紙の本
おもしろかった
2016/03/19 10:21
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投稿者:あや - この投稿者のレビュー一覧を見る
時代ごとの考察があるので、
バブルの経験の無い30代以下でも過去からの流れを理解できる。
地デジへの変更でテレビをほとんど見なくなったら
(ワンセグで必要なものだけに絞ってる)
CMや協賛企業の商品特集が目に入らなくなり買い物欲がかなり減った気がする。
お金を使ったものが偉い...じゃないと思うんだよね。
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私淑する内田樹先生の盟友・平川克美氏による、これからの生活のありかたに対する提言の書──ということでいいのかな。経済の門外漢でありますが、おもしろく、時折身につまされる感じで読めました。
「グローバリズムの最大の問題は、棲み分けを許容しないことにあります」(234ページ)というロジックは、ウチダ先生も指摘しておられた。「おカネがあればなんでもできる」と考えるひとが国家のグローバル企業化を促進し、国家のレゾンデートルである「みんなが生き残るための共同体」という体が壊れているのが現状、というのが平川さんの主張。
現状の解決策として提唱されているのが、乱暴に要約すると「小商いを軸に、贈与経済(情報のやりとりなど)をも織り込んだコミュニティの復活」だ。客観的な裏打ちがあるわけではないので学術的とは言えないかもしれないが、同様の事業を実践している筆者の経験から導き出されている結論なので、説得力はあると感じた。
読んでいて思ったのは「マイルドヤンキー」と呼ばれる人々の消費行動だ。彼らは決して小商い的な場所での経済活動を支持しているわけではないけれども、地縁ベースのコミュニティ形成を指向している点で、グローバリズムの限界を(無意識のうちに)かぎ取ってるのかもしれないと思った。
また、アメリカで製作された映画『アナと雪の女王』が、さまざまな性質の人間が混在できるコミュニティ再生の物語として読み解ける(しかも、爆発的にヒットしている)ことを考えると、グローバリズムの急先鋒たるアメリカですら、モノ・マーケットに対する危機感を持つ人が少なからずいるという事実を表しているのかもしれない。そう考えると、本書の指摘は非常に興味深い。
余談ですが、第三章で、筆者が自らの'90年代の生活を回顧しておられるのですが、それを読むにつけ、当時の自分が「無責任でせちがらいプラグマティスト」だったことに改めて気づかされました。自由かつ無頼を気取っていましたが、時代の空気からは全然自由ではありませんでした。
「若かった自分は死ぬほど恥ずかしい」というのが、実は一番の感想だったりします(笑)。
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縮小もしくは現状維持を念頭に置いた資本主義を考える。右肩上がりの市場経済が限界に達している現在の日本で、個人、消費者ができることはなにか。じっくりと掘り下げてみたい。
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おっちゃんが一人でやっているような文房具屋さんってほとんど見かけなくなったなぁ、と思うようになったのはいつ頃からだろうか。文房具だけでなく、日用品や本から家具・家電まで、個人商店で買い物をすることなんて一年のうちに数えるくらいしかないように思う。
だって、個人商店は高いし、品揃えは良くないし、店が閉まるのが早いから仕事が終わってから行っても間に合わない。
それなら最初から夜遅くまで開いているスーパーに行った方がいい。
コンビニは便利だ。飲みもの・食べものはもちろん、ちょっとした文房具や日用品は手に入るし、24時間いつでも開いているし、都市であれば大きな通りを10分も歩けば大概ある。
ネットショッピングも便利だ。大抵のものは頼めば翌日には届けてくれるからわざわざ買いに行って持って帰ってくる必要がない。送料が無料のことも多い。
この「便利」「速い」「安い」といったことは、消費者にとってはとても重要な判断基準である。いかに安く、いいものを速く手に入れられるかで、賢い消費者かどうかが決まる。
そうしてみんなが消費者としての振る舞いを加速させていった結果、個人商店は潰れ、商店街は崩壊し、郊外には大型ショッピングセンターがあちこちにでき、都市にはスーパーやコンビニができ、顔のない消費者が街に溢れかえるようになった。誰がどこで買い物をしたかなんて、誰も見ちゃいない。それは、とても快適なことかもしれない。人に見られているって、結構窮屈なことも多い。だけど、その結果、孤独な人が増えている、そんな現状もある。
じゃあ、どうすればいい?
