならない。
自分がなぜ特定の選択に到達したかを自問自答すること。鮮明なイメージ、人からの話に影響されてないか?損失として提示されたから、切り捨てていないか?実在しない傾向、パターンの思い込みが無いか?自分が魅力を感じている選択肢を選択すべきでない理由を考えてみる。自分の見解への反証を集めてみる。
選択肢の最も少ないオプションから始めて、最も多いもので終わらせる。
選択って難しいテーマです。奥が深い。そもそも、選択することについて、向き合って真剣に考えた事がなかった。
選択の奥深さ、力を知れる良本です。
メモしたところを日々の生活、仕事に活かしたい。
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日本人と欧米人の選択の違いも述べられている。視覚に障害のある著者が、豊富な引用を用いながら、論を展開している点も見習わなくてはいけない。
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環境や知識の集積度で考え方や行動に違いが出てくるようです。相手を理解することがどれだけ大事なことなのか再認識しました。
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人生は「選択」の連続である
そんな言葉を聞いたことがある。その中でわたしたちはその「選択」をどう捉えているのだろうか。
選択には力が、神秘が、そして並外れた美しさが
備わっているのだ(本文より
何気ない「選択」という視点から人生の中で訪れる重要な選択を強いられる場面。また人間の生命についても「選択」が必要となることがある。そして、自分自身の「命」を選択することもありえる。
かなり興味深い内容を奥深くまでを知ることができた。
コーラを選択するその瞬間も、単なる選択ではなく、知らず知らずにそう選択するように様々な仕掛けがあり、その上で自ら選択するという驚きのトリック。
また、人生の最期を迎えるという重要なシーンでの「選択」(とくにこれから先の未来は増えていく可能性が大いにある)。それを見守る立場であったり、自分自身の選択であったり。人生は本当にいくつもの選択が積み重なってできあがり、それをどう受け止めるかによって、心の問題にも大きく影響を及ぼしかねないと感じた。
それには、その選択が「正しい」とか「正しくない」で決めるものではなく、また別の視点からこの「選択」を捉えていくことである程度回避できるのではないかと思う。
それほど選択は単なる選択ではなく、気づかずに意識の奥深くに潜在的発するものであり、また、そこに刻む可能性があるもので、それによって人の生き方は大きく変化していく。
正しいか正しくないかでは、答えに及ばないほどの力を持っているからこそ、最後の章の一節
「選択は人生を切り開く力になる」
というこの言葉がとても力強く、心に響くのだろう。
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いや、面白い。社会心理学の観点から、選択とは何かを取り扱う。
「選択肢がある方が幸福感は高まるが、ある程度以上増えると逆に下がる」ということは前に読んで知っていたけど、このシーナ・アイエンガー氏の功績だった。
本書からわかるのは、例えばこんなこと。
例え同じ結果になったとしても、自分で選択したのか、特定の誰か(専門家や母親など)が代わりに選択したのか、ランダムまたは機械的強制的に決まっていて選べなかったのか、という過程によって幸福感は全然違うこと。同時に、文化や社会によっても違いがあること。アジア系の子供たちは母が選んだ時がベストになるとか、旧共産国ではバリエーションが増えても選択肢が増えたとは感じられず、それにはfree from Xとfree to Xの違いが関連しており、機会の平等と結果の平等とシンクロしていること。結婚相手を本人以外が決めてしまっても、それが不幸とはかぎらない理由。学生の日米比較では、そもそも何を選択とみなすかの時点で大きな差があること。
本書では直接触れられてはいないけれど、小坂井敏晶『社会心理学講義』で取り上げられていたように、選択(=判断〜決定)はそのまま自由と責任に結びついている。自己決定、自己責任、という観念。
本書は、すぐに日常生活に役立つおもしろ知識から、すぐには役に立たない「人間にとって自由意思とは何か」まで、広く深く高く扱い見渡している。私の興味関心のど真ん中でした。
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選択するときの基準は、様々な要因が影響する(これまで意識したことがないことも沢山あって興味深い)。それでも選択そのものには、人生を大きく動かすパワーがあると実感した。私は日本というアジア文化圏に生まれ、集団が選択に大きく影響することは日々実感するが、私の基準で納得いく選択を取っていきたいと改めて思った。また集団や社会へも、主体的に動こうとする人を応援し、失敗しても支える社会であってほしいと願う。(よくある自己責任論や足の引っ張り合いはマイナスしか生まない)。人生の時間やお金の使い方、仕事、人との関わりも積極的に、能動的に「選んでいく」ようにしよう。
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20150120読了。
人はどんな些細なことでも『選択』をしている。スーパーで何を買うか、どの学校に入学するか、結婚相手は誰にするか、様々な面において選択をしている。
多くの人が自由に選択できる立場にいる一方で、そうでない人も多いということは知っておかねばならない。
自分で『選択』したことで、結果の良し悪しに関わらず、満足度が全く違う。
ただし、選択肢は多ければ多いほどいいというものではない。また、最初から最後まですべてを自分で選択して決めるのではなく、最終的な重要な決断は他人の力を借りたいと思っている面もある。
無意識に行っていることを言葉にして意識化してもらえ、ストンと腑に落ちる部分が多い本だった。
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NHKの白熱教室(おそらく)を5年前くらいにお母さんと一緒に観て、読みたいな〜ってずっと思っていた本。
念願叶って読めた。
論文だったから読み終わるのに時間がかかっちゃったけど、わかりなすい文章だったし、具体例もすんなり入ってきて、ちゃんと理解できたのが良かった。
いろんな角度から「選択」について研究していて、
一言に選択って言っても、いろいろあるんだなぁと感心した。
日本とアメリカの集団主義と個人主義の違いによって選択の要因が異なることは身にしみて理解できた。
共産主義社会から資本主義社会に移行した東欧地域での選択肢の考え方は驚きだった。コーラもペプシもスプライトも全部ソーダで選択肢は一つ。決められた選択肢がある社会で育つとそうなるんだ、と驚き。
人間(と動物)は、自分に選択の自主性がないと窮屈に思うらしい。
生まれたばかりの病気の娘を安楽死させるかどうかについての選択は、
選択の自主性があって、自分で選択したとしても心理的苦痛を感じ続ける。
それは、自分が娘を死なせるスイッチを押したという気持ちが強いかららしい。
医師が安楽死させます、とか、安楽死させた方がいいです、と言った、専門家からの助言があった方が、選択権が無かったとしても、心理的苦痛は和らぐそう。
ここまで極端な例ではなくても、わたしは割と自分の選択を他人に任せてきたことが多かったかもしれない。
論点がズレるかもしれないけど、それは自分に対して責任を持つ自信が無かったから、ということのような気がする。
選択できることは幸せなことで、
心理的苦痛を感じるもの以外の選択については、
自分自身で納得がいくまで考えて行いたいと思った。
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筆者の有名な研究で、ジャムの選択に関する実験がある。選択肢は多ければ多いほど良いと言う訳ではない。人は選択肢が多いと、自分の決断に自信が持てなくなり、満足度は逆に下がってしまうのである。
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意思決定に苦手意識があるので、ベストセラーになっていた本書の文庫を見つけて買いました。選択権がないのが当たり前の文化で育った著者が、選択の力やその反面をさまざまな研究からとりまとめて紹介されています。特に、「選択肢が多い方がいいわけではない」というのは当たり前だけど体感していて、だからこそ選択肢を適量に持つことが人生において有益と感じました。
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201407/事例交えてわかりやすく書かれていて面白かった。講義受けてみたいなあ。選択と人種というのも面白い。