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投稿者:nap - この投稿者のレビュー一覧を見る
取り立てて、何がすごい良いっていう小説ではないけれど、なんな良い感じ。
ヘガティーって、由来も含めて一生言われたら困るよね。
紙の本
懐かしさを感じます
2018/07/14 10:02
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投稿者:金柑露 - この投稿者のレビュー一覧を見る
この方の小説は初めて読んだのですが、描写が結構細かくて、丁寧に書く人だなぁと感じました。
カバー絵の志村貴子さんのイラストと内容が合っていて、クラスからちょっと浮いてる女の子。浮いてるというか自分の世界を持ってる子ヘガティー。名前の由来は小説でどうぞ。男の子の名前が最初わからなくて、後のヘガティー目線からの小説で麦くんとわかり。ヘガティーの半分血の繋がりのある、お姉ちゃんが麦といえばゴッホだよねと言った時、お姉さんの名前の青と麦でゴッホの麦畑の絵が出てきて、その瞬間麦畑に風が吹いた風景が浮かびました。なかなかキツイサバサバしたお姉さんで、きっぱりあなたとは関係ないと線引きする青さんに対し、小学生の傷つきやすい胸の内を思うと切なく感じました。
思春期独特の、女の子達の群れには敵わないあの雰囲気。誰にでも経験あるんじゃないかと思います。
麦くん、超優しい。小学生の時、こういう男の子いたなぁ。そばにいるだけで安心できる、ほっとする子。恋愛感情とかまだ意識もせず、一緒に過ごせる男の子。
そんな頃を思い出しながら読んだ一冊。
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皆さんのレビューが良かったこともあるが、表紙の絵に惹かれて購入。
右の男の子が麦くんで、左の女の子がヘガティー。
二人が4年生と時の短いお話と、6年生になってからの少し長いお話。
この作者、初めて読んだけど、台詞がパン、パン、パン、パン、パン、パンと繋がって行く文章のリズムは結構好き。
サンドイッチ売り場の人に対する麦くんの、不思議な気持ち。それがどんな気持ちなのか自分でも分からない不思議な気持ちってあるよね。
ミス・アイスサンドイッチと初めて話が出来た後、色んなものを眺めながら、ぼろぼろにはがれた白い線の上を歩いて行く描写が切ないな。
ヘガティーが偶然知った父の秘密。見知らぬ姉の存在は、これもまた自分が思わぬ方向へあっちへこっちへ心を揺らす。
これだけでなく、良く分からないけどそんな気持ちになってしなうようなことが、大人になるに連れだんだん増えてきて、そこを通り過ぎることで、ちょっとずつ大人になっていく。
見知らぬ姉を訪ねて行ったひとつのイベントを越え、父や母への思いを新たにしたヘガティーが、自分とともにある世界のあらゆる人やモノの在り様に気がつき直す姿に心洗われる。
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読みたいリストより
とてもすき、うつくしい。
泣いた、10さい以上若い人たちが主人公なのに!聡明でうつくしい子たち。
最初からずっとよかった、途中笑ったところもあって、泣いたのは最後のほう。
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iPhoneのロックがかかってない状況ってあるかなぁ。物語の素晴らしさを損なうような事ではないけど、あの場面になる前に「iPhoneのロックどうするんだろ?」とドキドキしながら読んで「かかってないんかかーい!!」って思ったよ。
いやでも、素晴らしい作品には違いない。泣きましたよ。
211Pからのチグリスの家に行ってからのくだりは面白かった。お姉さんがユーフラさんとか、へガティの由来が恥ずかしいからもっともらしい由来を麦くんに考えてよというところとか。
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麦くんとヘガティーの関係が素敵すぎてそれだけで読み進めちゃう感じ。ふたりが抱えるさみしさとか希望とか「あこがれ」への寄り添いかたがまた絶妙で、もどかしさを吐き出すセリフもお互いを受け入れるセリフも美しくて繊細で、くすぐったいけど、小学生だったあの頃、いろいろ思っていたことをこんなふうに表現できたらよかったのに、と思う。麦くんとヘガティーは私の「あこがれ」となった。
