紙の本
微笑ましくもあり、逞しくもあり。
2018/12/19 00:01
1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:オオバロニア - この投稿者のレビュー一覧を見る
イスラエルで生きる作家の人生の七年間を綴ったエッセイ集。どうしようもない笑えるエピソードから、身近な戦争までフラットなテンションで語るからなんでもないように思えるけど、強くて優しい人だと伝わってくる温かい文章。短編集も欲しくなった。
投稿元:
レビューを見る
自伝的エッセイ。家族。イスラエル。ユダヤ人。『波』にて。掌編小説のように綴られた7年間のエッセイ。世界各国で翻訳され、日本語版は20番目の兄弟。父母兄姉、妻息子、友人知人、そして自分を取り巻く世界の厳しさやしんどさを綴っているのに陰鬱じゃなく、ユーモアがあふれてる。全世界の人がこれを読めばいいんだ。きっと心に火がともる。
投稿元:
レビューを見る
面白い!
ユーモアと苦さ。
ヴォネガットやアイザック・B・シンガーを彷彿とさせられる。
昨年、「突然ノックの音が」の刊行イベントで、氏のトークを拝聴したが、あの語り口そのまま、と感じた。
その時は、空襲の合間に今日はサイレンが鳴らないといいねなどと言い合いながら息子を学校に送っていく…という日常などをユーモラスに語られていて、そのギャップにギョッとしたのだけれど。
よく出来た短編小説のような味わいすらある。
投稿元:
レビューを見る
ほんの数ページの掌編エッセイで、笑わせてしんみりさせる、なんだか職人芸を見ているかのような珠玉のエッセイ。
息子が生まれてから、父が亡くなる間の七年間の日常を切り取っている。
自分ながらに恥ずかしいのだが、あらためてイスラエルでも当たり前の日常があり、人々は普通に暮らしているのであり、愛し合ったりふざけ合ったり悪口を言い合ったりして生きているのだ…と実感した。本当に恥ずかしい。
ああ、でもやっぱり、イスラエルは戦時下なのだ。
ばかばかしくも愛らしい両親と幼子の「パストラミ・サンド」ごっこ。ママが地面に伏せ、上に息子が乗ったその上にパパが乗って「パストラミ・サンド!」と叫ぶ。
楽し気なこのふざけっこは、空襲警報が鳴ったため、道端で伏せなくてはならないからだ。警報が鳴って「キンチョーしちゃう」息子のために。
自分の家からそう遠くないところに墜ちた爆弾のかけらを拾えたらいいな、と思っている息子。
この作家、2014年に文芸フェスのため来日していたそうだ。ああ悔しい。話を聞きに行きたかった、本当に。
投稿元:
レビューを見る
イスラエルに住むユダヤ人作家が、息子の誕生から父親が亡くなるまでの7年間、時系列的に語ったエッセイ集。
イスラエル国内でおきている事実、海外で感じだ事、子供の成長、そして父親の病気、日々の生活。
彼はしっかり時代を見続けていて、それを時にシニカルに表現している。しかしまた、彼の視点は優しく、自分に正直。
その淡々とかかれたエッセイは非常に興味深く、また面白い。
彼の書いた長編と、さらにいまの日々を綴っているエッセイがあるのであれば、リアルタイムで読んでみたい作家だと思う。
一つ感じたこと、イスラエルに生活するということは、普通に爆撃や、ミサイル攻撃にさらされる可能性があるということ。それも生活の一部だということ。
イスラエルが他国を攻撃することを、ただ悪者と決めつけることはできない。
投稿元:
レビューを見る
イスラエルで生まれたそのほかrあ、過去数隻にわたってヨーロッパで怒ったことは一連の迫害やポグロムに他ならないということを教わり、常識が支持するにも関わらず、そこで得た教訓は腹の中でわだかまり続ける。
投稿元:
レビューを見る
おもしろかった。
クスッと笑いながらも、いろいろと考えさせられて、心に静かに何かが蓄積されていく感じがとても心地良かった。
世間のニュースを見ていると、答えのない問いや、善悪が混濁した事件がいっぱいあって、自分がどんな感想を持っていいのかすら分からなくなることが多いけれど、ああそうか、こんな風に感じればいいのか、と思いました。歩き方とか呼吸の仕方のような、非常に根源的な対処法を教えてもらった気がします。
投稿元:
レビューを見る
今を生きるものと去るものあり。
大事なものは必ずや新しきものに受け継がれる。
自分自身は迷い、悩み、愛するものを支え…
いや、支えられる数多くのものに感謝する。
できないことを嘆くことなく、
幸運にも与えられた役割、
素晴らしい時と場所に留まろう。
あと何年あるのか、誰にもわからないけど、
その時まで宜しくお願いします。
投稿元:
レビューを見る
短編集『突然ノックの音が』も結構よかったが、ちょっと読者を選ぶタイプの物語だと思った。が、こちらのエッセイ集は、本当に万人に「いい本だから読んで!」と薦められる内容。読みにくいところもない。
