紙の本
静かな良書
2019/03/23 23:27
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投稿者:十楽水 - この投稿者のレビュー一覧を見る
心に響くものがあり、読み返し続けている一冊。マスメディアの限界をいつしか忘れ、その限られた語りの中で「震災」を認識している自分が立ち止まり、動けなくなった一冊。
一見オカルトのような話もありますが、体験した人と真摯に向き合い、その心の内側に近づこうとする姿勢、それぞれの体験を平等に尊重する姿勢が、文章から伝わります。不思議なことに、時々文中の人たちの姿が目に浮かぶような感覚が訪れます。そして、普段考えたことがない事柄なのに、自分が浮つかず落ち着いている感覚が得られました。この本の言葉が、しっかりとした重みを持つからでしょう。
一番動けなくなったのは、第5章「共感の反作用」。自分の災害体験が、マスメディアが注目する体験、いわば社会の公的なストーリーにうまく配置できないとき、人は疎外感や虚無感を覚え、無力になる―。融け残る「コールドスポット」はまだあるかもしれません。
以下は、忘備録として。「誰にも優しい標語である「絆」概念は、被災者である当事者にとっては、むしろ差別に映る。すなわち被災の重さを比較され、共感の選択と集中によってそこから外れる人びとがいるし、被災者みずからも共感の規則に縛られて、当事者資格を失っていく」「社会的孤立による動物的な生からの脱出は、災害における経験の平等性を保証できるかどうかに関わるように思われる」。
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こういうゼミがもっと増えてくれると
2016/04/20 13:15
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投稿者:八頭 - この投稿者のレビュー一覧を見る
大学だからこその研究と論文です。学生たちもよく調べたものです。また、こういう霊的なものを卒論テーマに選ぶことをすすめた教授も素晴らしいです。なかなかこういうテーマを選ばせてくれるゼミは存在しませんので。
震災後5年経ち、すでに多くの日本人はあのときどう感じたか?ということを忘れかけています。たった5年で福島でどういう事が起こったか、その後福島の人たちはどうされているか?ということを。常々日本人は忘れっぽい民族だと思っていましたが、最近とみにひどいと思います。
この本は5年後の今、再度震災と原発事故のことを思い出し、考える機会を与えてくれる良書です。
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震災遺構は「祈りの場」か「負の遺産」か
2016/04/17 12:15
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投稿者:6EQUJ5 - この投稿者のレビュー一覧を見る
仙台市にある東北学院大学の「震災の記憶プロジェクト」を取りまとめた本。保存か解体かが議論となった、南三陸町の防災対策庁舎の写真が表紙となっています(その詳細は本書第3章に記載)
私も、震災直後に石巻へ行き、その光景に唖然としました。信じがたいが現実だという驚愕と無力感。
建築物や道路の復旧、「絆」などの掛け声などでは解消できない、(良い表現が出てきませんが)確かに「霊性」という課題は重いです。
例えば、幽霊を見たという話にしても、あまりにも突然に失われた数多の命の「存在した証し」「鎮魂」といった感情もあることと思います。
原発避難地区での有害鳥獣捕獲など、知らなかった話題もありました。
様々なテーマに、真摯に取り組んだ良書です。
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バカバカしい タクシーの運ちゃんのホラ話
2023/04/29 10:15
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投稿者:pippi - この投稿者のレビュー一覧を見る
可愛い女子大生にインタビューされたおっさんたちが調子に乗って喋ったホラ話。大昔からよくある、車に乗せて気が付いたら消えていた、という話。
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借りたもの。
震災・津波という非常事態における日本人の死生観だけでなく、日本人の持つ先祖崇拝や文化的な霊魂の考え方と価値観、そして現実的な対処について学術的に明文化されている、凄い試みの本。
”生き残った者の無念”、震災を記憶する事への遺族感情の変化、記憶・教訓の対象となるものは何なのか、遺体の有無や埋葬の仕方により遺族感情が変化すること、日本人の先祖崇拝が墓(遺体が埋まっている場所)と慰霊碑(象徴)の両墓性があること等、精神面への言及が多く貴重だと思った。
それだけでなく、現実的な部分――遺体の処理や原発で立ち入り禁止区域となった場所での動物の駆除問題等、報道では見えない、聞けない面を記録している。
震災の犠牲者の幽霊に遭遇したという話の調査から始まり、それは怪談というより、現代の『遠野物語』だと思った。元々、その地でもあるが故に。伊藤三巳華『視えるんです。 ミミカのとおの物語』(http://booklog.jp/item/1/4041024242)でも、柳田國男『遠野物語』(http://booklog.jp/item/1/404308305X)に津波で妻を亡くした男が、その幽霊に会う話があったことが、挙げられていたか……(三巳華氏は犠牲者であろう若い男女の霊とも遭遇している)
死者の数の多い少ないは問題ではなく、被災した人々にとってそれが"MAX"、極限の体験であり、”心のケア”として死生観がどの様に影響を与えているかをも考えさせられた。
