紙の本
映画で観たいものだ、「旅する本屋」を
2019/01/26 09:08
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投稿者:夏の雨 - この投稿者のレビュー一覧を見る
きっかけはイタリア・ヴェネツィアの一軒の古書店だった。
著者はめぐりあった古書店は四代続く老舗で、その出処がモンテレッジォだった。
イタリアといえばローマしかほとんど知らない人にとってモンテレッジォと言われてもわかるはずもない。
巻頭につけられた地図でおおよその位置を確認して、さてそれでもどう説明していいやら。本の宣伝文そのままでいえば、「イタリア、トスカーナの山深い村」となる。
著者の内田はイタリア在住のジャーナリストで、『ジーノの家 イタリア10景』という作品で数々の賞を受賞している。
だから、イタリアの風景にはなじみがあるだろうが、モンテレッジォのことは知らなかったし、行ったこともない。
ただ彼女には行動力があった。
その地のことを知ろうと、やみくもに走り出す。
この本はそうして彼女が見つけた、「本の魂が生まれた村」の話だ。
村に建てられた石碑に刻まれた「本の行商人」の姿。右手に開かれた本、左腕にはたくさんの本がはいったかごを持ち、今にも駆け出しそうだ。
何もない小さな村だったから、彼らは石を運び、その帰りに本を持ち、それを売ってきた。
やがて、彼らは「本の行商人」として配達だけでなく、露天を営み、さらには店舗を構える者も出て来る。
内田は彼らの姿を追いながら、実はどこまでも広がる本の世界に迷い込んでいったのかもしれない。
彼女自身、本のかごをさげつつ。
なんともいえないロマンのような本の旅。
誰か映画を作ってくれないだろうか、もちろんイタリア映画で。
紙の本
文化を運ぶ
2019/04/24 14:21
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投稿者:るう - この投稿者のレビュー一覧を見る
イタリアの寒村の人々が食べていくために始めた本の行商。それを丹念に追った豊かなノンフィクション。
生きていくためにやっていた本の行商が文化の伝播に役立っていく様は読みごたえがあった。
紙の本
本の行商って?
2020/12/29 22:14
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投稿者:ふみちゃん - この投稿者のレビュー一覧を見る
モンテレッジオというイタリアの小さな村の人たちが本を籠に詰めて行商をしていたという実話、なぜそんなことをしていたんだろうと作者はその小さな村を訪ねることにする、それは出版社の情報収集(どんな本をみんなは読みたがっているか)のためだったり、禁書の密売のためだったり、イタリア統一の気運が広がる中識字率が大幅に増加した庶民たちが子供たちに読み聞かせるおとぎ話の廉価版の販売のためだったり。1953年に第1回の授賞式が開かれた「露店商賞」(1回目の受賞は「老人と海」)は、文芸評論家、作家、記者、出版人も関わらない本屋だけで選出する賞(そう日本の本屋大賞の大先輩だ)で賞の生まれるきっかけは、1952年に行商人や各地で書店を開いていた村人集まって開催した「本屋週間」に遡るという。
紙の本
紀行文としても本屋文化史本としても優秀
2019/11/17 14:29
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投稿者:オオバロニア - この投稿者のレビュー一覧を見る
山奥にある小村の行商人の力で、イタリア市民の読書文化を盛り上げた経緯に迫るノンフィクション。古本を売り歩き、出版社に読者の声を届け、文学賞をつくり、兵士に娯楽をもたらしたモンテレッジオ出身の人々の記録が綴られている。
内田洋子さんのイタリアエッセイは「ジーノの家」「カテリーナの旅支度」に続いて3冊目。どのエッセイも食/人/文化に満遍なく触れつつ、イタリア人の実直に人生を楽しむ雰囲気を巧く表現してる。特にこの本は書店と出版に関する本としても優秀だし、モンテレッジオを掘り下げた紀行文としても楽しめる一冊。
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投稿者:なま - この投稿者のレビュー一覧を見る
本屋さんが大好きな私にとって、読まずにはいられないタイトルの本でした。小さな村にどんな本屋さんがあるのかなあとわくわくしながら読みました。
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悪くない...
