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■ 紹介
https://note.mu/matchyy/n/ne727e1765481
■ 考察
https://note.mu/matchyy/n/naf12e55335a1
(以下抜粋)
○メタファとは、比喩、あるいは見立てることであり、今日のパソコンで言えば、起動して表示される画面を「デスクトップ」と呼び、データを「ファイル」という単位で表現し、「フォルダ」でそれぞれを管理し、不要になったら「ゴミ箱」に入れるというようなことだ。(P.20)
○重要なことは、この万能性を一般の人々にそのまま提供しても、「何でもできます」では何も提供していないこととおなじであるということだ。したがって、この万能性を適切に見立てて定義したり、適切な体験を与えられるようにし、その役割を設計(デザイン)する人が、コンピュータの普及とともに必要になったわけである。(P.23)
○メタファが、メタメディアの拡大に伴い、メタメディアの性質を活かすうえで制約となりかねないのだ。(P.31)
○原因と結果が直接的な関係になることをひとつの目標とすることになった。たとえばハンマーのように、手に持つとそれ自体を意識せずに、釘を打つこと(対象)に集中できるようになるようなあり方を理想であると考えるようになった。これを「道具の透明性」という。(P.44)
○ハンマーであれば釘を打つことができ、それは手では到底できない。このように、人の力を拡張する、にもかかわらず実際に利用し始めるとそれ自体を意識しなくなるのだから、いわば何も持ってないのと同じ、つまり自分の身体と同じような感覚でその力を利用できるのである。したがって、道具の「利用」においては、極端に言えば道具は物質でなくなる。質量がゼロになるとも言える。不思議な言い方かもしれない。しかし、自分の手は質量があるかもしれないが、自分の手の重さを自分では知覚できないだろう。これと同じように、道具が透明化するということは「自分の身体と同じような状態」になるのである。そしてこの意味において、道具は「身体の拡張」と呼ばれる。(P.48)
○深澤氏のデザインの特徴をシンプルに言い表すと、「人の無意識に注目したデザイン」である。人がモノや環境と接するときに「無意識に接している行為がある」ことに着目し、そこからデザインを起こすのだ。(P.54)
○経験価値とはデザインによって人間が知らなかったことを体験させるのではなく、知っていたことを気付かせることである。(P.56)※引用の引用
○アフォーダンスは人間が知っているのに気づいていない、あるいは知っていたはずのことを知らなかったという事実を暴露したのだ。(P.59)※引用の引用
○アフォーダンスの研究、いやギブソンの興味はその既知をアートとして表現するのではなく人間と環境の関係性を機能として解明し、実証する方向に向いたのではないかと思えてならない。(P.59)※引用の引用
○人や動物が「可能」を知覚し、また行為へつながる。良い道具は、特にこの可能の知覚が優れいている。そして、環境と接続する知覚と行為は途切れることなく循環している。それが、「体験」の正体であると思う。この一連のプロセスの理解が、「インタラクション設計」の本質的な部分だ。(P.63���
○「知覚と行為のズレがこういった感触をもたらすのである」という言い方だた。(P.84)
○この「狙った通り」というのは、言い換えれば「制御できている」ということだ。自分の手足はいつもどうだろうか。制御できていると思っているのではないだろうか。しかし逆ではないだろうか。つまり制御できているからこそ、「自分の」手足ではないか、ということだ。(P.91)
○しかし、わかるのである。30個ものダミーカーソルがあるにもかかわらず、どういうわけか、ほぼすぐにと言っていいほど自分のカーソルが特定できるのだ。(P.96)
○「体験の設計」という、体験というマクロで曖昧な表現を「自己感」というキーワードと結び付けて考えることができるようになる。さらに、その自己感の発生には境界条件があり、そこが設計のポイントとなってくることがわかる。つまり、極端に言えば、自己感があれば良いユーザインターフェイスなり、インタラクションで、自己感がなければ悪いユーザインターフェイス、インタラクションである。(P.104-105)
○しかし自己帰属感は、拡張しながらも常に「自己」の方向を向きながら設計を考える。人間(私/あなた)が主役であることを前提にするならば、自己帰属感は感覚の設計論でもあるし、体験の設計論でもあし、ヒューマンインターフェイスの本質を突いた設計のポイントにもなる。しかも、マルチダミーカーソル実験からも、帰属する/しないの境界条件も見えつつある。そのうえ、自己帰属は気持ち良いのである。ヒューマンインターフェイスは基本的に問題解決の効率の良さを中心に評価されてきたが、これからはその一体感、一体性についても、設計の評価ポイントになるのだ。(P.110)