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震災後、石巻の橋に霊が出るから夜間は通行禁止になっている、という噂を聞いていたので、1章 死者たちが通う街に興味があったのだけど、一番印象に残ったのは6章 672体のご遺体の掘り起こしだった。やむを得ず仮埋葬した遺体を民間業者が掘り起こしたとは全然知らなかった。
清月記さんの業務を超えた奉仕の精神にはただただすごいの一言しか出てこない。
分かりやすい悲劇は取り扱いやすいけど、一番知らなくてはいけないのはどういうふうに死んだか、どういうふうに見つかったか、ということかもしれない。
はじめに教授が書いているけど、日本は徹底して死体が映らない報道がなされているから、こういう災害が起きたときにどういうふうに死ぬのか実感を持てずにいて、命を守る行動が遅れてしまうのかもしれない。
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少し前に、東北学院大学の学生がタクシードライバーから幽霊現象について調査を行い、その結果を卒論にしたといったニュースをみた。
それは、東北学院大学社会学ゼミの4年生たちが取り組んだプロジェクトの一部であった。
本書は、そのプロジェクトの成果。
特に日本社会ではタブー視されることが多い「死者」に対し、震災の当事者たちはどのように向き合わなければならなかったかを、綿密なフィールドワークを通じて明らかにするのが、このプロジェクトの目的・
本書の概要を知るには、章立てをみるのが一番早いと思われる。
第一章 死者たちが通う町 タクシードライバーの幽霊現象
第二章 生ける死者の記憶を抱く 追悼 / 教訓を侵犯する慰霊碑
第三章 震災遺構の「当事者性を超えて」20年間の県有化の意義
第四章 埋め墓 / 詣り墓を架橋する 両墓制が導く墓守りたちの追慕
第五章 共感の反作用 被災者の社会的孤立と平等の死
第六章 672ご遺体の掘り起こし 葬儀業者の感情管理と関係性
第七章 津波のデッドラインに飛び込む 消防団の合理的選択
第八章 原発避難区域で殺傷し続ける 猟友会のマイナー・サブシステンス
ニュースになったのは、本書の第一章にあたる部分。石巻市内のタクシードライバーたちが遭遇した幽霊現象についての聞き取りレポーになっている。
復興とともに再び走り出したタクシーが、出遭う多くの幽霊現象。その多くが、実際にタクシーに客として幽霊を乗せる。そのときメーターを実車にして走り出すという客観的な記録が残されている。
タクシー運転手のなかには、身内や親しい人を亡くしたドライバーも、幸い身近には被害のなかったドライバーもいる。
それは、多分思い込みだ、非科学的だと否定できるものではないだろう。
あまりにも多くの人の命が、突然に絶たれることになった町、石巻。そこに、多くの思念が残ることは考えられる。
生の意味さえ分かっていないのに、霊を否定するのは非科学的な判断だと思う。
その他の章についても、取り上げられているのは震災で多くの被害、そして死と直接向き合わなければならなかった被災者たちの、心について。
そのとき、どうしてその行動をとったか。
いま、そのときについてどう考えたか。そして、いまもどう考えているか。
災害によって否応なく向き合わされる死について、ややもすればタブー視され、次世代に残されることのない記憶を、抽象的な数字に置き換えることなく記録した本プロジェクトは、意義のあるものだと私は思います。
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震災にまつわる情報の中で、いわゆる「幽霊」現象にスポットを当てたものを初めて知ったので、手に取った。お化けの話なんて軽薄なものでは決してなく、石巻市のタクシードライバーさんたちが自身の霊魂との邂逅を、とても大切に受け止め、死者へ畏敬の念を抱いていることに心があらたまる思いがした。その他の章でも、決して分かったと思ってはならないと自分を戒めた。震災から5年の節目を前に、たくさん入ってくる情報を受け取る際、美談の影には数えきれないほどの悲しみや苦しみがあり、そのことは経験していない者には決して分からないのだ、簡単に共感などできないのだ、そのことを知った上で被災地を思わなければならないと思った。学生さんたちの真摯な研究に敬意を表します。
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書評を読み、気になっていたので図書館で借りた。
東北学院大学 震災の記録プロジェクト金菱清ゼミの卒論集。
生徒たちは、現地で綿密なフィールドワークを繰り返し、これを書いている。
◆第1章 死者たちが通う街 タクシードライバーの幽霊現象(宮城県石巻・気仙沼)
◆第2章 生ける死者の記憶を抱く 追悼/教訓を侵犯する慰霊碑(名取市閖上・震災慰霊碑)
◆第3章 震災遺構の「当事者性」を越えて 20年間の県有化の意義 (南三陸町・防災対策庁舎)
◆第4章 埋め墓/詣り墓を架橋する 「両墓制」が導く墓守りたちの追慕(山元町坂元地区中浜)
◆第5章 共感の反作用 被災者の社会的孤立と平等の死(塩釜市・石巻市南浜町)
◆第6章 672ご遺体の掘り起こし 葬儀業者の感情管理と関係性(石巻市・葬儀社「清月記」)
◆第7章 津波のデッドラインに飛び込む 消防団の合理的選択 (岩手県山田町・宮古市田老地区)
◆第8章 原発避難区域で殺生し続ける 猟友会のマイナー・サブシステム(福島県浪江町)
書評では、第1章のことしか書かれていなかったが、全ての章に共通するもの。
それは、マスコミに出てこない被災地、被災者の声や行動。
これを知ってこそ、未来への教訓となるのではないだろうか?