気になった人は、この本を読んでみてください。
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経済論から見た、脱消費本。
ミニマリズムにも通じるなと思ってずっと"読みたい"に入れてたのをやっと読みました。
予想以上に経済関係の話が満載で、私には少し難しいところもあったけど驚くほどさくさく読めました。
経済面は今まで避けてた分、知らないことも多くて面白かったのかも。
知らずに感じてた部分や、納得な部分もたくさんありました。
どこか操られてる感がある消費社会は、やっぱり気持ちが悪いです。意識していこうと思う。
欲を言えば、もう少し著者の脱消費後の暮らしの部分を読んでみたかったです。
そこがやはり最近よく出てるミニマリスト本とは全然違うところでした。
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主張には全面的に同意。自分で実践していることも多々ある。あとは自分の暮らす町ひたちで、暮らし続けることができる小商いをいかに成立させるかだ。
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良い。参考になった。
ユニーク。今まで言われてないけど、なるほどと思える内容。
90年代は、アメリカとの経済戦争だったとは眼から鱗。確かにそうだ。
経済成長しない社会が必要。
そろそろ、お金を使わずに生きる方法を考えるべき。
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聞き書きでできた本なので、話のまとまりはないけど、それでもおもしろい。経済と消費が移り変わっていく歴史の話は、とてもおもしろかった。
平川さんの本を読むと、このひとがいっている、「小さく稼いで、小さく生活する」というようなことがすごくおもしろそうに思えてくる。人間って、そんなもんだよなぁと思う。
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消費をやめるというのには、大いに賛成だけれども、労働に関しての考え方は、著者と世代の違う中年以下の世代には、それをそのまま受け入れるのはいささか困難だと思う。
拝金主義は、幸福をもたらさないのは直観的に分かるけれど、消費行動のすべてをシフトするのはなかなか勇気がいると思う。
けれど、所有欲というのは実は外からコントロールされたものであって、不要なものであると思う。
そこの部分からもう一度見直して、賢い消費者になるべきだと思う。
そして、自分の消費行動は、実はその物を得たり消費したりするだけでなく、地域との繋がりだったり住環境やライフスタイルとも密接に関係しているということも意識しなければいけないだろう。
資本主義のど真ん中を経験した著者だからこそ、「消費をやめる」という大胆な提案ができるのだと思う。
当時の経験が、その回答を導いたのだし、何より説得力を感じる。
戦中世代の価値観は、言われてみたらその通りで、ゴミ屋敷なるものが何故あるのかという以前からの謎が解けた。
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書いてあることは、その通りだなあと思う。どこまでもどこまでも「経済成長」しなければ未来はないという脅迫的言辞に踊らされず、消費中心の生き方を見直そうという考えは、とても真っ当で、多くの示唆を含んでいる。
ただ、これは今の自分が欲している「知恵」ではないのだなあ。東京に(というか、大都市かその周辺に)住んでいる男性の問題意識なのだよね。これはケチをつけるつもりではなく、身に迫って考えられるかどうかということだけれど。
息苦しくなる一方の社会の中で、小さなコミュニティの良さを再評価する趣旨の発言をよく見かけるが、そのたびにどんよりした気持ちになる。たくさん消費させようとバラバラの「個」に分断された社会の在り方は、確かに殺伐としていて、いびつなものだ。でも、本当の「個人主義」が根付いていないところで「地域の絆」とか「家族の絆」とか持ち出されると、それだけはごめん!という気になる。そのテのものに縛られて窮屈な思いをしている人って、地方の女の人を中心にまだまだ多いと思うのだ。そういうところまで視野に入れた論を期待するのは、無い物ねだりだろうけれど。
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やはり日本は日本らしく在るべき。経済成長だけでは幸せに離れない。山崎亮さんあたりも、平川さんと同じ結論だけれど。やはり日本はアメリカとは地域のあり方も違うし、アメリカのやり方をなぞるだけでは破綻する。
