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紙の本
オッペケペー節と明治 (文春新書)
著者 永嶺 重敏 (著)
明治20年代に流行した「オッペケペー節」。日本のラップの元祖ともいうべきこの歌が民衆の心をとらえた過程を追いながら、政治、インフラ、文化と、多方面で近代化が始まった日本を...
オッペケペー節と明治 (文春新書)
オッペケペー節と明治
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商品説明
明治20年代に流行した「オッペケペー節」。日本のラップの元祖ともいうべきこの歌が民衆の心をとらえた過程を追いながら、政治、インフラ、文化と、多方面で近代化が始まった日本を探検する。【「TRC MARC」の商品解説】
なにが文明開化だYO! 金持ちにNO!
明治二十年代に日本中で大ブームを巻き起こしたラップの元祖とでもいうべき歌「オッペケペー節」の謎を追って、近代がはじまった日本へタイムスリップ!
明治二四、五年ごろ、日本中の人々が口ずさんでいた「オッペケペー節」。
七五調の歌詞の途中や末尾に「オッペケペッポー、ペッポーポー」という囃子ことばが入るスタイルの歌だ。
ひょうきんな言葉の響きとは裏腹に、その歌詞には「心に自由の種を蒔け」「洋語をならふて開化ぶり」など、政治的なメッセージや、鋭い批判、風刺があふれていた。
これが文明開化の荒波に翻弄されていた当時の民衆の心をつかむ。
流行の発信源は、政治活動家から落語家に転身し、のちに演劇人として名をなした川上音二郎。テレビやラジオはおろか、レコードもない時代に、全国津々浦々まで広まり、明治期最大の流行歌の一つとなった。
この歌が流行した明治二〇年代は、あらゆる面で日本に近代が訪れていた。
大日本帝国憲法が公布されて、最初の総選挙が実施され、最初の議会が開かれた。議会政治の幕開けである。
東海道線の新橋-神戸間が開通、幹線網も拡大し、人々の移動量が飛躍的に増大しはじめるなど、社会的インフラが発展した時期だった。
メディアの転換期でもあった。新聞雑誌といった新しい活字メディアが生活に浸透しはじめ、蓄音機という新たな音声メディアが登場した。
二葉亭四迷の言文一致体小説『浮雲』が出版されたのも明治二〇年である。
そんな時代に広まり、いまとなっては忘れ去られてしまった「オッペケペー節」。
誰が作ったのか、誰が歌い始めたのかも分からない、この歌を通して、近代化が始まった時代の空気に迫る。【商品解説】
明治二〇年代に大流行した歌「オッペケペー節」を通じて、政治、社会、文化と、様ざまな面で近代が訪れていた日本をふり返る。 【本の内容】
著者紹介
永嶺 重敏
- 略歴
- 〈永嶺重敏〉1955年鹿児島県生まれ。九州大学文学部卒業。出版文化・大衆文化研究者。日本マス・コミュニケーション学会、メディア史研究会会員。著書に「怪盗ジゴマと活動写真の時代」など。
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