紙の本
軽いけど、興味深い
2018/05/31 19:22
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投稿者:たあまる - この投稿者のレビュー一覧を見る
福岡伸一『生命と記憶のパラドクス』を読みました。
軽い科学エッセイなのだけど、興味深いことが書いてある。
たとえば、人間に役立つ腸内細菌は、住んでいる地域によってその種類が違うんだって。
日本人の腸内細菌は海藻の成分を分解するけど、欧米人のはしないとか。
よその土地の食べ物が合わない、とかいうのはそういうことかもしれない。
牛乳に弱いとかもその関係みたいですね。
地産地消という考え方は、社会経済的あるいは文化的な意味だけでなく、生物学的にも合理的なことだったんですね。
紙の本
なぜ、私はここにいるか。
2015/06/04 17:20
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投稿者:T.s - この投稿者のレビュー一覧を見る
”記憶”をめぐる考察はさまざまな研究で議論されてきた。
さて、そんな本を我々は手に取るか?
分かりやすくかつ奥深く。福岡ハカセのエッセイはそんな堅苦しいものでなく電車の中で楽しく読めます。
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いい歳こいて自分のことを「福岡ハカセ」と呼ぶ(呼ばせる)感性は十分に不思議ちゃんカテゴリーに入ると思うが、象牙の塔の住人は変わり者が多いので、この程度ならまだ軽症患者なのでしょう。
さて、本書は「週刊文春」に連載されたコラムをまとめたものですが、もし発表順に並んでいるのなら見事に最初の方のコラムは面白くない。(ただし「働きバチは不幸か」のみ除外)
実力が発揮されてくるのは、中盤辺りからで「ご本人様の証明」を経て「閉所という極限」「似ている理由」「寄生と共生」「退化は進化?」「詰まり体質」「進化に目的はない」からまた退屈なコラムが続き「最も成功している生物」を打ち止めとする、といっても、あくまでも個人的な関心や興味が私に合っているかの基準だけの話で、他の人にとってはまた違った印象になるのに違いない。とここまで書いてきて、各コラムを束ねる中見出し的なテーマでわざわざまとめていることに気が付く。こうした編集作業は、そのテーマに沿ったコラムを選び出している可能性が強く、となれば発表順という前提も怪しくなる。学者なら、コラムの最後に発表した日付を入れておく配慮(原典ソースを明示)が当たり前だと思うのだが、それが「博士」ではなく「ハカセ」という意味だったのかと深読みしてみる。
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去年の奥トレ忘年会で交換してもらった一冊。著者のことはフェルメールに興味を持ったことで知ったけれど、生き物についての洞察は専門的で文章もとても読みやすく、読んでいておもしろかったです。あと、多摩川だったり国分寺だったり自分の知っている場所がところどころ出てくるのも親近感を持ちました。こういう文章が書けるようになりたいなぁ。印象に残ったのは「関係妄想」という言葉。まったく関係のないところに余計な関係を見出しがちなこの世界、たまにはバッサリ切ってみるのも精神衛生上いいかもしれないすね。この本で紹介されていた場所や映画、いくつか見てみようと思います。
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学生時代、大学まで行かせてもらったのにろくに勉強しなかった。その負い目なのか、社会人の今になって、知識欲が強くなってきた。勉強する時間などろくにとれやしないのに。
そんな私にとって福岡先生は一筋の光だ。
文系一筋だったし、理系には抵抗がある。でも知りたい。
こんなジレンマを抱える私には、専門書は厳しい。いや入門と銘打たれた書籍だって、一度数式が出てくると、もう本を閉じて逃げ出したくなる。でも知りたいのだ。
福岡先生のエッセイは、知的好奇心を大いにくすぐるし、その文章は凡庸な小説家より深く心に染み入ることが度々だ。
それも、福岡先生の幼少期からの読書の賜物なのだろう。
きらきら輝く文章の間から透けて見える、生命科学の深遠な世界。こんなに読みやすくて、いちいちうなづいて、そして一歩でも苦手分野に踏み入った充足感。
未読の作品がたくさんあるので、少しずつ手に取っていきたい。
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DNA鑑定で分かることは、あくまでもサンプル1とサンプル2との関係性であって、その配列の独自性、唯一性が示されるわけではない。例えば事件現場で採取されたサンプルと誰かの身体から採取したサンプルから共通するDNA配列が検出されたとしても、それはその人が現場にいた可能性が高いと分かるにすぎない。
しかもサンプルは研究室のなかでしか扱えないから、そもそもそれホントにその人の?ってことになると途端に信憑性ダウン。
では、DNA配列より強力なIDとは?
