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投稿者:なつめ - この投稿者のレビュー一覧を見る
老後の過ごし方が、わかりやすくてよかったです。養老孟司さんらしい視点で、生き生きとした充実した生活に、向かいたいです。
紙の本
「同じ」を追求してきたヒト、現代人。
2020/09/16 10:34
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投稿者:銀の皿 - この投稿者のレビュー一覧を見る
「これだけは言わねば」と書いたという本書。ちょっとドキドキして開いたが「長年考えていたことはこういうことだった」という著者の思考の一区切りのような感じであった。遺言らしくなくて実はちょっとホッとした。
10章のそれぞれはばらばらのところから入っていくような感があったが、だんだんと収斂していく。「ヒトとはどういうものか」。著者の巻絵は、「同じ」を意識し「同じにする」ことを目指した、というところに行きつく。
「同じ」の視点から情報、デジタル、遺伝情報、生物の理解などについての著者の考えはまだまだ刺激的である。もう一歩推し進めてなにかまた本書の続(改?)編を書いてほしい。
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投稿者:オビー - この投稿者のレビュー一覧を見る
「ヒトを虫にしている」
この視点は凄すぎる。
考え方が変態的であり、なぜこのような考え方ができるのか、常人には理解できません。
が、説得力があり、受け入れることができ、何より面白い。
養老さんの脳を研究すべきかな。
「ヒトとはなにか」が大きなテーマ。
意識と感覚の対立。
2つのりんごに対して、意識は同じりんごといい、感覚は違うりんごという。
言葉の限界と感覚知。
意識を意識すること、感覚を受け入れること。
これからの世の中のテーマかなと思います。
80歳の叡智に触れられる一冊です。
紙の本
科学?哲学?
2017/12/26 08:41
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投稿者:touch - この投稿者のレビュー一覧を見る
「動物と人間の違いは何か」という話から始まり、「意識とは」「感覚とは」について、養老先生の考察が続く。
先生の言葉は、平易な表現を用いているものの、奥が深く、すぐには理解できないことも多い。
しかし、そこで諦めてしまうと、「バカの壁」を築くことになってしまうので、何とか食らいついていく。
科学的な現象や裏付けを示しながら、でも言っていることは哲学的。
ユニークで叡智あふれる話に、気づかされることが多々あった。
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とりあえず感覚器に与えられた第一印象を感覚所与という。感覚所与は「違う」けれどわれわれは頭の中でそれを「同じにする」。動物はイコールがわからない。等価交換ができない。動物は絶対音感がある。人間は忘れていくのだ。現代の若者が実際にヒトに接するよりSNSを好むのは生身のヒトは雑音を含みすぎている。都市は意識の世界であり、意識は自然を排除する。人工的な世界はまさに不自然なのである。子どもは自然である。とりあえず心に残った養老さんのつぶやきを書いておく。まあ考えてみればと言うこと。むずかしいけどおもしろかった。
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動物の認知系統の話を軸に今の世の中に対する哲学的な内容を織り込んだ内容。単純なことだけど言われてみたら、へー。みたいな話題が多い。
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動物は等価交換を理解できない。それは、感覚所与を優先するからだ。3+3=6という数学は理解できない。イコールがわからない。
感覚所与とは、感覚器に与えられた一次情報だ。例えば、白という字を黒の鉛筆でかく。感覚所与ては黒だ。そういうことだ。
だけど人間は違う。労働がお金になると言うことが理解できるからだ。働くとお金がもらえる。そのお金で好きなものが手に入れられる。と、繋げて考える事が出来る。金がすべてだと言うわけではないが、金がすべてだと言う人は、全てのものは交換可能だといっているということになる。そういう人は、まさに、頭の中に住んでいるということ、外の違いを、感覚という違いを無視しているのだ。
動物と人との違いのひとつは、人は他人の立場に立つ事が出来るということだろう。
人の意識の特徴は「おなじだとするはたらき」である。
そして、おなじ、おなじ、を繰り返していくとどうなるか。それは、ピラミッドの頂上に全てを含んだ唯一の存在となる。西洋では神という。
