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改めて座右の銘にしたい「初心忘るべからず」
2019/01/22 06:52
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投稿者:Hiro18 - この投稿者のレビュー一覧を見る
「初心忘るべからず」という言葉の意味を改めて知りました。これまでは、物事に対する当初の取り組みのスタンスに価値観を持って進み悩んだりした時はこれに立ち返るという風に理解していました。ところがそうではなくて、「時時の初心」がいくつになっても必要だと、自分の生に限りが見えて来ても「裁ち切る」ことが必要だと!
改めて世阿弥の凄さ、迫力を感じこれまで以上に能に対して興味を持ちました。
紙の本
古典芸能「能」への入門書
2019/02/20 13:25
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投稿者:パミチ - この投稿者のレビュー一覧を見る
能について、今までは堅苦しいイメージがあったが、本書を読むことによってそのイメージが払拭された。本書では能の歴史から始まり、能舞台・流派・演目・世阿弥の業績・鑑賞の仕方・能の効能等、幅広くまたわかりやすく解説されている。能は幽玄、夢幻の世界と言われるが、世阿弥の生きた時代は現代と異なり常に死と向き合っていた時代である。当時の人々にとって、疫病・凶作・飢餓・合戦は日常であり、死者、敗者への鎮魂の感情は強いものであったと推察できる。本書は古典芸能である能を理解するための初歩的な入門書と言える。楽しく読ませて頂いた。
紙の本
初めての能に行く前に
2019/01/06 12:11
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投稿者:KKKKK - この投稿者のレビュー一覧を見る
コミックの「花よりも花の如く」に感化され、初めて能を見に行くことに。
知識が無いので予習のために幾つか本を探したのだが、この新書が一番自分にあっていた。
作者が能と出会って引き込まれていった理由や、なぜ能が魅力的なのかといったことが書かれていて、ワクワクしてきた。
能は合う合わないがありそうなので、少し怖いけれど、見に行くのが楽しみ。
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2017/9/23読了。伝統芸能を楽しめるようになれればという軽い気持ちで購入。
能を習う効能に関しては実際に経験していないのでなんとも言えないが、謠や和歌などを楽しめるようになれるのは今後の老後にかけて魅力的だと思う。
影響されて、YouTubeにアップされてる『紅葉狩り』を観てみたら思っていたより話の筋もわかりやすく、舞や早着替えなど楽しめた。
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紀伊國屋書店PR誌「scripta」の著者連載を読んで興味を持ったので入手してみた。気楽に読める語り口で、能の歴史から起こして長く続いてきた理由を解き明かす。能と芭蕉や漱石の関係など、はじめて知ることも多くわくわくしたし、謡や仕舞をちゃんと習ってみたいなぁという気持ちが掻き立てられる(大学時代の実習で少しかじったので舞扇はまだもっているけれど…)。能への興味の有無にかかわらず、あらゆる仕事や日常の心構えとして読んでも学ぶことが多い。
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最近、音楽や文学で重要なキーワード「幽霊」
3・11後の世界、あまりにも簡単に死者を利用してはいないか。
能は連綿と続いた歴史の上に成り立ち、再び静かに現在注目されている。
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何度か拝見、拝聴したことのある安田先生の「能」の本ということで、迷わず読む。
しかし、私自身、ものすごくお能に興味がある、もっと知りたい、というところまでは行かず、その手前くらいの状態。
一度見ただけ。その時は「招待券があるので行きたい人は?」とある機会に言われ、「一度見てみたかった、薪能。やった〜」という感じで行った(安田先生とは関係ない)。
それなのに、屋外なのに、途中で睡魔と戦うことに。情けない!そのあと、安田先生を知り、眠たくなることをそんなに否定されない感じでお話になっていたので「ま、いいか、また行ってみてもいいかも」と。
で、この本を読み、その気持ちが少し増した。今すぐチケットを買うというところまで、まだ行かないのだけれど。
しかし、奥が深すぎて、私のようなタイプのものには向いてない気もする。
