紙の本
そこまでするの?
2017/10/16 16:41
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投稿者:銀の皿 - この投稿者のレビュー一覧を見る
2016年のイグ・ノーベル生物学賞。実際に動物になりきって感じようとした体験を描いた作品である。獣医学と法医学を学んだという著者は動物の感覚とヒトとの違いもよく知っている。文学的な教養が豊富ということも表現豊かな文章からよく伝わってくる。
「動物になりきる」というのはどういうことか。正直な感想は「そこまでするの?」だった。その生き物の行動に近づくことには「ヒトとしての限界がある」と著者も気がついてはいる。しかしそれでも「やってみる」ことでわかったこともある、と著者は書いているのだが。
多分、読み手により共感したり違和感を感じたりが分かれるだろう。私の場合は、対象とする動物を著者が「古代思想の四大元素」から選んだ、というあたりから少し違和感が忍び込んできたように思う。それと、キツネの章に出てくる「日本ではたくさんの人たちが・・・」という文章。
しかし、著者が動物を理解しようと努力をしたことは認めたい。そしてそこから他者を理解することを真剣に考えたのだろうということは理解したいと思う。
邦題について一言。原題はBeing A Beastなのだが、Beauty and Beastを「美女と野獣」と訳す感覚からいけばせめて「野生動物」とした方が良かったように思う。動物だと家畜やペットも含まれるし、昆虫やクラゲでもいいか、と想像してしまうので。
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「アナグマになっている間は穴のなかで暮らしてミミズを食べ、カワウソになっている間は歯で魚をつかまえてみよう」とするイグノーベル賞受賞者の本。ミミズが口の中でどんな風に暴れ、諦め、噛まれるかの事細かな描写を読んで、おぇぇぇぇってなりながらレジに直行しました。ブンガク的な言い回しとやってることの落差も見どころ。笑
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ノンフィクションだと思って読み始めたら、確かにやってることはノンフィクションがもしれないが、得られた知見を示すには文学的な表現の力を借りないといけない、とのことで、実は海外文学のような文体が続きます。私は文学作品は読まないので半分で挫折。
内容自体はミミズを食べてみたり、ゴミ漁りして警察に目をつけられたり、子供を巻き込んでみたりぶっちゃけかなり頭がおかしい(笑)
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あまりの狂気っぷりにただただ圧倒される。アナグマになって土の中に住みミミズを食べる、ひとりじゃアナグマらしくないので息子も一緒に連れてく。意味が分かりません。
アナグマがあまりに圧倒的なので、これ最終章に持ってった方がよかったんじゃなかろうか?
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擬人化とは、人以外のもの、つまりここでは動物を人に擬することであるならば、本書は逆に当の人である自らを動物に擬すること。このことが本書に記されている。
アナグマとなってミミズを食み、カワウソとなって川の冷たさに身を切り、キツネとなってロンドンの街区を潜行し、アカシカとなって猟犬に追われ、アマツバメとしてパラセーリングで滑空する。
動物になること。動物として、見、嗅ぎ(嗅覚の圧倒的優位!)、耳そば立たせ、触れ、地を駆けること。この変態、ど変態な試みには感動すら覚える。
もちろんすべての試みは、言うなれば失敗に終わる。だって人間だもの。
だが、ここには一つの絶望的で狂おしく幾らかのユーモアと果敢な試みに満ちた生があり、その特異な生の有り様を記した一つの文学がある。
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医学・哲学・法律その他様々な分野に造詣が深いイギリスのオックスフォード大学のフェローが、5種類の動物になりきって暮らしてみる、という、何と言うか…えっ?と聞き返したくなるユニークな本。
私はタイトルで少々勘違いをしていて、「動物になって生きてみた」と言うからには何でも見てやろう精神のような根性とユーモラスさ、そして動物学を主軸にしたノンフィクションだと思っていたのですが、読んでみるとさにあらず。
哲学的、文学的な表現が多く、もちろん動物の生態にちなんだ記述は出てくるのですが、それすらも文学的に昇華されていくような。調べてみたら、ネイチャーライティングというジャンルそのものが、作者が何を感じたかやそれについての哲学的な考察を重視しているようで、この本はそのジャンルにしっかりハマっています。
翻訳も、解説を加えるよりは文学として原文を尊重しているような印象。
例えば、「その島々には独自の味(テイスト)がある。その島々は、人々が好きになれる、ひとつの国だとも言える。」という表現なんかは、これは原文だと国はステイトなのか…?
