電子書籍
旧訳よりも読みやすい
2015/09/03 22:56
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投稿者:TOR - この投稿者のレビュー一覧を見る
映画公開直後に本屋に駆け込んで原作を購入。幸運にも初版本を所有しています。あれから約15年ですか。映画の評価は言わずもがな、Blu-ray盤もリリースされ語り継がれる名作となるでしょう。もちろん原作も。さて、今回新訳となって文庫化されたのでひさびさにファイトクラブに入会しようと購入しました。まだすべてを読み終えてはいませんが、冒頭からセンテンスの細かな修正がみられます。言い回しがより簡潔に明朗になってテンポがよくなったと感じました。そして映画のセリフや雰囲気と重なるというか、旧訳は映画に漂う雰囲気と原作に漂う雰囲気に異なるものを感じましたが、新訳ではそれがより映画版に近くなった気がします。旧訳での語り手と違い新訳ではエドワード ノートンが語り手をしているような気分になります。ほぼ100%の方が映画からこの原作に辿り着くはずなのでより違和感なく読み進められるのではないでしょうか。まさか献辞まで再訳されてるとは思いませんでしたが。著者あとがきもファイトクラブがいかに世界を席巻したかがわかるもので面白く読めました。この復刊でチャックパラニューク人気が再燃して他の作品も復刊して日の目を見れたらと思う次第です。
紙の本
映画を見たことのある人は原作も読んでほしい。
2015/08/23 19:10
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投稿者:太田コロ - この投稿者のレビュー一覧を見る
酒場の地下で殴り合うだけの話だと思わないで。
映像になることで失われてしまう不思議なエッセンスがこの小説のボクにつまっている。
訳出が困難を極めたと思われる奇妙な比喩で満ちている。
しばらく絶版だったこの本に著者の後日談が付いてこのお値段。
紙の本
驚嘆すべき死の奇跡
2019/12/04 23:48
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投稿者:ゲイリーゲイリー - この投稿者のレビュー一覧を見る
私たちは、幼少期から学校へ行き「良い子」であることが何よりも求められる。
その後は「良い成績」を取り「良い会社」へと就職することが求められ、これを達成した人が送る人生が世間一般の「良い人生」だ。
ところで、この「良い」とは誰にとっての良いなのか。
人生とはそもそも自分だけのものであり、誰かに「良い」、「悪い」と判断されるものではないはずだ。
自分の外側ばかりを気にしすぎるあまり、自分の内側が全く分からない状態に陥る。
これを本末転倒と言わずして何と言おう。
本書は、自分の内側の声に従うことこそが人生であると目を覚ましてくれる作品だ。
主人公のように本当に欲しいのか分からない物を手に入れ、逆にそれらに所有される状態に陥ってる人たちはごまんといるだろう。
本書の魅力は何といってもそのメッセージ性だが、それ以外にもテンポの良さや魅力的なキャラクター、ハッとさせられるセリフなど面白い小説に必要不可欠な要素が詰まっている。
タイラー・ダーデンというキャラクターは小説史に残るほどの魅力に満ちた人物だ。
利口で度胸があり、大胆不敵で自信に満ち溢れている彼には畏敬の念を抱かずにはいられない。
個人的に非常に気に入っている場面が二つある。
一つ目は、メカニックが運転する車が対向車に衝突する寸前に主人公が後悔していることを言う場面だ。
二つ目は、主人公がレイモンド・ハッセルという青年を銃で脅す場面だ。
どちらの場面も、本当に自分がやりたいことをやらない人生に意味はあるのかと問うている。
私たちはもっと死を意識して人生を生きなければならないと認識させてくれる場面だ。
本書読了後、果たして本当に自分の人生を歩んでいるのかと自問自答してしまった。
もっと死を意識して人生を歩んでいこうと思わせてくれた強烈な作品だった。
紙の本
不眠症から終わりなき戦いへ
2020/02/22 18:39
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投稿者:Todoslo - この投稿者のレビュー一覧を見る
ファイト・クラブのリーダー・タイラー・ダーデンの、大胆不敵な挑戦に引き込まれていきます。彼に魅せられた主人公が、殴り合い以上に大切なことに気付く瞬間が圧巻でした。
紙の本
目の覚めるような作品です。
