紙の本
懐かしさが立ち上る短編集
2016/07/02 23:35
1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:オオバロニア - この投稿者のレビュー一覧を見る
台北に実在した中華商場で暮らす人々を題材にした連作短編集です。
中華商場では、貧しくも健気に生きる子供達・兵役で離別する恋人達・職人気質のぶっきらぼうで温かい大人達が商場で息づいています。著者の人々・文化の描き方が温かくて、そこに現実味のない歩道橋の魔術師の存在を絡めると、温かくて切ない二度と戻れない懐かしさ(マジックリアリズム?)が感じられます。
「Always 三丁目の夕日」を彷彿とさせる、不便で雑多でそれでも明るく楽しかった時代を思い起こさせるような描き方がグッときました。見たことも経験したこともない世代ですらそう感じる作品だと思います。ジャンルとしては小さいですが、恐るべし台湾文学という印象でした。
紙の本
台湾の話って、外国なのに懐かしい臭いがする
2020/12/19 23:07
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:ふみちゃん - この投稿者のレビュー一覧を見る
台湾の作家、呉氏の作品なのだが何か懐かしい香りのする(というか臭いのする)物語だ。台湾初のショッピングモールといわれている台北中心部にあった中華商場とわが故郷の小さな商店街を比較しているようで申し訳ないのだが。わが商店街には魔術師はいなかったが、息を吹きかけると挟んであったお金が消える小さな屏風のようなものとか、ボールペンを穴に突っ込むだけできれいな模様が描ける機械とかを売る露天商があったことを記憶している。あのころ、たくさんの人で賑わっていた商店街も御多分に漏れずシャッター商店街となり子供会すら消滅してしまった。さて、本筋にはまったく関係ないのだが、登場人物の一人(古本屋の息子)が本の変な文章に線を引く癖がある前の持ち主に困惑するエピソードがあったが、私も古本を購入したさいに感じるあるあるだった
紙の本
台湾現代史を物語にする
2021/07/29 23:06
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:ichikawan - この投稿者のレビュー一覧を見る
個々の物語が似ているというのではないが、どことなく初期の村上春樹と似た手触りがあった。おそらくは急速な近代化と、それを享受しつつ失われたものへの哀惜の念も入り混じるといったところがそう思わせるのだろう。
紙の本
昭和のような懐かしさと郷愁
2019/09/25 08:38
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:燕石 - この投稿者のレビュー一覧を見る
本書は、1961年から92年にかけて台北に実在した大型商業施設「中華商場」を舞台とした連作短編集である。物語は、2010年代の現在、語り手の一人であり作家である「ぼく」が、各短編の語り手に、幼年期を過ごした1980年代初頭の中華商場の思い出を聞いていくという形で進行する。
当時台湾は経済成長の最中で、全部で八棟ある中華商場は、台北の商業中心地であった。商場に店を構える商店主とその家族は、上の階層の住居に住み、日本の高度経済成長期の団地を思わせるような、猥雑で濃密なコミュニティを形成していた。
10編の物語に共通するのは、「魔術師」の存在だ。魔術師は、「中華商場」の「愛」棟と「信」棟にかかる歩道橋にいる。この魔術師は、二つの目が別の方向を見ているような目をしていて、汚い身なりで手品をして、見物に来ている子供たちに手品グッズを販売している。ただ、時として、歩道橋の欄干を透明にしたり、双子の片割れをノートに閉じ込めたり、歩道橋の上にチョークで描いた円の中で黒い紙から鋏で切り抜いて作った小人を踊らせたり、超現実的な魔術を披露する。