何とか読みきったけど、内容を消化したかというと微妙です。。
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ケンブリッジ大学で医療法と医療倫理の博士号を取得。獣医外科医の資格をもつ著者が、まじめに動物になってみる研究を行った。
アナグマになってミミズを食べ、アシカになって猟犬に追われる。
動物になりきることによって、その動物の視点、生態に迫るというまじめな研究らしい。
そして本人は、動物の気持ちになりきり、人間とは違う視点で動物として考えることに近づけたらしく、2016年イグノーベル賞を受賞している。
しかし、その気持ちを表すのに人間の言語を使い、しかもそれを日本語に翻訳して読むと、間に人間の常識がはいりまくるので、へぇ〜だけで終わってしまう話しだとも思われる。
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驚嘆すべき本。
ナチュラリストの著者は、アナグマ、カワウソ、キツネ、アカシカ、そしてアマツバメの環世界を理解するために、それらになりきり、穴に身を埋め、ミミズを食べ、匂いで地図を作る。ダニが連れの息子のどこを刺すかを観ている。身長がアナグマのようであるなら、森の中で視力は役に立たないことを身をもって知る。
ユクスキュルの環世界論を読んで、なるほどそのように異なっているのだな、と了解してしまうことなく、環世界ごとまるごと、獣たちを理解しようとするのだ。
世界の流れの中に身を置くことの実践。かなりエキセントリックな実践ではあるが、その実感は切実に読める。
食べられることを受け入れている草食動物たちは、仲間の死に頓着しないという記述には驚いた。
冷静さを保ちつつ、共感のあり方自体が違う種同士の隔たりそのものを超えて行こうとする姿勢は感動的だ。
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これは、かなり予想外の一冊だった。正直、ハズレ。。。(苦笑)
「アナグマとなって森で眠り、アカシカとなって猟犬に追われみる…動物の目と鼻、耳を通して世界を見て、嗅いで、聞いてみることで、自然のなかで動物として生きるとはどういうことかを考えた。」
”動物になってみる”ことより、それが”どういうことかを考え”ることに軸足があった。いや、むしろほとんどそっち。
イグ・ノーベル賞だもんなぁ、ひょっとしたら小馬鹿にしての賞かもしれない。この賞もとらまえ方が厄介で、本家ノーベル賞の範疇ではないユーモアあふれる実験的な試みに贈られるものから、明らかに批判を含んだ表彰もある(1995年の仏ジャック・シラク大統領への「ヒロシマの50周年を記念し、太平洋上で核実験を行った」ための平和賞とか)。むしろ、そのほうが多い印象(話題になるという意味で)。本書もひょっとして・・・。
ムツゴロウさん(畑正憲)の日常のほうが、よほどBeeing A Beastのような気もする。あるいは服部文祥なら、もっと本気でアナグマ同様にミミズばかりを食べ続ける生活を続けたかもしれない。高野秀行のほうがアカシカになり切って猟犬に追われる体験を面白おかしく書き綴れるだろう。
そもそも動物になっての意味からして期待していた方向とズレていたのかもしれない。これらの動物の生態を知ることで、霊長類ヒト科としての”動物”となること、自然回帰の気づきでもあるのかと思ったのだけど、そういう話でもなかった。
ただ、霊長類ヒト科として、他の動物とは異なるという差を明らかにしたのかなという気はする。
それは”意識”についての考察のあたり・・・。
「意識が何のためにあるのか誰にもわかっていないし、意識が何か別の役立つ性質の副産物として偶然生じたという様子も見えないのだから、還元主義者にとっては不愉快きわまなりない問題だ。自然選択が手を出せるものには、どれも意識は必要ない。餌を捕まえるのにも、交尾をするにも、意識はいらない。「私」という感覚は、捕食者が自分の体に噛みつかないようにしようという動機を強めるものでもない。」
”私”という自我の目覚めも、ヒトのヒトたる所以かもしれない。
「私であって、あなたではない」
この旧石器時代の初期のころに生まれたらしい、人類のこの”意識”。だからと言って、これはアナグマになって気づいたわけでもなく、キツネやカワウソが教えてくれたことでもない。
カワウソがめちゃくちゃ燃費の悪い体質だとかいう小ネタ(泳いでいるカワウソの代謝エンジンは、イヌの約4.5倍の速さで回っている)の類は、時々面白かったけどね。が、それも机上で蓄えた知識であって、カワウソになって学んだものではないのが残念なところだ。
