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保守のマインドを通史的に読める。
2016/01/13 02:27
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投稿者:朝に道を聞かば夕に死すとも。かなり。 - この投稿者のレビュー一覧を見る
西部邁さんの雑誌『表現者』に載っていた論考が、さらに文庫本化したものです。ネットで「愛国者です」って感じでお手軽保守宣言ができる世でして「保守への敷居」が低くなったような気がします。
左翼思想というのは、人間の理性によって理想社会を作ることが可能と考える立場です。基本、人間の可能性に対する信頼があります。努力次第で完成形に到達できるという確信があります。
国家を使った平等主義の具体例が欧州の社会民主主義です。彼らの福祉国家的構想の中には、国家による平等社会の実現という設定主義的合理主義があります。政治工学を重視し、人間社会の複雑さや歴史の継続性はあんまり重視しません。
保守は、人間は絶対完璧じゃないよ、って捉えます。だから保守は「進歩」という立場を取りません。とはいえ、ノスタルジックに「復古」という立場もとりません。なぜなら、未来の人間が不完全であるのと同様に過去の人間も不完全だから。高齢化社会だし、保守は時代に応じた斬新的改革を施行する、とします。
あれですよ。老舗のラーメン屋さんで「この変わらない味がいいんだよ」みたいなことを私たちオールドファンはドヤ顔して舌鼓打っても、実は時代に応じて客層の味の好みに対して、気づかれないような感じでマイナーチェンジしてますよ的なもんです。
「決められる政治」ってのに私たちは弱く、民意は流動的で、脆弱です。だからかえって「ぶっちゃけ」って感じの切れ味もあって、毒舌な人をリーダーにしてもいいんじゃない?ってマインドになるのは、はるか昔、プラトンも指摘します。
保守派は死者の数とかを指標にする功利主義的立場を打破したい。保守にとって大事なのは、生まれた土地や伝統、そしてそこで培われた歴史的集合的価値感です。
それでも、「自分磨き」とかですね、進歩をするってのは、人間の快楽に結びついています。進歩こそが人間の普遍的衝動であり、豊かさを得てきました。設計社会があるからリスクも管理できるようなマインドにもなります。しかし、保守思想はこのようなラディカルな合理主義に対して懐疑的。
面白いのは、夢野久作の関東大震災の振り返りで、震災で下町からトポス(居場所)がなくなり、江戸っ子は、行政が用意した避難民バラックに落ち着きます。以降、東京は各地から集まった人々の様々な顔をによって構成される流動的都市空間となりました。昔は「顔」という人類最高のパスを持っていたけど、あっと言う間にそのパスが効くところがなくなりました。
そして、筆者は「取り戻すべきはトポス。中間共同体を厚くしなければならない。社会的包摂を強化し、地域における相互扶助の関係を再構築しなければいけない。」と提案するわけです。
しかし、地域にとどまったムラ社会的安心社会は流動性によって再構築はほぼ不可能ですし、進歩を重んじる私たちのマインドって結構、左派なんです。「俺らにとっての、マジの国体」って思いを馳せることはないのです。
でも、アトム化で今、セーフティネットの網目から落ち行く人もいるわけでして、中島さんの「リベラル保守」という考えは「思考の軌跡の途中経過」と記していますので、今後、どのような思索に辿り着くのか見守りたいです。保守思想が衰退しているのか?それともパイの縮小は今後も排外主義を促進するのか?
