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途中まで読んで中断。というのも暴力は悪である、暴力は現代に近づくに従って減少しているという強固な前提を崩さずそれを立証するためにデータを集めて論証していく実証主義っぽさがあまりに強いからだ。読み物としては面白いがレッテル的な荒い考察が目立つ。
データや数字が示すことを丁寧に追っていくのは大事だけれど同じぐらい直観的な包括的な論理性も大事だと感じた。というのも暴力が減少することによって別の部分で表出しうる問題に関する考察が少々欠けている。これは進化論や自由主義を肯定的に見る論者の前提となっているように感じられるが少々意見の偏り、安易な言い切り表現が目立つ。
ただしテーマとしては非常に興味深く、出てくる課題も時々面白い。もう少し切り口を変えてより解釈主義的な暴力論を読んでみたいと思った。
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レビューはブログにて
http://ameblo.jp/w92-3/entry-12057417636.html
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スティーブン・ピンカー氏の前著を読んでいると大いに楽しめる本。少なくとも、この本の前に、心は空白の石板か?は読んでおいたほうがいい。
ラスト付近、執筆段階(あるいは出版段階)では想定できない未来のこととして、イランが核兵器を、ロシアが旧支配地に侵攻うんぬんが全く可能性ゼロとは言い切れない、などとある。そこにアメリカがキナ臭い方向へ行くという可能性は一つも提示されていない。が、現実はそのアメリカがトランプ氏の自国第一主義に転んで行った現実が2017年の私には分かっている。アメリカ自身の変質というところを仮定の仮定としても想定していないあたりが、アメリカ発の著作の最たる証拠か、という感じが大変興味深い。
それでも、ピンカー氏が導いてくれる知的冒険の価値に変わりはないが。
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戦争・暴力を統計として見ていけば、時代とともに確実に減少しているという。我々が今生きている現代が最も暴力的である、と思いがちな、感覚的には受け入れにくい主張だが、出てくる数値・グラフには説得力がある。膨大な考察の中には感情的にすぐには首肯しづらいものもあるが(死んでるが量が減ってるからいいだろ、という見方。第二次大戦における日本の捉え方など)、俯瞰の高度が高ければ細部は見えにくくなるのは致し方ない。内容、物理的に実に重厚だが下巻も読む。
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21世紀が如何に平和且つ人類の理性が最高峰に達した時代かをデータと事実に基づき論証。
20世紀はろくでもない時代だった。19世紀はもっとろくでもない時代だった。中世はキチガイ、それ以前は何ともはや。
昔は良かったの懐古趣味は教養の欠如以外のなにものでもないと。
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最初の方で戦争が減少しているようなことを書いている。その前提で論をすすめているらしい。
当時はアメリカが世界の警察をしていたけど、その後大統領による方針が変わり世界的に紛争が増え、ついにロシアのウクライナ侵攻が起きた。
前提はまだ成り立っているのだろうか。
それ以上読むのはやめた。
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戦争、ジェノサイド、テロ、魔女狩り、子殺し、殺人、こうした様々な暴力は実は驚くべき程減少してきているー人間は新聞やテレビなどで目にする事象を頻度が多く発生しているものと捉えがちな「近視眼的バイアス」に陥ることが多いが、人類史を膨大なデータから紐解いたときに見いだされるのは冒頭の結論である。
上巻では主に戦争、ジェノサイド、テロなどの暴力に的を絞り、それぞれの暴力が過去どの程度悲惨なものであり、現在ではどの程度減少してきているかが定量的に示される。また、数多の暴力の中でも最も死者数が多い戦争・ジェノサイドの減少をもたらす要素としては、民主主義社会、近隣国との貿易の有無などを明らかにする。
続く下巻では、なぜ暴力が減少したのかという点に対する分析が描かれていく様子。
