紙の本
後味悪い話ももちろん傑作ですが
2016/09/23 23:07
4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:igashy - この投稿者のレビュー一覧を見る
少しずつ読み進めていたので、最後の愉快な家庭エッセイの印象が強くなってしまった。
延々と細かい金額に拘るS・B・フェアチャイルドの思い出は、まるでかつての東海林さだお氏のエッセイの様。
でも、年老いた彼女が夫婦で子供の声を聞くことはなかったと思うと寂しい。
既婚女性の正式名が「ミセス・スタンリー・ハイマン」だったあの時代。「野蛮人との生活」再版されないかなぁ。
「喫煙室」も楽しい。大学時代の寮生活、楽しかったのかなぁ。
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シャーリイ・ジャクスンの短編集。
怪奇小説が圧倒的に有名だが、本書はホラー以外の短編も数多く、著者の様々な顔が見られる。ホラーとコメディは親和性が高いとはよく言われることだが、シャーリイ・ジャクスンのコメディ小説は面白い。
但し、巻末の訳者あとがきに書かれているように、各短編の出来にバラつきがある。それはそれとして仕方がないので、本書には収録されなかった短編も1冊に纏まるといいなぁ……と思っている。
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S・ジャクスンといえば代表作「くじ」「山荘綺談」等、抑えた筆致で人間の悪意や妄執を描き出した恐怖小説作家というイメージが強い。
48歳という―作家としてはこれから脂が乗るという時に早世した彼女だが、死後20数年経って発見された未発表原稿を基に、その他単行本未収録の作品、エッセー等を、遺族が編纂した短編集。邦訳はそこから厳選した30篇を収録。
この作家のイメージ通りの作品が中心だが、単なる”厭な”話にとどまらず、奇妙な話、正統派の幽霊譚、ゴシック譚、コメディまで幅広い。
さらに(いい意味で)裏切られるのが、巻末に5篇収録されたエッセー。そこには妻として、4人の子供たちを持つ母親としてユーモアを忘れずに奮闘?する、一人のアメリカ人女性の姿がある。
詳しくはこちらに。
http://rene-tennis.blog.so-net.ne.jp/2016-01-31-2
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・シャーリー・ジャクスン「なんでもない一日」(創元推理文庫)は あの「山荘綺譚」の作者の作品集である。私はこの人を「山荘綺譚」一作だけでしか知らない。48歳で亡くなつたといふから、早死にとは言はないまでも、作家として活躍した期間は短かかつたのかもしれない。本書は死後に発見された作品も含めて、彼女の子供達が新たに編集した作品集の抜粋である。「原書はこうした経緯で編まれたこともあり、作品の完成度にはどうしてもばらつきがありました。」(403頁)と「訳者あとがき」にある。そこで厳選した作品でできた のが本書である……はずなのだが、個人的には特に前半の作品の出来が良くないと感じる。私にはおもしろくないのである。敢へて言へば駄作の類かとも思ふの だが、それはもしかしたら「今まであまり知られていなかった、ジャクスンのさまざまな面を紹介できるように気を配りました。」(同前)といふ訳者の配慮に関係することであるのかもしれない。いづれにせよ、出来が良くておもしろく、かつシャーリー・ジャクスン的と言へる作品は後半に多くある。これまで知られ てゐない、紹介されなかつたといふのは、作品の出来によるのではないかと思つてしまふ。実際のところはどうなのであらう。
・「アンダースン夫人」は夫婦の物語である。夫が毎日決まつて口に出すいくつかの言葉を夫人が気にするといふ物語、しかしそれが高じるとどうなるか、これが問題である。そこに至るまでの神経質な、いや、ある意味病的な展開がおもしろい。あるいは恐ろしいと言ふべきか。「城の主」は正統的(?)ゴシック譚である。ヨーロッパ中世の若き城主の物語、魔術らしきものも絡んでゐる。ポイントは異母兄弟の出現である。これにより主人公は村人への仇討ちの実現を思ふ。 しかし、それが逆に己の破滅を招いて、父と同じ運命をたどらせることになる。たぶんよくある類の物語と言へる。最初からいかにも胡散臭さうな異母兄弟である。連れてきた女との関係も当然さうなるであらうといふ類のものである。そんな中での主人公の破滅の原因が父同様のものであつたといふのはおもしろい。 