紙の本
表紙は著者の父親の写真。
2019/10/22 02:45
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投稿者:かしこん - この投稿者のレビュー一覧を見る
「あぁ、そういえば邦訳が出たから読みたいと思っていたのにすっかり忘れてたなぁ」とその本の実物を見て思い出す。確か、発売時期になんかの書評で取り上げられていたのです。奥付の発行は2015年9月ですよ・・・4年以上も忘れていたとは。でも、逆に言えばその後、話題に出なかった(新事実が判明していない)ということでは。
犯罪ノンフィクションを結構好んで読んでしまうほうですが、ゾディアック事件に関しては未解決なのと専門の邦訳書が少ないこともあり、私の知識は映画『ゾディアック』(デヴィッド・フィンチャー監督)に上書きされてしまいました。映画の原作であるロバート・グレイスミスの『ゾディアック』邦訳を読んでも「映画と固有名詞のカタカナのふり方が違う(トースキーがタースキーになっている、など)、なにより最有力容疑者の名前が全然違う」とパニくるほど。本書でもかなり違うので(トースキーはトスチに、ヴァレーホがヴァエホーに、など)、どれがどれなのか納得するのに時間がかかって。
でもある程度わかってきたら、本書の主張は映画ともグレイスミスの主張とも符合すると感じられて「おぉ!」となる。
しかし本書の読みどころはゾディアック事件の真実というよりも、親に捨てられた子が過去を振り切ることのほうだった。
2002年5月、39歳であった“私”(筆者)は初めて実の母親の名を知る。 素晴らしい養父母に育てられ愛情を感じてはいたが、実の親には見捨てられたという感覚からずっと逃れられない著者は、母親に実の父親のことを尋ねるが、母はあまり覚えていないという。それならば、と自力で調べ始めたら・・・父親はゾディアックだったのではないかと考えに至った。
何故、そんなにも自分の生物学上の両親のことを知りたがるのか不思議でたまらなかった。
養父母がいて関係が円満なのだからそれでいいではないか。 知ったからっていいことばかりじゃないのに、と私は思ってしまったが、筆者は信心深い養父母から愛と赦しの大切さを学んでしまったので、生物学上の両親のことも愛して赦したくてたまらないらしい。
遺伝上の父親と別の母親との間に生まれた子供(筆者にとっては義妹弟になる)に、自分が見つけ出した手掛かり(父親はゾディアックらしい)を突きつけて「兄妹だから(一緒に受け止めよう)」みたいに迫るのは・・・すげー迷惑だと思うんですけど、筆者はなかなか気づかないし(自分の妹だというだけで通じ合えると思っていた、と書いている)、「実の親に捨てられた悲しみは一生付きまとって離れない」と自分のことだけでなく妹弟のことも含めて断言している。彼とは違う形で対処している可能性を考えに入れてない・・・「すべてを赦し、受け入れる」という筆者の想いは素晴らしいと思うが、それをすべての人に強要しないでほしいな、と感じてしまった。彼はそうしなければならなかったのだろうけど、誰もがそうではないのに。
とはいえ、父親の親族との交流が描かれると、「なるほど、そうやって縁が続く・親戚の輪が増えていくのは面白いかも」と思わされるけれど・・・もし自分だったらそこまでしたいだろうか、したくないとしたらそれは何故なのか、と考える。
筆者は「愛されたい」という渇望に忠実に行動している。愛されたいから自分も愛していく、という感じ? それでやっと自由になった。
私は、自分が愛していない人に愛されることを求めない。その気持ちに至ってようやく自由になった。
多分、到達した気分は似ているけど、その過程は千差万別なのだ。
筆者の心の平穏に祝福あれ。
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ゾディアック事件は、アメリカの未解決事件としては大変有名な事件であり、著作も数多い。映画もある。
本書は「自分を赤ん坊のとき捨てた実父がゾディアックであった」とする男性が、自らのルーツを追う上で否応なく自身の父の実像と直面し、自らの人生を振り返る手記である。
