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大河ドラマの
2019/09/25 07:24
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投稿者:おどおどさん - この投稿者のレビュー一覧を見る
「八重の桜」で、山本八重の始めの夫の川崎尚之助を知ったが、彼は、八重と別れてから斗南藩に行ったという史実が放送中にわかった…ということがあった。
その斗南藩出身の会津人だから(尚之助は、出石の出身だが)尚之助とも交流があったはず!などと想像(妄想w)してしまった。
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明治維新に際し、朝敵の汚名を着せられた会津藩は、降伏後いかなる運命をたどったか。維新の裏面史を赤裸に描く回顧録。
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これほど淡々と心を打つ文章は久しぶり。日本が世界に誇る日本人の言葉を、薩長が作った嘘の歴史に埋もれさせてはならない。
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第1部 柴五郎の遺書
第2部 柴五郎翁とその時代
編著:石光真人(1904-1975、東京、ジャーナリスト)
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「名著、刷新!」ということで復刻されたものです。会津の柴五郎氏の遺書を第一部に、その後や解説を第二部にまとめています(第一部は文語体ですが、徐々に慣れて読みやすくなります)。
「西郷どん」に見られるようないわゆる薩長からの視点ではなく、反対側に立った会津の視点がよくわかります。かつては京都や幕府を守り、ロシアと事が起これば駆けつけながら、最後には朝敵・賊軍と呼ばれるようになった会津。そのため、塗炭の苦しみを味わった柴五郎氏(後に陸軍大将)の真情の吐露は、旧来の歴史観だけに固まってはいけないのだと思わせます。
西南戦争での政府軍の派遣にあたっては、「芋(薩摩)征伐仰せ出されたりと聞く、めでたし、めでたし」と日記に記し、西郷・大久保ともに去ったあとには、「両雄非業の最期を遂げたるを当然の帰結なりと断じて喜べり」と書き残しています。
明治150年も、会津地方などに配慮して、戊辰150年とも呼ぶそうですが、150年たっても人々の記憶に残るのはさもあらんと思う次第です。
歴史を見る上では、さまざまの立場への目配り、心配りが必要なのだと、しみじみ感じさせる一品です。
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歴史の教科書では学ぶことのできない(←ともすれば抹消されている)明治維新という大きな変革の中での会津藩に対する理不尽な処遇。 読んでいて苦しくなるくらいの衝撃があるけれど、本来、こういう事実こそしっかり教えるべきで、知っていなければならないなのではないか。 そんなことを深く考えさせてくれる一冊。
ナイス
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この本は書評よりも実際に読んでほしい、そんな書です。書評として要約して描くには一貫して感情にあふれ、濃密です。
本書は2部で構成されており、第1部が柴五郎の遺書、第2部は本書の編者である石光氏による柴五郎と彼の生きた時代の概観となります。
第1部が本書の中心を成しますが、第2部も編者の目を通して柴五郎の人となりに触れられるのでとても興味深いです。
例えば柴五郎が編者に日記の整理をお願いするくだり
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翁(柴五郎のこと)はこれを私に貸与するにあたって、きわめて謙虚慇懃に添削、訂正を求められ、私は恐縮当惑するばかりであった。
「私は少年時代に戊辰戦争のため勉強する機会がありませんでした。その後も下男のような仕事をしていたので、十分な教育が得られませんでした。
・・・
幼年学校の教官はすべてフランス人で、私たちもフランスの軍服を着て、フランス語でフランスの地理、歴史、数学などを学び、日本文、漢文、日本の地歴を学ぶ機会がなく、このことが私の生涯において長い間苦しみになりました。
・・・
そのような基礎教育を十分に受けられなかったので、フランス語なら不自由なく読み書き喋れるのに、日本文が駄目なのです。
ここに書いてある文章と文字、いずれも死後に残す自信がありません。余計なことをお願いして済みませんが、添削してください。
書き足りないところ、疑問に思う個所についても指摘してください。」
このような謙虚な言葉に私は恐縮した。
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柴五郎といえば、大正期に陸軍大将までのぼりつめ、軍事参議官にも任じられた重鎮。それがこのような謙虚な態度で接するのは氏の人柄をよく表していると思います。
柴五郎の遺書は、戊辰戦争前の会津での暮らしの描写から始まります。高級武士の子弟として満ち足りた境遇にありましたが、その躾は厳しかったようです。
しかし徳川慶喜の大政奉還後、次第に不穏な空気が東北に立ち込め、会津に戦争の足音が近づくにつれて日記にも緊張感があらわれてきます。