アイドルの握手会で、転売された握手券で来た人をシャットアウトするために求められるIDの提示。さらに正確に本人確認をするために主催者側がする質問は、「あなたの干支は?」。
最強のIDとは干支に答えられることなのか…
科学のお話だけど、面白くて柔らかい。
音楽や絵画、小説など芸術にも造詣が深い福岡ハカセのお話はどれも面白く、楽しく読めました。
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「せつなさ」の話が好き。もう戻れないあのころの風景、あのころは恒久的に続くと思っていた風景が今は取り戻せない、触れられない、うつろいこそ「せつなさ」……誰もいない放課後の教室のがらんどうな空気を思い出しました。
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これまで読んだ福岡ハカセのコラムと重複するものもあるけれど、軽い気持ちで読める科学モノ。
理系が好きな文系、理系に触れてこなかった人でも楽しめるのでは。
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先日、福岡 伸一 氏 による「生命と記憶のパラドクス 福岡ハカセ、66の小さな発見」を読み終えました。
「生物と無生物のあいだ」を皮切りに「動的平衡ダイアローグ」「フェルメール 光の王国」等々、福岡伸一氏の著作は何冊も読んでいます。本書は「週刊文春」で連載された小文をまとめたものとのこと。とても穏やかで軽いタッチの読み物です。
本書の隋所に福岡氏一流の興味深い視座からのものの見方が開陳されています。
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もとが雑誌掲載エッセイなので、1つが3ページと短く気楽に読め、そして(本のサブタイトル通り)どの文章にも驚きや発見があってたのしい一冊。寄生と共生、進化と退化など、眼から鱗のわくわくするお話がいくつもあった。そして須賀敦子さんの文章への崇拝がそこここに透けてみえている。
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どれだけ小説が好きな作家であっても、エッセイとなると好きになったことのないこの私が嬉々として読んでしまうエッセイを書く人、それが福岡伸一氏。本作品もまた素晴らしいタッチで楽しませてくれた。
印象的だったのは、進化論の話。獲得形質は遺伝しない、と繰り返す。言われてみればそうだった。子供の頃に読んだ動物時点の巻末解説にも載っていた。
ラマルクの進化論によると、キリンは高い枝の葉を食べたいと首を伸ばしているうちにだんだん首が長くなった。
ダーウィンの進化論によると、首の短いキリンは淘汰され首の長いキリンが生き残った。うん、そうだった。
ところが、自然科学としての進化論ではなく、日常生活に紛れ込んでくる文学としての進化論はラマルクの進化論になっている。例えば、日本人は肉食じゃないから腸が長いといった「環境に適用するように進化してきた」という語り。明確に間違い。親が筋トレして筋肉ムキムキになっても子供に筋肉は遺伝しない。同じ理屈で、使わないから衰えた筋肉も子孫に遺伝しない。親が練習して楽器の演奏やスポーツや勉強ができるようになっても子孫には遺伝しない。うーん、確かにそうだが違和感がある... 文学的な比喩としての遺伝に慣れすぎたということか。
そんなところもハカセの魅力ではあるが、文学作品を鑑賞し評価する筆の細やかさもまたもう一つの魅力。カズオ・イシグロの『わたしを離さないで』を評する言葉の美しさ。
「でも、この小説は、SFでもなく、ミステリーでもない。文明批判でもなく、特殊な寓意に彩られているわけでもない。ただ淡々と非常に平易な言葉によって、キャシーと彼女をめぐる記憶が、ピンセットで薄い皮を一枚一枚剥いでいくような精緻さで語られるだけである。そこには透明で、静けさに満ちた悲しみが湛えられていく。
私が衝撃を受けたのは、その言葉の解像度と想像力の射程距離だった。(p.157)」
そして「人間と動物は何が違うのか(違わないのか)」についてのエッセイ。
「人間と動物をめぐる世界観は、四つに分類できる。
