紙の本
私の書評はどこから書いて、どこでオチをつけるのか
2015/12/20 22:41
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投稿者:朝に道を聞かば夕に死すとも。かなり。 - この投稿者のレビュー一覧を見る
森さんがいろんな科学者にお話を聞く本です。映画監督ですので、その表現が単なる会話の羅列じゃなくて森さんの思考過程がオープンにされた書き方です。
タイトルの疑問に福岡伸一さんは、結局のところ科学は最初の「なぜ」存在したかということにどうしても答えることができない。「どのように」に対して、解像度の高い言葉で説明しない限り、なぜには到達できないとします。そうか、だからオウム事件の時、科学者の卵がなんで瞑想とかにハマったのかわからん、ってなった時、科学は本質的に「私たちはどこから来たのか」とかには答えないからハマる人がいても不思議じゃないって事だったのか。
学校教育で進化があまり取り上げられていない積極的な理由は特にアメリカの場合はキリスト教徒の関わりがあるので、進化の教育においては非常に特殊な部分がある。競争原理を強調するダーウィニズムは資本主義を正当化する時は非常に都合の良い根拠(ダーウィンがマルサスの『人口論』をヒントにしてるからなおさら)で、男性的であるため、進化論と学際的にタッグを組んだ進化心理学とか進化生物学といった分野は、成人になってからその広がりを知ることになります。
森さんは、生物学は、進化は突然変異と適者生存、DNAというメカニカルで物理的なイメージがあるとしていまして、教育の力によってみんな平等に伸びる競争環境にあるって「約束事」が崩れる恐れがあるからあんまり進化って教えないのかもしれないって思いました。
藤井直敬さんの「幸せという感覚だけで考えるならば様は脳内物質を出すような装置を開発すれば、とりあえず幸福や至福の感覚は得られる。とりあえず幸せな状態にはなれるが、いつかはそこから戻らねばならないなら、さらに辛い」ってのはわかります。新婚夫婦が「笑顔のあふれる毎日にしたいと思います」とかスピーチしても、日々の辛いこと、些末な日常があってこそ、幸せが光るんだって思いますもの。
池谷裕二さんは「コップと名付けると自体のコップを離れてコップという概念が生まれる。言葉なしには到底思いも寄らない宇宙のような巨大世界までも想像できる。そもそも自分が存在する理由なんて考えなくてもいいじゃないが、言語はもともと社会性の涵養や記憶の補強、他者に対する理解のために使われるもの、あくまでのコミニケーションのツールなのに、自分とは何だろうと自問するようになったのは、言葉の副作用」とし「確かに」って思いました。そういえば既存メディアとネットがどうとか言いますが、同じ意思伝達のツールという視点で見たら、庶民にとってはあまり関係のないお話ですもんね。
長谷川寿一さんは「クジャクの目玉模様の数が多いほど繁殖成功が高いことが全然再認できなくて結局はあんまり羽根が綺麗じゃなくてもオスがモテたりします。クジャクの鳴き声の方が正確な指標だということが明らかになったんだけれども、おそらくは進化の過程において「きらびやかさが重要だった時期」があったのだろう」とし、クジャクって鳴き声がトレンディ―なの?って驚きました。
一応、書評が1500字制限なので、分散させて書きましたが、タイトルに書かれていた「問題」がちょっと心に引っかかる方は是非。個人的には池谷さんと藤井さんの所は読みやすかったですよ。
紙の本
爽やかなモヤモヤ
2016/10/31 18:50
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投稿者:390 - この投稿者のレビュー一覧を見る
「ひと」とは何か、「私」とは何かを最先端の科学者と語り合う。書かれていることの全てを理解できると問われれば、否。理解できない。分からない。納得もできない。それなのに面白い。爽やかなモヤモヤ――という不思議な読後感。
質問に「答える」科学者も、サラリと「わからない」と言ってのける。そしてその「分からない」も「私たち自身」が作り出している、と。理屈では分かる。でもやっぱり分からない。「自分」どころか「世界」や「現実」までも揺らぎ出す。
「私」が見ている世界と「あなた」が見ている世界が同じとは限らない。「私」が見ている世界と飼い猫が見ている世界は違う。しかし猫にとっては猫の目に見えている世界が現実だ。私の見ている世界が現実ではない。…現実って何だ?
