紙の本
「宗教改革500周年」の今年だからこそ読むべき良書
2017/11/07 16:20
2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:ぴんさん - この投稿者のレビュー一覧を見る
今年は宗教改革から500年目を迎える節目の年である。本書は単なるルター礼賛、プロテスタント万歳の歴史書ではない。第1章、第2章では、歴史的事実と対比させることで、神格化され政治的に脚色されたヒロイック的なルターのイメージを打破している。「宗教改革」という呼び方に、当時の「生活の座(Sitz im Leben)」から応答していると言っていい。ルターが目指したのが、決して「カトリック教会からの離脱」ではなく、むしろ「教会内刷新」であったことや、「95箇条」がヴィッテンベルク教会の門扉に釘付けられた可能性がほとんどなかったことなど、当時の記録をひもときながら解説している。第3章以降、ルターが目指した「刷新」が、そのアイデアを政治的に利用される中で1つの宗派が生み出される様子が描かれる。また、このアイデアを独自に解釈することで、ヨーロッパ各地に生み出されたさまざまなプロテスタント宗派の成り立ちについても言及されている。このあたりは、キリスト教史の複雑さをうまくまとめ上げていると思われる。だが、本書の特徴となるのは第5章以降であろう。「改革の改革」。当初、カトリックの対立項と思われていたプロテスタントだが、プロテスタントの本質的特質ゆえに、多くの分派が生み出されていく。この在り方を、現在の「保守主義」と「リベラリズム」の源流と主張するあたりが、読んでいて面白い。第5章以降で描き出されるのは、カトリックとの戦いを経て生み出されたプロテスタント諸派(ルーテル派、長老派、聖公会)の在り方をさらに刷新しようとした諸集団(作者の深井氏は神学者トレルチを引用しながら「新プロテスタンティズム」と呼ぶ)の経過である。それは、カトリック教会の「支配」を否定し、新たな「支配者」となった諸派を「古プロテスタンティズム」と見なし、これに替わる新たな教会形態として「自発的結社」を形成するようになった諸派(バプテスト派、ピューリタン以降の教派)の数百年の歴史である。「古プロテスタンティズム」が生み出した教会の体制を「保守主義」とし、「新プロテスタンティズム」が生み出したものを「リベラリズム」とする。両者を対比的に見るなら、言わんとすることは的を射ていると言えよう。
紙の本
目から鱗の啓蒙書
2017/05/03 14:57
1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:森郊外 - この投稿者のレビュー一覧を見る
自分なりに要約を試みてみた。
ルターが目指したものはカトリックの改革であり、それがプロテスタント(抗議する人々)と呼ばれることはご本人、あずかり知らないところであった。ところでルターとルターに賛同する人々は、当然のことながら多くのものをカトリックから受け継いでもいた。教会と地域社会ひいては国家との密接な結びつき、あるいは教義的には幼児洗礼などなど…・それは一昔前の日本の檀家制度にも似たものであった。そうしたルターの方針に異を唱えたのが新プロテスタントと呼ばれた人々。幼児洗礼を否定し、国家とは絶縁し、伝道により人々を回心に導き、そこで初めて洗礼を授け、教会員を増やし、自主独立して教会を運営していったのだ。ドイツでは古いプロテスタンティズムが今なお根付き、国家の精神的バックボーンとなってきた。一方、新プロテスタンティズムは信仰の自由を求めて新大陸に渡ったピューリタンの信仰を受け継ぐアメリカで根付き、様々なヴァリエーションが生まれていった。そこで筆者は日本にも言及する。明治時代、日本は多くをドイツから学んだため、保守的な、国家宗教的なプロテスタントが輸入されることになったと。
筆者の深い学識に裏打ちされた文章は明快で説得力があり、今日の世界情勢の一端を知るにも大変有意義であった。
しかし物足りない点もあった。アメリカに学び、のちに国家主義と対峙していった内村鑑三。その内村の提唱した無教会主義はその後の知識人にも影響を与え続けていったまさに新プロテスタンティズムであったはずだが、本書では無教会派に対する言及がなかったことである。紙数を考えれば致し方なかったことかもしれないが…
投稿元:
レビューを見る