1. 身体は同じだが、魂(心、精神)が違う(ナチュラリズム)
2. 身体は異なるが、魂(心、精神)は同じ(アニミズム)
3. 身体も魂(心、精神)も同じ(トーテミズム)
4. 身体も魂(心、精神)も成立ちが違う(アナロジズム)
(略)現代科学はこう考えている。(略)ヒトだけは脳を特別に発達させた。そしてその脳が生み出す精神作用によって、ヒトを他の生物から峻別した。つまり右の分類で言えば1になる。(p.192)」
最後に、「自然とはとても人間の自分勝手だ」という話し。そこは福岡ハカセだから安っぽい話しではない。
「生物たちはそれぞれ独自の近くと行動で自分の世界観を作り出している。それを環境ではなく環世界と呼ぼう。虫たちはヒトには見えない紫外線を見て、異性や花を美しいと感じる環世界に生きる。(略)
私たちヒトは環境に囲まれて生きている。高い空や青い海。やさしい春の風、芽吹きの緑。色とりどりの花。しかし、そんな風にいうときの環境とは、実は、どの生��にとっても普遍的な実在としてそこにあるのではない。それはヒトの五感が作り出した勝手な世界の解釈でしかない。(p.223)」
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生物学をする人の目線、面白いです。
知らないことだらけ。
細胞に生かされ、食用にしているつもりの稲に動かされ、我々人類も大したもんじゃないなぁ。
読みやすいですが、中身は濃いので読み応えがありました。
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福岡ハカセがマイブームになったときに買ったまま、読めてなかった一冊。
新婚旅行中に時間があったので、漸く読むことが出来ました。
以下、印象的だったところ。
・「働きバチだけが、よく食べ、よく学び、労働の喜びを感じ、世界の広さと豊かさを知り、天寿を全うして死ぬ。おまけにしんどい産卵は他人まかせ。働きバチこそが生の時間を謳歌しているのである。」(p.27)
・「外国の都会では、通りの名が住所、道のこちら側は偶数番、あちら側は奇数番となっていることが多い。やはり道は両側をつなげるものとしてある方が自然なのだ。」(p.49)
・「その極太の万年筆の筆致のかっこよさといったらなかった。」(p.140)
・「今すぐにでもグラスに口をつけたくなるような言葉が並ぶのだが、これって中学生の教科書でしょ。いいのかなぁ。」(p.175)
・「マリリン・モンローを自ら演じてわかったことは、彼女の中には男がある、ということだと。肉体に突き刺さる男たちの視線を、薄い衣装だけで守り、はねかえすものは男性的な力でしかないと。」(p.180)
いやー、相変わらず非常に広範な視座から、即妙な書きぶりで…さすがの福岡ハカセです。
楽しんで読めました。
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研究奴隷という自らを称する言葉に目がいく。福岡ハカセ自身のことだ。生物と無生物のあいだ、という著書はハカセのものだ。私はこの著作を読んだ後、随分長い時間をかけて、ハカセの事を知った。この著作はハカセの日々の周辺の出来事を綴ったエッセイである。ハカセの魅力をたっぷり味わえる。但し、あまり生物や科学的な事には触れられない。
必須アミノ酸の内、人が合成できない9種類の覚え方を 風呂場椅子ひとりじめ、と覚える。フェニルアラニン、ロイシン、バリン、イソロイシン、スレオニン、ヒスチジン、トリプトファン、リジン、メチオニン。この覚え方は知らなかった。
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週刊文春、連載コラムの書籍化です。「ルリボシカミキリの青」の続編になるのかな?
いやあ、この人の好奇心てのはすごい。フェルメールから科学者の伝記から、もちろん専門の生物やら自然科学一般やら、「博覧強記」ってこういうのを言うのねって感じですね。文もうまいから読ませます。読んで損はないって話が多い。
で、趣味が高じて専門になっちゃって、青学で「文転」しちゃいました。ま、自然科学も「生命とは何ぞや」ってのは哲学だから...。
恐れ入りました。