イタリア在住の日本人女性がエッセイとノンフィクションの間のような立ち位置で中世の頃から始まった本の行商をして生計を立ててきたイタリアのモンテレッジオの村人の話を綴っている。
ナポレオン、ダンテも出てきて聖書のことも活版印刷のことも出てきて(あ〜どこかで習った)凄いです。
本好きだったら 読んでみてもいい と思える一冊のような気がする。
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2018年20冊目。
ページを開く前から「なんていい本なんだ...」と、すでに幸福な気持ちに。
そして案の定、止まらず一気読み。
イタリアの山奥にある、本の行商人を多く生み出した小さな村「モンテレッジォ」。
人里離れたこの村の人々は、なぜ商売の品に「本」を選んだのか?
その謎を追うために、著者はイタリアの様々な都市を横に移動、歴史を遡って縦に移動...
そんな縦横無尽の探求の様子に、すっかり引き込まれてしまった。
看板に写るヘミングウェイ、訪問したとされるダンテの足跡、禁書の時代の行商人たちの暗躍の歴史...
様々なヒントが浮き出てくるたびに、「この謎を追う旅に同行したい」と思わされてしまう。
4ページに1枚ほど、ストーリーに関係する写真が入っているため、著者の探求の様子・イメージを一つひとつ丁寧に追いかける役に立つ。
探求のプロセスを一緒に追える、こういうタイプの本がすごい好き。
品のある文体にも引き込まれた。
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イタリア、トスカーナ州モンテレッジォは村人が本を行商する村だった。
著者が住むヴェネツィアの古本屋をきっかけに、モンテレッジォに通い、その歴史を紐解いた秀作。
フランチジェーナ街道(フランク街道)
ローマ(ヴァチカン)からイギリス、カンタベリーまで
http://www.montereggio.it/
festa del libro
ジャコモ・マウッチ
マッシミリアーノ・ネンチォーニ(ミラノ在住)
ジョヴァンニ・アントニオ・マジーニ(16世紀の地図学の権威)
premio bancarella
https://en.m.wikipedia.org/wiki/Premio_Bancarella
ナブッコ Va pensiero ジュゼッペ・ヴェルディの出身地
https://m.youtube.com/watch?v=XttF0vg0MGo&vl=ja
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/ジュゼッペ・ヴェルディ
マラスピーナ家
アレッサンドロ・マラスピーナ
https://en.m.wikipedia.org/wiki/Alessandro_Malaspina
ダンテが滞在した家
1265年頃の北イタリアは、ローマ教皇派(ゲルフ)と神聖ローマ皇帝派(ギベリン)に分かれ対立
フィレンツェ共和国は教皇派だったが、のちにそれが黒派と白派に分裂
黒派はフィレンツェを教皇に直接統治してもらいたい
白派は教皇の干渉をら受けたくない
ダンテは白派
マラスピーナ家は文化のパトロン
1100年頃のプロヴァンスで、トルバドゥールと呼ばれる叙情詩人が生まれた。宮廷や貴族領主に招かれ、館に滞在した、恋愛詩を作り、歌い、捧げた。
南部イタリアを支配していた神聖ローマ皇帝フリードリヒ2世は共通語を持とうとした〜イタリア語の誕生
p154言葉は道具なのだ。良い道具とは、万人に使えるものでなければならない。そして品格があり、奥行きが深く、普遍的でなければ〜
本『アルド・マヌツィオ 神話ができるまで』
p163
知識は財産である。知識をら入手し、まとめて、広める。それは、未来への確かな投資である。それまで手で書き写すか木版で印刷するしかなかった知識を、活版印刷のおかげで迅速に大量の部数を再生産することができるようになったのだ。
p170
フィレンツェ寄りの山奥にあるこのフィヴィッツァーノ村は、北イタリアの各地と海を繋ぐ道の途中にあり多様な情報が流れ、経済が動いていた。知ることは財産なのだ。
p214
自分たちの強みは、毛細血管のようにイタリアの隅々まで本を届けに行く胆力と脚力である。本は、世の中の酸素だ。皆で手分けして、漏れなく本を売り歩こう。それには、まず人材だ。
p226
地道に現場の声を拾い、丹念に応えること
p232
万を引き受ける人という呼称がイタリア語にある。
p255ヴェネツィアには、記憶を守る
という条例があるのですよ。
p259
意見を他人に押し付けないが、新しい情報には常に聞き耳を立てている。問われるまで、黙っている。分を弁えている。信念を揺るがすことはないが、機敏に行動する。自分だけが頼りだ。いつも飄々としている。
p295
本は必ず町の真ん中で売ること
p337
戦後ユダヤ人たちが出自を���すために、本当の苗字の代わりに地名を宛てていたことを思い出したからである。
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イタリアの山中にアルモンテレッジオと言う小さな村は、昔本を売り歩いて生計を立てていた。
何故売り歩いた物が食べ物や衣類等ではなく本だったのか。
作者の内田さんが実際現地に趣き、子孫の方々から話を聞き、資料を集めて行くことに。
そこから見える『本を売る』と言うことは知識や色んな世界を売ると言う事に繋がり、さらに本売りの行商人から得られる色んな地域の情報をみんなが心待ちにしていた事。今で言うインターネットの役割を果たしていた。
さらに大切な商売道具の本をモンテレッジオの商人は、出版社から託された本を絶対に売り切るぞと言う熱い気持ちで大切に販売する。
どんな本を人が求めていて、この本はもっとこうした方がいいと出版社にアドバイスをする。
沢山本を量産してどれかひとつ当たれば良いという雑な今の販売の仕方ではなく、一つ一つ丁寧に作り上げていく精神は、今見習わなければいけないのでは?