「店からのサービス」は上記二作とは異なる物語である。簡単に言へば、店員が客に代金をごまかされるといふ物語である。客の男が盲目であつたといふのがポイントで、実際にかういふことはあるかもしれないと思はせる。こんなチンピラの話も書くんだと思つてしまふ。「貧しいおばあさん」もこんなのをといふ物語である。第二次大戦中の食糧不足時代なのであらう。肉を買ひに行つた婆と孫が無事に肉を買ふまでの物語、婆と孫の皮肉な会話がおもしろい。「メルヴィル夫人の買い物」は現在ならクレーマーの物語といふことになりさうである。それも目的を達成できなかつたクレーマー、こんな女がゐるかもしれないと思はせてくれる。実はこれらの作品の発表誌は『チャーム』『マドモアゼル』『ニューヨーカー』等であつた。雑誌の雰囲気に合はせて書かれたらしい。これらは女性とし て、主婦として、更には母としてのシャーリー・ジャクスンの作品なのであらう。「山荘綺譚」とは異なる種類の物語である。これらにつながるかもしれない最後の5編��エッセイも主婦、母として書いてゐる。これが「山荘綺譚」の作者かと思はせる内容と書きつぷり、読んでゐて楽しい。もしかしたら母として本当に 心配しながら、それをユーモアで包んでこれらを書いたのかもしれないが、それなら彼女は名文家だと言へる。「訳者がとりわけ気に入っている」(405頁) と最後にあるこれらのエッセイはこの作品集の目玉であらう。これだけでも楽しめる作品集である。
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シャーリー・ジャクソンの短編は「くじ」以外おそらく読んでなかったので、長編とも違う、人間の(良い意味で)イヤ〜な部分をこれでもかと堪能させていただきました。当面、イヤミス系はお腹いっぱいです(苦笑)。しかし、数日するとこの手のお話はまた読みたくなるから不思議である。
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話が通じない、コミュニケーション不全の話が多いように思った。夭折の作家だったんだね。男の子の育て方に苦労しているエッセイを読む分にはそんなイメージはないんだけど。悪魔を法律で騙す話は好き。悪魔も法律と女の子とおばさんには敵わない。
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シャーリイ・ジャクスンの描いた日常は白黒のテレビが初めて家にやって来た頃に観た「じゃじゃ馬百万長者」のエピソードのようで、何だか作り物のような手触りがして嘘臭い。でもそこから当時の当たり前や海の向こうの常識なんかを取り去ると、残るものは案外今でもそこら中で起こっている話なんだろうなとは想像する。
じゃじゃ馬百万長者が、当時のアメリカのことや油田で一儲けする話なんてなんにも知らなかった子供にも面白いと思えたのはどうしてだろう。海の向こうとこちらの違いの意味するところも定かでない子供にも面白いと思えたということは、きっと何か本質的なことが笑いの対象になっているからだ。それはきっとイソップのネズミの話に出てくる本質と建前のギャップが生み出す可笑しさ哀しさのようなものなんじゃないか。それが世界中どこにでもある構図なのだと子供の自分が理解するにはクロコダイルダンディーを待つ必要はあったけれども。あるいはそんな差を感じ得たのは、自分がいわゆる右肩上がりの経済の中の新興住宅街に育ったせいで夏休みになれば級友のほとんど両親どちらかの田舎に帰省するのが当たり前という、皆が田舎と町の違いに聡かった母集団にいたせいであるかも知れない。そんなことを考えていたら、若者言葉や流行りの略語にいちいち腹が立つのは、何にも持っていないのに矢鱈と自慢したがる町のネズミに対する感情と根っ子は同じなんだなと気付いた。
シャーリイ・ジャクスンの描く日常には、余所者と地元民の対立の構図、あるいは身内とそれ以外の壁、という話が多いと思う。描かれる物の値段や商習慣、大人や子供の娯楽も随分と時代遅れのようにも見えるけれど、その対立の構図そのものは全く変わっていない。それを全て貧富の格差に押し込むつもりはないけれど、そこには自分達の側にはあって相手側にはない、という認識が生み出す隠れた問題があるのだと思う。そして持つ持たないなんてどうでもいいことの筈なのに、何時の間にかそれが譲れない信条に化けてゆく。持つにせよ持たないにせよ、こちら側は正しくてあちら側が間違っている。そんな理屈が空気を支配する。
