紙の本
世界がゼンに気付いた時、それは深く浸透している
2019/10/13 21:29
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投稿者:SlowBird - この投稿者のレビュー一覧を見る
「もののあはれ」最後の人類を乗せて地球を脱出した宇宙船で、危機を救う青年が囲碁に象徴される東洋人イメージで描かれる。
「潮汐」月が少しづつ地球に接近してくる世界。イタロ・カルヴィーノ「月の距離」の逆パターン。遠ざかって行くものには郷愁を感じるが、迫り来るものには立ち向かうというのが詩情というものかもしれない。
「選抜宇宙種族の本づくり習性」知的生命というのは、つまるところ情報を伝達して後世に残すということかもしれない。S.レム「虚数」のようなアラカルト的でありながら、種族間の相互作用が宇宙的で効いている。器官と言語が思考を支配するという点ではチャイナ・ミエヴィル「言語都市」も彷彿とさせる。
「どこかまったく別な場所でトナカイの大群が」人類が仮想空間の中で暮らすようになっても、そこからハミ出そうとする人間はいる。そしてフロンティアが切り開かれる。
「円弧」アンチエイジングが遺伝子工学やナノテクによって本物になって行くだろう。徐々に低価格化して一般化するが、死というものについての人間の観念は簡単に変わるとは限らない。
「波」世代宇宙船で長い旅をしている間に、地球での科学の発展はその航行速度を追い越し、乗組員のいく先々で変貌した人類の姿を見せる。オラフ・ステープルドン「最後にして最初の人類」で描かれる何億年もかかっての人類の進化が、数百年で実現されるような話。それは現代の感覚では確かに当然のようで、適応していく人間の柔軟性は野性的でもある。そうして新たな神話が紡がれる。
「1ビットのエラー」人が神を信じる瞬間には科学的根拠があるのかもしれない。自然界にはそういうエラーがよくある。それがエラーだとすると、それを幸福に結び付けられるかどうかも人間次第ということらしい。
「良い狩りを」科学による人類の変貌について、なおスチームパンク世界でも追求しているのが面白い。
未来の世界、そこにある宇宙の世界が、なぜか懐かしい雰囲気、眉村卓や光瀬龍が書いていた作品を思い起こさせる。近代合理主義で作り出された世界の中に、東洋的な無常感が挿入されたことにより、違和感というよりは、融合することで新しく生まれるものがあるという視点が独特だ。二つの文明が邂逅した時の帰結を、破滅的にではなく前向きに考えようとしているところに、ひとヒネリした新しさがある、その思考自体が現代に求められている理性の姿なのではないだろうか。
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「良い狩りを」、いい作品だなあ
2019/08/31 22:42
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投稿者:ふみちゃん - この投稿者のレビュー一覧を見る
「もののあはれ」「潮汐」「円弧(アーク)」「波」「1ビットのエラー」「良い狩りを」等8作からなる短編集。作者はいろんな国出身の人を主人公に使うが、私が気に入った2つの作品のうちの一つ「もののあはれ」は日本人の少年が主人公だ、芭蕉の俳句や漢字も登場する、なんとも切ない物語だ。もう一つの好きな作品が「良い狩りを」、これは清が滅亡した後の混迷した中国が舞台、東洋の神秘的で幻想的な世界が、西洋の機械文明の前に破壊されてしまう世界を描いている。ケン・リュウという人の作品(短編集)は「紙の動物園」に続いて2冊目だが、昔、読んだレムの作品を思い出させてくれる、あの作品にアジア風味を加えたすばらしい作品集だ
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読みやすい
2021/08/25 14:32
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投稿者:向日性の未来派娘 - この投稿者のレビュー一覧を見る
第一短篇集である単行本「紙の動物園」から8篇を収録したものです。
選抜宇宙種族の本づくり習性と良い狩りをが面白かった。
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ガラス球のよう
2017/06/25 18:03
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投稿者:kko - この投稿者のレビュー一覧を見る
