紙の本
排斥と包摂
2016/10/01 17:57
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投稿者:十楽水 - この投稿者のレビュー一覧を見る
総じてて男たちの影が薄い表題作は、母権的で「古い」世界から脱出した主人公が、カナダ人の夫と離婚して息子・希敏を連れ故郷・大分に帰ってくる。カナダ旅行の記憶と交錯しながら物語は展開していく。
近代と前近代、都市と土着、科学と迷信、開放と閉塞。主人公の生まれ育った土地が放つ後者の色合いに、違和感、馴染めなさを最初は感じた。喜怒哀楽を共にする、土着的な共通感覚は、デリカシーの無い視線で少数者を排斥する。無自覚であるため加害意識とは無縁、当然反省することなどなく、共通感覚は持続していく。だから異議を申し立てたい自分がいるのだが、読み進めるうちになぜか、命で笑い、泣くような女たちの姿に、排斥よりも包摂するような、包み込むような懐の深いものを感じ取ってしまった。
比喩が多彩。その一部に苦手さを感じたが、これほど海にまつわる表現が書けるのはすごいことのように思った。著者と海の関わりの深さが伝わってきた。
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芥川賞をもらったそうで。。。なるほどね。
2017/07/30 20:37
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投稿者:Masetto - この投稿者のレビュー一覧を見る
大分県佐伯市の海岸沿いの過疎の町が舞台。 そこに生きるまたはそこに縁ががある人間(お互いゆるーいつながりがある)の何かあまりついていない人生のお話。 いかにも純文学っている感じで しっとり、じっくり(?)感じるものがないわけではないんだけどこれからどうなる(?)という未来があるわけでもなくて 多くの日本田舎みたいに ゆっくり死に絶えて行くのかなあ?的が暗さがある。 結局人生ってハードだよね。。。ということか。
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この人の今後は?
2015/10/23 16:33
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投稿者:テラちゃん - この投稿者のレビュー一覧を見る
芥川賞受賞作で、新聞各紙では文芸評論家が絶賛、となれば読まぬわけにいかないが、現代と神話がリンクしたり、やたら比喩が多かったりで、やや凝り過ぎかなという感じ。異性からみたシングルマザー、それだけでも十分に成り立つ話と思ってしまうのは、凡人だからか。
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わたしは女の人がかいたお話じゃないと理解できないのか、と思うくらいさなえには共感しないけど、「手を放したらいけんかったのに!」はよかったな。
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常に思うのが芥川賞受賞作品の読解の難解さである。
四つの話は「祈り」というキーワードで九年という時を経て繋がっている。
多くの哀しみや苦しみの中で生命に対する祈りはその都度、輝きを放っているように思う。
優しさや愛情と同じくらい、心の痛みや苦しみもあって、その中で淡々と生きる大変さに息苦しささえ感じた。
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こういう田舎が舞台の小説読んでて思うのだけど、都会で生まれ育った人はどんな感想を抱くのだろう?
私は田舎生まれ田舎育ちなので、この干からびた空気感が非常になまなましく思い出せるのだけど。
悪の花が咲く話がよかったな。
咲きまくって集落を覆い尽くせばいいんだよ。
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★方言の強さ★精神面での障害がありそうな子供に対する母親のいらだちはどこにもぶつけようがない。振り返ってみればそれを抱えながら明るく振舞っていた近所のおばさんの思いに気づき、救いにつながっていく。(大分の)方言を生かしたからこそ、年配の女性のたくましさが引き立つ。田舎の女性の芯の強さというのは思い込みかもしれないが、独特の言葉はやはり強い。修飾表現がやや過多のように思え鼻についたが、徐々に慣れた。しかしなぜ「くねんまえ」ではなく「きゅうねんまえ」なのだろう。
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日本の田舎を舞台にしているが、自然に外国が出てくるのが国際化の時代を象徴している、そして土地の力(日本の田舎の)を感じる、という触れ込みに魅かれて読んでみた。確かにその通り。するするっと読めるが、けっこうあっさりで印象が薄かったかも。
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152回芥川賞受賞作。文章表現が綺麗だと思ったり分からなくてモヤモヤしたり。九年前の祈りより、他の短編の方が読みやすいかも。田舎の感じは分かる。あるある。
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海辺の小さな集落に住む人々をめぐるお話。
第152回芥川賞受賞作品。
実は、ちょっとだけ苦手な部類の作品。
風景とか心理とか、素晴らしい描写力で、引き込まれる。
・・・のだが。
底なし沼にハマったような気分になっちゃうんだよね。
その理由としては、田舎の持つ、あの独特の雰囲気を知ってるから、かも。
暖かさ、閉塞感、ねっとり感、息苦しいからこその安心感、そういうなんとも言えない感じを、自分は知っているから。
そこからの脱却を試みた過去があるからだと思う。
だからこそ、登場人物が身近に思えて、苦手なんだと思う。
そういうものを表現してる、という意味では素晴らしい作品なんだろう。
あとは好みの問題。
登場する人々、みんなちょっとづつ不幸せで、でも、その哀しみが人の人生なんじゃないかな。
表題作「九年前祈り」のさなえとみっちゃん姉、二人の母親の神聖な祈りが印象的。
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芥川賞受賞作品。病気のお兄さんに向けて書いた作品だそうだ。
大分県佐伯市が舞台で、「九年前の祈り」の他、「ウミガメの夜」「お見舞い」「悪の花」の三篇。少しわかりにくかったが、みっちゃん姉の祈りは心に残った。
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読みにくくはなったけれど、これで終わり?
