紙の本
興味深い
2016/06/26 16:23
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投稿者:エピゴーネンキャット - この投稿者のレビュー一覧を見る
ちょうど今の自分にぴったり。大変興味深く読ませてもらいました。面白かった。
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近親者に寺があるので他人事ではない。多くの寺がこれからどう生き残っていくのか、模索しているようで、単に心配しながら手をこまねいているだけなのかもしれないと感じられた。
個人的には宗教とその教義はもうこの世界に必要ないと考えているので、寺と僧侶がいなくても、祖先の墓を大事にし続ける鹿児島県の例は興味深かった。
地域の紐帯としての存在感というあたりは、最近の、図書館の価値の問い直しとも似ている。仏の教えも読書の意義も、無理矢理誰かに押し付けられるものではないからな…
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良書。日本における神社仏閣の現実を、知らなかった自分に唖然とした。日本人としての自分のあり方をも考えさせる。
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人口動態と日本人の価値観の変化により苦境に追いやられている寺院の状況を取材している。寺院の収支や住職の役割、宗教崩壊の歴史などがよくわかる。福沢諭吉のミイラの話も面白い。
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アマゾンお坊さん便がニュースになったかなり前に読み終わったのでうろ覚え。お寺の経営は大変だな~とか、今は昔とは時代が違うから仕方ないよね~とか、工夫で逆境を乗り越えてお寺営業続けてる人もいるのか~とか。事業継承にこんな感想を持ってしまうよじゃ、お寺さんがやっていることってもはや宗教じゃないね。
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この夏、母方のお墓へお墓詣りに行ったら隣が「無縁墓」(管理する人がいなくなった墓。そういうお墓は規定期間に関係者からの申し出がなければ、取り潰される。お骨は共同墓に埋葬し直される)になっていました。が、本書で紹介されるように「墓」だけでなく墓を管理する「寺院」自体が無くなる時代がまさに今、来ているのです。
都市への人口集中、地方の過疎化、少子高齢化など日本が抱える諸問題はお寺とも無関係ではありませんでした。本書はそんな「寺が消えつつある時代」を自身も僧侶の資格を持つ経済誌の記者が精力的に取材し、まとめた1冊。個人的には第2章の「住職たちの挑戦」が一番面白かったです。ゆうパックで遺骨を送れば永代供養してくれるお寺や、都会に新しく開かれたお寺、退職後の第二の人生を僧侶として歩み始めた大企業のエリートサラリーマンなどなど。
まさに自分自身が先祖代々のお寺と関係を持たずに生きている身なので、考えさせられることがたくさんありました。個人的には散骨か、共同墓地に入りたい・・・。
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日本の地方過疎化に寺院はどういう状況になっているか?僧侶かつ記者の著者が、現状のルポと歴史背景を記述。
歴史的には、江戸時代で体制に組み込まれる。寺請制度で、すべての民が基本どこかの寺の檀家となり、それが寺の経営も支えることになる。しかし明治の廃仏毀釈、国家神道化で仏教の政治的梯子が外される。その後は政治に擦り寄りつつ、勢力をキープし、中国大陸での布教活動や殺生戒を破って従軍、武器の寄進などの戦争協力をすることになる。戦後のGHQの農地改革で領地を小作人に払い下げ、経済基盤が弱くなり、さらに宗教離れ、過疎化で檀家が少なくなってきた。
現状では全国7万の寺院のうち、無住職がすでに多くあり、ま高齢化しているため都市が消滅するよりも早く寺院が消滅していく可能性がある。寺院は個別で独立宗教法人であるため、本山が直接指示することは難しく、また行政も政治と宗教の分離のためサポートは見込みづらい。実際311では宗教法人へのサポート体制は欠如している。
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都会暮らしのビジネスパーソンに、親の死後、初めて寺との付き合いが生じる。ビジネス界の常識は、田舎のしきたりの中では非常識になることもある。金銭や地方の慣習に対する考え方の違いをめぐって、菩提寺に見切りを付け、無宗教の霊園に改装する人も出てきている。(中略)結果的に死者をないがしろにしてしまっているのは、哀しいことである。(p.43)