外からみたアジアは、このように美しく見える。
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日本人らしさがテーマの作品もあります
2020/03/01 14:12
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投稿者:KazT - この投稿者のレビュー一覧を見る
著者の第一短編集の中からSF的な内容を集めた作品です。
やや難解な作品もありますが、いずれも異なる雰囲気で独特の世界観があります。
表題にもなっている「もののあはれ」は著者が日本人らしさとはどのようなものかを宇宙空間を舞台に描いており、非常に興味深い内容です。
また、「あなたの人生の物語」の作者であるテッド・チャンが探求したものと同じ内容ということで、テッド・チャンに許諾を得たという作品もあります。
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ケン・リュウ短編集の下巻。ファンタジーを織り込んだ抒情的な作品が多かった上巻に対し、こちらはくっきりとしたSF作品が並ぶ。雰囲気も各作品でだいぶ異なる。とは言え、そのトーンの抒情性は変わらない。特に表題作の「もののあはれ」には、同じアジア人としての目線で描かれる日本人の人生哲学があまりに美しく描かれていて、日本人読者としては何とも言えない気持ちになる。
スタイル的にはどれもかっちりSFだが、道具立てが硬派なだけで、テーマとなっているのは愛。そこに物質、時とその経過による変化、といったものが絡む。移り行く物質の世界、時が刻む変化に抗う試みを支えるのは、科学と愛だ。その中で、科学と愛は一つに溶け合っていく。自由に生きたい、自分が価値を見出した人生の意味のために生きたい。そんな願いを科学が支え、愛が後押しし、そしてやがて、命はそれぞれの結論に向かって別々の道を歩みだす。ゴールが違っても、途上で交わり、重なり、離れて行ったそれぞれの命は等しく尊く、愛おしい。永遠の生がある世界にも、死は選びうる。機械と電気の世界にも、魔法は生き続ける。感情のすべてがアルゴリズムだったとしても、あるいはバクテリアが生み出す反応だったとしても、そして確信に満ちた一つの思いの正体が弾き出された陽子によってつなぎ目を破壊されたプログラムのエラーだったとしても、そこには愛が宿りうる。機械にも魔法は宿り、機構にも愛は宿るのだ。
上巻下巻通して、命への愛、生きることへの愛を強く感じる独特なSF作品たちを堪能できた。他の作品も読んでみたい。
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もののあはれ(短篇傑作集2)
著作者:ケン・リュウ
発行者:早川書房
タイムライン
http://booklog.jp/timeline/users/collabo39698
自ら選択した老人としての行き方の中で、静かに過去を振り返る。
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この作者の作品と自分の趣味が一致することを更に確信した一冊です。
日本的な社会感とSFの融合が深い読後感をもたらす表題作や、「円狐」などの進化形SFの処作品、中華幻想の世界から意外な展開をみせる「良い狩りを」など読み応えのある作品が収録されています。
個人的には表題作と「良い狩りを」が好きですね。
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短編集第二集。悠久の時間を超えた物語がいくつか。ハードSFの中に侘び寂び的なエッセンスがある。翻訳が非常に秀逸。
熱でダルくて会社休んで昼寝しつつ読了。
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さまざまな角度から宇宙と人類(と人類ではないが生物たち)の物語を描いた短編集。
私が気に入ったのは、某海外SFのような抒情的で切ない余韻を残す表題作の「もののあはれ」(これが原題というのがまた良い…)と、古き消えようとしていたものが未来を得ていく物語「良き狩りを」の二作です。
後者については訳者があとがきで言われているとおり、古き消えゆこうとしていた「魔」なる存在が、ああいった形で生まれ変わるという「転回」が、小気味よくそして美しくたくましく描かれていて、とても素敵に感じました。ラストの一文がすべてですね。