同じ立場に立脚する文明社会に、違うものはないだろうか。それは、アートだ。オリジナルにこだわるものだ。ピカソの絵をコピーしても、それは複写であってオリジナルではない。芸術におけるオリジナルは絶対的である。芸術が感覚からはじまる以上、それは当然である。世界を感覚で捉えたら、同じものは一つもないから。同じものがひとつもない世界で優れたもの、それを芸術作品というのだろう。真理は単純だが、事実は複雑だ。それは、感覚所与は多様だけど頭のなかではその違いを同じにする事が出来るから結果が単純になる。
芸術は宗教とも関連する。同じを中心とする一神教と、違うを認める多神教だ。
コンピューターは芸術を創るのだろうか?それは無理だろう。芸術に前提となる唯一性をもたないからだ。もちろん、コンピューターが創ったものを芸術と呼ぶことは可能だ。ただし、それは、作品から唯一性が失われていることになるが。生演奏がいあのは、そこに唯一性があるからだ。数学が、もっとも普遍的な意識的行為の追求、つまり、同じの追求だとすれば、アートはその対極をしめる、いわば、違いの追求といえる。アートは数学的にいうと、数学的なには誤差に過ぎないということになるかもしれないが、その誤差が非常に大きいと言える。その誤差の集合体が芸術であるのだろうか。
最後に本書は、現代の感覚所与を排除し、デジタルな1と0の世界に邁進していることについて、それが少子化を招いているという。デジタルは外乱をきらう。答えの分かるものを好む。感覚所与を押さえ込み、全てをデジタルに置換し普遍のものとして保存できるようにする。感覚的な雑音を排除することは、自分以外に受け入れることを拒否することだ。結婚相手や子供は自分にとっては雑音でしかない。現代の若者は、それを許容できなくなっている。
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意識と感覚所与の違い。
絶対音感はもともとみんな持っていんだけど、ただ音の高低でなく言葉が意味を持ってから失った。動物にイコールの概念がないので交換も起きない。日本語は冠詞のかわりにはやがの助詞があるが、中国語にはそれがない。感覚所与でなく意識で同じを繰り返して抽象化すると一神教に至る。都市には自然のように意味のないものがあることがある。エントロピーは増大するという法則が脳にも当てはまり、意識という秩序活動が起こっている分の無秩序が発生し、それを片付けるのが睡眠である。デジタルは不死。
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養老先生、初めてかもしれん。NHKの人体に出てらした。
面白かったのです。「バカの壁」も読むべかな。
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「ぼちぼち死んでも当たり前の年齢(80歳)になった。それなら言い残したことを書いておこう。とは言っても当面死ぬ予定はない・・・」 動物とヒトとの違い、ヒトが 生きるとはどういうことか? を思索し、デジタル社会での人間関係 の息苦しさから解放されるには〝考え方ひとつで、人生は凌ぎやすくなる〟と説く、養老先生が書下ろした10章の『遺書』▷ヒトの「意識」という照明は、眠ると消え起きると点灯する。身体の都合、脳の都合で戻る。▷「脳」が消費するエネルギ-は、覚醒している時と寝ている時、ほとんど違わない・・・など。
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この本は語りおろしではなく、書き下ろしらしい。今まで感じたり考えていた事を自由に書いている。内容は今までのものより面白さはなかった。
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養老孟司の`遺言`、私は、こんな事を考えてます、感じてます。 曰く、デジタルという情報系は、ゼロと一という二進法。生物は遺伝子を4つの塩基で記述、A:アデニン、T:チミン、G:ゲアニン、C:シトニン。 脳なら、ゼロと一の二進法で、遺伝子を設計するだろう、多分。 4つの塩基からなる遺伝子という情報系は、人の意識を構築する二進法のデジタル情報系よりも、遥かに多くの余剰を含んでいる。 時間と共に、変化する事象を、変化しない二進法の情報系でどう記述するのか、果たしてそれは、可能なのか。(無理でしょう、多分) 現在の社会は、ジャンクな遺伝子を多く含む遺伝子系情報から生まれる`感覚`(ジャンクにも機能がある)と、二進法の情報系から生まれる`意識`、が併存しつつ、かつ、乖離しているのではないか、と。 都市は、`意識`の世界、意識は、自然を排除する、そして、子供という自然の塊も排除され、少子化の流れになっている等々。 論旨、明快、納得であります。(星4つです)