文章は読みやすく、この国の保守思想について通史的な理解ができますので、続きは是非本書を開いてみてください。
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従来の「保守」観を覆す傑作
2018/07/11 20:19
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投稿者:雄ヤギ - この投稿者のレビュー一覧を見る
我々が日ごろ「保守」という言葉に対して抱くイメージを覆す傑作。自分が日ごろ保守を軽蔑しつつもリベラルに対して感じていた物足りなさを埋めてくれた。本当にすばらしい本。
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本来の保守とは
2016/04/23 22:06
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投稿者:qooma - この投稿者のレビュー一覧を見る
保守主義者でありながら脱原発やら反橋本やら、私の知っている「保守」たちとは一線を画す主張に興味を持った。
私の持っていた保守のイメージは保守は右翼とあまり違いがなく、愛国的で伝統を固持し新自由主義的、というものだった。これは自民党の議員たちから帰納されたものだったということが今にしてみればわかる。普通保守と言えば今でもこのようなイメージなのではないか。
しかし、本源的な意味での保守とはそうではないと中島は言う。フランス革命を支えた啓蒙思想への反動として生まれた歴史を紹介しつつ、保守とは人間の合理性を懐疑し物事を漸進的に改善する姿勢、であるとする。
彼の視点からみるとリベラルと保守は必ずしも対立するものではなく、タイトルのリベラル保守という言葉もすんなりと理解できる。
鶴見俊介は自身が中島の言う保守だと彼に言ったというのをどこかで見たが、どこで見たか忘れてしまった。
本文は平易かつ論理的で、高度なことを論じながらも非常に読みやすい。保守って何?リベラルって何?右翼って何?左翼って何?という疑問を持ったことのある人は多いだろうが、この本は確実な答えである。これらの言葉の誤用が―政治家のあいだでも―はなはだしいことに気づくことができるだろう。
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今の私にふさわしい考え方
2016/05/03 15:31
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投稿者:nekodanshaku - この投稿者のレビュー一覧を見る
これまで自分の考え方の芯になる部分が曖昧だった。リベラルであることが、今の自分にはふさわしい気がする。自己を懐疑する能力を有する者が、議論を尊重し、討議を重視する。科学の万能性はもちろん信じることは医師としてできないし、科学の無謬性は信じるわけには行けない。人命はもちろん重要だが、それ以上に重要な「守るべき価値」が存在することを認識しなくてはいけない。それぞれが自らの社会的役割を認識し、責任と主体性をもって場所を引き受けるところから、論議が始まる。
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投稿者:ぽにょ - この投稿者のレビュー一覧を見る
保守とリベラルの壁が薄くなってきている。こういったその中間である「リベラル保守」があってもいいと思う。
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立憲民主党第2回全議員勉強会
https://www.facebook.com/rikkenminshu/posts/129732874379663
https://ameblo.jp/kazuma-nakatani/entry-12330507155.html
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中島岳志という人を知ったのは、たぶん12年くらい前。おそらく論壇に出始めた頃だと思う。自分と大して年齢の違わない人が活躍し始めていることに軽い驚きを感じた記憶がある。その後も、どんどん気鋭の論客として名を上げていくさまをどことなく意識していたのだが、著作を読んだのはこれが初めて。
保守とは本来何ものなのかを非常にわかりやすく、そして説得力をもって論じている。こんなに読みやすいとは思わなかった。
わりと最初のうちに保守の定義が示される。曰く「保守は特定の人間によって構想された政治イデオロギーよりも、歴史の風雪に耐えた制度や良識に依拠し、理性を超えた宗教的価値を重視します」(p.37)ということで、決して懐古主義、復古主義ではないことが繰り返し述べられる。こうした論に照らせば、「保守」とされている現在の安倍政権のやっていることには首を傾げたくなることばかり。実際には、主義に従って為政をとるわけでもないのだからずれは仕方ないのかもしれないが、主義という芯がないのは危ういことだろう。
一方、左派についても、その成り立ちや本義に照らすと、フランス革命は個人主義しか認めようとせず、市民団体や協同組合のような思想・活動も排斥していたとか、人間の力を信じ進歩を是とする本義に照らせば、原発を推進せざるをえないといった吉本隆明の論なども紹介される。
私は、「自由」に高い価値を置いているつもりのわりに、頭が硬いというか、慎重だったり手放しに新しいものをよしとできないと自認し引け目を感じていたのだけど、ある意味、そうした自分の心の向き様がそれでいいのだと思うことができた。
タイトルは「リベラル保守」などと保守の亜流や新派のような印象も与えかねないが、むしろ、保守本流のあり方を説明している傑作。出版までの顛末が書かれている書籍版あとがきがこれまた本編と並ぶほどに面白い。NTTは民営化して30年がたとうとしているのにいまだに公器だと思っているらしい。新潮社はうまく漁夫の利を得たなという感じ。
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保守思想研究者の中島岳志は北海道大学に努めていて三角山放送局でFlydaySpeakersという番組をしていた時から知っていた。
