紙の本
楽しく読める長編です
2021/06/20 18:00
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投稿者:ふみちゃん - この投稿者のレビュー一覧を見る
リンカーンが実子をなくしているというのは事実で、この小説に登場するウィリーは3男だが、あと次男、4男も成人になる前になくしている。400Pを超える長編だが、さまよえる霊魂たち(太った裸の男や目がたくさんついている男)たちの呟きが中心なので苦も無く読める。はじめに登場する「病箱」や「病荷車」という聞き覚えのない言葉が登場し混乱してしまうが、読むすすむうちにそれが何のことなのか判明してくる、それは「棺桶」であり「霊柩車」なのだ。霊魂たちは自分たちが死んでいるという自覚がない、ひょっとしたら信じたくないだけかもしれない、しかしウィリーに決定的な言葉を浴びせられる「僕たちは死んでるんだよ」。ブッカー賞を受賞しているベストセラー、読み応えあり
紙の本
スラップスティックのようで、実は感動的な必読小説
2019/09/09 10:06
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投稿者:燕石 - この投稿者のレビュー一覧を見る
何とも奇妙な小説。
出だしはスラップスティックのようなノリで始まるが、ギリシャ悲劇のコロスのように、死者たちのポリフォニックな声が響き渡り、途中エイブラハム・リンカーンに関する虚実とりまぜた「文献」からの様々な引用が挿入される。しかし、実は、生と死、善と悪、戦争や人種、そして何より人間の本質に鋭く迫る感動的な小説だ。
舞台は南北戦争の激戦の最中、大統領として北軍を指揮していたリンカーンの最愛の息子、ウィリーが病死する。悲嘆に暮れ、遺体のかたわらで長い時を過ごすリンカーンだが、同時に彼は3千人を超える若者たちの戦死にも直面している。ウィリーを操り、リンカーンの体内へ入って、様々に影響を及ぼそうと奮い立ち、団結してゆく霊魂たち……。
その霊魂たちの「個性」が半端ではない。
四十六歳で十八歳の妻をめとるも、無理矢理夜の営みを求めたりせず、心の底からの愛情と信頼を勝ち得た末、やっと初夜を迎えられることになったのに、その日に急死。全裸で常に勃起しっぱなしの状態にあるハンス・ヴォルマン。ゲイの恋人にふられたショックから手首を切って自殺。早まった行為のせいで失った、世界の美を味わい足りない遺恨を残して死んだせいで全身に無数の目や鼻を生やしたロジャー・ベヴィンズ三世。
そして、ある恐ろしい記憶のために永遠に恐怖の表情が張りついてしまった牧師であるエヴァリー・トーマス師は、眉が吊り上がり、目を大きく見開き、口がOの字型の顔立ちをしている。
主人公とも言うべき3人(霊?)でも、こんな感じだ。
これ以外にも、時代も階層も人種もまちまちの百に余る霊たちの無数の声が、本書内を跋扈する。
主人公の3「人」がいるのは、この世に執着を抱く死者たちがとどまっている、あの世との中間地帯で、自らの死を認めない彼らは、遺体を〈病体〉、棺桶を〈病箱〉、納骨所を〈病院地〉、墓地を〈病庭〉と呼んでいる。つまり、現世に未練があって自分の死を受け入れられない霊魂たちが〈物質が光となって花開く現象〉=成仏、を逃れるために右往左往しているのだ。
そこに、リンカーン大統領の幼い息子ウィリーの遺体が運ばれてくる。ところが、ウィリーは一向に「成仏」しようとしない。大人の死者は此岸と彼岸の間に居られても、子供がこの場所に長くとどまれば、苛酷な末路が待っている。物語は、何とかそれを阻止して彼を“成仏”させようとする三人の死者たちの一夜の奔走を描くが、ウィリーという無垢な魂の到来は死者たちにも変化をもたらし、ひいては父リンカーンや南北戦争、奴隷解放の行方さえも変えていく。
本来の主人公とも言うべきリンカーンの、(思わず眼頭が熱くなる)愛息を失った悲しみも、南北戦争の最高司令官としての悩みも、三人の霊たちの、生者に入りこみ、その心を読むという特殊能力を通じて語られる。
それゆえにだろうか、「すべての人の中心部分には苦しみがある。必ず終わりが来ること、その終わりに至るまでに数多くの喪失を経験しなければならないこと」という霊魂ヴォルマンのモノローグがじわじわと胸に迫って来る。
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投稿者:ichikawan - この投稿者のレビュー一覧を見る
