紙の本
「夏の花」との共鳴
2017/04/20 02:17
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投稿者:親譲りの無鉄砲 - この投稿者のレビュー一覧を見る
昭和14年に刊行された息の長い名著。本書を読むのに、特に数学の素養はいらない、と著者は述べているが、対数とベクトル外積に触れた箇所は、高校数学以上を学んでいた方がやはりよいと思われる。ただし、そういう個別的な部分は、各人で短時間に調べることもできるし部分的に読み飛ばすのも可能でもあるので、大した問題ではない。
この本、実は原民喜の名作「夏の花」三部作のひとつ「壊滅への序曲」の中で引用されている。(つまり戦前戦中から大衆向け啓蒙書として本書が高い評価を受けていたことが想像できる証拠のひとつともいえるわけだが。)そこでは、主人公が「零の発見」を読んで、ナポレオンによるロシア遠征時にフランス軍工兵士官として従軍したポンスレが2年ほどロシアの捕虜となったときに、ひたすら数学研鑽に励み、それが射影幾何学の発展に大いに寄与した、という本書冒頭のエピソードに強い印象を持つのだ。主人公にとって印象深いシーンとして。文学的な想像力を膨らませると、広島の原爆投下というのはやはり人類の歴史における一つの特異点(ゼロポイント)或いは、大きな都市が一発の爆弾で「無」に帰す(壊滅的なダメージを受ける)という暗喩が込められている可能性があり、やはり非常に印象深い箇所なのだ。
ただし、本書前半部に述べられる「零の発見」とは、古代インド人たちがたどり着いた「空の思想」というようなものとは関係ない。すなわち、千数百年前に、インド人たちが考案しアラビア人たちが西洋に広めた10進法の位取り記数法における空位を表すものとして、○とか・とかのシンボルで他の1~9までの数字と同等の数字的取り扱いをしてよいことを発見した、ということ。これが実に実用性の高い発見だったのだ。そして偶々アラビア数字で0と記されるようになった習慣が現代に残っているわけだ。今の世に生きる我々からすれば、至極あたりまえで簡単なことのように思えるが、歴史的に見て千年以上なかなかそこに辿りつくことがなかったことから考えてみても、「零の発見」とは実に大きな知的な飛躍だったのだ。本来専門ではないはずの、古代ギリシャ、それから西洋を席巻したイスラム文化等の歴史が縦横に語られ、何とも心地よい読書体験に誘われるのである。後半は、「直線を切る」と題した、連続の問題。自然数の比のかたちであらわされる有理数に無限の美しさを見出していたピタゴラス学派の人たちが直面しなければならなかった無理数の発見とジレンマ、ゼノンのパラドックスをきっかけに大きさを持たない点太さを持たない線の概念が現れてから発達した抽象的思考の賜物「ユークリッド幾何学」、近代数学への道を切り開くことになるデデキントの切断等、一見雑多に見えるような話題が、実数の「連続」の問題として見事に連鎖していく語り口の妙味、まさに名著の誉れにふさわしいものである。不幸にも、評者はこの歳(現在55歳)まで本書の評判を知りつつ自ら手に取って読むことがなかった。浅学を恥じたい気持である。
なお、数学の追求する抽象概念の世界(プラトン流イデアの世界に似たもの、例えば古代ギリシャ人が神聖視した有理数で構成される数体系)と日常的物理世界の違いについてデデキントの連続の定義が議を尽くしているかという問いが哲学の領分ではないかと考える結論には、例えば当時はまだ建設されたばかりの量子力学的な時空の離散性について、著者は何らかの思いを致していたのではないかという気もする。
紙の本
零を生み出したインド
2004/07/01 04:47
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投稿者:濱本 昇 - この投稿者のレビュー一覧を見る
「零」という概念はインドで生まれた。これは、私の知っていた事である。しかし、いかにその概念が生まれ発展してきたかは、本書により初めて知ったことである。古代数字は、計算の為のものでなく、計算は、そろばん等で行ない、その結果を記述するものであった。この為には、「零」という概念は、そんなに重要なもので無く、人類が「零」と出会うチャンスも少なかった。何故、インドにおいて「零」の概念が発見されのであろうか? 何故、インドなのか? 本書ではそこに言及はされていなかった。私は、インド哲学の悠久性が生み出したものであると理解する。「ブラフマン」「アートマン」に見られるような宇宙と個の融合、こういう思想が「零」の発見の根本原因であるように思ったのである。