実際のところ、ゾディアック事件はまだ根本的な解決をみていない。よってこの本に書かれたことが全て真実なのかといえば、それは断定できないのだが、著者は「事件を調べる」というより「父親を調べる」ことを追い求めてこの結論に辿り着いており、信憑性が低いものでは決してない。提示される状況証拠も確度は高く見える。
恐らく、出版はかなり覚悟がいることであっただろう。記憶にもない自分の父を追い求めた結果が連続殺人鬼というのは、想像を絶する。
三章構成の本書において、第一章が彼の実の両親の逃避行、第二章がゾディアック事件の経緯とその周囲を追ったもの。そして第三章は、序章で実母と再会した著者がどのように実父を「知って」いったか、サンフランシスコ市警の不自然な隠蔽、本作を執筆するに至る経緯が書かれている。
前半は、恐らく集めた証言をある程度推測で埋めた物語として読める。第三章で登場する、溢れるほどの状況証拠のピースを構成した結果だ。
こういう手記を読むとき、生まれついての悪があるものなのか、考えこんでしまう。プライドの高さなど、何某かの「素養」があったにせよ、「ゾディアック」はその恵まれない家庭環境、出会ってしまった人びとの影響で「邪悪さ」を研ぎ澄ましていったような気がしてならない。暗号文や犯行の手紙などを何度も送り付ける様は、「自分が注目を浴びねば気が済まぬ」=承認欲求の渇望とも取れる。
著者が養父母をはじめとした家族に恵まれ、自身の出自や実父への疑念を歪ませることなく昇華できたのが、実父との表裏一体、光と影を思わせる。
2020年になってもこの事件に関する続報を耳にしていない。今後この事件が公式に解決の目をみるのかも分からない(私の調べが足りないだけで解決しているのかもしれないが)。それでも、これはひとりの男性が家族を追いかけて、自身を顧みるひとつの物語として秀逸である。
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生後4週間でアパートの階段踊り場に捨てられた男の子は養父母に
引き取られ、たくさんの愛情を注がれて大人になった。
39歳になったある日、実母だと名乗る女性から連絡があった。幼い
頃から養子であることは知っていた。だから、「自分は何者なのか」
との思いを抱え続けていた彼は、実母に会う決心をする。
顔さえ覚えていない実母との再会。これが共著者のひとり、ゲーリーの
長い旅の始まりだった。
実母は分かった。では、実父はどのような人なのだろう。ある日、テレビ
のドキュメンタリー番組にチャンネルを合わせたゲーリーは戦慄する。
未解決事件の犯人の似顔絵が写真の中の実父にそっくりではないか。
ゾディアック。1960年代末から1970年代前半まで、アメリカを震撼させ
忽然と姿を消した連続殺人犯。実父はゾディアックなのか。
本書はタイトルや帯の惹句からしてネタばれなのだが、実母との再会
のあとに実父を探す過程ではなくゾディアックを実父に置き換えて
犯行の様子を再現した章が挟まれている。
構成としてどうなんだろうと思うと同時に、実父がゾディアックである
という確たる証拠はないんだよな。
実父を知っていた人々や実母の話から得られる実父の人物像は、
確かに病理を感じさせるし、実際に犯罪歴もある。目撃者の証言
から描かれたゾディアックの似顔絵と実父の写真を見比べると、
似ているのも分かる。
ゾディアックが残した暗号のなかに実父の名前が隠されていた
という部分はこじつけのような気がしないでもないし、素人ながら
筆跡に類似点は少ないようにも感じられた。
ゲーリーは物書きではなくサラリーマン。その彼が仕事の合間に
12年の歳月をかけた実父探しの旅は、彼の中で父は連続殺人犯
だったとの結論になっている。
けれど、それは真実であるのかは不明だ。一切の証拠はない。
言ってしまえばゲーリーの妄想なのかもしれない。
私はゾディアック事件自体が不可解なんだよね。確認されている
4件の犯行のうち、3件ではカップルが犠牲者となっている。それも
女性の方が酷い襲撃のされ方をしている。
この3件だけであれば自分の元を去った実母への復讐だとの
ゲーリーの解釈も通じるのかもしれないが、4件目の犠牲者は
タクシー・ドライバーの男性なんだよな。犯行のパターンとして
おかしくはないか?