1517年、神聖ローマ帝国での修道士マルティン・ルターによる討論の呼びかけは、キリスト教の権威を大きく揺るがした。その後、聖書の解釈を最重要視する思想潮流はプロテスタンティズムと呼ばれ、ナショナリズム、保守主義、リベラリズムなど多面的な顔を持つにいたった。世界に広まる中で、政治や文化にも強い影響を及ぼしているプロテスタンティズムについて歴史的背景とともに解説し、その内実を明らかにする。
投稿元:
レビューを見る
ルター・カルヴァンらは旧プロテスタンティズム(以下P)、そして新プロテスタンティズムに分けての説明は新鮮で分かり易い。ルター主義がヒトラーを支持したわけではないが、共感度が高かったとの解説も分かり易い。そもそも旧Pは領邦国家と結びついていたこの説明はその通り。ワイマール共和国時代はルター派は居心地が悪く、むしろナチスの台頭に歓迎の気持ちがあったとのこと。政治的な背景の繋がりも面白い。
投稿元:
レビューを見る
宗教改革の意味合いからその後のプロテスタンティズムの展開を詳述した労作。兎角一括りにされがちなプロテスタントの多様性がよくわかる。著者もあとがきで触れているが、カルヴィニズムへの展開にも詳しければ、さらに良かったかなと思い、今後に期待する。今の欧米の状況を理解するために必読の書である。
投稿元:
レビューを見る
中世ヨーロッパの人々にとって大きな問題は死であった。食物が絶えず不足し、医療はほとんど成立せぬため、生まれてきた子どもが成長して大人になる確率は低く、平均寿命も短い。キリスト教を伝えにきた修道士に「隣人を愛するとは、隣人を食べないことだ」と教えられ、最終的にはペストの脅威にさらされた中世ヨーロッパの人々にとって、死は圧倒的な力であらわれ、戦う前から負けを宣告されてしまうような相手であった。予測できず、突然、逃れがたくさんやってくる死は、人々の生活の豊かさや充実などよりも、はるかに切迫した問題であった。(p.7)
この提題が「広く読まれていることは、私が望んだことではありません。また私はそのようなことを意図したことはなかったのです。私はただこの町の人々とまたせいぜい近くの学者たちと議論し、その意見によってこれ(つまり提題)を取り下げるか、あるいはみなに認めてもらうかを判断しようと考えたのです。ところがこれが何度も印刷され、翻訳もされているのです。ですから私はこれを公にしたことを今後悔しています。」(ルター。pp.49-50)
ルターは、神が人間を救うという行為を人間はただ受け取るのであり、神がなすことを信頼するのが信仰だと考えたのである。それゆえ救われるためには人間の側の努力ではなく、「信仰のみ」が必要となるのだ。
この「聖書の身」「全信徒の祭司性」、そして「信仰のみ(信仰義認)」を宗教改革三大原理と呼ぶことがある。(p.63)
新プロテスタンティズムの牧師たちの語ることが、強制され、行かねばならない教会の説教よりも宗教的に見て益が多いと感じればこの独占市場に変化が起こる。新プロテスタンティズムの教会と聖職者たちは、いわば自力でこの独占状態を破壊していく。勝負はサービスであった。(礼拝は英語で「サービス」という)
また彼らは政治的な圧力に対しては、中世後期から発展したさまざまな政治的意識であるデモクラシー、人権、抵抗権などを受け入れ、それを味方につけ、その担い手となり、それだけではなく、このような政治的価値を使って既存の教会や政府と戦いはじめた。彼らがそれらの書価値を生み出したとは言えない。しかし、彼らはそれらの政治的思想の担い手であった。(pp.116-117)
プロテスタントとは、カトリシズムとの戦いを続け、その独自性を排他的に主張してきた宗派であるだけではなく、複数化した宗派の中で、共存の可能性を絶えず考え続けてきた宗派であり、むしろ後者が私たちの今後の生き方だと主張するようになった。このような仕方で戦後もドイツのプロテスタンティズムは国家と歩みを共にした。(p.158)
ヴァイツゼッカー
若い人たちにお願いしたい。他の人びとに対する敵意や憎悪に駆り立てられることのないようにしていただきたい。ロシア人やアメリカ人、ユダヤ人やトルコ人、オルタナティヴな考えを持つ人や保守主義者、黒人や白人、これらの人たちに対する敵意や憎悪に駆り立てられることのないようにしていただきたい。若い人たちは、互いに敵対するのではなく、互いに手を取り合って生きていくことを学んでいただきたい。