ソーンダーズ初の長編小説はあのリンカーンの物語だ。アメリカ史上最多の死者を出した南北戦争の最中、大統領リンカーンは幼い愛息を亡くしていた。死者たちの証言によってリンカーンの立体的な姿が浮かび上がることになるこの作品は、また長編小説らしい喪失と再生の物語でもある。
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現時点ではソーンダースの一番長い作品。結構分厚いけど、霊魂たちのそれぞれの語りの間にスペースが空いているので、トータルそんなに文章量多くない。長そうだなあと敬遠している人は安心してください。
奇想というか着想の突拍子のなさでは際立つ作家だけど、今回もキリスト圈ではユニークな設定かもしれない。仏教だと成仏するまでに四十九日あるわけだから、(この本の登場人物たちはもっとずっと長いことあの世とこの世の間に留まっているのだけど)そうびっくりする設定でもないのだが。
「物質が光となって花開く現象」というのも「成仏」と考えれば分かりやすい。
現世に執着しすぎてあの世に行けず墓場に留まっている霊魂たちの物語と南北戦争中に息子を病気で亡くしたリンカーンの思いと行動が交錯する。
霊魂の話だけでも充分面白かったと思うが、リンカーンと歴史の問題を巧みに織り込んことで深みを増している。霊魂が生きている時にどんな人物であったか、それだけでも歴史ものとしてとらえることができるが、リンカーンの心に霊魂たちが入り込むことで彼の心に変化がおこるというのが極めてユニーク。
最初のハンス・ヴォルマンの人生と死後の様子には笑ってしまったが、よく考えたらヴォルマン、立派だったね。
私の心に残った霊魂は黒人奴隷。主人から大切にされ、家族と家も持てたけれど、生きている間真に自由を感じ、思いのまま生きたことは一度もなかった。主人とその家族を愛し、感謝もしているが、それでも自分が人間として気ままに生きることはできなかったことを納得できずにいる。
ただ一人死んでいる自覚がある牧師?トーマス師の成仏の仕方、ヴォルマンとベヴィンズの最後のシーンは泣けた。
ソーンダースにしか書けない人間愛とアメリカ史の物語だった。
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1862年2月、南北戦争中のアメリカで、1人の少年が病で世を去る。
ウィリー・リンカーン、時の大統領エイブラハム・リンカーンの愛息だった。
リンカーン大統領は激しく嘆き、息子の遺体が安置された納骨所で長い時を過ごしたという。
戦争の最高司令官である彼が、愛する肉親を失ったとき、その胸に去来していたものは何か。
これは、リンカーンが息子の死を悼み納骨堂に籠ったというささやかな実話を元に、彼の内面に分け入ろうとするフィクションである。
構成はなかなかユニークで、当時の証言記録をつぎはぎにした「史実」部分、それから亡くなったウィリーが出会う幽霊たちのおしゃべりが綴られる「亡霊」部分に分けられる。
「史実」部分では、著者は多くの史料に当たったようである。何冊かの史料から数行ずつ引用しながら、リンカーンの哀しみを立体的に描き出していく。但し、この史実部分にも著者の創作は含まれているようである。
「亡霊」部分では、この世に未練を残し、それゆえあわいに残り続けている多くの亡霊たちが賑やかに語りだす。原題は"Lincoln in the Bardo"だが、Bardoとはチベット仏教に由来する言葉だそうで、死と再生の間に霊魂が済む世界(=中有)を指す。自らの生前の思い出や後悔など、こちらの語りも数行のものが大部分だが、彼らは相当おしゃべりで、その語りが数ページにわたることもある。
短い個々の事実やセリフがパッチワークのようにつなぎ合わされて、1つの世界を造り出すという特異な形式である。
ウィリーは無垢で愛すべき少年だったようで、リンカーンの嘆きは実際に非常に深かったようだ。
身も世もなく嘆き悲しみ、ついには遺体を棺桶から抱き上げてしまう。
それを見ていた亡霊たちは驚いた。何せ、彼らにはそんな風に嘆いてくれる人はいなかったのだ(いたのであれば霊魂として宙ぶらりんな場所にいつまでも留まってはいないはずなのだ)。そしてウィリーと父のリンカーンに興味
を持ち、ウィリーに話しかけたり、リンカーンの中に「入りこもう」としたりする。亡霊となった彼らは普通のやり方では生者と会話することはできないのだが、どうやら体に入り込むことで、ある程度相手の考えていることがわかるようなのだ。