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「乳と卵」に続き、未映子作品五作目。麦くんとヘガティーの小学生男女コンビ?の話。第一章は麦くん視点(低学年)。初恋?を本人より先に気付いたヘガティー、そこは女の子。そうゆうことにはやはり敏感だ(^^ 私は麦くんのように歳上の人に憧れを抱いたことはなかったなぁ。第二章はヘガティー視点(高学年)。お父さんに前妻がいて、しかも子供までいたとなると、なんか裏切られた感じがするんだろうね…きっと。女子なら尚更。そんな子に対し、異母姉妹のアオが…ちょっと言い過ぎやしない?イラっとしました。六年生になり、ようやく麦くんへの恋心?に気付いたヘガティー。しかし、麦くんには既に彼女がいた!?・・・。ジュブナイルっぽく、子供は勿論かつて子供だった大人にもオススメです(^^ 帯にも書かれている通り、京アニあたりにでも作ってもらえば、きっと素敵な作品になるでしょう。
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これから世界と広く接続していくこどもたちへの健やかな視線。
この本を旅先、ぷらっと入った本屋で手に取ったなら中々当たりって感じ。電車通勤通学用バッグに入れておくにも上々。
けれど私にとっての作者は昔、本屋さんで新刊を見かけたら迷わず買って、その日の夜に静かな時間を作って読ませるような作家だった。
円熟するということは、一見すると平易でありふれてつまらないように見えることがある。副次的効果として高い汎用性を獲得するからだ。そしてそれは大量の蓄積の上に立つ物凄いことだ。
我が家の彼女の最新作の置き場所が枕元から通勤用バッグの中に変わっていくのは、作者が円熟の最中にあることの証左なんだろう。そう思うことにする。
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天才だと思った。軽々しく「天才」という言葉を使いたくないのだけど、この作者は天才だと思った。子供の頃の小学校の中の雰囲気、同級生を見て感じる感覚、町を歩いている時に感じるなんとも言えない外の世界の雰囲気・・。言葉にすることは不可能と思っていた幼い自分の周囲が言葉になって、文章として展開されていて、本当に驚いた。そして二章でヘガティー側からのお話で僕が麦くんという名だとわかる構成もすごくいい。僕だった麦くん(ちょっと年齢が小さい頃)からはヘガティーはちょっとお姉さんなしっかりした同級生と描かれていたけど、ヘガティーも子供らしく、知らないことの中でいろいろ悩んだり、声に出せない時に、おっとりしてるけど、側に居てくれる麦くんを頼りにしている。子供の頃は何も感じたり、考えたりしてない訳ではなく、それを言葉にしていいかどうかわからず、その考えを言葉にできないだけ・・・そんな感覚を本当にまざまざと思い出した。ヘガティーがお父さんとある事をきっかけに話せなくなったり、ある出来事でお母さんを思って泣く場面は、本当に自分のことのようで涙が出た。大人と言われる20歳を過ぎて母を亡くしても、その後いろいろとんでもない場面に遭遇すると人はやはり「お母さん」って叫ぶ。ヘガティーが可哀そうで愛しくて、本当に泣けた。素晴らしい文章と感覚のこの本と会えて良かったと本当に思っている。
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川上未映子さんが好きで小説もエッセイも読んでるけど、なんとなく物足りない感じ。
麦とヘガティーの関係性にあこがれる。
p85の「誰かにあしたまたあえるのは会いつづけてるからに決まってるじゃん。…会うための約束が必要になって、その約束をするための約束みたいなのも必要になって、どんどん会わなくなっていくんだよ」は社会人になってますます実感してる。
へガティーのお姉さんがなんで会いに来たかわからない理由をこれでもかって畳み掛ける感じのセリフは川上未映子さんらしかった笑
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小学生の麦彦とヘガティー(おならが紅茶の匂いだったせいで、このあだ名がついた)の物語。
前半の「ミス・アイスサンドイッチ」は小学四年生の麦彦が語り手。
上手いね‼パンのトングを「銀ガニ」とか。
子どもの頃の感じ方ってこうだった。一般的な美醜がわからず、興味があると惹かれる。(小学校中学年でモテるのは美少女、美少年ではない。)
パレットの上でうっすら膜をはっている白とビリジアンを水を含んだ筆で撫でると「なんだか小さな膜のむこうから閉じこめられた色を逃してやってるみたいだ」とか、こういうところ、グッとくる。
しかし、リアルな小学生が感じたことをここまでちゃんと表現できるかと言えば無理だし、リアルな小学生がこれを読んで共感するかというと、読み取れなくて無理だと思う。そういう意味で大人向きの本。大人が、ああ子どもの頃、確かにこんな風に感じてたよなあって切なくなる。
ポーの「大鴉」がネタになった遊びが盛られている。
後半の「苺ジャムから苺をひけば」は小学六年生になったヘガティーが語り手。小学生には『夏への扉』さすがにむずかしいだろうと思うが、後半のヘガティーはもう大人の女性の感じ。付き合ってと脅す三人組女子の身勝手さ、これ日本の小中学校に通った人はみんな経験していると思う。当事者じゃなくても噂聞いたり。
