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- カテゴリ:一般
- 発売日:2017/03/27
- 出版社: 医学書院
- サイズ:21cm/335p
- 利用対象:一般
- ISBN:978-4-260-03157-8
紙の本
中動態の世界 意志と責任の考古学 (シリーズケアをひらく)
著者 國分 功一郎 (著)
【小林秀雄賞(第16回)】【紀伊國屋じんぶん大賞(2018)】【毎日出版文化賞企画部門(第73回)】中動態とは何か。若き哲学者がバンヴェニスト、アレントに学び、デリダ、ハ...
中動態の世界 意志と責任の考古学 (シリーズケアをひらく)
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商品説明
【小林秀雄賞(第16回)】【紀伊國屋じんぶん大賞(2018)】【毎日出版文化賞企画部門(第73回)】中動態とは何か。若き哲学者がバンヴェニスト、アレントに学び、デリダ、ハイデッガー、ドゥルーズを訪ね直し、アガンベンに教えられ、そして新たなスピノザと出会うことで中動態の世界に迫る。『精神看護』連載を書籍化。【「TRC MARC」の商品解説】
【本書「あとがき」より】
中動態の存在を知ったのは、たしか大学生の頃であったと思う。本文にも少し書いたけれども、能動態と受動態しか知らなかった私にとって、中動態の存在は衝撃であった。衝撃と同時に、「これは自分が考えたいことととても深いところでつながっている」という感覚を得たことも記憶している。
だが、それは当時の自分にはとうてい手に負えないテーマであった。単なる一文法事項をいったいどのように論ずればよいというのか。その後、大学院に進んでスピノザ哲学を専門的に勉強するようになってからも事態は変わらなかった。
ただ、論文を書きながらスピノザのことを想っていると、いつも中動態について自分の抱いていたイメージが彼の哲学と重なってくるのだった。中動態についてもう少し確かなことが分かればスピノザ哲学はもっと明快になるのに……そういうもどかしさがずっとあった。
スピノザだけではなかった。数多くの哲学、数多くの問題が、何度も私に中動態との縁故のことを告げてきた。その縁故が隠されているために、何かが見えなくなっている。しかし中動態そのものの消息を明らかにできなければ、見えなくなっているのが何なのかも分からない。
私は誰も気にかけなくなった過去の事件にこだわる刑事のような気持ちで中動態のことを想い続けていた。
(中略)
熊谷さん、上岡さん、ダルクのメンバーの方々のお話をうかがっていると、今度は自分のなかで次なる課題が心にせり出してくるのを感じた。自分がずっとこだわり続けてきたにもかかわらず手をつけられずにいたあの事件、中動態があるときに失踪したあの事件の調査に、自分は今こそ乗り出さねばならないという気持ちが高まってきたのである。
その理由は自分でもうまく説明できないのだが、おそらく私はそこで依存症の話を詳しくうかがいながら、抽象的な哲学の言葉では知っていた「近代的主体」の諸問題がまさしく生きられている様を目撃したような気がしたのだと思う。「責任」や「意志」を持ち出しても、いや、それらを持ち出すからこそどうにもできなくなっている悩みや苦しさがそこにはあった。
次第に私は義の心を抱きはじめていた。関心を持っているからではない。おもしろそうだからではない。私は中動態を論じなければならない。──そのような気持ちが私を捉えた。
(以下略)【商品解説】
著者紹介
國分 功一郎
- 略歴
- 〈國分功一郎〉1974年千葉県生まれ。東京大学大学院総合文化研究科博士課程修了。博士(学術)。高崎経済大学准教授。専攻は哲学。著書に「スピノザの方法」「暇と退屈の倫理学」など。
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書店員レビュー
自発でも強制でもない、真の「自由」を求めて
ジュンク堂書店ロフト名古屋店さん
「中動態」はどういうものなのか。
そもそも聞きなれない言葉である。
中動態は、能動態と受動態というような形態を表す言葉と定義されているが、著者である國分氏はそう簡単には片づけられない深い概念があるというのである。中動態という形態は、実は、万学の祖といわれる古代ギリシャ哲学者のアリストテレスの時代から、すでに存在していたのいうのである。國分氏は、中動態が存在するラテン語で著されたスピノザ『エチカ』に着目して、その概念を追求していくのである。國分氏の指摘によって、我々の何気ない行為は、能動態でも受動態でもない中動態そのものであることに気づかされるのである。そして、そのことは自分のあり方や、人とのコミュニケーションを見直すきっかけになるはずである。今回この内容について、医学書院から出版されたことは非常に興味深く、中動態という概念を知ることで、精神医学の観点から切り拓いていく可能性を探っているのである。中動態の世界に生きているのならば、我々は、やはり複雑で曖昧で、難しい生き物であると痛感すると同時に、決して失くしてはいけない「自由」を追求すべきだと確信するのである。
医学書担当 辻
紙の本
國分功一郎「僕はこの本で自由という言葉を強調したかった」
2018/06/05 15:22
5人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:ぴんさん - この投稿者のレビュー一覧を見る
能動/受動という自明の二項対立に留まらない、失われた中動態を読み解くことで、生権力の打開を暗示する好著。「ものを考える」という時に起こっているのは、人間が考えるということではなくて、人間の精神の中で観念が次々につながっていくということ。「本人の意志や、やる気ではどうにもできない病気」であることが理解されない。本書のスリリングな問いは、ここから始まる。著者は昔からずっと「善きサマリア人の譬え話」に強い関心を抱いていて、その関心がいま自分の中でこれまでになく高まっているのを感じているとのこと。主体を楕円で考える…中動態の可能性をもう一回発見した。
紙の本
思考の在りようについて
2024/02/24 22:23
1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:ichikawan - この投稿者のレビュー一覧を見る
能動態でも受動態でもない中動態がかつて存在していた。思考が言語をつくるのか言語が思考を規定するのか。中動態について考察することで思考の在りようについて考察していく。