世の中に思い残すことの多かった彼らは、あるいはたくさんの目と鼻と手を持ち、あるいは素裸で局部が異常に大きく、あるいは牧師なのに最後の審判を非常に恐れていたり、心身ともにアンバランスである。生前の哀しみや苦しみを忘れることができないでいる。
彼らが「ここ」に留まっていることに関しては1つ秘密があるようで、物語が進むにつれて、その謎も徐々に明らかになっていく。
饒舌に語られる亡霊たちの生前の姿は当時の世相を描き出す。
一方、背が高く無骨であったらしいリンカーンの不器用な嘆きの手触りが感じられるのも、著者の手法が功を奏しているところだろう。
ウィリーは確かに愛すべき子どもだったのだろう。しかし、当時、同時に戦争で数多くの人が死んでいた。自らにとっては太陽であるような1つの小さな命の終わり。その死に打ちのめされたことが、他の多くの死にも思いを馳せることになっただろうか。
亡霊たちの語りの中に浮かび上がる歴史の群像。なかなか意欲的な1作である。
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鴻巣友季子の2018年のベスト。
ブッカー賞に輝いた本書は抜きんでた傑作と言えるでしょう。
息子の墓を訪れる父と、ウィリー、さらには死ねずにさまよっている人々の霊を交流させてしまうのです。
卓抜なのはリンカーンその人の声だけを空洞化させていること。主人公は声をもたず、演じず、コロスだけが延々と語りつづけ、その空白にリンカーンの悲しみと苦悩と、泥沼化した南北戦争の実態を浮かびあがらせる凄技。しかも、書籍や新聞などさまざまな文書からの大量な「引用」がコロスに参加します。
聞け、空洞に響くアメリカの亡霊たちの声を!
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息子の死に面したリンカーンを、当時の文献や周囲の人たちの証言を細切れに引用しながら(虚実取り混ぜてあるらしい)、描出する。戦争でたくさんの人びとの命が失われる中、好意的なものも、否定的な意見もある。
現世に未練のある霊魂たちも引用形式で登場するという実験的な手法が新鮮で面白かった。
死後もなお純粋なリンカーンの息子、ウィリーが霊魂たちを巻き込み、どんな人生であれ、生きることの尊さを実感した。
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次男を無くしたリンカーン大統領は、夜墓場を訪れる。リンカーンの又来るという言葉で息子の霊は、墓場をさまよう。墓場には、息子だけでなく現世にしがらみを残す霊がたくさんさまよっていた。
キリスト教の国の話ではあるけれど、仏教でいう成仏できないという言葉がぴったりの霊魂たち。その現世に執着するそれぞれの理由が霊の個性を助長していてクスリとさせる。エンディングは一気呵成に(笑いと共に)進んでいく。
ユーモラスで面白いが、その書き方になじむのに少し時間がかかるかも。地の文が無く、それぞれの独白や記録文(本物あり架空のものあり)の引用で語られていく。そんな形式も含め、ユニークな小説だった。
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未練を持って死を認めずこの世に留まり続ける霊魂たち。そこにリンカーンの幼い息子が加わる。悲しみに沈み生きる希望を無くして息子を訪ねてくるリンカーン。身体に入り、伝え、光となって成仏する霊たち、もう一人の息子の存在を思い出し、使命を果たそうと思い直すリンカーン。
アメリカ人にとっての面白さがあるんだろうと思いました。奴隷、内戦、男女様々な境遇のリンカーンの時代、そして彼のその後の行動をよく知っているからこその。
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歳をとるにつれ、死のことを考えることが増えてくる。それほど頻繁でもないし、それほど深刻でもないのだが、ただ漠然と自分もいつかは死ぬことになっているんだなあ、と思ってみるくらいのことだ。死後の世界については考えたことがない。そんなものがあろうとは思えないからだが、人によっては死後の世界の存在を真面目に考えている人もいるだろう。
