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商品説明
大政奉還とは何だったか−。幕末維新時の一連の事象を公平かつ冷静に分析し、さらに「勝者によって消された歴史」を掘り起こすことで、維新の全体像を浮かび上がらせる。【「TRC MARC」の商品解説】
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紙の本
徳川慶喜はそんなに傑物か
2017/10/28 14:08
1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:hiroyuki - この投稿者のレビュー一覧を見る
この本は、一般的には評判が悪く、そして日本史上の評価も低い徳川斉昭・慶喜親子を高く評価し、逆に日本史上最も好感度が高いといっても良い坂本龍馬をコンプライアンスに欠ける密貿易商人、日本人同士を戦わせるために武器を輸入した非情な人間と断罪している。
慶喜は弁論に秀れ、能動的に政局を切り開いた傑物としてベタ褒めである。表紙が徳川慶喜の肖像写真であることがこの本のコンセプトを良く現している。恭順と称して、鳥羽伏見の戦い直後に江戸へ帰ってしまった慶喜最大の悪行も、絶対的尊王論により慶喜を説得した神保修理のせいになっている。
自分も薩長政権の明治は勝てば官軍の虚偽の歴史だったと思うが、この辺りは贔屓の引き倒し感は否めない。
紙の本
根拠のない断言が多すぎる
2018/03/26 03:26
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:美佳子 - この投稿者のレビュー一覧を見る
本書ではタイトルからも察せられるように徳川慶喜と西郷隆盛の対立軸に重点が置かれています。いわく、徳川慶喜はイギリス型議会制民主主義の導入の先鞭をつけたステーツマンであり、西郷隆盛はポピュリズムを煽る扇動テロリストである、という対比です。その枠内で水戸学を憲政史上の初めに位置付け、慶喜の大政奉還上表文の宣言にイギリス型議会制民主主義の発芽を見出しています。本書の目的は「勝者によって消された歴史を掘り起こすこと」としています。
残念ながら出典・根拠不明の断言や参考・引用文献の不備(巻末の文献一覧と文中に引用されている文献が一致しない)が目立ちます。
またタイトルが『明治維新の正体』であるならば、まずは『明治維新』という言葉がいつから使われるようになり、具体的に何を指しているのかを定義する必要があると思いますが、そういうことは一切言及されていません(原田氏の著書にはそれがあります)。
また、ペリー来航時(1853)の日本の軍事力について「当時の日本では飛び道具としてはせいぜい弓矢か火縄銃だ」(p27)と根拠なしに断言されていますが、それが史実ではないことはちょっとググればすぐに分かります。例えば火縄銃よりはましなゲベール銃は1831年から日本に導入されていましたし、大砲も「大筒」と呼ばれるものが戦国時代からあり、ヨーロッパの青銅製鋳造砲は徳川家康が取り入れ、その後それらを基に和製大砲が開発されていた(ウイキペディア「和製大砲」より)そうなので、ペリー来航時には少なくとも火縄銃ばかりでなく、ゲベール銃と和製大砲が飛び道具として存在していたことになります。
更におかしな発言は「明治三十八年、この諸説のとおり日本は列強の一角ロシアを屈服させる」(p118)です。確かに日本は日露戦争に勝利しましたが、それはロシア革命で敵国が弱体化していたからに過ぎず「屈服させる」という状態からは程遠い事態でした。
イギリスやアメリカと日本との関係史に詳しい人が見ればこの他にももっと「アラ」が見つかるかもしれません。
諸外国の幕末期の事情と日本との関係における思惑などを考慮し、大政奉還上表文というあまり注目を浴びないものを再評価したことは「ナイストライ」と思えますが、だからと言って鳥羽伏見の戦い後「たとえ千騎戦没してただ一騎となるとも退くべからず」と言い放って戦意をあらわにし、その翌日夜には「自ら陣頭指揮して反撃に出る」と宣言した翌日に自分だけ江戸に逃げ帰るような軍の指揮官としてあり得ない行動を「錦旗を掲げた者は、たとえ何ものであっても、官軍」とかいう神保修理の訳の分からない尊王論に説得された(p300)という理由で正当化できるものではありませんし、「国家万民のため、渾身の力を尽くして」(p314)などと称賛できるものでしょうか。形式的な尊王論を守るためと言うなら官軍となった薩長軍に恭順の意を示し、兵たちを守るために自分の身を拘束されてでも幕府軍が平和裏に交代できるように交渉すべきだったのではないでしょうか。それをせずに自軍をほったらかしにして自分だけ江戸に帰ったことは「渾身の力を尽くした」という称賛に値することでしょうか?