後半は、「零」の話題から外れて、「直線をきる」と題して、ギリシアでの図形概念からπの概念と少し、難しい話題となった。
全体に渡り興味深い内容で、楽しい昼休みを提供してくれた一冊である。
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文体も中身もややかためだが
2021/11/21 00:28
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投稿者:719h - この投稿者のレビュー一覧を見る
中等学校で数学を習ったけれども、
今はすっかり忘れてしまった所謂、
素人向けに書いた、と冒頭には書いて
あるのですが、中程では何と対数が
出てくる本です。
昔の中学では対数を習ったのでしょうかね。
巻頭で本書を捧げられている武見太郎と
著者との関係がちょいと気になりました。
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(1966.06.10読了)( 1966.05.23購入)
*本の帯より*
本書は、古代インドにおける零という数字の発見より説き起こして数学における計算の発達をのべ、ピタゴラスの「万物は数なり」という命題のギリシャ哲学における意味を説いてデテキントに及ぶというふうに、極めて平易に真の数学文化史をのべた。数学の歴史を知ると同時に、数の面白さに読者はあらためて驚かされることであろう。
【目次】
零の発見―アラビア数字の由来―
直線を切る―連続の問題―
☆関連図書(既読)
「無限と連続」遠山啓著、岩波新書、1952.05.10
「数について」デーデキント著・河野伊三郎訳、岩波文庫、1961.11.16
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零zero0
零は7世紀頃インドで発見されたと世界史で習うだろう。でもそれが何に繋がったのか、どう各地に伝播したのかは全く教えられない。
これはギリシアやエジプトの頃と比べて零がどういう意味を持つか、加えて昔の数学の書物がどれだけ偉大なものかを記している。それに加えて、18世紀頃までの数学の歴史もちょくちょく書かれていたりなんかして侮れない。
始終零にまつわる話ではないが、十分に魅力的な内容を秘めている。
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インドにおけるゼロの発見は、人類文化史上に巨大な一歩をしるしたものといえる。その事実および背景から説き起こし、エジプト、ギリシァ、ローマなどにおける数を書き表わすためのさまざまな工夫、ソロバンや計算尺の意義にもふれながら、数字と計算法の発達の跡をきわめて平明に語った、数の世界への楽しい道案内書。
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数学の古典だけど、現代の数学的常識がいかにして培われてきたのかを悠々と説いた逸品。本のタイトルと同じセクションとは別にもう一つ「直線を切る―連続の問題―」というセクションがあって、個人的にはこちらの方が面白かったです。論理をとるか、信条をとるか。信じられなくても論理的に正しいものを受け入れられるか、そこに学問的発展の境界があったようです。そう言えば、物理学者の益川さんも似たようなことを言ってました。
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小学校の時、算数の担当教師から「大人になったら読みなさい。面白いから」と紹介された。
未だに岩波新書=大人の読み物というイメージが残ってる。
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何十年も前に書かれたとは思えない、今読んでも新鮮な文章。
取っ付きにくいかと思ったけれど分かりやすい分で読みやすい。
後ちょっとで読み終わります。
学校数学はアレルギーですが文学としての数学は好きです。
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数の歴史を零の発見と無理数の発見に分けてたどっていく話。