○iPhoneでパソコンのカーソル並に身体の動きに連動している部分は何かということだ。それは「画面全体」である。(P.113)
○iPhoneのジェスチャは、その多くがオペレーションジェスチャを採用している。かつ、グラフィックと指の動きが連動するようにされている。だから、ひとつひとつの操作でも自己帰属感が生まれる。(P.117)
○「動き」というものは、自己帰属する動き、他者を感じる動き、物理現象の動きの3つとして分類できるかもしれない。この3つの中で体験に直接的なのが自己に帰属した動きなのであるが、この動きは物理現象の動きともインタラクトするし、他社の動きともインタラクトする。(P.120)
○自己帰属感の上の表現を「自己帰属感の余韻表現」と呼んでいる。先ほど3つの動きの種類を紹介したが、これらをうまく組み合わせることで、気持ちよさの新しいレベルを設計できるのではないかと期待している。たとえば、自己帰属感+慣性表現のような物理現象に基づく動きという組み合わせで、うまくボールを投げるかのような体験を可能にするのではないかと考えている。(P.122)
○知覚と行為が循環していることを「知覚行為循環」と呼んでいる。知覚行為循環とは「私たちは動くために知覚するが、知覚するためにはまた、動かなければならない」ということだ。知覚と行為は分けられず循環しているということだ。私たちは、知覚を「入力」、行為を「出力」のように分けて考えてしまいがちだが、これは認知心理学採用した、人間をコンピュータのように情報を処理す��ような「情報処理モデル」に例えたことに由来している。わかりやすいモデルではあるが、実際は入力/出力という向きがあるというよりは「同時に発生している
という理解が重要だ。(P.125)
○インターフェースは「人間の暗黙知を形式知に変換する」役割を持っている。(P.157)
○自分が設計したり開発したものを利用している最中以外、プレユーザーである状態に何かできることや意義がないかを探ることは、製品やサービスの価値を最大化をするうえでも大切だ。(P.179)
○乱暴な言い方をすれば何をやっても新しいし、何でもやらなければならない。やらなければその可能性すらわからないのだ。(P.232)
○プログラミングを通じて、アイデアは「話す」のでもなく「見せる」のでもなく、「動かして体験として共有する」ことができるようになる。体験という連続的で身体的な現象を伝えるには、プログラミングによる表現は非常に強力なのだ。(P.232)
○デザイン思考の考案者でもあるティム・ブラウンは、「デザインをデザイナーに任せておくには重要すぎる」と言ったそうだが、同様にプログラミングをプログラマーに任せておくには重要すぎるとも思うのだ。プログラミングほど高い表現力を持つ手段を一部の人だけのものにしておくのはもったいない。理系や文系の枠を超えて、プログラミングによって日常的にメタメディアの可能性を検証し、実際に利用してく時期に入っているのだ。(P.233)
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明治大学の渡邊恵太( @100kw )さんの本。
「デザイン」といえば、ちょっと前であればDTPやwebデザインがメインだったけれど、いまはちょうどパソコン以外のものがインターネットにつながり始めた過渡期で、新しいデザインが議論され始めている。本書は、サブタイトルに「ハード×ソフト×ネット時代の新たな設計論」と書かれている様に、そんないまの時代の議論を象徴するような本。
VisualHaptics、CursorCamouflage、smoon、Integlass、LengthPrinte、CastOvenといった自身の研究成果を交えながら、考えをまとめている。研究概要を知るには各研究の動画をYouTubeで見るのが早いのだけど、何を思って取り組んだ研究なのか、研究した結果得られた知見は何なのか、ということは動画を見るだけではわからないので、こういう文章の形で示されるのは面白いしありがたい。
Keita Watanabe | Interaction and Application Design Research
自己帰属感による道具と身体の境界など、認知心理学的視点からヒューマンインタフェースが解説されているのがとても面白い。この手の話で必ず出てくる書籍がドナルド・A・ノーマンの「誰のためのデザイン?―認知科学者のデザイン原論 (新曜社認知科学選書)」なのだが、25年前の本で、正直あまり読みやすい本だとは思わない*1ので、まずは融けるデザインから読むのをオススメしたい。
