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紙の本
超高齢社会の法律、何が問題なのか (朝日選書)
著者 樋口 範雄 (著)
住まい、介護、終末期医療、遺言、成年後見、信託…。制度は「若者社会」のまま、ゆがみ噴出! 高齢者法の第一人者が、東大での講義をもとに、豊富な実例をあげて、超高齢社会の法律...
超高齢社会の法律、何が問題なのか (朝日選書)
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商品説明
住まい、介護、終末期医療、遺言、成年後見、信託…。制度は「若者社会」のまま、ゆがみ噴出! 高齢者法の第一人者が、東大での講義をもとに、豊富な実例をあげて、超高齢社会の法律の問題点と解決の方向を考える。【「TRC MARC」の商品解説】
著者は高齢者法の第一人者で、東大での講義をもとに、わが国の法律のどこに問題があり、それをいかに改めるかのヒントをわかりやすく説明する。すでに3300万人以上いる高齢者と、もうすぐ高齢者になる人たちが、老後の安心を得るための格好の書。
人には頼りになる人とならない人がいる。実は法律も同じ。たとえば成年後見制度。時間と費用をかけて成年後見を任命しても、独居老人が急病のとき、役に立たない。たとえばリビング・ウィル(終末期医療に関する事前指示書)。本人が慎重にせっかく書いたものでも、法律上は無視しても構わない。たとえば遺言。相続争いを避けるために作成した遺言が効力をもたないとされる場合がある。たとえば高齢者虐待。もっと早く発見する法制度ができていない。
要するに、法律制度が「若年社会」仕様のままで、「高齢社会」のものになっていない。高齢者問題がじつは法律問題ともいえることを、豊富な実例でわかりやすく説明する。
●「目次」から
複雑な手続、身近な弁護士の不足 家族に責任?――認知症高齢者をめぐる名古屋高裁判決 がん告知をめぐる最高裁判決 日本のガラパゴス状態――終末期医療の差し控えと中止 高齢者と成年後見制度 高齢者と住まい――終の住処の選び方 日本の特養入所契約では 死後への配慮と相続争い 高齢者虐待 (「目次」から)【本の内容】
著者紹介
樋口 範雄
- 略歴
- 〈樋口範雄〉1951年新潟県生まれ。東京大学法学部卒。同大学大学院法学政治学研究科教授。専門は英米法、医事法、信託法。「親子と法」で日米友好基金賞受賞。ほかの著書に「医療の法律相談」など。
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紙の本
法を是非ではなく、好き嫌いで判断する社会にむけて
2016/01/06 21:17
1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:朝に道を聞かば夕に死すとも。かなり。 - この投稿者のレビュー一覧を見る
社会保障制度は申請主義ですので、自分が申請しない限り、年金はもちろん、それ以外の社会保障給付も手に入りません。障害年金なんかもそうですね。
困った時には市町村に相談ってなるのですが、小さな政府化して、それが十分に面倒見るよりかは、パンフレットやネットの記事を印刷して渡されるだけだったりします。
認知症の人が電車を止めたとして、裁判になって家族がその支払いをしなければならないのか?という裁判がありました。家族に24時間の監督義務者の責任が問われるなら、高齢者を拘束するほかないです。そのため、本では「あらかじめ事故による損失を分散させる仕組みを工夫するような判決が求められる。その大いなる工夫が保険」とします。
しかし、いまのところ、徘徊老人が何らかの事故起こした場合、そのような事故が予見可能でなくても監督義務者たる配偶者は責任「あり」とされます。
そんなこんなで、素朴にみんなの健康を推進すること、そして方もまたそれを支援することが医事法の目的なのに医事法といえば「医療事故」と訴訟の話、裁判中心の印象に矮小化されます。
そして医療と法はその程度の関係でしかないから、と忌避する人が医療界で増えます。無関心は誤解を生みます。がん告知について、2002年の最高裁判決の話があります。それは、本当の問題は告知の問題ではなく、告知をしなくとも、人生の最期を迎えた人間に与えるターミナルケアの体制づくりをしてこなかったのが争点であり、がんの告知をするかどうかは事の端緒に過ぎません。
この判決は、結局、「告知」に焦点が当てられて、終末期医療の本質から遠い議論に終始します。
「胃ろうの中止」については、なぜ中止できないと言えば、それは殺人罪など恐れがあるという誤解があります。ちなみに胃ろうを中止して罪に問われた例は実際にはないのですが、胃ろう、中心静脈栄養といった選択肢があるということは、それをしなかったら不作為の罪に問われるんじゃない?って思ってしまうのです。
なお、ある市民病院事件では、厳重な処罰を求められるものではないという意見つきで事件を地検に送り、結果はもちろん、不起訴でしたが、私たちはただセンセーショナルに報道され、裁判の結果を知る事なく、ニュースを消費するので、終末期医療の中止は犯罪になる恐れがあるという印象を持っている人がいます。
ちなみに、本ではこんな面白いことが載っています。もう蘇生しないと判断される心臓マッサージ(胸骨圧迫法)のやめ時の話です。「日本の病院はあるいは医学部では、立ちどまってる家族の様子を伺い、家族がもう十分ですという表情を浮かべるまでマッサージを続けるのが適切だと教えられた。ところがアメリカの病院ではもはや組成は無理と判断したら即座に止めて良いし、また辞めるべきだというのである。それはもはや「医療」ではないから。」
本では成年後見制度は制度問題による失敗であり、法定相続分の半分までは権利として相続所得できる「遺留分」という制度が「自分にはもらう権利がある」という誤解をもたらし、公正証書遺言があっても、もめる時はもめるし、「子が平等に相続できるという権利があるのは、相続人が何も決めなかった場合の補完的な規定に過ぎない。」のに、相続争いに現在の家庭裁判所が相当に時間を費やし、公共性に乏しい争いに税金が投じられ、少年犯罪の更生など大事な事件の審議の余裕がもたらされない弊害を指摘します。
他にも虐待や高齢者就労、サ高住なんかにも法の考えが紹介されています。