「黒い小人の秘密を教えてくれと何度もせが」む主人公に、この時ばかりは、魔術師は厳しくこう言う。「小僧、いいか。わたしのマジックはどれも嘘だ。でも、この黒い小人だけは本当だ。本当だから、言えない。本当だから、ほかのマジックと違って、秘密なんてないんだ」と。
誰もが、幼年期や少年期に刻まれた感情や記憶を持っている。それは、大人になるに従って、本当だったのか、夢に過ぎなかったのか、その見分けがつかなくなることが多い。語り手たちが「中華商場」で体験する数々の出来事-親と喧嘩して商場から3か月姿を消した少年、夢に現れた石獅子、火事となった家で唯一生き残った少女と鍵屋の息子の初恋……これら現実と非現実の狭間にあるような出来事が、魔術師のマジックのように、今見ているはずの世界の時間と空間を揺らがせ、別の世界へと誘っていく。
やがて、魔術は消え、彼らは現実の世界に戻ることになる。
それぞれの主人公は、作者 呉明益と同世代の1970年代に生まれた子供たちだと思われるが、日本で60年代初期に生まれ、団地暮らしの経験のある私には、この作品の世界は正に日本の昭和に思え、「懐かしさ」と「郷愁」を覚える。
紙の本
記憶にないのに
2018/11/11 18:00
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:ケロン - この投稿者のレビュー一覧を見る
記憶にない懐かしさがこみあげてくるような作品群。
台湾の明るい部分だけでなく、それぞれの心の闇のようなものが見えて、ますます台湾に興味を持ちました。
投稿元:
レビューを見る
台北に実在した中華市場(92年に解体)を舞台にした短篇集。
存在感のある魔術師と子供たち、商店街には熱気とともに郷愁が漂う。表題作にもなっている『歩道橋の魔術師』、『九十九階』『ギラギラと太陽が照りつける道にゾウがいた』『金魚』『光は流れる水のように』が良かった。特に『光は流れる水のように』で、ネオンを子供たちが壊すシーンは、『郷愁』という単語を象徴しているように思える。
『訳者あとがき』では『マジックリアリズム』という単語が使われているが、ふとした瞬間に日常から乖離するタイプで、これは乱歩の言う『奇妙な味』に近いんじゃないだろうか。そう考えると『九十九階』や『石獅子は覚えている』『ギラギラと太陽が照りつける道にゾウがいた』辺りには、実話怪談に通じる要素があると思うんだけども。
投稿元:
レビューを見る
10年ぶりくらいに読んだ新作の台湾小説は、初めて行った台北で見た、街中に走る古めかしい中華商場を舞台に人間模様を綴った連作短編。戦後の台湾を象徴するようなあの建物を思い出し、そこで暮らした子供達の姿を脳内に描き出すように読んだ。ノスタルジーだけで済まない読み味は、人間描写の豊かさもあるのだろう。異文化であっても共感できる部分が多いし、どんな小説にも似てない味わいがいい。
投稿元:
レビューを見る
台湾に全く興味がなかったのに今はこの物語に流れる空気を吸ってみたいと思う。中華商場の空気。子供が生き生きとしてる。でもだいたい回想なのに。なんなんやろう。あと作者の呉明益さんは絶対村上春樹読んでる。台湾って村上春樹好きな人多いのかな。この作品は全部中華商場っていう場所でつながっている。それが魔術師と呼ばれる人物が鍵になり、全ての物語もつながってる。とても身近に死者がいるのも不思議だ。そこには凄く哀しみがあるはずなのにさらっと書かれてる、でも深い。さっき図書館で、返却したけど返したくなかった(笑)自分のものにしたいって思ったので買う。呉明益さんの他の本も読んでみたいです。
投稿元:
レビューを見る
表題作の題名どおり、歩道橋の上に店を出す魔術師を各篇のつなぎに使った連作短篇集。時は1980年代初頭。今はなき台北の一大商業施設「中華商場」を舞台として、そこに暮らしていた少年たちの出会いや別れ、初恋、死といった、いずれも少し胸の奥がいたくなるような挿話が、いかにもアジア的な喧騒と混沌に溢れた稠密な建築構造物をバックに、静謐でノスタルジックな光景として束の間よみがえり、やがて消えてゆく。あえかな過去をふりかえる回想譚、全十篇。