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2014.10.30
平川さんは昔からアンチグローバル、市場経済だったのかと思ってたら、それにどっぷり浸かってたんですね。そういう人の言葉なので説得力がある。
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「人間は本来、雨風をしのぐ家があり、そこで家族や友人とご飯を食べ、ときには酒を飲み、わいわい楽しく生きていければ幸福を感じることができる生きものです。人間を不安にさせるのは、将来がいまよりも悪くなるという予兆です。将来がいまと同じであるならば、退屈はするかもしれませんが、神経症的な不安に陥ることはない。退屈を紛らわす方法なら知っている。そういう風景を、想像力を働かせて思い浮かべてみるのが、まず第一歩だと思うのです。」(p.222)
「消費欲は、商品の群れのなかを行き来することで昂進したり、不規則な生活や、ストレスフルな仕事や、人間関係の不調といったものを埋め合わせるためにさらに昂進するのです
。現代人の過剰な消費とは、過剰なストレスからくる空虚感を埋め合わせる代償行為ともいえるでしょう。」(p.240)
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タイトルからして「ああ、買い過ぎはやめましょう、本当に必要ですか?」的なことを、のんびり里山に暮らしている人が言ってるのかなと思いきや、戦後の混沌とした時代に生まれて、ただひたすら働き、シリコンバレーまでいった人が著者でした。そこまでいって「あれ?なんか違うな」と思ったみたいです。
欧米的なグローバル戦略が本当に必要なのか、欧米と日本の文化的背景の違いから論ずるところが面白かったです。
日本は父親の権威が強く、父親を中心に家族が1つにまとまって生きながらえてきた。そこに集まる集団はカネというよりは、食わしてもらってる代わりに奉公するというスタイルが長くあったという背景があり、一方の欧米では絶対核家族形態で自由や独立を好む人々で、分断された社会でも生きていける形が長い歴史の中で出来上がっている。
大量生産、大量消費でカネを回す現代、モノを売ろうとすれば、1国、1地域、1家族に1つ売るよりも、個人個人に売った方がもうかるので、果てなく右肩上がりを目指す企業はこれらのコミュニティを個人にまで分断し、モノをうろうとする。こうして消費社会が形成され、消費できることが素晴らしいステータスなのだという風潮になっている。しかしこの風潮は分断された社会でも生きていける欧米のスタイルには当てはまるが、日本にこの価値観はうまくはまらないのだ、
というのが著者の考え方です。個人的に、やれグローバルだ、やれ成果主義だ、とよく言われるけれどもなんとなく、そんなやり方は日本には合わないと思っていたのが、これをうまく文章にしてまとめてあるのがこの本でした。ひとそれぞれでしょうが、著者はシリコンバレーで見た超大金持ちアメリカ人をとても幸せそうだと思わなかった、そういう経緯からこの考えにいたったようです。
モノもサービスも飽和状態にあるのにまだ右肩上がりの成長を目指すという姿勢そのものを見直す時期が来ているのではないか?色々なメディアを通じて、あれがいいですよと言われればそれを買い、こっちがいいですよと言われればそれを買う。企業に振り回されるのではなく立ち止まって考えてカネを使おう。そうでなければ経済成長という効率重視の社会がこれからもあなたたちを振り回すことになる、というお話は、今の政権が企業重視の政策をとっていることに対するアクションを起こせるきっかけになるかもしれない。
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1648 ウエストファリア条約
ヨーロッパの封建領主は、領土を巡って争いを繰り広げていた(30年戦争)。封建領主たちが、ヨーロッパ中に入り組んだ領地の持ち分を争い、領主が死ぬ度に相続に首を突っ込み、収拾がつかなくなった。
30年もそんなことを続けてきた結果、さすがに封建領主も疲れ果て、もうやめようということでかわされたのがウエストファリア条約。領土を確定させて国をつくり、そのなかで起きたことはお互い鑑賞しないという内政不干渉のルールを定めた。
ウオルマートに呑み込まれる世界
元気な商店街になったシャッター通りと化した商店街にないもの 銭湯、団子屋、そしてお茶屋
田舎のパン屋がみつけた腐る経済