21世紀に入ってもなお相次ぐ紛争やテロのニュースを見れば、暴力が依然として止まないように見える現代に対して悲観的な見方になってしまうが、正しく事実を見れば、決して悲観的になる必要はないことがわかる。そして、重要なのは悲観的になる必要はないということが、こうした暴力に対して楽観的になっても良いということを意味するわけではなく、正しい事実認識からこそ、更に暴力を根絶させることが可能になるのではないか、という発想である。
副次的には、悲劇をことさらに煽るマスメディアや人間特有の認知バイアスに惑わされず思考することの重要性を気づかせてくれる点も意義深い。
さて、続いて下巻へ。
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世界に対して悲観的、破滅的な報道が多い中、人類史上一環として殺人・暴力が減少していることをデータとして示して、データのみでなく、著者の考える要因を膨大な知識で説明しようとしている。とにかく分量が多く、途中冗長ではないかと思わないでもなかったが、世界史の勉強と思い、興味深く読んでいる。著者は認知科学者、進化心理学者ということであるが、上巻を読む限り、歴史的事実に関する記述が多く、下巻で著者の心理学を踏まえたどのような論を展開するか楽しみである。
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「はじめに」を読んで著者の言うように「信じられないような話」と私も思った。とてもとても驚いた。なんと、「長い歳月のあいだに人間の暴力は減少し、今日、私たちは人類が地上に出現して以来、最も平和な時代に暮しているかもしれないのだ」というのである。
確かに北側諸国の飢餓や差別、戦死は少なくなったかもしれない。しかし、数千年単位では戦死者は多くなり、南北格差が言われ貧困による暴力による死者は増えているのでは無いか?単なる数字の操作なのでは無いか?しかし著者はこの文章のすぐあとにそれを否定する。
「もっともその減少はなだらかに起きたわけではなく、もちろん暴力が完全にゼロになったわけでもない。また今後も減少しつづけるという保証もない。だが暴力が減少傾向にあること自体は間違いなく、これは数千年単位でも数十年単位でも、また戦争から子どもの体罰にいたるさまざまな種類の暴力についても見て取れる傾向である。」(11p)
著者はそれをきちんと証明するために、この本はここまで分厚くなったという。この最初の衝撃に引っ張られて、私も図書館の借り出し期間が終わる前までに急いで読まざるを得なかった(一冊4200円もするので買えない)。
私の関心は、言うまでもなく古代である。私は佐原真氏の云う「人類史の中で、戦争を始めたのはつい最近である。人間が始めた戦争は、人間がやめさせなくてはならない」という指摘に目覚めさせられて、考古学を学び始めた者である。佐原真氏は、イデオロギーで言ったわけではない。根拠はあった。ではこの著者の根拠は何か。きちんと数量化して、根拠を出しているのか?
1番大きな根拠は111pの表「非国家社会と国家社会の戦争により死亡する人の割合」である。死亡の絶対数ではなく、割合を出したのは当然である。「遺跡から発掘された骨に占める暴力死の割合」は「平均15%」と導き出す。その他「現代」の「狩猟採集民」や「狩猟採集農耕民その他」の割合も14%、24.5%も出していて、一方16世紀から現代に至る「一部」の「国家社会」の割合は1%未満になると言う。
明らかに恣意的なサンプル抽出である。ここには、それぞれの遺跡の考古学的な資料批判もなければ、その他の遺跡の比較検討もない。確かに、遺跡の骨からすべての暴力死の痕跡を類推することは不可能である。だから、比較的資料が多い現代の非国家社会の資料も出してきたのだろうが、ともかくここだけを見ても考古学的な学問的厳密さからかけ離れている。
因みに、佐原真氏の主張のきっかけは、縄文時代よりも弥生時代の方が石鏃の大きさが動物殺傷目的から人殺傷目的に変わったことに注目したのだが、当然人物の骨も後年検討し、質も量も(酸性土の日本ではサンプル数が少ないとは言え)、縄文時代に戦争があった証拠は見つけられなかったという。
この著者のサンプル抽出は、先史の抽出は、最近では西暦1770年の遺跡も含み、注目すべきは1300年代の遺跡の割合がかなり突出しており、平均を大きく押し上げているのである。
非国家社会と言いながら、間接的に国家社会の影響を持ったサンプルではないかと言う疑問は拭えない。
ここで、つま��いたので、もう私はこの著者の主張を全面的には信用できなくなった。確かにこの数世紀は、暴力死の「割合」は減ってきているのは、説得力があるのかもしれないとは思う。
2014年9月12日読了
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ビル・ゲイツ氏の推奨図書。上下巻合わせて1,300ページを超える超大作だが読み応えも示唆も多分にあった。