保守主義者でありながら脱原発やら反橋本やら、私の知っている「保守」たちとは一線を画す主張に興味を持った。
私の持っていた保守のイメージは保守は右翼とあまり違いがなく、愛国的で伝統を固持し新自由主義的、というものだった。これは自民党の議員たちから帰納されたものだったということが今にしてみればわかる。普通保守と言えば今でもこのようなイメージなのではないか。
しかし、本源的な意味での保守とはそうではないと中島は言う。フランス革命を支えた啓蒙思想への反動として生まれた歴史を紹介しつつ、保守とは人間の合理性を懐疑し物事を漸進的に改善する姿勢、であるとする。
彼の視点からみるとリベラルと保守は必ずしも対立するものではなく、タイトルのリベラル保守という言葉もすんなりと理解できる。
丁寧に論を追ってほしい。必ず中島の言わんとすることが理解できる。
鶴見俊介は自身が中島の言う保守だと彼に言ったというのをどこかで見たが、どこで見たか忘れてしまった。
本文は平易かつ論理的で、高度なことを論じながらも非常に読みやすい。保守って何?リベラルって何?右翼って何?左翼って何?という疑問を持ったことのある人は多いだろうが、この本は確実な答えである。これらの言葉の誤用が―政治家のあいだでも―はなはだしいことに気づくことができるだろう。
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リベラル保守は反理性主義かつ歴史教訓主義というスタイルの問題であって、思想の中身の問題ではないという事か。結局は急進か漸進かの変化のスピードという事になるのだろうが。
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バークやチェスタトン、あるいはわが国の福田恒存や西部邁の保守思想を継承し、左翼の設計主義から距離をとる一方で、反知性主義的な熱狂に浮かされるような自称保守の浅薄さを批判する著者の立場が語られている本です。
著者の立場は、基本的にはコミュニタリアンに近いように思えました。ある程度共感できるところもあったのですが、本書であつかわれている内容は、原発問題や橋下徹批判など、ややジャーナリスティックなものにかたよっているように感じました。
現実を遊離した理想に基づく性急で革命的な社会の変化に対しては懐疑の精神を向けてみることを怠らず、つねにみずからの思想的地盤を顧みる保守の精神を生かすに際してもっとも必要なことは、現代の日本社会を生きるわれわれのすぐ足下に広がる「戦後民主主義」という地盤を、まずはしっかりと認め、保守の立場からその思想的遺産をどのように受け継ぐべきなのかを考えることなのではないでしょうか。
もちろん福田や西部も重要な思想家であることはまちがいありませんが、たとえば民主主義という枠組みのなかで個別的な問題を解決していくことで社会を改良することを主張した鶴見俊輔や市井三郎、あるいは国民経済の重要性を説いた大塚久雄、「一身独立して一国独立す」ということばに示される福沢諭吉を高く評価し「永久革命」としての民主主義を擁護した丸山眞男らの思索のうちにも、「リベラル保守」にとって重要な思想的遺産があるように思います。
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面白かった。
確かに、俗的・古臭が漂う醜い保守でもなく、
教条的でなんでも反対し、あぶなっかしい左翼でも
ない、人間の本質をとらえ、そのうえでの
歴史をかさねてきたものの重要性を鑑みた保守。
また、自由を集団的狂信や多数者による専制を疑う
リベラルというのがしっくりくると思われます。
橋下・安倍のなんでも声高に否定する保守、集団的
狂信を起こそうと考えるリベラルに嫌気がさしてくる
ような事象が多くあるような気がします。
かといって、”リベラル保守”というレッテルで突き進む
のも変な気もします。自分たちで考えるということが
必要なのではと改めて思われます。
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わかりやすく面白かった。
本当の保守についてかなり理解が進んだ。
しかし、保守というのはちょっとカルトっぽいな。
自分はもう少し人間の理性や知性を信じてもいいと思う。
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単行本で出版されたとき、あとがきを見て買おうと思った。版元が出版にストップをかけた問題作なのだそうだ。橋下徹に関する件が問題なのだとか。だけど、それが、メディアで話題になった気配もないし、たぶん著者があとがきに書かなければ、そんなことなかった話になったのだろうなあ。でも、ちゃんと出版してくれる版元もあるわけで、こうして文庫にまでなった。単行本を買わなかった理由はもう記憶にない。著者はここ数年、メディアに登場するようになったし、分かりやすい文章を書くのだろうと期待して読み始めたが、そう簡単ではなかった。引用が多いのもその理由かもしれない。半分くらい理解した中で言うと、保守というのは何も変化を嫌うわけではなく、時間をかけて議論を尽くして変えていくのならばそれもよいと考えている。熱狂に熱狂するような状況になるのを危険と感じている。その点は良いと思う。原発に対する考え方は少し違う。私自身は即刻やめるべきと考えている。しかし、僕より10歳も若いのだけれど、深く物事を考えているなあと感心してしまう。当たり前か、それを生業にされているのだから。序章にある寛容というキーワード、あとから出て来なかったように思うけれど、他でも目にしたので、ちょっと心にとめておこう。
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中島岳志さんに注目してるというのに、この本を読んでないのはダメだろうと読むことにした。
そもそも中島さんは「保守」であることを常々宣言しておられる。私としては、中島さんの言っておられることはいつも素晴らしいと思っているのに、「保守」というイメージは昔から全く好きでなく、どうしたものかと思っていた。
大体この本のタイトルにもある「リベラル」と「保守」を合わせることが理解できなかったのだ。ただ、やはり尊敬する内田樹先生がよく「今の自民党は全く保守ではない」とよく言われ、それはそれでよくわかり、今までの私の中の自民党=保守というイメージも崩れていってたのだ。
では「保守」とは何か?