映画化されたという「円弧」もまた、SFに普遍のテーマである生死の概念において深く切り込んで可能性を描いていて、自分がその選択肢を得たらどうするのだろう、と考えました。死に抗えないからこそ生が輝くのか、死を乗り越えられたら生の可能性が広がっていくのか。主人公と寄り添ったり、先に旅だったり、離れたりしていく人々とともに、そんな空想を楽しんだりもしました。
テーマこそ大きくときに難解さも含んでいるのですが、台詞ひとつや風景の表現などがとても細やかに親しみやすく描かれていて、「紙の動物園」同様に読んでいて物語世界に心地よく浸り楽しむことができました。
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単行本「紙の動物園」の文庫化第二分冊。
第一分冊に引き続き、多くの短編はケン・リュウらしくSFの世界ではありながら、より東洋的な心の内面に踏み込んでくる。そして、人間の生死、命のあり方について考えることを突きつけてくる。
表題作をはじめ「円弧」など、非常に気に入った作品が多かった。
ケン・リュウ 他の作品も読むのが楽しみな作家の一人となった。
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中国系作家のSFが、最近「来てる」感じになりつつあります。本作のケン・リュウも、中国出身米国暮らしのSF作家。日本で紹介されて以来、各所で絶賛され、今や芥川賞作家の又吉直樹氏が帯の推薦文を書くといった話題性もあって、SF者の間では結構なブームになっています。
鴨もSFマガジンで「良い狩りを」を読んで(「もののあはれ」収録)、面白い作風の作家だなぁと思っておりました。遅ればせながらこうして短編集としてまとめて読んで、なるほどこれは日本人受けするだろうなぁと感じました。端正で抑制が利いた筆致で描き出される、切なくて心に沁み入る人々の心の交流。一応SFとして紹介されてはいますが、ジャンル分けに縛られること無くもっと幅広い意味で「物語」として捉えていい作風だと鴨は思っています。SF摺れしていないフツーの人が軽い気持ちで読んでも、十分読み応えがあります。
・・・が、SF摺れしてしまった鴨にとっては、正直なところちょっとした「あざとさ」を感じてしまうところもないわけではなく・・・。
語弊を恐れずに言わせていただけるなら、「あぁ、ここで感動させようとしているなぁ」とわかってしまう押し出しの強いセンチメンタリズムとでも言いましょうか。好きな人はそこがたまらないんでしょうけれど、鴨には残念ながら鼻に付いてしまって、ちょっと引きながら読了いたしました。
良くも悪くも、アジア的な作風なのだと思います(個人的な見解ですので、もちろん反論があることは承知しております)。アジア的な作風、嫌いではないんですけど、作者に寄ってイメージが全く異なるのが興味深い。ケン・リュウの作品は、今後どう展開するのか追い続けて行きたいと思います。
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「もののあはれ」:「息子を引き受けてくれてありがとう」のセリフのところで涙がブワッとあふれでてきて弱った。ヒーローは生まれついてのヒーローだからヒーローなのではなく、情報や人脈、経験、タイミングの結節点にたまたま居合わせた人(それがたまたまか意図的かの割合はさまざまだが)がヒーローになるかどうかの選択を迫られ、ヒーローとしての貢献をたまたま残せた人だけがヒーローになる。ネットワークのノードに誰でもなれるわけではないが、ネットワークの切り取り方によって、ノードに位置する人は変わる。いま生きている人の人的ネットワークの中でノードになれる人気と、本を通じて過去から現在に至るまでの偉人と対話を続け、知的ネットワークの中でノードになれる人が違うように。コミュ障にはコミュ障の貢献のしかたがある。
「選抜宇宙種族の本づくり習性」:自分たちが獲得した知識を記録し、次代に伝えるための言語は、書き文字に限らず、広義の言語には音声記録も映像記録も思考記録も含まれる。どのような言語で記録されようとも、その記録はたまたまそのタイミングで定着された知識にすぎず、刻々と変わる知的活動のダイナミズムの中では、つねに「過去」しか表せない。寿命を超えた時間軸から眺めれば、生命もまた、たまたまそのタイミングで瞬間的に平衡状態になった存在で、動的平衡と知的な営みはその意味で共鳴し合う。