原題は<Lincoln In the Bardo>。リンカーンは、あの有名なアメリカ大統領本人である。<Bardo>とはチベット仏教で、死と再生の間、霊魂が住む世界のこと。日本では「中有」とも「中陰」ともいう、いわゆる四十九日の期間だが、時間的制限はないとも言われている。基本的には輪廻転生を前提とする考え方だが、本作の中で<Bardo>から抜け出るのはむしろ輪廻転生の苦を解脱した「成仏」に近い。多くのアメリカ人はキリスト教のはずなのに、かなり仏教的な世界観であるのが新鮮だ。
リンカーンにはウィリーという息子がいて、南北戦争当時に病気で亡くなっている。その息子が死にかけているときに自宅でパーティーを開いていたことで、彼は人々の顰蹙を買ったことが記録に残っている。葬儀の終わった後、深夜、リンカーンは独りで納骨所を訪れ、棺の蓋をとり、我が子の額に触れる、というのも実際にあった事らしい。この話はその逸話をもとに、大量の記録の引用による歴史小説であり、抱腹絶倒のユーモアが炸裂するナンセンス極まりない幽霊譚である。
というのも、その納骨所近辺には、自分が死んだことがどうにも認められず、なかなか「成仏」できないでいる多くの霊魂たちがたくさん暮らしていたからだ。彼らは新入りのウィリーが普通ならすぐにでもその世界を離れてゆくのに、なかなか出て行かないことを心配する。彼はすぐにでも父や母が連れ戻しに来てくれると信じているからだ。ところが、やってきた父は彼に気づかず、彼がそこから離れた死体にしか興味がないらしい。
父親がウィリーに気づけるよう、先輩の霊魂であるぺヴィンズとヴォルマンは、リンカーンの中に入ろうと試みる。前にも体を占拠して成功したことがあるのだ。霊魂に入られた人間は、それとは気づかないが、何かしらの影響を受けるようなのだ。しかし、この霊魂たちには少し変わったところがある。生前の人生に厄介なつまづきがあって、この世界でとる形が奇妙なことになっているのだ。
ロジャー・ぺヴィンズ三世は同性のパートナーが「正しく生きる」ことを選んだことに衝撃を受け、手首を肉切り包丁で切り、自殺を図った。ところが、どくどく流れる血を見ているうちに、その「気を変えた」。この世界は観るに値する美しいものに溢れていることに気づいたのだ。だから、彼の顔にはそれを見るための眼や、匂いを嗅ぐための鼻がいくつも生じ、それに触れるための手が何本も生えている。その手首のすべてに傷がある、とちょっとホラーじみている。
ハンス・ヴォルマンは四十六歳の時、十八歳の妻を迎える。彼は幼い妻がその気になるまで初夜を延ばし、やっと妻がその気になった日、仕事場で上から梁が落ちてきて下敷きにされて死ぬ。そのため、彼のこの世界での姿は素っ裸で局部を大きくしたままだ。何という皮肉、そして突き抜けた笑い。この辺りの面白さがソーンダーズ一流のユーモアだ。このこっぱずかしい格好をした中年男の活躍がなくてはこの話は始まらないし、終わらない。
牧師のエヴァリー・トーマス師の髪はまっすぐに逆立ち、口は恐怖のあまり完璧なOの字を描いている。彼はキリストの使者による最後の審判を受けたことがある。まるで閻魔様が浄玻璃の鏡で生前の行いを確かめるのと同じような審判の例が語られるのだが、善き魂は純白のテントに迎え入れられ、悪しきそれは肉でできたテントの中で磔にされ野獣に生皮を剥がれるというから、まるで地獄絵だ。あまりの恐ろしさに彼はそこから逃げ出し、誰にもその結末を秘密にし、舞い戻ったのだ。
その他にも、とんでもない連中が後から後から現れて、三人に続いてリンカーンの体を占拠する。黒人を差別する白人、白人に仕返しを訴える黒人、戦争で人を殺した軍人、殺人者、二人の男の間で心を決めかねている娘、口の悪い夫婦者、等々。これらの霊魂に体を占拠されたリンカーンは、悪評高い自分の政治姿勢を振り返る。戦争をやめるべきか、続けるべきか、いつまでも、我が子の死に拘泥することが大統領である自分に許されるのか、等々。
やがて彼が見つけた答えが、これまでの死を無駄にしないために、新しい世界を作るために殺し続けるしかない、というものだ。これは以後、アメリカが戦争を始め遂行する際の指標となる。霊魂たちの乱痴気騒ぎの傍らで、アメリカ史に対する冷徹な批評が開陳されていることに驚きを隠せない。帯にあるトマス・ピンチョンの惹句「驚くほど調和のとれた声―優雅で、陰鬱で、本物で、可笑しな声―で語られるのは、我々がこの時代をくぐり抜けるのにまさに必要とする物語だ」。まさにその通り。
霊魂がこの世界を去るとき、恐ろしい音とともに「物質が光となって花開く現象」が起きる。多くの霊魂が一人去り、二人去り、消えてゆく。そして、ぺヴィンズやヴォルマンにもそのときがやってくる。今まで目をそらしてきた自分の人生の真実を見つめ、そして、あのとき死ななければどのような人生を送ることになったのか、ありえたかもしれないが実際には知ることのできなかった自分の未来を目にし、彼らも「成仏」を遂げる。