何が素晴らしいかというと、息子が生まれたり、父の末期癌がわかったりというのは日本人にも起こりうることで、共感もしやすいが、テロと空襲が日常茶飯事のイスラエルに住んでいて、ユダヤ教どっぷりの社会に住みながら、自分は信仰を持たない作家として生きるという日本人には想像もつかない部分もユーモアと客観性をもって描き、その心情や状況を理解させるところ。
ニューカレドニアのトカゲの話、電話セールスの話など、思わず吹き出すほどおかしいのだが、おかしみと同時に平和と安定がない社会で生きる人間の悲哀も描き出される。
息子を兵役につかせるかどうかについて妻と議論する「公園の遊び場での対決」、初めての小説を兄に読ませたときの「ぼくの初めての小説」、タクシー運転手との口論を幼い息子が収めてしまう「おじさんはなんて言う?」、父と母、そして自分と妻のなれそめを語る「はじまりはウィスキー」など、何度も読み返してしまった。
翻訳は文頭の接続詞として「なので」が使われるところはひっかかったが、これは翻訳者の問題だから仕方ない。
外国人の、しかもイスラエル人のエッセイなんて絶対読まないようなタイプの人にもぜひ読んでほしい。中学や高校の教科書に採用してもいいんじゃないかと思えるものもあった。
投稿元:
レビューを見る
空襲警報が、異物感なく差し挟まれる日常。そんな状況を声高な抗議の姿勢ではなく、悲哀とほのかなユーモアに包んで描く。そこへ加えて「極短」という著述方針がある。これは好き好き。私にはツボが外れた感が強かった。
うまさも感じる、胸を打つ文章にも出会う。それでも正直な気持ちとしては、ひとひねり効いているだけ。
投稿元:
レビューを見る
2018.5月、図書館で借りた。
47ページまで読んだ。
稲垣吾郎のブログで紹介されていたので読んでみた。
ふと裏表紙を見ると、エッセイとある。
短編小説かなと思っていた。
何か読み進めようという気が起こらないので、ここまで。「コール・アンド・レスポンス」はまあまあだったけど、なんとなく入っていけない感じ。
稲垣吾郎のブログの文章に似ている感じがした。
さらっとしたお洒落な感じの中にクスッとさせられるような。
投稿元:
レビューを見る
イスラエルの作家ケレットのエッセイ。
次々とテロで怪我をした人が運び込まれてくる病院で、息子が生まれてくるのを待っているシーンから始まる。テロやロケット攻撃など、今だ戦闘的な日常が続くイスラエル。そこでの日常をシニカルに切り取る。また、彼の両親や祖父母の代の忘れられない過去の体験もそこここに記されている。
それらが皆、日常として書かれていることに深く考えさせられる。
世界の中でユダヤ人であることの意味、イスラエルという国の尽きない現実。そこに生きる家族の日常と愛。笑いと共に知らせてくれる。
投稿元:
レビューを見る
中東情勢についてはよく分からない。イスラエルでの暮らしの日常の中にある戦争というものを感じつつ、家族の中の出来事や人々とのやり取りはユーモアとブラックな部分も含め面白く読める。
投稿元:
レビューを見る
イスラエルの作家、エトガル・ケレットによるエッセイ集。
テロや戦争が日常として存在する生活の中で、それでもユーモアと優しさをもって人生と付き合っていく作者や周囲の人々の姿が印象的。上質なジョークと見事なストーリー展開に笑わせられながら、現実のままならなさに目を開かされ、しかしむしろそれ故に、この世界で生きていくことに価値があると、言葉なく諭されるような気持ちにもなる。
作者の優しく、力強い目線は、エッセイ「長い目で眺める」で書かれた以下の言葉へ端的に示されているように思う。
「どんなに見込みの低そうな場所でもなにかいいものを見つけんとする、ほとんど狂おしいまでの人間の渇望についての何か。現実を美化してしまうのではなく、醜さにもっとよい光を当ててその傷だらけの顔のイボや皺のひとつひとつに至るまで愛情や思いやりを抱かせるような、そういう角度を探すのをあきらめない、ということについての何か。」
その「何か」を持ち続けることの困難さを知りながら、それぞれの生活を生き続けることの大切さを教えられるような、本質的で美しいエッセイ集。
投稿元:
レビューを見る
超キュートなおっさんエドガルケレットが主役のノンフィクションエッセイ。奥さんも子供も家族も素敵だ。自分の話をします(またか)。正月に田舎に帰り大晦日の夕食を待っていた。父に座って酒を飲めと言われる。グラスなどがない。最近リフォームして何がどこにあるのかさっぱりわからない。促す父。めんどくさいので目の前にあった、お客様用コーヒーカップに日本酒を入れて飲んだ。そのうち誰かがまともな容器を出してくれるだろう。そんなことはなかった。次の日からはご飯の横にそのカップが毎回用意されてるのだった。おかしいやろ!この家!