2015/05/02 00:38
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投稿者:オオバロニア - この投稿者のレビュー一覧を見る
本作は長らく絶版になっていたようですが、早川文庫のフェアで復刊しました。
繰り返しの毎日を送り「死んだように生きている」若者が、ファイト・クラブにおける過激な暴力や非行を通して生を実感し、破滅していく…とあらすじだけ書いてみるとなんだかチープに見えますが決してチープではありません。まずはとにかく読んでみてください。
主人公の「完璧で完全な人生からぼくを救ってくれ」という一文が身に沁みる良作です。
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220120*読了
人生を変えた3冊をインタビューする企画の中で、ある方の人生を変えた1冊として紹介してもらいました。
その人に教えてもらわなければ読むことがなかっただろうタイプの本。
不眠症に悩まされ、安定した生活を送っているのに、生きている意味が見いだせず、いろんな重病患者の集まりに参加し続けていた男性。
タイラーという男性と出会って、殴り合うことで命を実感する、ファイトクラブを立ち上げ、組織が大きくなり、今までからは想像もつかないような人生に変化していく。
痛々しいシーンも多く、目をそむけたくなる部分もあったけれど、話の展開が突飛なのにメッセージ性が強く、ガツンときました。
人生とは、生きるとは何かを考えさせられる小説。
映画化もされているみたいです。
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一言で表すなら、「男ならやれ!やったらんかい!」って小説。レールに乗っかるだけの人生で、「生きている」実感をどう得ればいいんだろう、という問いに対する、ある程度の普遍性を持った一つの答え。
ただし、破壊衝動が行き着く先は……。少し違うかもしれないけど、デュラララを思い出した。
映画的な小説だな、と感じたら案の定。あるいは西尾維新的と言ってもいいかもしれない。
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これはすごい。
一世を風靡した”ファイト・クラブ”。
当時映画は観た記憶はある。
とんでもなくかっこいいブラッド・ピット、激しい暴力性のイメージが強烈なまでの印象を残している。
が、それ以外の物語の部分となるとほぼ忘却の彼方。
原作を本で読んだこともなかったし、チャック・パラニュークの名すら意識したこともなかった。
最近、『ファイト・クラブ』の作者が長い空白の時を経て新作を出したと聞き、この機会に読んでみるかと手に取った一冊。
まず、度肝を抜かれるのがその文体。
最初は何を言っているのかほぼ頭に入ってこない。
何やら精神に異常をきたしているのか、薬でトリップしてしまっているかのような支離滅裂さと急速な場面転換。
ただ、注意深く、というかちゃんと言葉を沁み込ませて読んでいくとギリギリ理解できる。
理解できてくると、そのぶっ飛び具合が逆にかっこいいとさえ思え、クセになる。
なんとも不思議な文体だ。
デイヴィット・ピースとかジェイムズ・エルロイなんかを彷彿とさせるが、彼らともまた一味違う。
著者あとがきを読むと完全に狙った結果のようにコメントしており、ものすごい技術だと感じた。
そして、この文体を新訳で見事に表現しているのが池田真紀子さん。
最高です。
物語性としても、これはこの世界観に憧れ、かぶれる輩が多く出てくるだろうと思うような中毒性のある陶酔感が半端ない。
不眠症に悩みながらサラリーマン生活を送り、そこそこの暮らしをしているものの今ひとつ生きている実感が薄い主人公。
迫り来る死と向き合うことでその空虚さを埋めることが出来ると気付き、病を詐称し、様々な病気の互助グループ通いをするが、そこで出会ったマーラ・シンガー。
彼女も自分と同じ詐病と確信する。
なぜなら、自分と同じく複数の互助グループで見かけるから。
彼女が居ると見透かされているようで互助グループの活動に没入できない。
何とかマーラと話を着けようと近づくが、あえなく交渉決裂。
そんな中、出会ったタイラー・ダーデンというカリスマ男。
最初はウェイター業の中で行うちょっと過激ないたずら(と言うには悪意ありすぎだが)と少人数での”ファイト・クラブ”の開催を共に行い、やや歪んだ方法で人生の彩りを取り戻して行くのだが、次第にエスカレートし、コントロールが効かなくなって行く。。。