民主的に選ばれたわれわれ政治家にもこのことを肝に銘じさせてくれる諸君であってほしい。そして範を示してほしい。
自由を尊重しよう。平和のために尽力しよう。公正をよりどころにしよう。正義については内面の規範に従おう。(p.164)
ガウク
おそらく将来世代は新しい記念の形を追求することになるでしょう。またホロコーストもすべての市民にとってドイツのアイデンティティの核心的要素とはもうみなされないかもしれません。しかし、これからも言い続けなければならないことは、アウシュヴィッツなしにドイツのアイデンティティは存在しないということです。ホロコーストを記憶することは、ドイツで暮らすすべての市民の責務なのです。(p.165)
確かに宗教改革からはじまったプロテスタンティズムの歴史の意義と特徴は、自由のための戦いも、近代世界の成立への貢献も含まれるが、それ以上に重要なもう一つの特徴は、社会の中で異なった価値や宗教を持つ者たちがどのように共存して行けるのか、という作法を教えてくれることにあるのではないだろうか。(p.206)
投稿元:
レビューを見る
これまた素晴らしい本が現れた!
まだ、50頁程しか読み進んでいないが、キリスト教徒のみならず、バッハ愛好者にとっても必読書となる事間違いない。
******************
長いことキリスト教徒やっていながら、プロテスタントについて体系的に学ぶ機会が無かったので、この本に負うところは大きい。
この本のおかげで、自分のプロテスタント立ち位置(出自)がよく分かった。
投稿元:
レビューを見る
トランプ大統領のイスラエル大使館エルサレム移転の判断にはアメリカのプロテスタントの福音派が影響力を発揮したと言われています。彼等は何者か?先ず最初にカトリックローマ教会の贖宥状に疑問を持ったマルチン・ルターの「九十五カ条の提題」から始まりプロテスタント(これはルター派を侮蔑するためのローマ教会からの呼び名であり、福音主義者の改革派教会がドイツでの公式な名称らしい…なんと!)という存在が生まれ、そこからスイスではカルビィニズムが新たに派生し、フランスではユグノー、スコットランドでは長老派、そしてイングランドではカトリックから離脱した英国教会がアングリカンと呼ばれ、その中のプロテスタントの影響を受けた一派がピューリタンとなり、彼らがアメリカに渡り、新世界の価値観のグランドデザインに影響を与えながらも、またクェーカーとかバプティストとかまたまた新しい宗派を作り続けたうちのひとつが福音派に繋がるのです。そう、常に抵抗を続けて分裂を繰り返していく存在。「プロテスタント原理は既存のプロテスタンティズムやキリスト教、あるいは宗教にさえも拘束されることに対して抵抗する」まさに信仰のダイバーシティを生み出してきた、まるでキリスト教カンブリア期のきっかけがルターの抵抗だった訳です。でも、ルター本人としてはそんなドラマチックなものではなく、個人的に書いた提題があれよあれよと大事になってしまった感じらしい…不変のカトリック教会という上部組織から離れたことにより基本を聖書に置かざるを得なくなり、したがって自分としての「読み」が派生することがプロテスタンティズムが開けたパンドラの箱。でも近代はそこから始まった、とも言えるし。マックス・ウェバーもそこら辺でかの名著、生み出したし。大使館移転問題に代表されるように現代社会にも影響を与えているとすると、本書は歴史の書ではなく、今を見るための眼鏡として視界良好になる本です。保守の源流としての「古プロテスタンティズム」とリベラルの源流としての「新プロテスタンティズム」とかめちゃわかりやすかったです。
投稿元:
レビューを見る
タイトルとは違い非常に読み易く書かれている。ルターの宗教改革から今日までのプロテスタントの思想や分類等がわかり易い。
今迄は一括りにプロテスタントと理解していたがこんなにも多様とは。。キリスト教を理解するのにも役立つ一冊。
投稿元:
レビューを見る
某所読書会の課題図書.1517.10.31にルターが贖宥状に対する疑問を投げかけた行為が宗教改革の始めとされるが,多分に脚色された部分もある由.しかしこれによってプロテスタントが派生したことを事実であるが,本書では保守主義としての,あるいはリベラリズムとしての プロテスタンティズムを詳述している.面白かった.本場ドイツの保守的な流れは全く知らなかったが,日本は例によってアメリカ的なプロテスタントとドイツ流のそれをうまくミックスしている感じだ.
