紙の本
「自由意志」なんてないのか??(そんなことはない)
2018/11/23 17:39
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投稿者:miyajima - この投稿者のレビュー一覧を見る
法律をやっていると刑法の故意を勉強するので「意志」というものに関心を持たざるを得なくなります。本来その行為を避けることができたにもかかわらず「敢えて」その行為を選択したことが非難されるというわけです。
そして哲学をやると「自由意志なんてものはあるのか」というのが一大論点だったりもします。古くはスピノザ、新しいところではアインシュタインが「自由意志なんてものは無い」と説いているわけです。
ですが、哲学というか文学的なロジックはその多くがサイエンスによって居場所を失いつつあるという現状があるわけです。「意志」というものはその一つではないかと思っておりました。そんな問題意識にを持つ身にとって本書はドンピシャな感じがしてタイトル買い。
「生まれか育ちか」という言葉がありますが、20世紀前半は「脳は白紙である=可塑性がある」という考えが主流でした。ですが、その後後天的な要因や経験に左右される、と通説は変化してきました。
人間は進化の過程で脳を大きくしてきました。しかし、大きくなるとニューロンをつなぐ信号処理に時間がかかるようになってしまうというデメリットが生じました。そこで、何度も繰り返される処理は自動化され、脳の別の領域に伝えられるのはその結果だけで過程は省かれるようになります。このように特定の仕事をする局所的で専門的な回路をモジュールとよびます。
ではそれほど局所化が進んでいるのに人間はあたかも一つの統一体として機能しているのはなぜなのでしょうか。
脳の左右の半球を分断された人を対象とした実験の結果、分離脳患者は脳の左半球と右半球のそれぞれで別々の精神を持つことが分かったのです。ですが、その場合左右のどちらが主導権を持っているのか?
実は脳は二つの意識的システムに分かれるのではなく複数のダイナミックなシステムの集まりと考えられています。脳は汎用コンピュータではなく、脳全体に専用回路が配置され並列処理を行っているというのです。この回路網が無意識レベルで様々な処理を並列で行っているのですが、それを統括している「本部」は存在しないのです。
並列分散型のシステムから生まれる行動・情動・思考に理由付けを行う「インタープリター」と呼ばれる機能の存在が確認されたのです。ちなみにこのインタプリターは左半球に存在します。インタープリターが私たちの記憶、知覚、行動とその関係についての説明を考え出しているのです。仮説を立てようとするその衝動が人間の様々な信念を生み出す原動力となっているのです。
つまり、脳が精神を存在させ、機能させているというのが最新の知見であり、「わたし」とは並列分散処理を行う脳なのです。「わたし」自身とは脳のインタープリターモジュールが紡ぎだしたストーリーなのです。
では、この事実は「自由意志なんてない」と説く決定論者の勝利を意味するのでしょうか?
脳は一つだけでは社会的なやり取りはできません。二つ以上の脳がかかわると、そこに予測のつかないことが起こり、存在しなかった規則が定まります。この規則に従って獲得された性質が責任感であり自由なのです。そのどちらも脳の中には見つかりません。
電子書籍
ギフォード講義からのまとめ
2023/03/21 03:02
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投稿者:エムチャン - この投稿者のレビュー一覧を見る
知らなかったのですが、ギフォード講義というのは有名な講義らしいです。内容は、前半と後半でやや違ってきています。前半は脳科学の実験が色々と……しかし、後半は、だんだん読むのが疲れてくる感じでした。
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昔習ってそう面白くも思わなかった分離脳がこんなに面白いものだったなんて。最後まで失速せずあらゆる分野を巻き込んだ台風のような講義。
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マイケル・ガザニガという方は寡聞にして知らなかったのだが、
理解しやすくフェアな語り方をする人だ。
専門的な事柄を素人にもわかりやすく説明をする点に知性を感じる。
脳や人の精神の分野ではオリバー・サックスなんかは何冊か読んだけど、
この本はまたアプローチが違う印象。
見ている対象が”人”というより器官としての”脳”って感じ
(オリバー・サックスはもっと”人”を見ている印象を受ける)。
純粋な知的好奇心を強く感じるというか。
わかりやすいのは、ガザニガその人が解説上手なのもあるのだろうが、
もともと本として書き記されたものではなく、
ガザニガの講義を本としてまとめたのも理由としてあるのかもしれない。
実際、本は一冊の本としてクライマックスが用意されているわけではなく、
淡々と静かな考察と解説が続く。
正に講義を受けているかのようだ。
聴衆を相手にしているその語り口が、
この本をよりわかりやすくしている一要素なんだろう。
しかし興味深い。
自分はどこにあるんだろう。
人間も宇宙の歯車の一つに過ぎないと常に言い続けている私だけれど、
視点がマクロから離れると、
やはり心(という表現は私が使っているだけで本では使っていない)を感じずにはいられない。
だけど人ってなんだろう。
生命も物質の組み合わせであるのは確かで、
その結果として人ができて行動しているのであれば、
その人自身は自分の行動に責任があるんだろうか?