ゾディアック複数犯説もあるようだが、実際はどうなんだろうね。
実父とゾディアックを結びつける部分だけをフィクションと捉えて
読めばいいのかもしれない。
養子が実の両親を知る為に長い長い時間をかけて、実父が埋葬
されている墓地にまでたどり着いた。そんな物語としては興味深い。
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過去部分のドキュメンタリー風記述は非常に読ませるつくりで「これが真実に違いない」と思わせるが、現在の時系列で実際の証拠を見ていくと、暗号解読も筆跡鑑定も非常に弱いと感じる。筆者が少し入り込んでいて想像力過多に見えるところがかえって説得力を弱める。DNA鑑定で白黒つくと思うのだが、様子見だな。
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過酷な運命によって孤児となった著者が、実母との再会を機に父を探すノンフィクションの物語。
父は生死不明であり、更に数々の犯罪歴があることが判明します。
様々な証言を基に、著者は図らずも実父は殺人鬼ゾディアックなのではないかと疑いを持ち始めます。
証言と想像によって文学的に構成され、ノンフィクションに近い小説という印象を受けました。
アメリカでは話題を呼んだ一冊ですが、やはり賛否両論のようです。
しかし、著者の実父がゾディアックだろうとなかろうと、彼の自分探しの過程は楽しめました。
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ミステリー小説を読んでいるような感覚に陥るがノンフィクションである。
著者は実の親を知らず養父母の下で育てられたが、実の母に再開することで、著者の人生は大きく動き出す。母への再開によって芽生えた、父との再会への渇望。父の足跡を追っているうちに、父がかの有名なゾディアック事件の真犯人ではないかという疑念が沸いてくる。父はゾディアックなのか?真実を追い求めて著者が到達した結論は一体。
とにかくページをめくる手が止まらなかった。
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ノンフィクションなのか、フィクションなのか、とてもよくわからない話。
私はノンフィクションだと思って読んだ。
でも、それはそれで怖いな、と思った。
物語は養子だった子供が、自分の生みの母親と再会して。
そこから、「自分の父親のことも知りたい!」と思って調べ始めたら、実はとんでもない人間だった、という話でした。
これが本当なのか嘘なのかは、正直なところわかりません。
結局のところ捜査をしてみないとわからないと思うし、その捜査をしてくれるはずの警察が隠ぺい体質に走ってしまったら、どうしようもないなあ……と思うわけです。
日本でも、警察の隠ぺいがいろいろと言われていますが、それが日本だけのものでなかったということにびっくりだし。
海外でもいろいろあるのねえ……という感じです。
それでも、この大変なことがいろいろわかってきた状況で、真実を知りたい、という気持ちを失わない作者さんがすごいと思うし。
彼が、納得できる正解が出てこればいいと思います。
この話の続きはどこかにあるのだろうか……ですね。
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【所在・貸出状況を見る】
http://sistlb.sist.ac.jp/mylimedio/search/search.do?target=local&mode=comp&category-book=all&category-mgz=all&materialid=11530201
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内容は書籍通り。
1960年代に発生した連続殺人事件。
「ゾディアック」とは、「犯人」がマスメディアに送った犯行声明に自分から名乗った名称である。
すべては、「ある男性」が未成年の少女を誘拐し、結婚し、その間に子どもが生まれたことから、それぞれの人物の数奇な運命、人生の物語が始まります。
著者は出生に秘密をもつ男性。
ある日、育ての親から「生みの母親が名乗り出た」と告げられ、電話でのやりとりから始まり、サンフランシスコに住む実母と交流をはじめます。
そして、実母との交流のなかで、行方不明の実父を捜そうと決意する著者。
しかし、そう簡単に見つかることもなく、探せば探すほど、「実の父親」の「過去」がわかってきます。
実の母親は、当時のことをよく覚えていおらず(未成年だったということもあるでしょうし、思い出したくない部分もあるのでしょう)、筆者は、警察の記録に行き着くことになります。
その手がかりにたどると、父親には公開できない記録がある…。
ノンフィクションライターでもない、一般人である著者が、
親戚、実父の友人、新聞報道、警察関係者、そして母親の証言により、父親が「ゾディアックである証拠」を徐々につかみます。
そう、実父が連続殺人犯「ゾディアック」かもしれないということに。
個人的には、本書の半分ほどを占めるであろう、筆者が実の父親が連続殺人事件の犯人であるかもしれないと思い、「真実」を求めていく姿、あるいは、その執念とも言える情熱に引き込まれました。
(原著の書評を、発売前と読了後に、海外のAmazonなどで読みましたが、高評価があるのも肯けました。購入するきっかけともなりました。)
何ともやりきれない思い、ただ悲しいという思いも交錯し、形容しがたい読後感がありますが、ただそういう物語というだけではありません。
本書の最後の文章や、あるいは、「訳者あとがき」に書かれているように、ある種の「救い」「赦し」のようなものも感じます。
それでも、やはり何ともいえない読後感ではあります…。