「初心忘るべからず」の本当の意味を、ひょっとすると安田先生のツイッターか何かですでに読んでいた気もするけど、「初心」という言葉は改めて胸に響いた。「折あるごとに古い自己を裁ち切り、新たな自己として生まれ変わらなければならない」。
「時々の初心」古い自己イメージをバッサリ裁ち切り、次なるステージに上り、そして新しい身の丈にあった自分に立ち返る。
「老後の初心」について
"どんな年齢になっても自分自身を裁ち切り、新たなステージに上る勇気が必要だと。
とはいえ、これはさらに厳しいことです。年齢とともに身に付いたものも多く、過去の栄光も忘れられない。同時に自分の生にも限りが見えてくる。いまこれを断ち切ったら、本当にもう一度変容し得るのだろうか、とも迷う。
それでも断ち切る。これが「老後の初心」なのです。なぜならば生きている限り、人は変化をし続ける存在だからです。自分を裁ち切るには痛みが伴います。今までの価値観が崩れ、地位や名誉、ひょっとすると友人や財産までも失う。今までの自分がガラガラと崩壊し、魂の危機さえ感じるかもしれない。
ですが、そんな「危機」こそまさに「チャンス」です。危機を避けていては成長はありません。自ら進んで危機を受け入れてこそ成長がある。そして、その選択を突きつけるのが「初心」なのである。"
この初心についての文章は、ごく最初の13ページから18ページくらいに書かれていて、ここまで読んだだけで、これを読むために私はこの本を読んだのだ、と思った。
肝に銘じたいし、励まされた。
今がその時、と思った。
でも、難しい…
直接のお能への体験は、すぐ、とはならないかもしれない。でも、私は知っている。1年後とか5年後、10年後か20年後かもしれないけど、ふと興味がグワーッと抑えきれなくなる時が来ないとは限らないのだ。読んだ内容が、それだけの年月をかけて、全く自覚のないまま自分の中で育っていくこと、何度も経験したことがあるから。
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「能」の魅力をふんだんに説かれて、すっかり興味を持ってしまった。チケットも買いました。鑑賞後、感動してもっと好きになるか、意味がわからず疎遠になるか、確かめてみます。
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能に少しだけ縁があったので、良い機会だと思って読んでみた。入門して能を始めた人が、どんないいことがあったのか、どんなことができるのか、と、言葉を選ばずに言えば、好き放題に書いている。
それなりに面白いような気もしたけど、ちょっと冗長に感じるところも多い。やってみるのはともかく、一度くらい観に行ってみたいという気持ちが少し強まった。
180104
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能楽を初めて観たとき(最近の話です)、舞台の緊張感がすごく気持ちよくて、なんだかハマりそうな予感がしました。
主役(シテ)と脇役(ワキ)と各種囃子方はそれぞれ違う流儀の人で、演劇のような事前のリハーサルや練習はないと書いてあるのを読んで、ほんとうにびっくりしました。囃子方は伴奏ではないので、謡の間は聞こえるように音を小さくしたりもしない、というくだりもびっくり!
日本の古典芸能なのに(というのもへんですが)、忖度とか全然ないんですね!
あの潔いまでの緊張感の意味がわかった気がしました。
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【能 650年続いた仕掛けとは】
安田登著、新潮社、2017年
新書は当たりハズレが大きいのであまり読まないが、
尊敬する方がフェイスブックに紹介されていた本。
本を選ぶ時に参考にしているのは、古くて遠くの本か、または、尊敬する人でかつ読書家の方が薦められている本を選ぶようにしているが、やはり、とても面白かった。(あと、出版社も一応チェックする)
バンド好きな千葉県の高校教師が、24歳の時にたまたま「能」を観て、惚れ込み、プロになったという能楽師が書いた本。
冒頭から、副題の「能が650年続いている理由」として、創業者でもある観阿弥・世阿弥親子が「初心」という言葉を使ってきたからだとするが、その説明が心をつかむ。
ーー
初心の「初」という漢字は「衣」偏と「刀」からできており、もとの意味は「衣(布地)を刀(鋏)で裁つ」。すなわち「初」とは、まっさらな生地に、はじめて刀(鋏)を入れることを示し、「初心忘るべからず」とは「折あるごとに古い自己を裁ち切り、新たな自己として生まれ変わらなければならない、そのことを忘れるな」という意味なのです。
(p.14)
ーー
世阿弥が2次元(書物)だった古典を3次元(能)にしたことや、簡素な舞台装置だからこそ、見えない景色を頭のなかで観ることができるなど、最近、考えていることとどれもドンピシャリとはまっていて、びっくりした。