という問いを投げかける一冊である。
そしてもう一つの問いは、人の理解の危うさ。
脳は辻褄を合わせたがる。
しかしながらガザニガは機能としての脳/神経を興味深く見る一方、
人としての社会性、自己責任、自由意志、はやはりあると考えているようだ。
そこは脳とは分断されて周囲の現実からそう思うのか、
脳の機能の延長上にそれを捉えているのか、
その点を訊いてみたい。
でもそうだな、
自由意志を持つことは種としての生存戦略の一つなんだろうな。
環境により柔軟に対応できるように。
だから機能の延長線上にあるとしても、
責任の所在の捉え方も、
おそらく世界の進化と淘汰の一つの篩なんだと思う。
ガザニガはもう少し読んでみたいけど、
なにぶん本のサイズがなあ。
この本も文庫で出てくれないものだろうか…。
本の格納場所が…。
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終盤は間主観性みたいな話になっていた。前半は脳科学の有名な実験がメインだったけど,途中からガザニガの膨大な知識と先行研究の紹介に加え,遺伝や法律,司法の話が縦横無尽に入り乱れてとても難しく理解できないことが多かった。読了までにエラい時間がかかった。
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タイトル通りで「自由意思」に関する本。この手の本は色々読んでいるので内容的には既に聞いた話が多く、今回の本に関してはあまり目新しさはなかった。それでもこのテーマの本はやっぱり面白いですね。
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てんかん治療を目的として右脳と左脳を繋ぐ脳梁を切断した分離脳患者を対象に様々な実験を行っている著者が、いわゆる右脳と左脳の働きの違いを明らかにするとともに脳の分散処理について説き、その分散処理された結果を取りまとめるのは左脳であり、後付けで合理的に説明するプロセスとしてインタープリター名づけている。ここでも『脳はなぜ「心」を作ったのか「私」の謎を解く受動意識仮説』前野隆司著と同じように自分の意思ではなく結果を意思と錯覚しているという受動意識説で我々の脳と意識を説明している。また、人間は社会的であるとして、社会的な脳についても1/3程ページを割いており犯罪と刑罰についての論考など考えるとグルグルしてしまいます。
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脳科学の最先端(原書2012年)
どんどん次が読みたくなる面白さ。
脳に中心はない。あるのは入力を処理するたくさんのインタープレターだけ。
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脳科学だけでなく、物理学、生物学、政治哲学まで幅広い分野を横断している素晴らしい書籍である。自由意思への解釈については、ネガティブなものからポジティブなものに変わった。時間をあけてもう一度じっくり読みたい。
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2日前、ノーベル医学生理学賞の発表がニュースになっていた。「脳内のGPS(衛星利用測位システム)」がどのように働くのかを解明したとして3人の研究者に授与すると発表した。それだけ、脳は人間にとってまだ、未知なる領域が残っている。
そんな脳に関して考えて行ったのが今回の本だ。脳とは何か、人間にとって脳はどういうものかを問い、解説している。
脳の配線に関して、脳を制御しているのは一つのものではなく、いろいろ張り巡らされていてかつ、物事を認知する能力を持つ脳は分担が決まっていて特定の領域で処理すると言う2重構造になっているそうだ。
そういえば、「脳は有り合わせで出来ている」と言うのを読んだことがある。本能に基づいて判断する「古い脳」に、今の人間が考えたり、行動するような複雑な「新しい脳」が重なる2重構造ならなっている。その影響で、食べ物を必要以上に蓄えようとして肥満になる人が出る。