さて、著者の「実父」が「ゾディアック」であるか否かということ。
これは、本書を読んで頂き、各個人の判断にお任せしたい。
以下、個人的な判断です。
本書の表紙を飾っている顔写真と「ゾディアック」の似顔絵は似ているともえいるし、似ていないかもしれない。
巻末には筆跡鑑定もあります。
この「筆跡鑑定」は、筆跡鑑定のプロが断定していないという条件付きです。
確かに、「ある男性」の結婚証明書に書かれたサイン、警察で書いたサインと、「ゾディアック」からの手紙にある文字には、ある一定の特徴があります。
文字の傾きや、いくつものアルファベットの独特な書き方。
そして、ゾディアックからの暗号文。そこには「自分の名前がある」と。
たしかに、「ある男性」の名前を見つけられます。
��だ、「無作為に並んだ文字列から無理矢理見つけた」とも言えますし、一定の法則があるようでもありますし、まったく関係ないようでもある。
ここは、個人的には判断が難しい。
(ただ、やはり「限りなく近い」という印象はあります)
2015年10月現在、本事件は、未解決事件のまま。
繰り返しになります。
筆者、あるいは、この表紙の男性(「ある男性」)の数奇な人生・運命の物語。
あるいは、関係する人物、人々のエピソードにもとても不思議な巡りあせせがあります。
この不思議な巡り合わせ、人と人とのつながりが、事件の真相を知る上で、時に貴重な存在になったり、時には「邪魔をする存在」にもなります。
ともかく、著者の数奇な人生、あるいは、それらにまつわることに思いを馳せると、「人の運命、人生というものは…」と感じずにはいられませんでした。
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米国犯罪史上に残る連続殺人犯・ゾディアック。自分の実の父親が、その犯人だとしたら……というノンフィクション。
少なくとも、確実な物証のひとつであるDNA鑑定の結果は、本書の中では出ていない。故に、著者が本当にゾディアックの息子であるかどうかは、科学的には確定していないと言える。少なくとも本書が書かれた時点では。
※但し状況証拠は著者の父親を指し示してはいる。
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かつて全米を震撼させた連続殺人犯が自分の父親ではないかと気付いてしまった作者によるノンフィクション。ゾディアックの生い立ちと一連の犯行、まだ見ぬ父親を追い求める作者の奔走が章ごとに語られ、極上のミステリーを読んでいる気分になりました。面白かった!
読み終えたあと、同じゾディアック事件を基にしたD.フィンチャーの「ゾディアック」を観直して思ったこと。この本の出版が2014年で映画が2007年のものだから、改めてこれを原作に続編作ってくれないかなー。真相は依然闇の中…で終わる映画の続編ってなかなか珍しいと思うんだけどな
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[埋葬すべき真実と向き合って]生後間もなく養子に預けられたことで心にトラウマを抱えた著者の元に、本当の母親だと名乗る人物が現れる。しかし、彼女が父親のことを一向に語ろうとしないため、著者は自らその調査に乗り出すのだが、彼が目にした父親とされる人物の写真は、全米を震撼させた猟奇殺人犯の人相とそっくりだった......。「事実は小説よりも奇なり」を地で行くノンフィクション。著者は、本作の発表で毀誉褒貶の評価を受けることになったゲーリー・L・スチュワートと、彼の執筆を手伝った作家のスーザン・ムスタファ。訳者は、エッセイストとしても活躍している高月園子。原題は、『The Most Dangerous Animall of All』。
数奇すぎる話の展開に鳥肌が立ちました。あらすじ惚れして購入した作品なのですが、ページをめくるたびに本書の世界に引き込まれていく感覚を覚えました。一人の男の深すぎる闇と、その闇からどうにかして逃れようとする男の試みを描いた名著だと思います。
〜今なら言える。時に過去のことはそっとしておくほうが賢明だと。真実を知ることが常にいいとは限らないのだと。時に真実はあまりに恐ろしくて、ほんの少しずつ、あちらこちらの断片からあらわにされ、ゆっくり吸収されなくてはならないのだと。なぜなら、一度にすべてを知るとあまりの衝撃の大きさに耐えられないからだ。そして、時に真実はすべてを変えてしまう……。〜
今年のトップ10には入ってきそう☆5つ
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途中から急にフィクションくさくなる。あとタイラーハミルトンの本もやけどアメリカ人は、私は敬虔なクリスチャンだから何やっても許されると思ってる節がある。
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これはそうせねばと思いスマホ(辞書)を片手に半年かけて原書を読みました。その甲斐あってか筆者の息詰まるような感情がリアルに伝わり何度か震えました。10年以上かけて探した父の痕跡が歴史的な殺人鬼というとてつもない事実を前に果敢に立ち向かった筆者の執念に感動しました。まだ現在進行形らしいので是非ともこの未解決事件を動かして欲しい。
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これの一つ前に読んだ同じノンフィクションである「トマス・クイック」とは雲泥の差。
後半部分などほとんど想像や妄想の域を出ていないように思える。
著者が入れ込みすぎていて証言や証拠を客観的に見ることができていない。
それ以前に決定的な証拠や証言が何一つとしてない。
読む前は期待していたのだが期待外れに終わった。