後半の麦くんはカッコ良くて、二人の友情でもない恋愛でもない関係が爽やか。
物語としては後半の方が万人受けしそうだけど(わかりやすくて泣ける)、個人的には前半の方が好きだ。ミス・アイスサンドイッチの孤独が胸にしみる。川上未映子の表現力が堪能できる佳作。
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時間はかかったけど読了。
2部構成になっていて前半は行き先が見えず思うところもあったが後半からみるみる引き込まれる。
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川上未映子という作家を『わたくし率 イン 歯ー、または世界』でしか知らなかったから、こんなふうにわくわくしたり悲しかったりする話が出てくるとは思いもしなかった。子供を主役にした小説は、どうしたってノスタルジーから逃れることはできないから、川上未映子の針のような哲学らしさもそこに丸め込まれたのかもしれない。しかし世界の端々を手ですくうような、普段気づかないものに対する描写は健在だし、その生暖かさに浸かりながら、ふたりの主人公が繰り広げる青春物語を楽しむことができる。
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まだ語彙が豊富でなかったころの自分の感情を、もうはっきりとは思い出すことができない。洗剤の容器でつくった水鉄砲を抱えて園庭に佇んだとき。お気に入りのペンケースをクラスの男の子にとられて追いかけ回したとき。
情景は想い出として取り出せる場所にしまってあって、でもその景色に伴う感情は「楽しかった」ような「怒っていた」ような、とにかく平べったい感情しか付属されていなくて、少しがっかりする。そのときの私はきっと少ない語彙の中いろんなことを感じて脳内で表現していたはずなのに。
川上未映子さんの『あこがれ』は小学生の麦くんとヘガティーがそれぞれ主人公となった二篇の小説。一篇目で小学四年生だった二人は、二篇目では小学六年生になっている。
ひとつめの物語は、スーパーのサンドイッチ売り場で働くミス・アイスサンドイッチと麦くんの話。ミス・アイスサンドイッチに目が釘付けになって、彼女を見るために毎日サンドイッチ売り場に足を運ぶ麦くんは、その感情の正体をしらない。
ふたつめの物語は、父に前妻とその間の子どもがいることを知って、まだ見ぬ姉をひと目見たいと思うヘガティーの話。母を早くに亡くしているヘガティーは、父との接し方に葛藤し孤独を感じながらも、その姉のことは単純に見てみたいという。その感情の正体を彼女は知らない。
読点の多用と一文の長さは独特で、まるで子どもたちの頭の中をそのまま覗いているよう。考えと同時に言葉が口から溢れ、息継ぎを忘れて思考とおしゃべりを続ける子ども特有のスピード感。
小さな頭の中で目まぐるしく、たくさんたくさん考えていたあのころを思い出す。私たちにも確実にあったあのころ。
”ぼくの頭のなかの黄色とオレンジを混ぜたような色をしてぐにゃぐにゃ動きまわってる部分がいきなりぐんと明るくなって、それから、あごのすぐ下と鎖骨のあいだのくぼんだあたりがぎゅっとしめつけられたような感じになる”
麦くんがミス・アイスサンドイッチを眺めているときに訪れる心の表現。
この気持ちの正体を麦くんはまだ知らなくて、だから丁寧に一つひとつ心の感覚を追って言葉にしてみる。「恋心」「好き」そして「あこがれ」。そんな便利な言葉がまだ世界になかった子ども時代。
”お腹の底から怒りのようなものがこみあげて、それがのどを突き破ってすぐにでも噴きだしてしまいそうだった。わたしは胸を押さえて深呼吸してから言った”
物語の佳境、ヘガティーが自分だけが知らなかった事実に気づいたときの描写。コントロールできない突発的な怒りの気持ち。のどを突き破りそうな気持ちをどう処理すればよいかわからない。
自分の感情を端的な言葉に置き換えることができない子どもたちの情動が鮮烈で、その世界のイノセントに読者ははっとさせられる。
語彙が足りないからこそ、子どもたちは情動を丸ごと外に放出できるのかもしれない。感情の言葉を知って使いこなしてしまえば、その言葉以上の情動は気づかぬ間に制御される。
私の小さなころの想い出たちは平べったい言葉に支配されてしまっているが、丁寧に掘り起こしていけば、麦くんとヘガティーのような鮮烈な情動を思い出せるだろうか。そしてその情動を解放できるだろうか。
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登場人物の心情描写は心をえぐるように観察されていて川上さんならではだった。小学生の日常も細かく描写されていた。しかし、麦くんにもヘガティーにも上手く感情移入できなかった。それは大人になるに連れて失っていった些細な気持ちの起伏を子供は感じているからなのだろうか。