これを読んで、死ぬことが怖くなくなるなんてことはまずない。それはないが、人間と世界を肯定する気にさせてくれる小説ではある。ハチャメチャでありながら、人と人が心を通わせることの得難さを教えてくれるし、人の運命の定めのなさについても考えさせられる。ひとしきり心揺さぶられ、それから、残りの人生を悔いなく生きてみたくなった。この人生、それほど捨てたものじゃないかもしれない。
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1862年2月20日、アメリカ。南北戦争中の米大統領エイブラハム・リンカーンの三男ウィリーが病死した。真夜中、棺のなかで目を覚ましたウィリーは墓地に住む奇妙な3人組に取り囲まれ、あれやこれやと指図を受ける。そこに父のリンカーンがやってきて、すでに冷たくなったウィリーの体を抱きしめた。その光景は墓場をさまよう霊魂たちの心を突き動かし…。史実のなかの特別な一夜を描いた、センス・オブ・ワンダーの物語。
実在するインタビューや伝記の数々と、創作キャラクターである霊魂たちの言葉を、どちらも〈死者の声〉として同列に並べるという卓越したアイデアを採用し、文字面はものすごくにぎやかなのに現実に起きたこと(リンカーンの墓地訪問)自体はこれ以上なく静か、というコントラストが鮮やかな作品。
この小説は全てのシーンが両義的だ。墓地をさまよう死者たちは棺を「病箱」と言い、死体を「病体」と呼んでいる。昇天することを敗北と捉え、墓地に居残り続けることに誇りを持っていると嘯くが、ウィリーのような少年がそうあるべきでないことはわかっている。死してなお、人は自分を偽ることをやめられないという可笑しさと哀しさ。
素っ裸で勃ちっぱなしの快楽主義者ヴォルマンと、興奮すると目鼻が無限に増える詩人のベヴィンズは猪八戒と沙悟浄のような関係。二人が同時にリンカーンを操ろうとして重なり合い、お互いの意識が一つになる場面は、やりとりこそ滑稽だがとても感動的だ。その二人に呆れつつ行動を共にする牧師のマーカスは、情けない三蔵法師というところ。でもだからこそ、彼が最後に勇気を振り絞る姿に胸を打たれる。
第2部からは柵で区切られた黒人と貧者の墓地から〈白人墓地〉へ霊たちが大挙してくる。白人が建てた柵は白人の霊には超えることのできない毒だが、黒人の霊は易々と通り抜けられるという逆転現象が痛快。そして南北戦争が生んだ死者と、戦争以前に人間扱いもされず死んでいった者たち、それぞれの大義が錯綜する。歴史は両義的である。そのことがリンカーンという一人の男とその息子の死の物語の上に重くのしかかっている。ただその重たい物語を、当時の人たちの証言のブレなどを織り込みながら、しなやかで軽やかな会話劇に練り上げた。それが本書のすばらしさだし、楽しさである。
黒人の霊がリンカーンのなかに入り込み、そのまま歩幅を合わせて一緒に墓地をでていくという結末は不思議な余韻を残す。作中、霊が本当に生者に作用できるのかは注意深く曖昧にされているが、黒人の霊がリンカーンの体を通して何を見、何を感じたのか、それでまた一冊書いてほしいくらい。
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こういう書かれ方珍しくない!!?
へえ~~~~~~~~~となった
リンカーンへのディスりって訳ではないんだろうが…凄いな…
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これは彷徨える悲しい死者の物語。
この世に未練を残した死者たちは、それぞれ利己的で偏屈で卑屈で、だけど愛嬌もありユーモラスに溢れている。
そんな彼らのもとに、幼くして亡くなったリンカーンの息子ウィリーがやってくることから、物語は動き出す。
彼らは、幼い子どもがこの世に留まろうとすることでおこる醜悪な変化から守ろうと、一致団結してリンカーンの中に入って奮闘する。
息子を失う悲しみと、南北戦争の対比や、1860年代当時の黒人差別と貧困が見事に、死者の世界を通して描かれている。
死者はどこまでも自己中心的で、承認欲求に溢れ、生前の行為を正当化しようと歪んだ認知の中にいる。
しかし、それらはどれも私を共感させてギクリとする。
誰だって、こんなふうに死んだらこうなるんじゃないだろうか?と死者を擁護したくなる。