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「自然」と対峙する。昨年の自分と今日の自分を比べると、感覚としては少し老けたと感じる。視覚的にも体力的にも、そう違いを実感する。しかし、意識としては、同じ私である─こんなことを確かめてしまったのは、ヒトの「感覚」と「意識」の関わりについて書かれた養老孟司新刊、『遺言。』を読んだからだ。
感覚を介して観察すれば「私」は絶えず変化しているのに、なぜか意識は同じだという。意識のもつ「同じだとするはたらき」がそうさせるらしい。感覚は外界の「差異」をとらえて分け、意識は分けない「同一性」を重視する。たとえば、バナナもブドウもリンゴも感覚では別々のものだが、意識は、それらを「クダモノ」と名づけて同じにする。こんなことができるのは、意識が、感覚を「意味」に変換する「=(イコール)」を獲得したからだ⁉️動物にも意識はあるが、ヒトの意識だけが「同じ」という機能を得て、言葉や金や民主主義を生みだしたのだ。かくして、ヒトは世界を意味で満たそうと努め、それを進歩と呼んで文明社会、都市社会を創りあげた。そして今、日本は少子化に頭を抱えている東京などの人工的な大都市ほど子どもが生まれないのは、なぜか? 養老は終章で、人々が〈感覚入力を一定に限ってしまい、意味しか扱わず、意識の世界に住み着いている〉ために、子どもという「自然」と対峙する方法を忘れてしまったからだと指摘する。
80歳になった養老孟司の抑えた怒りと願いがはっきり伝わり80歳の叡智がここに!私たちの意識と感覚に関する思索は、人間関係やデジタル社会の息苦しさから解放される道となる。 知的刺激に満ちた、このうえなく明るく面白い「遺言」の誕生‼️
【目次】はじめに
1章 動物は言葉をどう聞くか
バカな犬と恩知らずの猫/動物は絶対音感の持ち主/絶対音感は「失うもの」 ヒトはノイズを求める/鳥がしゃべる証拠
2章 意味のないものにはどういう意味があるか
感覚所与とは/役に立たないものの必要性/都会は意味で満ちている 文字禍/客観的な現実なんてない/感覚所与と意識の対立/「違い」を重視する科学とは
3章 ヒトはなぜイコールを理解したのか
動物はイコールがわからない/池田清彦の挫折と復活/「朝三暮四」と「朝四暮三」は違う イコールが生みだす「猫に小判」/ヒトは他人の立場に立つことができる 世界に一つだけの花
4章 乱暴なものいいはなぜ増えるのか
「an apple」と「the apple」/日本語の助詞/中国語の特性
意識と感覚の衝突/乱暴なことをいいやがって/サル真似の根拠
「誰でもわかる」のが数学
5章「同じ」はどこから来たか
ヒトの脳の特徴と「同じ」/ヒトとチンパンジーの僅かな差異
視覚と聴覚がぶつかると/漢字と視聴覚の関係/「同じ」のゴールは一神教 動物には言葉が要らない
6章 意識はそんなに偉いのか
金縛りになる理由/臨死体験をする人しない人/脳は図書館のようなもの 意識に科学的定義はない/意識の分割
7章 ヒトはなぜアートを求めるのか
芸術は解毒剤である/征服者は世界を「同じ」にする/唯一神誕生のメカニズム コンピュータは芸術家になれない/生演奏は強い/その「赤」は同じか?一期一会のパイプ/アート���効用/建築は意識と感覚のどちらに重きをおくか
共有空間を受け入れられない人や動物/意識の集合体が都市
8章 社会はなぜデジタル化するのか
昨日の私と今日の私/『平家物語』と『方丈記』の時間/「私は私」と意識はいう 私の記憶喪失体験/デジカメのデータは変わらないのに/意識はデジタルを志向する 現代人は感覚所与を遮断する/情報は死なない/ジャンクにも意味がある あなたがあなたであることを証明してください/マイ・ナンバーに抵抗感がある理由
9章 変わるものと変わらないものをどう考えるか
変化するものを情報に変換するということ/時空はいつからあったのか 卵がなぜ私になるのか/進化の本質はズレ/メンデルの法則は情報の法則 「情報」の発見
終章 デジタルは死なない
自然保護とグローバル化/少子高齢化の先行き/コンピュータと人の競争 不死へのあこがれ おわりに
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「感覚」と「意識」に関する本。
物事の同一性に立脚する文明社会にとって唯一性が重視される芸術とは一種の解毒剤。外界に対する違和感を指摘する機能である「感覚」を言語化、つまり同一視することはできず、そこを何とか伝達可能にしようとする試みが芸術。おもしろい。
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世の中にあるもの、存在するもの。当たり前に受け入れた時に、何をもって区別できるだろう。印象的なのは、雑草を草花でも余計なものと捉えると、じゃあいらないね、となっちゃうというくだり。いらないものなどない。世の中に存在するものをあるがまま受け入れることの大事さを感じた次第だ。