「どこかまったく別の場所でトナカイの大群が」:両親から異なる遺伝子をもらってかけ合わせれば遺伝的多様性が広がる。ねずみ算的な倍々ゲームによって、原始的な生命はここまで複雑な生命体に進化してきたわけだが、逆に、両性しかなかったことで、1世代に2倍のかけ合わせを超えることはできなかった。複数の親から遺伝子を分け与えられたベイビーは、組み合わせ爆発で急速に多様性を獲得し、進化のスピードを速めることができるかもと思いつつ、一方で、肉体を離れバーチャルな空間内だけで暮らすようになった人間は、アルゴリズムと想像力が描き出す世界の中から出られない。進化は外部環境の変化によってもたらされるのだとしたら、いつしか人間の想像力が天井となって、その先へいけなくなるかもしれない。内向きになるだけでは得られない外部刺激。進化はまた支配的種がいる中心部ではなく周縁部で起きる。旧世代の母親が宇宙探検へ行かざるを得なかった気持ちはわかる。
「円環」:「死の尊厳は、死を前にしてわれわれが感じる無力さを取り除くためにでっちあげた神話だ」。本当にそうか。「自分にはこの世で自由になる時間がたくさんあると思ったため、結局私は何もしなかった。私は自分の人生を浪費した。選択肢を諦めるのが怖かったのだ」。時間が永遠なら、難しい選択は先延ばしして、決断しないほうが楽だし、それで誰も困らない。永遠の停滞。「世界中で人生は続いていたが、人々はより幸せになったわけではなかった。人々は一緒に年を取らなくなった。一緒に成長しようとしなくなった。結婚している夫婦はおたがいの誓いを変えた。もはや二人を分かつのは、死ではなく退屈だった」。999を見て育った人なら、永遠の命は退屈しか生まないことを知っているはず。悲し��うな顔をしたメーテルは何人もの鉄郎と一緒に旅をして、退屈をまぎらわせてきた女でもある。あちら側とこちら側では時間や生命に対する認識や感覚が根本から違っているのだろう。
「波」:永遠の生命を受け入れた時点で人間は人間であることをやめる。たぶんこれは本当で、個体が死んで遺伝的に異なる別の個体がそれに続くことで環境変化に柔軟に対応でき、個体は死んでも種は保存されるという意味で、生命は死ぬことを前提としている。個体が利己的遺伝子のヴィークル(乗り物)であることを拒否すれば、遺伝的成長はそこでストップし、あとは機能の修復(メンテナンス)だけが課題となる。死ななくなった大人にとって、子どもは明確に、限られたリソースを食い合う潜在的な脅威となるため、子どもを積極的に生む習慣はなくなるかもしれない。……だが、生物的に停滞した人間は、おそらく別の世界(ウイルス、宇宙からの来訪者)から押し寄せる圧力に耐えきれず淘汰される。井の中の蛙。
リディア「なにか新しいものがあたしのかわりにやってきたとき、道を譲るのを怖れてはいないわ」
マギー「わたしたちがその”なにか新しいもの”ではないとだれが言えるの?」
たしかにその可能性はゼロではないが、それを決めるのは本人ではなく第三者。第三者が存在した時点で、生存競争に巻き込まれている可能性もゼロではない。
「1ビットのエラー」:「記憶がどのように機能するのかについて、自分たちはそれなりにわかっていると、われわれは考えている。実際に起ったこと、すなわち夕食に食べたものの記憶と、起こりえたかもしれないが実際には起こらなかったとこ、すなわちあとから思いついた当意即妙の返事の記憶、そして、たんに起こりえるはずがないこと、すなわちどのように日光が天使の目に反射して見えたかの記憶は、ニューロンのレベルではおなじ形でコード化されて脳に伝わる。これらを区別するには、論理と理性、それに間接参照(インダイレクション)のレベルが必要である。このことは、われわれの現実形成は記憶に基づいていると信じているかぎり、一部の人間には厄介な問題である。もしこうした記憶を区別することができないなら、なんでも信じさせられてしまうかもしれないからだ」
記憶と記録。食料のありかや巣穴に通じるトレイル、獣道が生物にとっての「外部記憶」にほかならないと気づかせてくれた名著『トレイルズ』を読んでから、個々の生命体から離れた外部記憶について考えるようになった。文字がなかった時代に世代を超えて記録を残すには、口伝の形しかないと思っていたが、じつは、文字をもったがゆえに現代人が忘れてしまった自然を読む力が外部記憶装置としてのさまざまな痕跡を読み取り、伝えていたのではないかと考えるようになった。トレイルを見れば別個体のたどった歩みが読み取れるように、モノに残された痕跡を読み取る力があれば、それが言語のかわりになる。宇宙からサンプル物質を持ち帰るのも、現代人がそれを解読する力をもっているからで、モノの記録をたどることで過去の出来事やそのモノがたどってきた由来がわかる。自然言語というのは、そうした記録を伝える道具としては、きわめて特殊で、融通の効かない、誤解を生みやすいも��なのかもしれない。