会津では兵員不足のため、農民や猟師だけでなく力士、修験者、僧侶までも編成に加えた言及があり、総力戦で戦いに臨んだことがわかります。
官軍が会津に進軍する中、五郎は姉の誘いを受けてしばし城下を離れます。その誘いに母親もすぐに賛同し、上等な洋服や小刀、手拭い、懐紙など一通りそろえて五郎に持たせています。おそらく五郎を戦火から逃れさせるために一芝居打ったのでしょう。
その後城下が戦場になった折に、祖母、母、姉、妹は全員自害することになります。
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これ永遠の別離とは露知らず、門前に送り出たる祖母、母に一礼して、いそいそと立ち去りたり。
嗚呼思わざりき、祖母、母、姉妹、これが今生の別れなりと知りて余を送りしとは。
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この時の家族との死別は柴五郎の心に大きな傷を残したのでしょう。
第2部に、編者が五郎から話をうかがっている描写においても以下のようなくだりがあります。
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思い出すまま��つぽつと語られ、時折言葉が途絶えてしまう。気が付くと翁はひそかに腰の手拭いを手にして両目をおおわれていた。その心境が少年時代をただ懐かしむ懐旧の情だけではないことを、本書をお読みになった方にはお分かりいただけると思う。
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このとき五郎の脳裏に浮かんだのは、戦時に死別した家族の顔だったのではないでしょうか。
戊辰戦争において会津は薩長軍に敗れ、斗南藩に移封されます(※)。
(※)この斗南藩での状況は『斗南藩ー「朝敵」会津藩士たちの苦難と再起』(星亮一/中公新書)が詳しいのでぜひ読んでみてください。
斗南藩での暮らしは過酷の一言。
氷点下10~15度にもなる極寒の中、寝る際にも掛ける布団がなく、粥も石のように凍る世界。餓死か凍死かの極限の世界の中で生活することになります。特に驚いたのが、厳冬の中においてさえも「裸足」で過ごさなければならなかったという点!
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氷点下十五度を降ること稀ならず、常に足踏みしてあるか、あるいは全速力にて走るほかなし。
足先の感覚を失いて危険を感じ、途中の金谷村の三宅方に駆け込んで少時暖をとり、夏のままの衣類を風に翻して、また氷雪の山道を飛ぶがごとく馳せて・・・
父上、兄上もこれを見て、履物を工面戦とセルも容易ならず、ある日、余は耐えかねて野口叔母を訪ね、履物の借用を願いたるも、貸す余裕なしと断らる。
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このような境遇において子供心においても薩長を憎まないわけがない。
しかしこの境遇から脱するきっかけを作ってくれたのは図らずも薩摩出の野口豁通で、全体を見ても柴五郎の人生の潮目が変わったのはこの人物との出会いだったと思います。
彼は薩摩出にもかかわらず東北各藩の救済に奔走し、彼が取り立てた書生からは後藤新平や斎藤実などの傑物が数多く輩出されています。
柴五郎は西郷隆盛や大久保利通に対して辛辣に評価し、彼らの死にも一片の同情も表していない一方で、野口豁通に対してはその温情への感謝を重ねて表しています。人との出会いの大切さがよくわかります。
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野口豁通の恩愛いくたび語りても尽くすこと能わず。熊本細川藩の出身なれば、横井小楠の門下とはいえ、藩閥の外にありて、しばしば栄進の道を塞がる。しかるに後進の少年を見るに一視同仁、旧藩対立の情を超えて、ただ新国家建設の礎石を育つるに心魂を傾け、しかも導くに諫言をもってせず、常に温顔を綻ばすのみなり。
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柴五郎が陸軍幼年学校(の前身)に入校できたのも野口豁通の力が大きいでしょう。
この第1部(柴五郎の遺書)自体はこの幼年学校在籍時の途中で終わります。そのため不完全燃焼というか、中途半端感があります。
しかし若いうちに過酷な経験をした一人の会津人の気概や悲哀に、当人の言葉で触れられるのは読んでいて新鮮です。
また当時の時代状況(国軍創立や西南戦争など)を当事者視点の描写も参考になります。
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明治維新の際、汚名を着せられた会津藩は過酷な処罰を受けた。会津藩士の子として生まれた柴五郎の苦難の少年時代の思い出を遺した記録である。
「いったい、歴史というものは誰が演じ、誰が作ったものであろうか」過酷な処罰事件が今日まで伝えられずにいたことを、驚きと不安を感じ、歴史というものに対する疑惑、歴史を左右する闇の力に恐怖を感ずるのである。
歴史は勝者が語り継ぐものである。敗者からの目線は抜け落ち歪曲されて作られている。歴史だけでなく、今、受け取っているメディアからの情報も同じことが言えるのではないだろうか。