”生”を実感するために繰り返す、正気とは思えない暴力、悪事の数々、狂乱。
ともすると、足を踏み入れてしまいそうになる危うさを牽引力とするカルト的でパンクな唯一無二の物語。
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映画を観てよかったので原作を読んだ。
ラノベのような文体で最初少し拒絶反応が出たけど、しばらく読むと慣れてきて独白体の格好良さに魅せられた。欲しい物質は全て手に入れても精神が満たされない主人公の破壊的な告白には同感で痺れた、162ページすばらしい
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大分前に映画を観て、いつか原作を読もうと思っていたが、満を持してやっと読んだ。映画を見ていたらマッチョな漢臭い感じかと思っていたが、実際はそうじゃない。心を麻痺させるな、最期まで熱く生き抜けみたいなメッセージなのかな。
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タイラーの色褪せぬ魅力。本書の解説にあるように、この物語は、暴力ではなく生きることの意味を問うものだと思う。
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映像化された時、自分20歳やったんか。ただただかっこよかったけど、やっぱり活字は深いわ、捉え方が変わった。
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映画は未見。
ワタクシあるあるだが、有名過ぎるので
観ていないにもかかわらず様々な媒体で情報を得て
観た気になってしまっていた作品の一つ――の、
原作を取りあえず読んでみた。
自動車事故の調査員である〈ぼく〉は
飛行機で各地を飛び回っていたが、不眠症になり、
安らぎを求めて様々な会合へ。
病を装って各種互助グループのミーティングに参加していると、
同じ穴の狢である女性、マーラ・シンガーと
方々で顔を突き合わす羽目になり、
互いにいくつかの場を譲り合うことで合意。
〈ぼく〉が夜勤の映写技師・兼
ホテル宴会場のウエイター、タイラー・ダーデンと
知り合った後、帰宅しようとすると、
コンドミニアムでは事故が起き、
部屋と家具が吹っ飛ばされていた。
〈ぼく〉は救いを求めてタイラーに電話し、
彼は居候になってもいいと許可してくれた。
但し、「おれを力いっぱい殴ってくれ」と条件を付けて……。
勉強して職に就き、真面目に働いていても、
どうでもいい物を買い集めることくらいしか
気休めが見つからない、あるいは、
消費社会の中で搾取される一方ではないかと感じる男たちが
真の生き甲斐を取り戻そうとする物語――なのだが、
> 男に生まれ、キリスト教徒で、アメリカ在住なら、
> 神のモデルは父親だ。(p.267)
の一文に鼻白んでしまった。
ある意味、カースト最上位である「キミたち」が、
それ以上何を求めようというのかね、といったところ。
男子が寄り集まってワチャワチャする話は基本、
大好物のはずだけど、これはちょっといただけない。
ただ、稼いでも買っても集めても
一向に満たされないという心情には、
例えば(主人公は女性だが)いくつかの岡崎京子作品と
通じ合うものがあって、
原著の出版が1997年だから、
前年に事故で重傷を負った岡崎さんは
この本を読んでいないかもしれないが、
もし読んでいたらどう感じただろうか、また、
彼女が本作をコミカライズしたら、
どんな仕上がりになったろうか……などと
勝手に夢想するのだった。
映画版の方が素直に(エンタメとして)
楽しめそうな気がするわ。
※細かいことを後でブログに書くかもしれません。
https://fukagawa-natsumi.hatenablog.com/
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「バーナード嬢」で結構印象に残っていたので、本屋で見かけて思い出して購入。
多重人格が発覚する流れは面白かった。ホテルで主人公とタイラーが会話するとことか、ホテルをクビになる時タイラーの代わりに主人公が面談に行くのとか、引っかかるところはあったんだよな。一緒にバイトしてるのかな?とか思ってたんだけど。
閉塞感や無力感から逃げたくてファイトにのめり込む男たちの切実さや純粋さはちょっと切なくなるものがあった。「バーナード嬢」で「中二感迸ってる」と表現されていたので、そういう目線で読んでしまったというのもある。
