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紙の本
不健康は悪なのか 健康をモラル化する世界
著者 ジョナサン・M.メツル (編),アンナ・カークランド (編),細澤 仁 (共訳),大塚 紳一郎 (共訳),増尾 徳行 (共訳),宮畑 麻衣 (共訳)
今日、新たな規範やイデオロギーによって「健康」という言葉が示すものは変容しつつある。「健康」という概念に含まれるさまざまな想定を批判的に検討し、「健康」のあるべき姿を思索...
不健康は悪なのか 健康をモラル化する世界
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商品説明
今日、新たな規範やイデオロギーによって「健康」という言葉が示すものは変容しつつある。「健康」という概念に含まれるさまざまな想定を批判的に検討し、「健康」のあるべき姿を思索する。【「TRC MARC」の商品解説】
なぜ私たちは、健康でなくてはいけないのだろうか? メディアによって作られる美意識、公共広告によって喧伝される道徳――今日の「健康」という概念には、医学的問題を超えたイデオロギーが含まれている。本書は医療人類学、生命倫理学、文化人類学、フェミニズム研究、文献学、障害学、法学など、多様な立場の著者たちが多面的な切り口で「健康とは何か」を解き明かす挑戦的な一書である。【商品解説】
目次
- 第1章 イントロダクション――なぜ健康に異議を唱えるのか?(ジョナサン・M・メッツル)
- 第Ⅰ部 ところで、健康とは何なのだろう? 第2章 健康とは何なのだろう? そして、どうしたら健康になれるのだろう?(リチャード・クライン)第3章 肉体の肥大に伴う危険性――肥満、摂食、そして、「健康」の曖昧さをめぐって(ローレン・バーラント)/第4章 グローバル・ヘルスへの異議?――健康を通して、科学、非科学、そしてナンセンスを調停すること(ヴィンカンヌ・アダムス)
- 第Ⅱ部 道徳から見た健康 第5章 遺伝子時代、健康をめぐっての社会的不道徳――人種、障害、不平等(ドロシー・ロバーツ)/第6章 肥満パニック、そして新しき道徳(キャスリーン・ルベスコ)/第7章 (ときには)おっぱいに育児に異議を唱える(ジョアン・B・ウルフ)
- 第Ⅲ部 健康と疾患を造り出すこと 第8章 製薬業界のプロパガンダ(カール・エリオット)/第9章 受動‐攻撃性パーソナリテイ障害の奇妙にも受動‐攻撃的な歴史(クリストファー・レーン)/第10章 強迫性障害の氾濫――精神医療への異議(レナード・J・ディビス)/第11章 原子力への異常な愛情――あるいはいかにして原子力爆弾は死に関するアメリカ人の考え方を変えたのか(ジョセフ・マスコ)
- 第Ⅳ部 健康になった後の快楽と苦痛 第12章 健康のためにはどれくらいセックスしなければならないのか?――無性愛という悦び(ユンジュン・キム)/第13章 備えよ――サバイバーシップは癌患者の義務なのか?(S・ロッホラン・ジェイン)/第14章 苦痛の名のもとに(トビン・シーバース)/第15章 結語――来たるべき健康とは?(アンナ・カークランド)
収録作品一覧
イントロダクション | ジョナサン・M.メツル 著 | 3−15 |
---|---|---|
健康とは何なのだろう?そして、どうしたら健康になれるのだろう? | リチャード・クライン 著 | 18−30 |
肉体の肥大に伴う危険性 | ローレン・バーラント 著 | 31−45 |
著者紹介
ジョナサン・M.メツル
- 略歴
- 〈ジョナサン・M.メツル〉ミシガン大学女性研究学科および精神医学科准教授。同大学で文化・健康・医学のプログラムを指揮している。
〈アンナ・カークランド〉ミシガン大学女性研究・政治科学准教授。
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当たり前になる前に
2019/07/24 08:27
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投稿者:Yo - この投稿者のレビュー一覧を見る
それはそうでしょうと言い切ってしまうと、実は排除や差別につながりかねません、という話です。また、医薬品やサプリメント、ダイエットなどにも利権がからんでいるという話もあります。論文集なので気安くは読めませんが、主張はわかりやすいです。
たとえば、日本にも過度な母乳信仰はありますが、こういうイデオロギーが、遺伝子診断や出生前診断の普及とともに、社会保障費とからむと、よくない予感はします。
何かが当たり前になってしまうと、そうでない人たちは苦しい思いをしますし、状況が進んで次に苦しくなるのは自分かもしれません。
だから、当たり前になる前に、本当にそれでよいのかをよく考えたほうがよいのではないかと思います。