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デザインについての認知心理学の本として、新たな定番本となると思われる極めて重要な本です。
キーワードの「自己帰属感」は、ある手段が身体の延長線上に思えることで、この本の趣旨は、インターフェイスの設計は自己帰属感を感じさせるようにすべきであるということです。
元来のコンピュータ上にある情報は現実世界の物質の見立てであったが、コンピュータのメタメディア性により、今や見立てのない情報が出てきている(これはスキュアモーフィズムからフラットデザインへの移行の簡潔な説明になっている)。そうなると、インターフェイスの設計において物質であるか情報であるかは特徴の一つでしかなくなり、どちらか一方がありきで考えるのではなく、目的に応じて選択するものになってきている。
そして、「コンピュータがある一定の性能を担保したことで、インタラクションの設計自由度は高くなっている」現在、カンブリア爆発的に多様なデザインが許容される=とにかく多様なデザインをやってみることが重要であるフェイズにあると筆者は考えています。
個別論については是非直接本を読んでください。デザインの地平を正しく切り取り、幾つものかなり重要なテーマを扱っている良い本です。
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自分の中で「デザイン」の定義が変わった一冊。ヴァネバー・ブッシュ、ギブソン、深澤直人まで、古今の様々な人物たちからの引用を交えながら、議論が展開される。モノ対情報という二項対立はもう古い…プログラミングは一部の人のものにするのは勿体無いほど高い表現力を持つもの…などなど。まだまだ整理ができてないけど、ハードとソフトとネット、文系と理系、デザインとエンジニアリングなど色々なものがまさに「融け」合っていく時代に、何に注目していくべきなのか?がよく分かりました。じっくり再読したい!
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ギブソンの生態心理学を基にした、今という時代が必要とするデザイン論。分かりやすく、刺激的。
3章・情報の身体化がクライマックス。カーソルの自己帰属感の議論は目から鱗だった。
・体験することは「私」の存在を発生させる。
・映像を何本も持ち歩くことが可能となったが、2時間の映画を東京のような交通網で観るチャンスはなかなかない。
・パラレルインタラクションの世界では、文脈はデバイスから生活へ、拘束性は配慮へ、利用タイミングは集中から分散へとなる。
・深澤氏は「プロダクトデザイン」と言うと物質としての人が扱う「対象」の方へ注意が行ってしまって物の設計論になってしまうところを、「インターフェイス」と言うことで関係の設計論に置き換えようとしているのだ。
・リアリティの非情に重要な要素に「持続性」がある。
・情報や物質、メディア、職業の枠を超えて、人々の体験にフォーカスする新たな方法論が「デザイン思考」なのだ。
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http://izmiz.hateblo.jp/entry/2015/02/02/224109 に書きました
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デザイナーとエンジニア向けとありますが、多くの人に読んでほしい名著。
インターネットを理解するために物理世界のメタファーを必要としていた時代から、今はインターネットを前提とした新たな認知の時代に入ってきている。
スキューモーフィズム→フラットデザイン→マテリアルデザインの流れが何故起きたか?は本著を読むと理解が深まると思う。
デザインというのは単にアートやカラーリングやレイアウトの話ではなくて、いうなれば人間の手や草花、自然そのものもデザインだし、認知を定義するものそのものと言い換えても良くて、そうするとこの先生まれてくるであろう新しい概念やサービスが人に受け入れられるかどうかはほぼデザインに掛かっていると言っていいくらい重要。
そう考えるとこの先デジタルネイティブが当たり前になる世界のあり方とか、3次元以上の次元の理解、宇宙の理解・認知に対してデザインがどう関わって進化していくのかはめちゃくちゃ楽しみだなと思う。
■メモ
・コンピューターが圧倒的な自由度を持っているからこそ、デザインしなければ使えない
・フラットデザインはメタメディアであるコンピュータにメタファ抜きで新しい価値を見出す試み
・文化レイヤ→社会レイヤ→現象レイヤのデザイン