石井さんは、尼層の役割を「”優しさ”の連鎖をつくること」だと強調する。社会的、経済的に強い立場の者は、未来に向いて歩いてゆける。しかし、世の中には過去が重荷となっている弱い者もいる。そうした人が、ふと腰を下ろせる場が必要だ。それが尼寺の存在、ということなのかもしれない。(p.106)
地域独特の「余計なこと」ってありますよね。人付き合いとか、お墓参りとか、しきたりとか、季節の行事とか。われわれは合理的な考え方でどんどん「余計なこと」を省いてきたのでしょうが、浅慮だったとしか言いようがないです。(p.113)
「寺」という言葉の意味をご存じですか。「同じ状態を保つ」という意味です。「ぎょうにんべん」を付ければ、同じ状態で佇むことを意味する「待つ」。それが、主君を守備する「侍」の務めでもあります。もっと言うと、「やまいだれ」を付ければ、なかなか治らない「痔」ということですよ(笑)。(p.118)
諸法無我とは分かりやすく言えば、「世の中のすべてのものは常に変化している。そこに『我』という中心的なものは存在しない。一切が万物との関わりの中で生かされている」という仏教の根本的な教えの一つである。(p.149)
市井の人々に近いところ、世俗で生きているからこそ、できることもあると思います。世俗で迷う人々と同じ視線に立つことで、悩み、苦しみに対して想いを馳せ、共有できる。日本の僧侶ができることは、仏教の理念や理屈を並べたてることだけではなく、今の生活を大事にしながら、人々に徹底的に寄り添い、その願いに応えようと努力することだと思います。
「清貧」でなくとも、そこがぶれなければ僧侶に対する信頼は揺らがないでしょう。寺の存続問題も、「僧侶が人々に寄り添えるか」、つまるところはその「覚悟」それだけだと思います。(p.238)
(解説・佐藤優)宗教が衰退しているのは、死に対する意識が変化しているから、と私は見ている。葬儀を行わず、墓をつくらない人が増えているのは、死に対する意識の変化だ。
生のみを追求して、死は無意味であるという発想は間違いだと思う。人間は必ず死ぬ。それだから、限界を意識し、充実した生を送ることができるのである。(p.274)
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なんで日本の仏教は、上座部仏教と違って妻帯者OKなのかなとか、色々疑問があったのですが、本書を読んで結構スッキリしました。そして、お寺さんってどのような経営になってるんだろうとか、税金回避で儲かってるんじゃないかとか、そもそも実態はどうなんだろう、というお寺に関する素朴な疑問もスッキリ解決しました。
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お寺に興味を持つのは、ある程度年齢が高くなる頃である。
それはなぜかと言うと、自分の親が亡くなったり、
自分のお墓の事を考え始めるからだ。
私が今回この本を読むことになるのも、
そういう年齢になった自分がお寺を気になり出してきたからだろう。
この本は3つの事を教えてくれる。
①地方の困窮寺院の声が聴けてお寺の現在の実情がわかる。
②伝統仏教の構造をひもといた歴史がわかりやすい。
③菩提寺との付き合い方がわかる。
将来、全国の7万7千カ寺のうち3割から4割が消滅する恐れがあると、
本書は指摘する。
果たして、本当だろうか?
もっとも深刻な問題が
全国の寺院7万7千カ寺のうち、住職がおらず、後継者も見つからない
「無住寺院」が約2万カ寺存在する。
さらに活動停止している「不活動寺院」が2000カ寺あるという。
この傾向は地方だけではなく、都心の寺でもある問題であるという。
壇家の高齢化に伴う現象。
地方から都心への人口流入により、お墓を都心に改葬する人の増加。
他にもいろいろ原因がある。
話は変わるが、本書に興味深いエピソードが書いてあるので紹介しよう。
福沢諭吉がミイラで発見されていたという話。
今から38年前の事。
諭吉がミイラで発見された場所は東京都品川区上大崎の常光寺(浄土宗)。
諭吉が亡くなった時、本来なら菩提寺の麻布十番にある善福寺(浄土真宗本願寺)であるべきが
なぜ、常光寺に埋葬したかと言うと、諭吉の遺言で「眺望がよかった常光寺にして欲しい」と書いて
あったからである。
しかし、世の中は諭吉を安らかには眠らせてくれなかった。
常光寺である理由で宗派が違う者は埋葬できないように決まってしまい、
諭吉は改葬(移動)しなけれはならなくなった。
そこで、穴を掘り棺を開けたら、着物を着た諭吉がそこに居た。
当時そのミイラを観た関係者によると、お茶の葉が沢山かぶっていたという。
ミイラになった原因はお茶の抗菌作用と地下の冷水に浸かった状態がそうなったのでは
ないかと推測する。
ビックリなエピソードである。