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著者が「私たちはどこから来て、どこへ行くのか。何者なのか」を10名の科学者に問う。
団まりな氏の勢いある語りは圧巻。
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賢い質問をすることは
とても 難しい
その 賢い質問をするために
きちんと 聴き手が準備をしておくことは
本当に大切だ
と 思い知らされる
ただ 話を聴くだけではなく
その 会話がより賢くなるためには
聴き手の知的底力が必要なのだ
と 思い知らされる
なんと よんでいて
わくわくさせてもらったことだろう
理解できた部分は
そう多くないような気もする
いや むしろ解らなかった方が
多いかも知れない
でも この対談に参加させてもらったような
気がして
ちょっとだけ (自分が)賢くなれたような
気もさせてもらっています
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当然ながら答えは出ない。
しかし第一線の科学者たちの現代の到達点の紹介として門外漢にも楽しめた。
インタビュアーとインタビュイーが真摯に話し合う姿に憧れを覚える。
それもこれも素粒子の世界を模した姿なのであろう、
なんとなく鈴木光司「リング」の最終巻を読み返したくなった。
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まさに表題通りの問いを筆者が各分野第一線の研究者に投げかけるわけだが、極めて観念的、抽象的な問いであり、筆者自身が半ば明確な解答を諦めていることもあり、特に議論が深まることもない。
科学の最先端の発見や認識の情報も織り込まれて入るが、散発的で特段系統だったものでもなく、筆者の狙いは達成できたのかも知れないが、本としてはいかにも中途半端な印象が強い。
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子供のころ誰もが抱いた素朴な疑問。
人は死んだらどうなるの?と言う事を、生物学や物理学など様々な理系の分野のトップに質問する対話集。
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子供の頃に誰もが思う疑問を今現在最先端で研究をされてる方から直接伺う贅沢な本。難しい事も多かったから全ては理解出来てはいないと思うけど、興味深かった。
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これを本屋で見つけた時は驚いた。
オウム事件や死刑制度をはじめとした数多くの社会問題を扱うノンフィクション作家が、まさかの本場科学者へインタビューという、なんとも意欲的な対話集。
そしてそのラインナップがすごい。本屋の専門コーナーで名前を見ないことはないような、一般向け解説でお馴染みの面々がズラリ。
しかもタイトルがゴーギャンの例のアレ。
人の生死について倫理的・社会的な面で真っ向から取り組んできた筆者が、科学的アプローチでこの命題に挑む。いろんな意味でキャッチーな一冊。
内容としては、科学的に真新しい話はない。何かとメディアリテラシーに関連付けていたりで、科学書ではなくあくまで森達也の本という感じ。
それにしても筆者は「ならば◯◯。」って言い回し好きだな。
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文系、理系と分けること自体が無意味だとよく言われるが、自分を考えた時、「文系」としか言いようがないので、この分類はやめられない。
この本は、「第一線の理系の知性に生粋の文系」森さんが対峙する企画で、文系の私としては、なんといういい企画の本だろうと思って読み始めた。しかし、ほどなく、当たり前だが、森さんと自分を同レベルに考えてたこと自体がどうかしていたことに気付く。なかなか、レベルが高く、半分も理解できない。でも、それなりにおもしろく読み進めた。最後の3章、藤井直敬さん、池谷裕二さん、竹内薫さんまでくると、文系の私でも、ちょっと話に加わらせてもらいたくなった。
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ボクも森さんのように、子どもの頃、死んだら消えてしまう自分が怯えて、結局ノイローゼになったが、中高生の頃には自然と治ったが、気がついた時には自分という意識があり、60歳にちかくなって、死をかなり意識してきた。私にもどこから来て、どこへいくのかわからないが、人類は永遠に繰り返すのだろう。それも地球が消滅するまでだ。
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書名はゴーギャンの絵から取られている。人の一生や生老病死、ささやかな喜びや希望など、どのようにも見える絵である。この絵をモチーフに対談が進む。森は文系を自称するが、論理を情緒で伝える技能を持つ。また研究者たちも素直に理系な人々ではない。だから、森の素朴な質問にもみんな誠意を込めて答えている。(岡ノ谷一夫)
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とても難しい本だった。