真理は古典の中にあるし、目に見えるものではなく頭のなかで描くことを信じることこそが自分自身と真理とをチューニングすることなのではないかと思っている。
巻末には能の楽しみ方のリストが載っていて、どこからどうやって始めればいいかが書いてある。
とてもわかり易い本。
素晴らしい高校の先生だったろうなと思う。
#優読書
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著者自身がワキ方の能楽師でいらっしゃるため、「能というのはこういうものだよ」とレクチャーしてもらえる内容ですが、観劇を始めたばかりの現時点では「そうか、そういうものか」と知識として受け入れる状態です。
しかし、観劇の回数が増え、能の謡を習ってある程度年数が経った後にこの本をもう一度読めばより腹落ちするのではないかと思える、自分の能楽の経験値を測れる本のような気がしました。
内容として特に興味をそそられたのが、主人公の武士が修羅道や地獄に堕ちるストーリーの多い能を江戸幕府が庇護した主目的は「敗者の鎮魂」であった、そして幕府から与えられた鎮魂、それも「源義経の魂を鎮める」というミッションが芭蕉のおくのほそ道にはあった、というのは話 。
後半のミッションの話は著者の仮説ですが、読んでいるとあながち間違っていない気がしてかなり興味深い内容です。
芭蕉以外に能を習っていた文人は近代にも多くいたようです。特に漱石の作品には能の影響が色濃く出ているものがあり、中でも主人公が旅に出る『草枕』は「能を通して世の中を見る」という『おくのほそ道』と似通った設定(芭蕉は自身を能のシテ方と設定して旅をした)で物語が進みます。
かねてから太宰や漱石などの近代文学作品を読んでみたいと思いつつ、どうも食指が動かなかったんですが、これを機に『おくのほそ道』と合わせて『草枕』『夢十夜』から読んでみようと思います。そしてこの本同様、年を経て能の経験値が増えた時にもう一度読み返したいと思います。
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世阿弥の風姿花伝で能に触れた後、能のことをより勉強したいと思い購入。
面白いなと思ったのは世阿弥の「初心忘るべからず」という言葉の解釈である。本来は物事を始めたときの気持ちをずっと忘れるなととらえられがちだが、本来世阿弥が意味した意味というのは「折あるごとに古い自己を断ち切り、新たな自己として生まれ変わらなければならない」ということである。これは知らなかったため、「はぁ~」と勉強になった。実際、室町時代の能と幕府に保護され式楽となった江戸時代、明治時代以降、戦後と4つのフェーズで能は大きく変化しており、形を変えながら生き残ってきたのはまさにその「初心忘るべからず」を体現してるなと感じた。
また、江戸の武士の中で能は教養として身につけなければならないものであり、「候文」が武士間で使われていたのは、それが標準語となっていたからというのも面白かった。能を知っていることが前提で、方言同士では話し合えないため、候文が使われていたとか。
さらに、現代で通ずる話では、現在の2.5次元との相関性(能は妄想を映し出すスクリーンとなるとか)がある。
人気になる芸能は妄想を喚起させる力が強く、そこでは歌の力が強い。現代に通ずるなと納得。
また、聖地巡り(能で演じられた舞台を実際に旅するとか)も当時からあったと書いてあり、昔も今も人間の本質って変わっていないんだなと実感した。
温故知新ではないけど、過去の歴史のことも勉強して抽象化して、現代で起こりうることを予想することにもっと役立てたい、そう実感させてくれた。
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観賞する機会があったので、お能について詳しく知りたくて、ストレートなタイトルのこの本を手にした。著者は言わずと知れた安田登先生。お能がなぜ650年もの間、途切れることなく続くことができたのか、その理由に迫っていく。お能の演目や観賞法、歴史など、いわゆる王道の入門書を期待した人にはおススメではないかも。
他の方も書いておられるが、私も印象に残ったのは「初心忘るべからず」の本当の意味。古い自分を裁ち切り、新たな自己に生まれ変わる。それを時々、老後と絶えず繰り返すということ。能楽師はもちろん、お能という芸能も、自分を顧みて、変化して、伝統になった。深い。
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650年続いた仕掛けとは=「初心(折あるごとに古い自己を断ち切り、新たな自己として生まれ変わらなければならない、そのことを忘れるな)」と「伝統(家元制度で必ず継いでいくという意思)」
能を作るための指南書=「能作書」:「種(主題)」「作(構成)」「書(作詞)」の三道→序破急
稽古=「古(固)」に対して、深く頭を下げ、そしてそれを自分の身体でも実現できるように研究・努力をする