食品汚染だけはやばすぎて共感できなかった。作者あとがきで実話エピソードが出てきて本気で引いた。暴力を伴うテロと比較しても、社会システムを根底から破壊するという意味でよりやばい気がする(外食産業どころか食糧供給システム全般が信頼できなくなってしまいかねない)。
組織がシステマティックに作られていくのは爽快感があった。組織の暴走・崩壊まで描かれていたらよりそれっぽいかなと思ったが、作中で語られている範囲では目的意識も統一されているし、システムもしっかりしているし、むしろ今後も際限なく拡大していくという方向性かな。それはそれでバッドエンド感があって良い。
作者が言及していたロマンス要素は、マーラの存在感が薄すぎていまいち伝わらなかったかな…。
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チャック・パラニューク著『ファイト・クラブ』
デヴィッド・フィンチャー監督の映画版が良すぎて原作小説は全くケアしていなかったのですが、これがどうも米国文学の「新しい古典」と評されているらしいことを聞き及び、ブレット・イーストン・エリス著『アメリカン・サイコ』と同じタイミングで購入しておりました。
あららら・・・天才ですね、チャック・パラニューク。
テーマやメッセージもさることながら、散文小説の枠を奥歯をペンチで掴んでグラグラさせるみたいに揺さぶってくるその破壊力たるや。訳者 池田真紀子氏の仕事が良いと思います。改行、句読点、カッコの使い方が本当に上手い。2つの人格のせめぎ合いを記号的にも非常に良く表現できている。
"ちょっと愉快な爆薬は、過マンガン酸カリウムに粉砂糖を混ぜたものだ。要するに、燃焼速度の速い成分に、その燃焼を加速するための酸素を供給できる成分を混ぜるわけだ。すると瞬時に燃焼する。その現象は爆発と呼ばれる。
過酸化バリウムと亜鉛末。
硝酸アンモ ニウムとアルミニウム末。
アナーキズ ムのヌーベルキュイジーヌ。
硝酸バリウムの硫黄ソースがけ木炭添え。これが初歩的な火薬だ。
どうぞ召し上がれ。"(P266)
こういったテキストが散りばめられた本作だけども、実際のところは厨二病患者がガンオタ、ミリオタの欲求をマスターベーション的に満たすようには書かれてはいない。本質的には厨二病患者向けの作品であるにも関わらず。なぜならフィジカルにまつわる卓越した表現をぶつけてくるからだ。その苛烈さや文字から読み取れる痛みは電脳空間で誰かに石を投げつけて溜飲を下げている人間には受け入れがたいと思われる。格闘ゲームを傍観しているような冷静さではそれは読み下せない。我が事として突きつけられるからだ。この小説を読んでいるあいだずっと問われ続ける。「お前はいま、ファイト・クラブに参加している」
" 痩せた連中はどこまでも持ちこたえる。挽肉みたいになるまで闘う。黄色い蠟に浸したタトゥつきの骸骨みたいな白人、ビーフジャーキーみたいな黒人、そういった連中は、麻薬依存症患者更正会にいる骸骨そっくりにしぶとい。降参したとは絶対に言わない。まるでエネルギーの塊で、ものすごい速さで震えるおかげで輪郭さえぼやけている。彼らはみんな、何かから立ち直ろうとしている。自分で決められるのは死に方くらいだから、それならファイトで死んでやろうと思っているとでもいうみたいだ。"(P198)
ピンピンに研ぎ澄まされた言語感覚でアナーキズムと消費社会批判と信仰と父性喪失と2つの人格の主導権の奪い合いを描く。言葉の切り方と重ね方は非常に詩的。とはいえこの作品の中核は自己決定不能に陥った資本主義への無自覚な過剰適応への闘争であり逃走だ。
"「若く強い男や女がいる。彼らは何かに人生を捧げたいと望んでいる。企業広告は、本当は必要のない自動車や衣服をむやみに欲しがらせた。人は何世代にもわたり、好きでもない仕事に就いて働いてきた。本当は必要のない物品を買うためだ」
「我々の世代には大戦も大不況もない。しかし、現実にはある。我々は魂の大戦のさなかにある。文化に対し、革命を挑んでいる。我々の生活そのものが不況だ。我々は精神的大恐慌のただなかにいる」
「男や女を奴隷化することによって彼らに自由を教え、怯えさせることによって勇気を教えなくてはならない」
「ナポレオンは、自分が訓練すれば、ちっぽけな勲章のために命を投げ出す軍人を作ることができると自慢した」
「想像するがいい。我々がストライキを宣言し、世界の富の再配分が完了するまで、すべての人々が労働を拒否する日を」"(P213)
商業的、経済的システムを徹底して搾取的だと糾弾しながらそのカウンターとして悪ノリと自己破壊的暴力と左翼的階級破壊衝動を提示する。