カメレオンのように二つの目が別の方向を見ているような目をした「魔術師」は、大人が見れば奇術の道具とその解説書を実演販売する隻眼義眼の大道芸人なのだろうが、商場から一歩も出たことのない少年たちにとっては、見も知らぬ世界の奇蹟を披瀝する、まさに字義通り魔術師であった。小さい頃、家業の靴屋を手伝い、歩道橋の上で靴の中敷や靴紐を売っていた少年の向かいで店を出していたのがその男だった。歳をとり、今は物書きとなったかつての少年は、歩道橋の魔術師について語ろうと思いつく。記憶をたどり、昔なじみにも話を聞いて書き綴ったのがこの連作短編集、という体裁を採っている。
巻頭に置かれた表題作を除けば、魔術師その人について触れた文章はわずかである。今は成人し、それぞれの世界へ巣立っていった幼友達との共通の思い出が、歩道橋の上にチョークで描かれた円の中で、黒い紙から鋏で切り抜いて作った小人を踊らせる魔術師だった。各篇の主人公は、同じ時代、同じ故郷を共有する作家に、昔の思い出を語るのだが、そのどこかに歩道橋の魔術師がほんのワンカットだけ顔をのぞかせる。それが趣向。屋上のネオン塔の下に寝泊りする魔術師は、寝袋とわずかな荷物の中に本を忍ばせており、少年にとっては謎のような言葉を呟いてみせる。魔術師は少年時代と以後の人生を板一枚で隔てる扉のようなものだったのかもしれない。
少年たちの人生は魔術師と出会い、話をしたり、魔術を目のあたりにしたりすることでほんの一時、それは瞬時であったり、長い場合は三ヶ月であったりするのだが、ここではない別の世界を垣間見ることになる。DVに我慢できなくなった少年が神隠しにあったように消えてしまった後、姿を現したとき、自分はずっとそこにいたが周りからは見えていなかったようだ、と語ったり、姉がいなくなって寂しがる少女がノートに鉛筆書きした金魚をビニル袋に入れてもらったり、束の間、辛い現実を忘れさせるような経験をするが、やがて魔術は消え、彼らは現実の世界にもどることになる。
訳者は本書を「三丁目のマジック・リアリズム」というコードネームで呼んでいたというが、魔術師の見せるマジックは南米の作家が見せる玄妙不可思議で永遠にも思えるほど長時間浸っていられるような魔法でなく、紙製の人形や金魚といった、ささやかで、ちまちました魔術しか使わない。大勢の人間が暮らしながらそれぞれが小部屋暮らしで便所は共同という日本なら昭和を感じさせる舞台には、壮大なマジックは似合わないということか。この身の丈にあった魔術がなんとも心に沁みる。
連作短編の一篇一篇はどれも甲乙つけがたい水準以上の出来��言い換えれば、これが最も素晴らしいというような飛びぬけた出来のものはない。連作を意識したことでそうなったのかもしれない。昔顔見知りだった人の数奇な人生を人づてに聞くというスタイルをとる以上、放火や自殺といった悲劇的色彩の強い話も、思い出話という枠組みで濾過され、時間の望遠鏡越しに覗き見る地獄図絵からは熱も臭いも阿鼻叫喚もすっかり拭い去られ、悲しさや憎さといった感情は、今は上澄みのような透明な思いとなって静かに語られる。
後に恋人を殺して自死する男が店の前で弾き語りで歌うのが、ジェイムズ・テイラーが自殺した友人のことを歌った Fire and Rain であったり、その男にもらったレコードがジョニー・リヴァースによる「秘密諜報員ジョン・ドレイク」のテーマだったり、少し前の昔話という立ち位置をとっているところに、ある世代の読者は懐かしさを覚えるだろう。呉明益は1971年台湾台北生まれ。台湾の新世代を代表する作家として評価が高い。邦訳としてこれが本邦初訳となる。ふとしたはずみで、人生に躓いてしまう人々のそれぞれの身の処し方をさらりとなぞる手つきが重すぎず、軽すぎず、しみじみと心に残る。個人的には長毛種の白猫と暮らす「唐さんの仕立屋」が身につまされた。
投稿元:
レビューを見る
