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羊の歌 わが回想 改版 正 (岩波新書 青版F)
著者 加藤 周一 (著)
羊の年に生まれ、戦争とファシズムの荒れ狂う風土の中で、自立した精神を持ち、時世に埋没することなく生き続けてきた著者が、子ども時代から終戦までを回想する。【「TRC MAR...
羊の歌 わが回想 改版 正 (岩波新書 青版F)
羊の歌-わが回想
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商品説明
羊の年に生まれ、戦争とファシズムの荒れ狂う風土の中で、自立した精神を持ち、時世に埋没することなく生き続けてきた著者が、子ども時代から終戦までを回想する。【「TRC MARC」の商品解説】
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旅行者としての視線
2009/06/02 20:09
3人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:くにたち蟄居日記 - この投稿者のレビュー一覧を見る
加藤周一の本を読むのは本作が初めてである。
本書の176頁で著者は以下のように言っている。それが 本作のエッセンスだと思った。
「旅行者は土地の人々と別の風景を見るのではなく 同じ風景に別の意味を見出すのであり またその故に しばしば土地の人々を苛立たせるのである」
本書で 著者は その見事な「旅行者」振りを見せていると思う。幼年時代から大学病院に至るまでの 著者の人生は「旅行者」である点において 徹底している。「旅行者」であるからゆえ 著者は 時代の中に 常に「別の意味」を見出していることが良く分かる。また時折紹介する 他者との摩擦も 上記の「土地の人々を苛立たせる」という言葉の通りだ。
旅行者であるから獲得出来うる視点だけでなく 旅人であることの寂しさも 本書の底辺を流れるひとつの「詩」である。
繰り返すが 加藤という方の著作を初めて読んだところだ。これからいくつか読もうと思っている。僕の予感が正しければ 彼の「大旅行者」振りを堪能できるはずだ。それは一種の興奮を僕に齎しているところでもある。
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羊の群れとしての日本人
2016/10/29 16:18
1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:親譲りの無鉄砲 - この投稿者のレビュー一覧を見る
戦後日本の代表的知識人の一人である加藤周一氏による、自己の思索を辿る回想の旅。読者は、一般人より優れた知性の持ち主(或いはトレーニングを経た知的エリート)と目される、青少年期の著者が、如何に激動の戦前の日本に対峙したか、興味を持つであろう。そして本書は、その期待にたがわぬ多くの示唆に満ちている。蓮っ葉な若者の思索の跡がどれほどの意味があろうか、と思う向きもあるかもしれない。しかし、ここまで客観的に自己を見つめ、社会を観察した若者が世にいかほどいたであろうか。さらに、若さゆえに、社会或いは時代の束縛にがんじがらめになるほどには条件付けされていなかったであろう、というその一点において、彼の時代証言に十分な価値を置くことができるのではないかと、私は感じるのである。知性が高い、というのは、単に受験エリートだったことを意味しない。それは、芥川の「侏儒の言葉」の「軍人は小児に似ている・・・」の引用からも推し量れる。この軍人とは、陸軍士官学校や海軍兵学校の狭き門を通ったエリート軍人のことである。同レベルの受験競争をくぐっていた加藤にとって、この言葉はそれまで築いた価値観を一気に崩れおとした一撃となった。こういう経験を得たのは、ごく一握りの知的エリートしかいなかったはずである。一般人と彼らの違いは何なのか、読者は多くを学ぶことができる。
また、二・二六事件後、軍部大臣の現役武官制が議会制民主主義にとって決定的禍根を残すことになるとし、軍部独裁への道を予言した矢内原忠雄に、多くの学生の蒙が啓かれる。一方、西洋の科学主義に対して日本の歴史ある精神主義を対立させた小説の神様・横光利一を、招待講演の後の座談会で、加藤らが吊し上げる。このシーンは本書のクライマックスの一つである。彼らにそれだけの弁舌の能力はあった。しかし、本当に吊し上げるべきは、横光ではなかった。その本丸に闘いを挑むことは出来なかったのだ。この正直な告白もすがすがしい。なお、蛇足だが、物質至上主義が行き過ぎた今の世なれば、横光の提唱する精神主義への回帰も一定の説得力を持つようにも、個人的には感じる。しかし、その精神主義は当時の物質の欠乏した軍部の言い訳に利用された事実も押さえておきたい。
日米開戦の日、加藤は、この「いくさ」に勝ち目がないことをみてとる。そこで、客のいない新橋演舞場で古靭大夫の義太夫を聴いた。浮かれた世の中の反応とは正反対である。東大の仏文の俊英たちも、言葉にはあまり出さずとも、同様の共通認識を持っていた。そのうちに、一人二人と、友人たちがいくさにかり出され、帰ってこなかった。法学部の学生だった中西哲良氏もその一人であった。余人に代えがたい友の死に向き合い、「私が生きのこり、中西が死んだということに、何らの正当な理由もありえない」という考えがつきまとうようになる。八月十五日は、疎開先上田の結核診療所で迎えた。そして日米開戦時の自分の予想が当たってしまったことに驚く。同時に、軍国日本のお先棒を担いだ御用学者・文士・詩人たちが跡形もなく消えていたところで、本書は終わる。
なお、本書の執筆動機が、自分が現代日本人の平均に近いことに思い至ったことにあるという。著者にエリート意識の自覚はあまり無いようだ。ただ、著者の冷徹なまなざしは、もし戦前の軍部の台頭のような事態が再びおきたら、多くの日本国民は、ひつじ年生まれの著者自身に引き寄せた羊の群れに似て、きっと唯々諾々と羊飼い(軍事国家指導層)の笛に従順に従ってしまう習性を相変わらずもっていることを見抜いている。声高ではない警鐘として心に刻みたい。
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続篇よりも、本作の方が、著者が往訪している感じがにじみ出ていて好きです。
2020/10/31 23:32
1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:719h - この投稿者のレビュー一覧を見る
著者の幼少期から青年期までの思い出を綴った、
長いこと読みつがれている岩波新書の一冊。
米軍の空襲にさらされる東京で、
古靭大夫の浄瑠璃を聞いた、
というくだりに問題があるらしいことを、
最近出版された著者に関する評伝で知りました。
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騙されました
2006/10/16 10:51
25人中、10人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:塩津計 - この投稿者のレビュー一覧を見る
「羊の歌」とは著者の加藤周一が未年に生まれたことからつけたもの。本書を読んだのは中学3年生で、当時通っていた駿台被害氏小金井校で、国語を担当していた故原先生から「面白いから読んで見なさい」と薦められたから。読んでみて確かに面白い部分はあった。著者の加藤周一は旧制府立一中(日比谷高校)から旧制一高、東京大医学部と進む大秀才で、その一中受験の情景描写がその当時の私の姿に重なって、そこだけは面白かったのだ。しかし、まさか、この加藤周一がいわゆる朝日新聞が大好きなゴリゴリの左翼で反米の進歩は知識人だったとは気がつかなかった。その後、加藤周一が吐き出す反吐のような反政府反米反安保の言動を知るに付け、なんで加藤の文章なんか読んだんだろうと後悔することしきりだった。子供に本を薦めるときは、よくよく考えねばならないと、そのとき思った次第である。