解決されないままの病気やら母親との関係やら子どものことやら純文学だからこれでいいのか・・・
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小さな漁村の人々の悩みや想いについての作品。
独特の空気や色でおおわれた田舎ならではの人間関係を描く。
過去を思いだし、いつまでも同じ想いから抜け出せない人の常を時系列を行きつ戻りつ難しく書かれていた。
主題は見えにくい作品
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だいぶ前に朝日新聞の書評欄で出会って以来、小野先生のファンだ。
書評や、「私の三冊」などのフィーリングが、僕にピッタリだったから。
その後も、今も放送されている(ちょうど今夜からだ!)放送大学(BS231)の「世界文学への招待」でクレオール文学について紹介してもらったりと、先生にはなにかとお世話になってきた。
本書のページを開いたとき、真っ先に小野先生のサインが目に飛び込んできた。
以前、何かの講演会の時に、サインしてもらったのだった。
なぜもっと早く読まなかったのか、つくづく悔やまれる。/
表題作のほか、『ウミガメの夜』、『お見舞い』、『悪の花』の四作からなる、作者の故郷、大分県の田舎を舞台にした連作小説集。
『九年前の祈り』:
同棲していた外国人に去られ、意のままにならない幼な子を抱えたさなえは、故郷に帰る。
さなえは、ある日、九年前のカナダ旅行で知り合ったみっちゃん姉(ねえ)の子供の見舞いに行く途中で、厄除けの貝を拾いに文島に立ち寄るが、そこで白昼夢に囚われる。
外国人の同棲相手との間に生まれた自閉症(と思われる)子供を持つシングルマザー、さなえの生きることの苦しさが哀切なまでに描かれている。
それと同時に、険しい山路で、ふと出会う草花のようなちいさな救いも描かれており、まさに、芥川賞にふさわしい作品だ。
《しかしもう鬱陶しいだの面倒くさいだの言っていられない状況だった。経済的にも心理的にも母子二人だけで東京で暮らすという選択肢はなかった。故郷のこの町まで新幹線と在来線の特急を使ってもゆうに九時間はかかる。でも飛行機なら、羽田ー大分間はたった一時間四十分のフライトだ。
なのに、全然楽ではなかった。離陸は無事に乗り切った。すぐに希敏(引用者注:ケビン)はうとうとし出し、そのうちに寝息を立てて眠りに落ちた。しかし途中で目覚め、スイッチが入ってしまった。体を激しく痙攣させて大声で泣き叫んだ。まるで不当なひどい仕打ちを受けているかのように。そんなとき息子は引きちぎられてのたうち回るミミズのようになった。周囲から向けられる視線で肌が焼けるように痛かった。》(『九年前の祈り』)
《長い桟橋の側面に船は接岸した。船長は船から降りると、手際よく舫(もや)い綱をかけ、日だまりで煙草に火をつけた。さなえも外に出て一服したくなった。
窓の外に、港へと続く道を、ゆっくりと自転車を漕ぎながら通り過ぎて行く老いた漁師の姿が見えた。船長が手を上げて挨拶した。大きな陰のなかに深く沈み込んで眠りこける山の草木や家々が見る夢のなかを、それらの夢を縫い合わせる糸となって漁師が進んでいるように見えた。》(同上)/
あえて、無い物ねだりを言わせてもらうならば、さなえを追いつめた悪意があまり書きこまれていないのが、やや物足りないような気がした。
もちろん、世間が押しあててくるスティグマは、すでに彼女の脳裡に十分刷り込まれているはずだから、そうした描写が少ないからといって、彼女の苦しみが分からないという訳ではない。
だが、仏の姿は、地獄の底で出会って��そ、もっともまぶしく光り輝くのではないだろうか?
彼女を、禍々しい白昼夢を見ざるを得ないほどに追いこんだ何かが、もう少し書かれていたらと思った。/
『悪の花』:
離縁されて集落に戻っていた千代子は、十九のとき一回り以上歳上の男の後添えとなるが、子宝に恵まれず、離縁される。
《千代子は十九のときに祖父が見つけてきた相手と結婚した。となりの集落に暮らす一回り以上も歳上の男だった。
(略)結婚して一年が経ち三年が過ぎたが、子に恵まれなかった。夫は優しかったが、七年が過ぎたころに夫の老母からそれとなく離縁をほのめかされた。長男である夫の家族が必要としているのは跡取りになる子供だった。子供が産めない女など用がないのだ。そもそも千代子は夫にとって二度目の妻だった。最初の妻もまた子供ができないからといって千代子と同じように離縁されていた。》(『悪の花』)/
表題作では隠されていた悪の花は、やはりこの村にも咲いていた。
『九年前の祈り』単独ではなく連作として読むと、これらの作品が何ひとつ揺るがせにしない、目配りの行き届いた作品だということが分かる。
人々や村の貌が、シワの一本一本まで丹念に描かれている。
小野先生の小説は、今まで、毎日新聞・大分版に連載中の『踏み跡にたたずんで』しか読んでいなかったが、今回ようやく、芥川賞受賞作である本書が読めた。
小野先生は、まるでサーガのように、生まれ故郷、大分の片田舎を舞台にした小説をたくさん書いている。
誰が見ても、地味過ぎる作品群だ。
だが、いつか僕は、それらすべてを読んでみたい。/
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本書は、表題の「九年前の祈り」から始まり、「ウミガメの夜」「お見舞い」「悪の花」という構成で、独立した物語のように思えるが、それぞれの物語が交錯している。
しかし、書下ろしではないので、短編として読むことも可能と言いうことだろうか。
淡水の中をたゆたっているような、朧げなそして頼りなさげな印象で、私の好みではなかった。
文章も少し説明し過ぎな感じがして、神経質な印象を受けた。
ただ、舞台となっている大分県佐伯市は素敵なところなんだろうなと思った。
今の私にはしっくりこなかった。