昨今、映画やゲームの暴力描写が人格に及ぼす影響に警告が発せられているが、人類史上最大のベストセラーである聖書には眼を背けたくなるような悍ましい暴力と数々の理不尽が描かれている。
日本人からすると中世から近代にかけてのヨーロッパは傍若無人で野蛮の極みだが、「第4章 人道主義革命」で考察されている恋愛小説の影響で他者理解の精神が促進され逆方向へ極端に転換されていったのは西洋的で面白い。特に驚いた内容は「第5章 長い平和」だ。集団的暴力がここまで科学的に分析されているのは素晴らしい。戦争の発生回数と死者数の相関がべき乗であるのは何か法則性を感じさせる凄い発見に思える。
カントの思想を拝借し民主主義、貿易、国際機関による平和の段階的獲得かつ構成要素が述べられているが、暴力史と平和化のプロセスについて人間が過大評価しがちな「印象的な出来事」「時間的に近い出来事」を膨大なデータと分析から検証し反証しており圧巻の内容である。
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人類の誕生から現在まで順を追って説明しているが、中世までのところは皆が知らないので、そこを中心にして興味が沸くであろう。20世紀が殺人の世紀というキャッチフレーズは言えないということである。
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読み終えるのに一カ月かかってしまった。膨大なデータと各専門家の知見を凝縮させ、各テーマに沿ってなぜ現代が暴力が減っている言えるのか、つぶさに論じてっております。歴史、心理、宗教、人文、科学とあらゆる分野を包括的に捉えているので、もう大満足の読後感です。まだ、下巻があるとは。。。。
キーワードとしては「民主化」、「文明化」、「啓蒙主義」、「人道主義」。概して、数字や統計に裏付けられた検証は、個人的な感覚としての印象とズレが生じている。まさに、ファクトフルネスの大切さを、暴力(戦争、ジェノサイト、テロなどに細分化されながら)を題材として訴えているようにも感じた。
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上巻は主に西洋史における暴力の話。この本の原題はThe other side of our angelなので歴史の話に限定するものではない。
過去がいかに暴力にまみれていたかというのを例証する。戦争の話だけではなく、拷問、処刑、日常生活における虐待など。むごたらしいが興味を引く内容。昔が良かったとは言わせない話。
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ピンカー氏の大文明論と言っても良い大作の上巻。上巻だけで完結する内容になっており、下巻はまた違った論が展開されるようだ。上巻は、いかに現代が平和な時代か?多面的に分析した著作。そしてピンカー言う所の、現代は「長い平和」の時代だが、なぜそれが現代人に実感できていないのか?という問いに対しても、律儀に分析している所が、並の人ではない証拠。彼はユダヤ系無神論者だと自称しているが、本当にユダヤ人は、賢い人が多い。歴史に名を残すような「古典」を世に生み出したと言っても過言ではない。
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世界は数千年の歴史の中で最も安全な時代になっているという。日常の感覚としては、テロや内戦など、とても安全とは言えないニュースが多いが、本書にあるように、暴君が気まぐれで村の住民を皆殺しにしたり、秘密警察に連れて行かれたり、特定の民族を大量虐殺したり、宗教戦争が何十年も続いたり、武士に問答無用で斬り殺されたりはしない。戦争はあっても期間が短くなったことで、民間を含む死者は激減しているという。9.11のようなテロは数十年に一度の発生確率。これは、民主主義と国際貿易が浸透し、戦争などを行うコストが得られるメリットと見合わないことを指導者も国民も理解したこと、文明文化の発達により私刑や虐殺などが容認されなくなったこと、平和推進活動が世界的な潮流となることができたことなどが理由とされている。ただし、このような「長い平和の時代」が「永遠の平和の時代」にはならないだろうとも警告している。イスラム過激派の活動がどうなるか、中国・ロシアをはじめとする民主的でない国がいつ暴発するのか、大量破壊兵器がテロリストに渡る確率は低いがゼロではない、天変地異が大量の難民や暴動を引き起こす可能性、などなど。わずかな変化も見逃してはならないという主張に賛同。