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商品説明
幕末の日本に来航後、軽業見世物の興行師に転身し、日本人一座を率いて世界各地で公演、ついに1885年ロンドン「日本人村」を仕掛けた謎のオランダ人の正体とは? 軽業見世物興行を通じ、19世紀後半の日英関係史に迫る。【「TRC MARC」の商品解説】
幕末・明治初期の「ジャポニスム」の裏面史に迫る
幕末・明治初期の混乱の中、領事館通訳、見世物興行師、そして1885年「日本人村」の仕掛け人として暗躍した謎のオランダ人ブヒクロサンとは?
史料を博捜してその正体に初めて迫り、「見世物」というジャポニスムの裏面と、そこからの脱却を悲願とした十九世紀日本の自画像を読み取る。
■タナカー・ブヒクロサンとは?
1839年オランダ・アムステルダムに生まれる。本名フレデリック・ブレックマン。世界を放浪の後、1859年長崎に来航。英国公使館・フランス公使館で通訳に雇われる。下関事件の交渉(1861年)や横浜鎖港談判使節団(1864年)にも通訳として陪席するが、フランスからの軍艦購入代金を幕府から搾取して通訳をクビになる。自分で商社を起こすも、支払いを踏み倒して投獄される。サンフランシスコに逃亡したが、折しも同地で公演され、注目を集め始めていた日本の軽業見世物に着目、1867年、自らの一座を立ち上げてサンフランシスコで公演、さらに米国内や英国、オーストラリアなど、各地で公演を行なう。この頃からタナカー・ブヒクロサンという日本人的な名前を自称し始める。
1873年頃から「ジャパン・エンターテイメント」を提唱、単なる軽業・演芸の興行のみならず、日本の家屋や屋台村を設営し日本の物産の販売や工芸の実演を行なう総合的興行へと発展させていく。
1885年、その集大成としてロンドンに「日本人村」を開業、4か月で25万人の来場者を集め大盛況となるも、わずか4か月後に焼失。再開後は人気が低迷し、「日本人村」を売却、以後は英国各地を巡業し、1894年にロンドン近郊で没した。
【商品解説】
著者紹介
小山 騰
- 略歴
- 〈小山騰〉1948年愛知県生まれ。慶應義塾大学大学院史学専攻修士課程修了。ケンブリッジ大学図書館日本部長。英国図書館情報専門家協会公認会員。著書に「国際結婚第一号」など。
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ジャポニスムを支えた日本ブームの実相
2016/02/12 08:27
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:ねつぞう - この投稿者のレビュー一覧を見る
ジャポニスム隆盛の基底に何があったか。ヨーロッパ美術の世界での話に局限されてきた観があるジャポニスム。このとき、日本ブームがイギリス社会に広がる。イギリスの家庭の壁紙が、一斉に日本趣味のものになる。日本の軽業師や様々な職人(手職の実演)が渡英し、興業としての日本人村をつくり、英国人が殺到する。こんな仕掛けを作ったのが「タナカー・ブヒクロサン」、この男とは?という、長大なノンフィクションである。この時期の様々な資料を盛り込んで、やや冗長の感なきにしもあらずだが、テーマがこれまで語られてこなかったものなので、面白く読めた。力業の大力作!