投稿元:
レビューを見る
ルターの宗教改革の位置づけから、現代のプロテスタントの流れまでを詳細に記載している。
ルターの宗教改革が新しい宗派設立を目的としたものではなく、あくまでも当時のカトリックが行っていた贖宥状などの腐敗した行いを正すための改革であり、今ではルター派は保守派としての位置づけであること、そして現在のプロテスタントの主流は聖書が全てであり、その正しさは個人が判断するものであるという解釈から成り立っているということであった。またカトリックは国が認めた国教であることから、教会も教区に一つが設立されて公立として運営されている(まさに日本の小学校のようなもの)であるのに対して、プロテスタントは自らが同じ新派を集めて自費で運営しており、そのことを彼らは誇りに思っているのであった。そして彼らはそれを実現するためにイングランドからアメリカに多くのプロテスタントが渡り、現在もその主流を担っているという真実には驚かされた。
投稿元:
レビューを見る
宗教改革の立役者と言われるルターだけど、本人は当初、そんなつもりで95ヶ条の提言を発表した訳ではないらしい。印刷技術の普及で思いがけないスピードで広まってしまったという経緯は、今で言うところのブログやツイッターみたいなものかと想像すると面白かった。
その後のプロテスタントと社会、政治との関わり、現代における考え方の相違など若干駆け足で解説されている。自分としては近代〜現代におけるプロテスタントのそれぞれの派閥やカトリックとの関わりなどを、もう少し掘り下げて知りたかったかな。
投稿元:
レビューを見る
プロテスタンティズムの歴史と精神、社会に与えた影響を紹介する。情報量が極めて多い上、門外漢の私にも理解しやすく、名著と言い切って良いのではないだろうか。(この作者の学説が学会でどういう扱いなのかはしらないが。)
中世におけるサクラメントの重要性、神学的な疑義を提示したに過ぎないルターがバチカンと対立してゆく過程、保守主義やリベラリズムに与えた影響など、本書から学んだことは数多い。政治的な話に重点がおかれるあまり神学的な話題が心なし少ないのが玉に瑕である。
投稿元:
レビューを見る
カトリックとは何か、プロテスタントとは何か、という事を今まであまり考えてこなかったがゆえに、その認識がいかに曖昧かつ間違っていたものだったかというのを考えさせられた。キリスト教の中でカトリックに対して生まれた新しい派閥がプロテスタント。そしてプロテスタンティズムの先駆者があのルターだった、という解釈で理解していた内容は雑で、プロテスタンティズムもただひとつの勢力であるというわけではなく、その枠組みの中でも常に枝分かれして変化していることが、面白かった。何よりルター自身は自分のことをプロテスタントと思っていたわけでなかく、敬虔なカトリックであったということには驚かされた(知識不足ということもあるが...)。
キリスト教、特に作者の言う「新プロテスタンティズム」はその土地と時代に合わせて変化し続ける。国の支配から逃れ、民営化された教会は自由を生むと思いきや、そこでは新しい支配によって再び縛られる事になる。そうして目まぐるしく変化してきた物が今日存在するプロテスタンティズムなのではないか。そして何よりその変化を受け入れることができるキリスト教という土台が、その宗教の強さを物語っているような気がした。
個人的に一番面白かったのはアメリカにおけるプロテスタンティズムの章だった。彼らの「意識されざる国教」という表し方がとても的を射ているような気がして、興味深かった。
投稿元:
レビューを見る
2018/1/28読了。2017年が宗教改革から500年という帯に惹かれて購入したが、去年のうちに読めずに積読になっていた。
宗教史が好きなので、キリスト教が様々な教派に分かれていく事にとても興味があった。これはプロテスタントに焦点を当てた内容になっており、ざっくりとプロスタンティズム史を知るのに役立つ。
さらに、バプテスト派、長老派、洗礼派などの由来も簡単ではあるが説明してあるので、これを読んだ上で関連図などを見てみると理解が早いかもしれない。