中島さんは何カ所かで定義づけられている。
人間の不完全さを認識の基礎に据え、特定の人間によって構想された政治イデオロギーより、歴史の風雪に耐えた制度や良識、「伝統」を重んじる。しかし、決して「復古」でもない。
わかりやすく書かれていたが、私がすべて十分理解したとは言えない。だからかもしれないが、多分100パーセント賛成というわけではないように思う。ただこれからもずっとしっかり彼の考えを追っていきたいと思う。
あとがきに書かれていたNTT出版との絡みは由々しきことで、でも最近ありがちな話で、本当にどうすればいいのかと思ってしまう。
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17/01/28 4:30am
「第二章 脱原発について」について
僕は中学の時は広瀬隆(今となってはただのデマゴーグだとの認識だけれど、彼の著作)など読んでいて、当時は明確に反原発の立場だったのだけど、今では、(東日本大震災を経た後でさえ)手放しに反原発を唱える気になれずにいる。
その立場を、本章の内容に照らして説明できそうな気がする。
著者は、原発を「未来永劫、不完全な存在」であり、「人間が完全でない以上、完全な原発など存在しようが」ないと、保守の原則に従って言う。
すると僕のような素人が思いつく疑問、「では自動車などは?」にも丁寧に答えていて、「重要なのは、(中略)利便性とリスクを天秤にかけて利用する英知とバランス感覚」だと説く。
ただ、「リスクを天秤に」と言うのは必ずしも保守の何たるかと言う文脈で出てくるものではなく、例えば僕の勤務先の会社でさえ昨今「リスク管理」にうるさくなってきている、と言うような一般的な話として理解して良い気がする。
で、例えば別の章で福田恆存の「平和」に対する考え方を取り上げて、「「絶対レベルの理念」と「相対レベルの理念」を明確に区別し、絶対者の次元でこそ成立する「絶対平和の理念」を想起するがゆえに、相対世界における絶対平和の不可能性を受け止めようとする」と言うところの「絶対レベル」と言うのは、相対世界の住人である僕の頭の上50cmくらいのところに雲のような吹き出しが付いていてその中に描かれた、僕が相対世界たるこの世を生き抜くに当たって参照すべき、この相対世界とは連続していない絶対的な世界だと理解していたのだけど、本章の議論における「完全な原発」と言うのは、相対世界における自動車と、リスクに大きな違いこそあれ同じ地平でつながっているような印象を抱くのだ。であれば、技術の進歩によってそのリスクは最小化することができて、今ある相対世界においても利用可能な技術となり得ると僕は考えてしまうのだと思う。
著者は吉本隆明の論を批判的に惹いているが、吉本の論は究極の進歩主義、設計主義だと僕にも感じられ、ほとんど共感できないものだった(少なくとも引用されている内容に関しては)。
でももしかしたら僕の考え方は、根本では吉本の考え方と繋がっている部分もあるのかもしれない。
ちなみに僕は原発を推進したいとは全く思っていない。現状の技術では、撤退するという選択が妥当なのかもしれないとも思っている。
ただ、手放しに反原発を唱えることになぜ違和感を抱くのかを自分のなかで考えてみたいと思った。
原発に関しては、もう少し色々な題材を参照しながら考えてみたいと思う。