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下手な小説よりもリアルな描写で、読んでいて引き込まれる部分が多かったです。妻の父母の実家が下北なので、知っている地名も出てきて親近感もわきました。
文章は古い日本語体ではありますが、読み進めるにあたっても特に問題ありませんでした。
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この本を読みながら、次の二つのことを思い出した。1つは、国による暴力装置の独占。もう1つは、教育は社会移動の装置ということ。
国による暴力装置の独占は、近代国家のあり方の基本だか、明治維新の時代は、暴力階層が過剰だったのではないかということである。武士階級は、江戸時代には、朱子学によって、何とか抑えられていたが、そこから解放されてしまい、暴力過多の状態が生まれ、それが、この本で語られる会津撲滅、西南戦争にも繋がったのかもしれないということ(意図したかどうかは別にして)。
どん底に追いやられた柴五郎少年は、開設されたばかりの陸軍幼年学校に入り、そこから、立身出世を遂げる。まさに、恵まれない階層の、しかも、賊軍出身の少年が、教育を獲得することで、社会移動を実現する。明治日本には、このような社会移動装置としての教育が機能していたということ。ただ、この機能があまりにも上手く機能したことで、社会階層を固定化する装置になってしまったのが、今の状況なのかなということを感じた。
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ある明治人の記録と言うことだが無名な方ではなく会津藩出身の元陸軍大将、軍事参議官などを務めた方の物語である。ただしこの方の生き方や生き様、若い頃の苦労は涙なくしては語れないほどの刻苦精励さ、隠忍不抜、臥薪嘗胆といった内容が、その単語を使わずとも滲み出ている日記録である。若い頃のとてつもない苦労と誠実さが文面より溢れ出ている書籍であり、本来公にするものではない日記録であった。これは当時の柴五郎と言う方の直筆の記録であり江戸幕府から討幕、維新を迎える頃の会津藩出身の一武士の物語である。
最終的には日本にとって莫大な功績を残した人物と言えるのですがほぼ知られていないのが、悲しい所です。日本の歴史の中で偉大な人として称賛に値される方でしょう。
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心に深くしみる名作。武士の誇り高さを感じるとともに、この精神性を失ってしまった日本を見て、果たして維新は本当に良い選択だったのかと、疑問に思う。
厳しさの中にも、深い愛情がある柴家。苦境の中でも家族や仲間を思いやる場面は、涙なくしては読めない。
歴史は常に勝者の側から書かれていることを思い知らされた。維新の歴史は、薩長の活躍ばかり描かれているため、会津藩は旧体制にしがみつく抵抗勢力だと誤解していた。
本作は、古い文体で書かれているが、文体に慣れていなくても、音読すると、読みやすい。
また、柴翁の幼少期の回顧録として書かれており、所々に、翁幼少期の可愛らしいエピソードが盛り込まれているため、読んでいて飽きることがない。
日本人として読んでおきたい一冊だ。
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1971年の初版から改版も含めると60版になる、このようなロングセラーがあることを知らなかった。柴五郎は、会津藩士の子として生まれ、10歳の時に戊辰戦争が起こった。父や兄たちは戦場に向かった。そして祖母・母・姉妹(妹は7歳!)等は、会津の籠城戦前に自刃している。五郎は家系を残すため、それとは知らされず親戚に預けられていた。
戊辰戦争の終結後、会津藩のみ処罰的ともいえる現在の青森県への移封がなされる。実際は流刑ともいうべきもので、生活は辛酸を極めた。「野垂れ死に」を期待するかのように。しかし武士の意地で、薩長を見返すために生きた。犬の肉を無理やり飲み下すというくだりでは、望月三起也「ワイルド7」で、飛葉が小便まみれの腐った肉を食うシーンを思い起こした。目的があるなら、何としてでも生きるのだ。
そして現代と違って「自己責任」で片づけない、困窮している人がいれば助けるのを是とする人たちの支援で、陸原幼年学校に入学を果たす。長州閥が幅を利かす陸軍で閑職に補されることもあったが、最後は大将まで昇進する。晩年、「近頃の軍人は、すぐ鉄砲を撃ちたがる、国の運命を賭ける戦というのは、そのようなものではない」と語っていた。昭和17年秋には既に「この戦争は負けです」とも。昭和20年12月没、享年87歳。
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メチャクチャ面白かったし、現代の自分の生活の幸福を感じる事ができた。そして祖先に誇りを持つ事ができた。とても感動した。全ての日本人に読んでほしい。
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僕にとって格別な一冊になりました。
常日頃、
大切なことは得手して伝わらない、
と痛感していますが、
これほどの偉人と、それが形成された背景(歴史)を知らないことは日本人にとって、
元来の日本持ちうる理想を逸しているようで、
今回、柴五郎翁を知れた喜びと同時に、少し残念な気持ちする抱きました。
兎にも角にも、僕の憧れの人に出会えた気持ち。