・メタメディア、物理的な形を持たないものを形あるように、存在するように、体験できるようにしなければならない。故に言語化が必須
・どんなに便利で新しい機能も、やれそう感が無いと使われずに終わる
・ボールを掴む時、私の手は消えている。融けている。
・ブラウザは画面上の情報でとどまっている。全ての情報はアプリケーションとして物理世界に働きかけなければ価値にならない
・ウェアラブルでデータが計測できるだけでは価値にならない、それでは使う理由にならない
・わざわざ感ではなくもともと感で使わせる
・利便性に伴う拘束性、時間的コスト、時間の使いにくさを考慮する
・システムの拘束性を前提にデザインされたものがほとんどだが、システムに拘束されずに使えるほうが更に強い
・物という言葉が不適切、体験の持続性
・インタラクションは常に発生している、私達は環境の中で生きている
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デザイン思考、M2M、IoT、HMIなど、を自分のなかでとらえなおすのに非常によい本であった。アーキテクトとしては、どうしてもテクノロジーに目が行きがちだが、やはりサービスあってのアーキテクチャーであり、HMI・インタフェースであることを認識できた。
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「融けるデザイン」って何?と思って読んでみる。ネット時代のインタフェースデザインの話。
ただし、人対モノのインターフェースという概念を取り払い、新たな定義とその拡張をすることにより最終的にネット時代におけるデザインがどうあるかにつなげる。
これらの中で定義されていく、モノからコト、UX、ユビキタス、IoT、デザイン思考、これらの概念がすべてつながっていく。こんなにすっきりと世界観を定義できるのかと感心することしきり。
今までいまいち腑に落ちなかったインターフェースの話が何故もやもやしていたのかも非常にクリアになっていく。
誰のためのデザイン?を読んで影響を受けた人、意味もなく「UIはサクサク」と言っている人など関係者必読ではないでしょうか。
読んでみると「融けるデザイン」という題名の意味がようやくしっくりとくる、そういう深い本です。
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現代のデザインとはなにか、インターフェースとは何かを説明してくれる本。
透明性とか自己帰属感という考え方について、なんとなく感じていたことを論理的に説明されてスッキリした。
なかなか抽象度が高くて読みにくい部分もあったけど。
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UI/UX論。『工業デザイン=インタフェース設計』であるという考えのもと、現代における最適なデザインを考察している。示唆に富むキーワードが提示されている。意識せずに(透明性、自己帰属性)、ツールの区別無く(連続性)、情報を使える(情報の道具性)。この視点で見ると、最近、日本に登場した会話する筒状のスピーカーの意味合いが見えてくる。良書。
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メタファ スキュアモーフィズム フラットデザイン
アフォーダンス. ;J.J.ギブソン
"誰のためのデザイン?" D.A.ノーマン
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現代的な「デザイン」の問題を考えるのに好適な一冊。定番となるだろう。
ただ、わかる人にはスラスラわかるが、わからない人にはまったくわからない本なのではないかという気もする。
読んでわかる人は、すでにわかっている。
わからないものののことはわからない。
概念のプレユーザーインターフェイスというべきものがあるのではないかしら。
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少し未来のインターフェースデザインを考えるヒントとして読んだ。自己帰属感〜自己拡張としてのインターフェース、人の理解と行動を介さずに情報とモノが直接繋がった道具、人の空き時間や活動を起点としたインタラクションなど。深澤直人「デザインの輪郭」を併せて読むことで理解が深まった。
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今後の広義のデザインを捉えるためのヒントにもなり得る良本だと思います。
インターネットというメディアに淘汰されて、マルチインターフェイス化すること。
デザインする対象は体験であることなど、とても腑に落ちる展開で読んでいて納得感が得られました。