「良い狩りを」:肉体から機械の体へ、ハードウェアを交換できるようになった時点で、その人格はすでにハードを必要としなくなっているのではないか、さらには寿命という制限を失っているのではないかという疑問がわく。有機体よりは耐久性は高いかもしれないが、機械もまたエントロピー増大則からは無縁でいられず、メンテを必要にとする。肉体は数ヶ月単位で全細胞が入れ替わることによって自らメンテをかけているが、そのメンテ作業は時限装置のようにやがて機能しなくなる。機械の体のメンテナンスはどうなっていくのだろう。インターネットが登場してハードからソフトへの流れが加速したが、それが一段落して、いまはやや揺り戻しの時期に入ってソフト大手がファブレスのハードメーカーを目指すようになってきた。ハードとソフトは車の両輪、という時代はいつまで続くのだろうか。
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ケン・リュウの短篇傑作集は「紙の動物園」と「もののあはれ」の全2巻計15篇を収録。どちらかというとファンタジー寄りな第1巻「紙の動物園」では、ヒューゴー賞/ネビュラ賞/世界幻想文学大賞の3冠(史上初!)に輝く表題作を収録。感傷的過ぎると思われる方もいるかもしれませんが、息子に対する母の愛はどうしても心を強く動かされるもので、何度読んでも泣いてしまう自信があります。
さて、「紙の動物園」を読んでいて強く感じたのは、作者がアジア人であるということ。つまり、欧米中心の世界におけるアジアの立ち位置や東洋文化といった「アジアらしさ」をうまく物語の中に取り込んだ作品が目立ちます。表題作もそういった作品のひとつですが、個人的に傑作のひとつだと思う「結縄」は、アジアの立ち位置と東洋文化の両面を題材に、欧米人にうまい具合に利用されるアジア人を皮肉に描ききった作品で、「文字占い師」もそういった虐げられるアジア人を強く感じる作品でした。だからでしょうか、「紙の動物園」を読み終えて感じたのは、「おもしろいのだけど、なんだか後ろ向きの作風だなぁ」というもの。しかし、そんな思いも、第2巻「もののあはれ」を読んで考え直すことに。
「もののあはれ」は、「紙の動物園」とは異なり、SF作品で構成されます。ヒューゴー賞受賞の表題作は、東洋版「たったひとつの冴えたやりかた」といってもいいかと。しかし、そこで描かれるヒーロー像は西洋のそれとは少し異なるもの。西洋と東洋をしっかり対比させて描かれるのです。「たったひとつの冴えたやりかた」の主人公コーティーは、まさに彼女個人がヒーローであるといっても過言ではないでしょう。しかし、本作の主人公である大翔は(作品中でもはっきりと明言されるとおり)ヒーローではありません。西洋と東洋のヒーロー像の違いを作品中ではチェスと碁を用いて表現していますが、「個々の石はヒーローではないけれど、ひとつにつどった石はヒーローにふさわしい」、これが本作で描かれるヒーロー像です。「紙の動物園」では自虐的ですらあったアジアらしさがここにきて素晴らしい魅力として表現されているのでした。
本書では表題作に加え、不老不死を題材にした姉妹作「円弧」と「波」やテッド・チャンの「地獄とは神の不在なり」から着想を得た「1ビットのエラー」など、SF作品としても読み応えのある作品が続きます。そして、2巻通じて最も好きな作品となった「良い狩りを」をラストに迎える構成で、とにかくこの短篇集「もののあはれ」はとても満足できた1冊でした。
1冊にまとめた方が良かったのでは…?という愚問はさて置き、ケン・リュウの今後の作品にも期待がもてる全2巻でした。
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なにかのフェアで買ったのだっけか?いや違うわ。これまでSFはおすすめだったり著者だったり古典だったりとで選ぶことが多かったから、ふらりと立ちよった本屋でタイトルだけのファーストインプレッションだけで買ってみようをやってみたのだ。
それなら2作目であることも納得がいく。SF棚では少し珍しいひらがなだけのタイトル、和風さ、ワビサビ。そんなものに惹かれて買ったのだね。
そういう意味ではなかなか良い勘をしてたのではないか。非常に楽しい時間を過ごした。
表題作の漢字を使った仕掛けも好きだったし、不老不死を巡る作品の結論もよかったし、最後の短編は古典ともリンクしていて新しい刺激を提供している。そういういっこいっこの仕掛けが刺さったんだろうな。
個人的な一番は宇宙人たちの記録法エッセイ。