ほとんど斜め読み~。
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アナグマとなって森で眠り、アカシカとなって猟犬に追われみる…動物の目と鼻、耳を通して世界を見て、嗅いで、聞いてみることで、自然のなかで動物として生きるとはどういうことかを考えた。世界12カ国で刊行のニューヨークタイムズ・ベストセラー!イグ・ノーベル賞生物学賞受賞!(アマゾン紹介文)
紹介ほど、全体のテンションは高くもなければ愉快でもない。全編に隠喩があふれ、正直、読みにくかった。
でも、著者の微妙なポジティブさが心地よく、気づけば読み終わっていた。ところどころのストレートな表現は素直に笑える(「私はむかついた。バートから森の一部を奪ってやろうと心に決めた。」)
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写真があったらもっと面白かったであろう。日本とは異なる動物がわからないこともある。アナグマは動物園でしか見たことがない動物である。
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ジェットコースターで自由落下するときの臓器が浮くようなゾッとする感じ、それでいて魅了されるような感覚を思い出しながら、鳥になって滑空したり空を飛ぶところをできるだけリアルに想像してみる。
という遊びをときどきやるけど、それをもっとガチで突き詰めた形でやったのがこの本の著者って感じがした。
アナグマの章とアマツバメの章だけ拾い読み。
生態学や生理学まで読み込みつつ、土の中で暮らしてミミズを食べて、文章としてはときおり詩のようで叙情的な印象だった。
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衝撃的な内容。
生物学者の著者が動物の暮らしを体験してみた、という内容だが、そのやり方が徹底しすぎている。
アナグマのように地面に掘った穴の中で眠り、ミミズを食べ、ネズミを追いかけまわし、嗅覚で周囲の様子を伺おうとする。
カワウソのように極寒の川へ飛び込み、髭の感覚で(人間の髭とカワウソの"ヒゲ"が同じ機能を持つわけないのに!)水中の様子を伺おうとする。都会に生きるキツネのように飲食店の残飯や生ゴミを漁り(よく捕まらないな)、アマツバメのように空を飛んで、空中で糞をする。
どう考えても狂ってる。狂った内容を哲学的で詩的な文章でつづる衝撃的な一冊。
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『狼の群れと暮らした男』はネイティブ・アメリカンたちの言葉を信じ
てロッキー山脈に野生のオオカミの群れを探しに入り、実際に群れの
一員として迎えられた男のお話だった。
『人間をお休みしてヤギになってみた結果』は人間としての悩みを忘れ
る為にヤギになり切り、ヤギとしてアルプス越えをしたお話。
好きなんだよね、こういうの。オオカミ男は生肉を食らっているし、
ヤギ男は草を食らっている。だから、本書もタイトル買い。どんな
動物になったのだろうと興味津々だった。
確かにアナグマになってミミズを食らっているのだ。ミミズも住む
場所によって味に違いがあるらしい。だからって食べようとは思わ
ないけど。
でも、思っていたのと少々違った。アナグマ、カワウソ、キツネ、
アカシカ、アマツバメとして暮らしてみるのだが、それぞれの
動物になり切る為の過程というより、各動物になりきった著者の
心象風景の描写が多くを占めている。
その描写もかなり詩的。原書がそうであるのか、翻訳に難がある
のかの判断がつきかねるが、文章がストンと頭に入って来ないんだ。
私の感性が鈍いからだとも思うが。
あぁ…私の感性がもっと研ぎ澄まされていたのなら、著者が動物に
成り切って感じた風景に共感できたのだろうにな。自分が残念。
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リタイア寸前だった。アナグマ、カワウソ、キツネ、アカシカ、アマテバメになりきって世界を見るとの事だが…。
もう少し論理的な内容を期待していたが、あまりにかけ離れていた。表紙の裏の「文学と科学を融合させる〜」をしっかり確認しておけば良かった。
とにかく難解だ。どこまでが事実でどこまでが隠喩なのか全くわからないので、イメージがわかない。他の方のレビューによると、ミミズを食べたり、穴で暮らしたり、我が子も参加させたのは事実の様だ。確かにミミズを食べた描写は生々しかった。
文学的色が濃い科学ものは苦手なようだ。