平成の日本を観て諭吉はどう思ったのだろうか、聞いてみたくなる。
最後になるが寺院消滅をくいとめる為にはどうしたらいいかを
作家の佐藤優氏が提言しているので、本書を読んで確認して欲しい。
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「遺骨ってゆうパックで送れるらしいよ」といいながらこの本を返却してきたお客さんがいて衝撃を受け読んでみることに。
「送れるかもしれないけれど送る人そんなにいないだろう」と思いつつ読み進めると、ゆうパックの話だけではない衝撃的なことがたくさん書かれていました。
本当に以前から「宗教法人は非課税だから」とか「坊主丸儲け」とか宗教関係職はあまりよく言われなかったものですが、これを読むとそんなことは全くなく、今の寺院の大変さと言うものが壮絶なことになっているのが良くわかります。
世俗習慣の変化と言うのも大きいとは思いますが、政治がらみというか社会の仕組みや制度の変化によるあおりがかなり大きかったのだ、ということは全く知らず大変興味深く読みました。寺院の土地を一般に払い下げ、と言うような事実は一般には全く知られていないことでしょうね。
著者は僧侶でもあるライターさんと言うことで、僧侶ならではの目線と危機感をリアルに感じられ大変読み応えがありました。
おそらく手に取るのは40代以降で興味のある人だけだろうとおもわれますが、寺や墓のことが気になりだしたら常識やマナー本とは全然違いますが、社会人として読んでおいてもいい一冊かもしれません。
自分もこれを読んで、菩提寺がなくなったら困るのでお布施を増やしたほうがいいのだろうかと思ってしまいました。
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自分の両親はどちらも実家を離れて地方都市で生活をしてきたため、檀家ではない。
さらに僕は東京へ出て来て、独身のまま。
寺が無くなっても、何も困らない。
墓はいらない。
これでいいのか、と思って本書を借りてきたのだが、答えは無かった。
タイトルどうりのことになるのだろう。
僕は宗教書をいくつも読んだ時期があったが、迷いの救いには結局ならなかった。
東日本大震災のような惨事があったときこそ、宗教界の出番であろう、と思っていたのに、ほとんど、救いになったようには思えなかった。
著者の主張のとおり、僧侶の意義は「よりそうこと」にあると思うのだが、僕にはそのようなことが身近に見られない。
なんだか本来「救済」を本職としている仏教界自身が「救済」の手段がない、状況と思え、むなしい読後となってしまった。
短時間ながら著者の詳細な取材活動には敬意。
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けっこう前からわかっていて、という日本でよくあるパタンの話なんだが、では、自分が檀家寺のお布施に何十万出せるかというとそれもなかなか難しい。良い葬式仏教ってどんなものだろう。
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「坊主に憎けりゃ袈裟まで憎い」と言いますが
それでも坊主も人の子なのですね。
廃寺とか、Amazon坊主とか、いろいろ坊主を取り巻く環境は厳しいのですが、この本の偉い所は、
それでも坊主も人なのだ! という首尾一貫したまなざしです。
最近、葬儀本や宗教本や終活本がわんさか出ている、その中の一冊だと思ってたのですが、大体それらは現代の構造や、宗教の制度の問題を批判しているのですが、それらと違ってこの本はとても有益な本でした。
滅びゆくお寺
そのどん底で這いつくばるお寺
かつても滅びかけたお寺
著者自身が僧侶だからかもしれなしけれど
「お寺の事情も分かってよ」という言葉がにじみ出るほどに消滅危機にある寺院への愛の溢れるルポである。
玄侑宗久らの有識者へのインタビューも有益、
江戸以降の仏教と社会との関係史もみものです(寺請制度、廃仏毀釈、戦争加担、農地改革)。
でも、諸行は無情なのだし、釈迦も言っていたように末法の世は必ず到来するのだし(それが今かも)、いつか必ず弥勒は登場することを信じて、驕奢や争いに走らずに精進し続けなければならない。
がんばれ、仏教界。
釈迦の説くとおり、末法を生き抜けよ!
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お寺の存続問題をわかりやすく書かれていて、読みやすかったです。
学校がずっと仏教系だったので、よけいに興味深く感じました。
京都の「祇王寺」は行った事があります。「尼寺」としての歴史が
終わりに近づいていると書かれていました。
薩摩藩島津家の菩提寺がないことに、驚きました。
薩摩藩主は、歴代名君といわれていますが、廃仏毀釈の嵐には
屈してしまったようです。