何でも持っている筈の町のネズミの生活を色眼鏡無しに観察できる田舎のネズミにしてみたら、町のネズミが本当に幸せなのかどうかは甚だ疑問だった訳で、子供にだってそれが解ってしまう話だからイソップだって書いたのだ。大人になるとそれが段々見えなくなるね。シャーリイ・ジャクスンは大人が読むイソップ童話なのかも知れないね。
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シャーリイ ジャクスンの短編集。
何気ない人々の日常のひとこまが切り取られているが、そこはシャーリイジャクスン、悪意や皮肉で味付けされている。
印象に残っているのは、「なんでもない日にピーナッツを持って」散歩しながら、出会う人々に善行をほどこしていく夫。家に帰ると妻が…。彼女は悪意ある行動をしてきたが、明日は交代してほしいという。
「悪の可能性」
近所の人たちに悪口を書いた手紙を投函し続けていたミス ストレンジワース。最後に思いがけないことから、その悪事がバレる。
「メルヴィル夫人の買い物」
普段から行き付けデパートのクレーマーになっている巨漢のメルヴィル夫人(42号サイズ❗)その彼女が、やせて小柄な悪女に引っ掛かって買い物に失敗する話。
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魔女シャーリージャクソン女史の短編集。最近、彼女の作品が読みやすくなってきた。代表作の「くじ」とか「山荘奇談」など本格的なホラーだけでなくユーモアの方向でもいい趣味を持っていることが分かって新鮮である。
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短編集と後ろにエッセイが5つ収められている。
エッセイは興味がなかったから読んでない。エッセイはいらないので他の短編をもっと入れて欲しかった。
たまにこういう短編集って読みたくなる。皮肉とユーモア。タイトルからして皮肉でしょう。
『メルヴィル夫人の買い物』はどっちもバランスよく入ってて、笑えるし嫌な気分にもなる。いると思う、こういう人。
『レディとの旅』は和やかな雰囲気が大半であるのに…
『インディアンはテントで暮らす』吹き出す。以下省略のところ。
他の短編もそれぞれユーモアと皮肉のバランスが違う。人それぞれお好みのバランスが見つかるだろう。
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「処刑人」に引き続き、シャーリィ・ジャクスンの短編集+エッセイ。
お気に入りなのは「なんでもない日にピーナツを持って」と「悪の可能性」一見善良な人間が実は…という黒さがたまらん。「メルヴィル夫人の買い物」と「インディアンはテントで暮らす」は悪意の中にもユーモアがあり、笑ってしまった。エッセイではやんちゃな息子に翻弄されるお母さんな面が描かれていて、微笑ましかった。
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二、三編読むとぐったりしてしまってなかなか読むのに時間がかかった。。面白いのだけど、何だか色々削られた気がしなくもない。
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『メルヴィル夫人の買い物』
冒頭からクレーマーだとわかって酷く嫌な気持ちになる。
シャーリイ・ジャクスンは狭い世界で生きる人の心理を描くことに長けているが、これは殊更だなと思う。
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多くの作家が距離感に悩んでいると思う。こういうことをわかって貰うためには、こういう物を用意してこういう技を使って、まず寝るには寝床を用意して。。。
作者はテレポーテーションをするのかのように、シュッとスルッと、少女になって人形遊びをするかと思えば、老婆になってみたり自由自在なのだ。(違うかも)
そしてお家芸の、悪意、意地悪、辛辣さなども健在で、短編集なせいか、悪意に時間が関係してる気がした。時間が経つと気付く。
人の悪意ってゴキブリみたいじゃない?自分は目に見えないなら全く気にならない。
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死後に発見された未出版作品と
単行本未収録作品を集成した作品集より
23の短編と5つのエッセイ厳選した本作。
次から次へと読みたい気持ちをぐっと堪え
大事に大事にちょっとずつ読んでました。
やっぱりシャーリイ・ジャクスン、好きだわぁ。
身近に潜む悪意と狂気。
それをドライにユーモアに描くその匙加減が絶の妙✧
しかも装丁も好み❤︎