結局人間は細胞レベルが生きているということだと思った。
ダーウィンの進化論はまだまだいろいろな考えがあると初めて知った。
誰かがこの宇宙や人間を作ったと言う考えの説についてもう少し調べたいと思った。
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『マンモスの作り方』⇒『Ank:mirroring ape』あたりからの興味の連鎖で読んでみる。
森達也本は『チャンキ』以来か。 実は、その中でも、ヨシモトリュウメイと名乗る謎深い登場人物に、「なぜ生きものにとって最も大事な物質である水は、凍ると密度が小さくなる例外的な性質を与えられたのか。その理由は何なのか」と語らせ、インテリジェント・デザインについて触れていた(本書で2,3度登場する)。『チャンキ』のレビューを読み返してみると、本書も含め、あと『人間臨終考』とで”三部作”なのだとメモしてあった。忘れていた。
本書は、表題にもなっている著者の疑問を、その道の専門家に問うた対話集。自然科学の第一線の研究者10人と濃密な問答が繰り広げられる。
「今日はできの悪い学生に講義するように教えてもらいたいのですが・・・」
と低姿勢で教えを乞うが、著者も相当勉強して臨んでいることがよく分かる。更にドキュメンタリー映画を撮るだけあって、対話をいかに運ぶか、その方向性や他の問題への拡散なども周到に計算されていて、著者のインタビュアーとのしての力量も窺い知れる。例えば、宇宙のダークマターを扱う物理学者の村山斉に対して、インタビュー冒頭いきなり少年時代のことを尋ねる。理由は、
「いずれ宇宙の話になることは大前提であるけれど、その前にできるだけ村山のテンポを崩しておきたい。ならば同じダークマターの話でも、違うニュアンスを引き出せるかもしれないと考えたのだ。」
という著者の策略が記される。読み始める前の会話が交互に並んでいるのかとの予想に反し、著者による、いい具合の編集が入っていること、ドキュメンタリー映画のト書きのような感じで、発せられる言葉の他に周辺状況や補足的な情報も上手く組み込まれていること、著者の対話の駆け引きなどの内面も描かれていて面白い。
最終的に、表題の解は得られない(それは予想されていた)。が、そのことを考えることの面白さに溢れる有意義な試行錯誤、紆余曲折が楽しい。 結局、第1章の福岡伸一との対話に出てくるように、
「結局のところ科学は、最初のWhy、「なぜそれが存在したのか」にどうしても答えることができないので、How(いかに)のほうを一所懸命考えることによって、ある意味ごまかしているわけです。」
と、”なぜ?”への回答はない。さらに、Howについても、それを説明したさまざまな学説も、歴史認識や思想と共に”市場原理”に晒されていて、”発達したメディアによって、あらゆる事象や現象は矮小化される。考古学や歴史認識だってそうしたバイアスから無縁ではいられない”と人類学者諏訪元相手に語り、進化生態学者長谷川寿一との対話では、本書のテーマを語る上での最重要原理のダーウィンの進化論についても、
「当時は産業革命のまっただ中で資本主義の隆盛期で、それに対するアンチテーゼとして社会主義も出てきたわけです。競争原理を強調するダーウィニズムは資本主義を正当化するときは非常に都合のいい根拠になりますから、それでああいう考え方も広がったんだと思います。」
という発言を引き出している。著者もダーウィニズムは、
「社会の近代化と共に社会学的に援用されて、優生思想や差別や格差を肯定する思想に結び付いたとの批判もある。あるいは宗教との相克もある。」
と記す。答が得られないどころか、今ある考え方にも揺さぶりをかける。話題は自然科学に留まらず、著者の意図するところ如何に関わらず多岐多様に広がりを見せ知的興味を刺激する。
生物学者団まりなの、歯に衣着せぬ男性批判も痛快だ。「自然淘汰」、「適者生存」、まさにダーウィニズムが支持され、闘争本能が生き残るために不可欠と思いこまされるのも、
「男の学門がそう思いたがるのだと私は考えています」
と語り、研究者による考え方にも男女性差はあり、”男は単純で競争が好き”と団はバッサリ言い切る。
「長く男性原理が支配してきたアカデミズムの場に身を置いてきたからこそ、彼女の実感として形成された論理なのだろう。」
と著者は分析を加えるが、今後、女性の進出があらゆる分野に拡がり女性による進化論が台頭してくれば、ダーウィニズムも覆されたりするのかもしれない。それこそ性淘汰か?! 実に面白い!
そんな各ジャンルの一線級の識者と繰り広げられる丁々発止の対話。付箋紙マーキング箇所が増えるのも無理はない。
大変お勉強になった一冊。
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2018.7.7市立図書館
延長して借り直してようやく読了。
自称文系の著者が第一線の理系研究者やサイエンスライターに科学や生命、宇宙についての素朴な疑問をぶつけていく。
もともと2012−2014年にかけてPR誌「ちくま」の連載中もずっと読んでいたのでほぼ再読だけれど、定期的に読み直すと発見があったりより深く考えられたりしそうな対談集。
あらためて読んでみて、福岡伸一、団まりな、村山斉、池谷裕二あたりはとっつきやすくて印象に残っていたとおりだったが、藤井直敬は今回はじめておもしろいと思った。