特別これといった感想は無いけど、たぶんこの種の本では数式が少なくて読みやすい気がする。
やはり少し古めかしいけど
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数学の歴史はある意味連続の問題に対する挑戦の歴史であることを,有理数と無理数の世界を考える「零の発見」と,円積問題を考える「直線を切る」から語る。
「数式をかかげることを極度に避けておいた」そうだが,数学を遙か昔に忘れ去ってしまった者としてはなかなか難解だった。ただ,多少なりとも数学の神秘を感じ取ることはできたと思う。超越数πがどれほど厄介で特別な存在か朧気ながら知っていたが,それを延々と説明された気がする。
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[ 内容 ]
インドにおけるゼロの発見は、人類文化史上に巨大な一歩をしるしたものといえる。
その事実および背景から説き起こし、エジプト、ギリシァ、ローマなどにおける数を書き表わすためのさまざまな工夫、ソロバンや計算尺の意義にもふれながら、数字と計算法の発達の跡をきわめて平明に語った、数の世界への楽しい道案内書。
[ 目次 ]
零の発見―アラビア数字の由来
直線を切る―連続の問題
[ POP ]
[ おすすめ度 ]
☆☆☆☆☆☆☆ おすすめ度
☆☆☆☆☆☆☆ 文章
☆☆☆☆☆☆☆ ストーリー
☆☆☆☆☆☆☆ メッセージ性
☆☆☆☆☆☆☆ 冒険性
☆☆☆☆☆☆☆ 読後の個人的な満足度
共感度(空振り三振・一部・参った!)
読書の速度(時間がかかった・普通・一気に読んだ)
[ 関連図書 ]
[ 参考となる書評 ]
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数学読み物の古典.本棚に20年以上積読だったのを読んだ.
前半が「零の発見」.位取り記数法の発展の歴史とその意義について.小数展開から極限,実数の話になる部分の流れが良くて感心した.
後半は「直線を切る」.デデキントによる実数の定義を最終地点に話は進むが,その中で無理数の発見,またゼノンの逆理やギリシャの3大問題などの有名な話が出てくる.私には,なぜギリシャ人が定規とコンパスだけの作図にこだわったのかという話(26節)が面白かった.
出てくる数学はほとんどが高校2年までの数学で,微積分の考え方を知っていると理解の助けになる部分が少しだけある.最後のデデキントの切断は大学の内容だが,例をうまく使った解説で背伸びしたい高校生にも理解できるのではないか.
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インドでの「0(ゼロ)」の発見(発明?)が如何に重要だったかを、他の文明の記数法(数を表わす方法)と比較しながら解き明かす。確かに、「0」はインド人による歴史的大発見というのは”常識”として知っていたが、どう大発見だったのかについてはあまり意識したことがなかったけど、なるほど、数を書き表わすための工夫が、後々の計算法の発達や、数学的思考にも影響を及ぼしたとは。「零」の功績、存在意義を明らかにすることで、数の世界へといざなう数学入門書。ただ、やはり、後半は、ある程度、高度な数学的知識と理解がないと、面白さが判らなず、ついていけなくなってしまった。
数学を「理解」するというとハードルが上がるが、”「理解」という言葉を「同情」とか「興味」とかいう言葉に近い意味に解釈するときは、そこにまたおのずから別の道も見出されるのではなかろうか。”という、発想は、大上段、高飛車でなくてよいですね(「同情」ってのは嫌いな感情だけど)。でも、やはり、それだけではとうてい”理解”できない内容も多かったところが、自己嫌悪。俳優児玉清が10代の頃にこの本を教師から薦められて、その面白さにハマったというが(「そして、今日から」児玉清著より)サスガである。
内容より、文章、言葉の使いまわしが情緒あって印象的だった。
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2013.11.07 読了
数字と計算法の発達の跡、と表紙の見返しにはある。本書のことを過不足なく言い得ている。
しかし、僕がこの本を古本屋で手に取った時は、零が持つ、その概念的なものを求めていたんだと思う。
そういう意味で僕には物足りなかったのだと思う。