と思ったり。
本好きにはなかなか興味深いエッセイだった。
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181130*読了
わたしにとっては遥か遠い、訪れたことも無い国、イタリア。そんな国のとある小さな村から始まった本の行商が、国の文化を作り、国民の知識を増やし、出版産業を支えていく。そして、数々の書店が生まれていく。さらに、露天商賞という第1回はヘミングウェイが受賞した、日本でいう本屋大賞に似た賞まで作られる。いろんな偶然やタイミングがつながって、今がある。不思議な必然性を感じました。
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モンテレッジオ、何よりこの響きに魅せられた。
書物と都市は切っても切れない関係だけれど、ヴェネチアの古書店主の来歴をたどっていくと、書物と山奥の小さな村が結びつくなんて、いったいどういう経緯で!?
もうその疑問だけで本書のページをめくらずにはいられなかった。謎は徐々に明かされていく。私は想像でその驚くべき物語を補完していくつもりでいた。ところが次々と美しい写真が現れてきて少し困惑しているほどだ。著者がみずから足を運んで撮影した数々の写真を、コタツの中でぬくぬくと楽しんでいいものかと、一抹の罪悪感さえ感じている。
著者は本作を通して、読者になにかを贈与してくれようとしている。読者である私はひたすら、何かを返礼しなければ気がすまないという気になっている。その何かは今のところわからないが。。。
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本屋さん好きにはわくわくするお話。本当の話なので感慨深い。やっぱり本屋さん素敵です。いつか世界の本屋さん巡りしてみたいな。
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〈モンテレッジォの人々にとって、本は生きるための糧というだけではなかった。
イタリア民衆の好奇心の流れを予見する、望遠鏡でもあった〉
1800年代の初め、村人は行商で剃刃や石を売る。
そして、暮らしにゆとりが出始めるが
経済的なゆとりはまだ十分ではない。
知識欲旺盛な軍人や小市民に、モンテレッジォの村人は「本を売る」。
売れ残りや訳ありといった本を、集めて売り歩き始めた。
P209
〈読むことが、次第にその人の血肉となっていくような本を〉
私も本を読み、気持ちの切り替えをすることで何度も救われた。
今回ほど強く感じたことはない。
すてきな本との出会いに感謝しかない。
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ヴェネツィアの古書店からモンテレッジオへの巡礼者のような旅.石,あるいは本の行商人の魂に寄り添う形で美しい石と栗の村を訪ねる.ヴェルディやダンテの顔も見え隠れし,いつしか一人の行商人の中に村の歴史,イタリアの精神の移り変わりまでが現れてくる.分かりやすい文章で匂い立つような風景が,登場する人物の性格までが目の前に想像できる美しい文章に驚きました.たくさんの写真も素晴らしく(特にグリエルモの手の写真の力強さ),装丁も本の雰囲気にぴったりです.
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新文化で紹介。イタリアの山奥の小さな村では男たちの出稼ぎとして本の行商が伝統的に行われていた。なぜ他の物ではなく本だったのか。イタリア在住の日本人エッセイストが方丈社のwebサイトで連載していた文章に写真を追加してまとめたもの。歴史,ミステリー。発売時にはモンテレッジォの村人が自費で日本にかけつけたとのこと。