今から約3,40年前、台北の西門町にあった、今は無き中華商場で暮らしていた子供達が、「現在」からその当時を振り返る形で様々な思い出を語る、連作短編集。描写的にも実際現地を訪れた体感的にも、どう考えても話の舞台は熱気ムンムンだし臭いは色々濃いし、けたたましいわごちゃごちゃしてるわ何か色々ベタベタだわで絶対そんな筈はないのだが、読後感が妙に清潔感…というか、サラッとして淡々とした印象なのは、追憶と郷愁という紗が幾重にもストーリーの上を覆っているせいか。繰り返し登場する魔術師という存在が、異国の過去話という虚実の境を更に曖昧にし、原著で示されたマジック・リアリズムという形容は確かに的を射ていると思う。
投稿元:
レビューを見る
ノスタルジックなんだけれど、でもおセンチじゃない。
「紙の動物園」やブラッドベリを連想するようなライトな不思議と、今はもうない失われた時間を匂いや音や味で描いていくリアリズム。
読み干した後に、せつなさが僅かに残る。
投稿元:
レビューを見る
こういうのも純文学に入るんだろうか?どこか寂しくて、文章は美しい。訳は大変だっただろうな、と思う。台湾という土地が少し近づいた気がした。
セックスシーンはちょっと嫌だったんだけどな。
歩道橋にいた魔術師に関する短編連作です。中華商場という、ショッピングモールとも言えないような、どこかうらさびれた空気の中に、子供たちが駆け回っているお話。
連作の中の端々に「子供いらない家庭いらない」という思いがふわっと出てきて、なんか共感したりもした。
後にも書くけど最後の章で児童買春をさらーっと肯定的に書いている(ように見えた)のがものすごく引っかかってしまってな。もうちょい、なんかなかったかあそこ。
「歩道橋の魔術師」これが一番魔術師を詳しく描いていた。作者自身なのかな、という子供が主人公。
「九十九階」マークが何故死んだのか、わかるような気もするし全然わからない気もする。
「石獅子は覚えている」
一番心に残ったのはこれだった。火事で家族を失って、十年余計に生きてこっそり死んでいったペイペイの悲しさ。
「ギラギラと~」ゾウの着ぐるみを着てる時だけ出会える過去。私も着ぐるみ着たことあるけどこうは考えつかなかった。
「ギター弾きの恋」ラン姉さんひどいなとも思うけどどうしようもない気もする。
「金魚」この商場にいた人はみんな切なかったのかな?テレサの泣き顔を見たいからといじめる男子の勝手さが少し嫌だった。
「鳥を飼う」残酷だけれど、猫を責められない、というこの商場のどうしようもなさ。
「唐さんの仕立屋」猫はどこへ行ったんだろう。私も犬がいなくなったら抜け殻になると思う。
「光は流れる川のように」現実の世界とうまくやれない、という言葉に胸を突かれた。
「レインツリーの魔術師」児童買春を肯定的に書かないで欲しかったのだけれども。
投稿元:
レビューを見る
懐かしくって、温もりがあって、少しアヤしい。
そんな空気に包まれた柔らかい読み心地の連作短編集。
路上を仕事の場にする「魔術師」が、絶妙な存在感。
投稿元:
レビューを見る
台北に実在した巨大商場にいた人々の姿を描いた短編集。
日本とは違う場所であるのにそこに描かれる人々が
過去を思い出すさまは懐かしさに満ちていて
それは私たちに共感を呼び起こす。
どの話もよいけれど、中でも特に好きなものは「金魚」。
うーんノスタルジー。
投稿元:
レビューを見る
もう、消えてしまった世界。いまの時間には存在しないまるで違う空間で起こった、不思議な、そして日常の出来事。
台湾にかつて存在した「中華商場」それは、三階建の商業ビルが連なり、そして各建物は歩道橋でつながっている、空中の商店街。
その商店街で生活し育つ人々の連作短編集。
一つ一つの小品の主人公は、中華商場のなかで繋がり、そして外の時間とともに時間が過ぎていく。
ただし、時々、時間は進み、そして引き戻され、そして時には止まる。
ただ、いくつかのキーワード「魔術師」「歩道橋」「麺屋(元祖はここだけ 具なし麺)」を手掛かりに、その混沌を読み進めていけば、混乱を生じることは無い。
それら、いくつかのキーワードで、物語はつながる。
まるで、千と千尋が迷い込んだ世界のような、我々が生活しているのとは、少し異なる空間の物語。
しかし、それは虚構ではなく、現在の台湾、現在の我々に通じている時間であり、空間の物語。