次に引用する2つのパラグラフが自分にとっては本作の真髄だと思っている。知的でジョークが効いていて、既得権益層がふだん想像だにしない社会生活の要素を人質に世の中に対して闘争を仕掛けている。「なめんなよ、俺らを」と。その準備を睡眠なのか無意識なのか曖昧な状況の中で徹底したリアリズムと知性と暴力的思考をもって着々と進めているところが、全てが描かれていないだけに読者が悶絶するほど興奮するところではないだろうか。
" あいにく、自動フィルム繰り出し・自動巻き取り機能付き映写機を使う劇場が増えるにつれ、組合はタイラーをさほど必要としなくなった。というわけで支部長閣下はタイラーと話し合いを持つ必要に迫られた。
仕事は単調だし、給料は雀の涙ほどだから、全米連合および映写技師映写フリーランス技師組合地方支部の支部長閣下は、巧みな言葉使いを用いて、支部の判断はタイラー・ダ ーデンの今後を思ってのことだと言った。
排斥とは考えないでくれ。ダウン サイジングだと思ってくれ。
支部長閣下は臆面もなく言った。「組合は、組合の成功におけるきみの貢献を評価している」
いや、おれは恨んだりしないよ、とタイラーは愛想よく笑った。給料支払小切手が組合から送られてきているあいだは他言しない。
タイラーは言った。「早期退職だと思ってくれ。年金つきの早期退職」
タイラーが扱ったフィルムは数百本にのぼる。
フィルムはすでに配給元に返されている。フィルムはすでに配給会社に返却されている。 コメディ。ドラマ。ミュージカル。 ロマンス。アクション。
タイラーの一コマポルノが挿入されたまま。
同性愛行為。フェラチオ。クンニリングス。SM。
失うものは何もない。 おれは世界の捨て駒、世の全員の廃棄物だ。"(P158)
"「忘れるなよ」とタイラーは言った。「あんたが踏みつけようとしてる人間は、我々は、おまえが依存するまさにその相手なんだ。我々は、おまえの汚れ物を洗い、食事を作り、給仕をする。おまえのベッドを整える。睡眠中のおまえを警護する。救急車を運転する。電話をつなぐ。我々はコックでタクシー運転手で、おまえのことなら何でも承知している。おまえの保険申請やクレジットカードの支払いを処理している。おまえの生活を隅から隅まで支配している。
おれたちは、テレビに育てられ、いつか百万長者や映画スターやロックスターになれると教えこまれた、歴史の真ん中の子供だ。だが、現実にはそうはなれない。そして我々はその現実をようやく悟ろうとしている」とタイラーは言った。「だからおれたちを挑発するな」
本部長は激しくしゃくり上げ、スペース・モンキーはしかたなくエーテルの布を強く押しつけて完全に失神させた。"(P238)
おまけに、この作品世界ではタイラー・ダーデンのカリスマ性を非常に現代的な思想で否定してみせる。それを「ぼく(眠っていない時の主人公)」との綱引きと同じくらいのウェイトで、みずから組織したファイト・クラブとのマウントの取り合いをやってみせるのである。
" 今後、新たなリーダーがファイト・クラブを開設し、地下室の真ん中の明かりを男たちが囲んで待っているとき、リーダーは男たちの周囲の暗闇を歩き回ることとする。
ぼくは訊く。その新しい規則を作ったのは誰だ? タイラーか?
メカニックはにやりとする。「規則を作るのが誰か、わかってるだろうに」
新しい規則では、何者もファイト・クラブの中央に立つことは許されない、とメカニッ クは言う。中央に立つのは、ファイトする二人の男だけだ。リーダーの大きな声は、男たちの周囲をゆっくりと歩きながら、暗闇の奥から聞こえてくる。集まった男たちは、誰もいない中央をはさんで正面に立つ者を見つめることになる。
すべてのファイト・クラブがそのようになる。"(P203)
チャック・パラニュークはこの時点で自ら創作した魅力的な主人公を押さえつけファイト・クラブを「プラットフォーム」化させている。いくら働き者のタイラー・ダーデンでも仕組み化無しにカリスマ性だけで米国中のおにーちゃん達を組織化できない。カリスマ的中央集権を引用の部分では驚くべき明朗さで否定している。
経済学的にも政治思想的にも組織論的にも非常に示唆に富んだ小説だ。
消費経済の暴走にカウンターを当てながら、主題となるアナーキズムの暴走を突き放したように客観視する。
"騒乱プロジェクト強襲コミッティの今週のミーティングで、銃について必要な知識をざっと説明したとタイラーは言う。銃がすることは一つ、爆風や爆圧を一方向に集中させることだけだ。"(P168)
幾重にも張り巡らされた冷めたメタ認知が描く暴力=自己破壊による自己決定権の回復。文章を訓練しただけじゃ書けない小説です。