脳の構造がもっと明らかになってくれば、今話題になっている「イスラム国」のような邪悪な集団に加担しようという誘惑にかられずに済むような研究が出てくる可能性が出てくるかも知れない。
http://www.sankei.com/life/news/141006/lif1410060055-n1.html
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http://catalog.lib.kagoshima-u.ac.jp/opc/recordID/catalog.bib/BB16495694
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モジュール、創発、分離脳、インタープリターモジュール、
ミラーニューロン、etc. 今まで読んできた「意識本」を
総括するような内容。講義を元にした本なので、そう感じた
のかも知れない。ホフスタッターの本を読んだ時に肝心な
ところがよくわからない、エッシャーの絵のような印象を
持ったのだが、それに比べればはるかに読みやすいこの本
でも同じような手応えが残ったというのは、「わたし」が
どこにあるのかは、まだよくわかっていないし、脳科学も
まだまだこれからの分野ということだろうか。「自由意志」
を単に一つの脳内の問題では無く、社会的な脳と脳との間に
生じる問題だという指摘は興味深かった。
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メンインブラックで描かれる「病院に搬送された人 間の顔をあけると出てくる『小さい宇宙人』」。わ れわれの中には同様にホムンクルスがいて、会いたい人との待ち合わせ日時や食べたいもののある店をどれにするか決定しているのか。
脳は、体と独立した器官なのだろうか。我々はどの ように意思決定を下すのだろうか。これに「脳は他の器官同様」であり、意思決定は、認識したものと 認識したものの間隙をイメージする(作話する)能力の総合であるとする立場から展開される一冊。
法制度における脳科学の位置づけが特に印象的でし た。
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物理的に動く一種の装置であるという決定論的人間観に対して、別の視点を示す。人生で得られる経験が精神システムに強い影響を及ぼし、脳と精神の相互作用が意識される現実を生み出している。
スピリチュアルに逃避するのではなく、脳や神経科学の延長に、意識が存在することを示す。
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自分の本棚のラインナップの偏りが凄まじいなとふと気が付きました。
それでも好きな本しか読みませんけどね。
科学の進歩によって、人間の身体的機能や役割、作用が次々と明らかになっている。
わたしたちが日頃当然のように行っている人生のあらゆる判断はそうした機能の一部分であって、自由意思など存在しない、という考え方をあなたはどう思うだろうか。
気まぐれで選んだいつもと違う帰り道、久々にあった友人と急遽行くことになったランチ、悩みに悩んで決めた靴の色さえも、自身の体―――もっと言えば自身の脳が選ぶべくして選んだ「決められたこと」だったのか。
スコットランドの有名大学が共同で実施している自然科学講義『ギフォード講義』で、筆者が実際に行った連続講義が待望の書籍化。
思考の隙を突く鋭い考察が小気味よいテンポで展開されています。
提示される疑問の中枢は、タイトル通り「『わたし』を司るものは一体何で、どこにあるのか」。
人間の身体に関する研究が進展し続けている現在も、未だに人間の精神に関する明確なロジックが唱えられてはいません。
しかし筆者は、車のハンドルの部品を仔細に観察しても交通渋滞の予測ができないように、脳の構造を研究したからといって人間の精神の在り様はわからないと語ります。
「私たちは人間であって、脳ではない。」
ブックカバーに書かれたこの言葉がすべてなのだと感じました。
訳者あとがきもいかしてました。
わくわくして読める素敵な一冊です。