時にあまりのことに読むのをやめようかと思ったが、最後まで読んでよかった。
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死というものは身近なはずだけど、僕らの日常からは巧妙に隠蔽されている。多くの人が亡くなった東日本大震災でさえ、メディア報道から読めるのは「死者」という数量ばかりであり、抽象化されている。絆だのなんだのという言葉で死者とその関係者の経験を上塗りしてしまうのが、我々遠方の、のんきな連中だ。
本書はそういうことに警鐘を鳴らす。冒頭いきなりタクシー運転手たちが幽霊(と呼ぶと怒る人もいる)に出会う話から。タクシーの場合はメーターも倒すし無線で連絡したりGPSもあったりと、ウソがつきにくい。けれどタクシー運転手は次々に幽霊に会っている。どうしてタクシーに幽霊なのか。タクシーは人と人、人と場所をつなぐものであり、すなわち人と霊魂をもつなぐのか。体験した人も、べらべら喋って嘘だと言われると彼らの存在を否定してしまうことになるから、と言葉少ない人もいる。
震災直後は火葬が困難だったため、一旦仮埋葬をした遺体を掘り起こして火葬する、改葬が行われた。5月からその作業が行われたというから、2ヶ月も経っていないわけで、当然遺体はなかなか大変なことになっている。この感情管理をきっちりやりとげて、従事者にPTSDのような症状は出なかったというが、しかしまあ凄いことである。
最終章は意外にも、有害鳥獣駆除、であった。仮設住宅には猟銃を置くことが出来ないし、仕留めた獲物を食べることも出来ないし。事故で猟をやめた人も多い。それでも続ける人達がいる。動物殺しそのものに罪責感を持たない文化はない、といわれるが、浪江の漁師たちは食べる供養も出来ないまま、でもマイナーサブシステンス的概念で、彼らは続けていく。
死のタブー化は、死のダメージを長引かせることにもなるのだろうか。死と否応なしに付き合ってきた人たちの、でもなんだかすっきりしているようにも見える、不思議なお話。
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yahooのニュースにも出ていた、石巻のタクシー運転手の霊体験の話に興味を惹かれ読みましたが、他の章の、報道されない震災の実態に辛くなりました。
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ひとつひとつの章が深く心に響くものであった。学部生が綿密なインタビューとフィールドワークにより実践した研究であると知り驚いた。
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ずっと読みたいと思っていた本 ゼミでまとめたというのだからおどろき。被災地に通ってる身からして、本に載せられないようなさまざまな苦労があったはず。タブー視されがちな死や遺体や、そして怪訝に思われるような霊、そして自分もあちこちで目にした石碑や、研究でもよくある震災遺構の議論。いろんな要素を踏まえた綿密なフィールドワーク、頭が下がります。
遺体の埋葬については、知らないことが多かった。
狩猟の「マイナー・サブシステンス」についても初めて知った。
タクシー運転手と客との関係の特殊性も
遺族の想いを受け止める石碑も
そして、悲しみは個別のもので、量的に判断してはならないこと。
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東北学院大学の学生たちによる震災の記録プロジェクト報告です。タクシードライバーが「幽霊」を乗車させた部分が報道でも取り上げられましたが、全編、考えさせられる内容でした。
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静かな良書と言えるでしょう。売れるかどうかは別ですが、世に出されるべくして出された書なのではないでしょうか?