紙の本
学生野球にかける想い
2018/12/30 00:06
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投稿者:kurage - この投稿者のレビュー一覧を見る
終戦から、たった一年後に夏の甲子園(実際は西宮球場でしたが)で野球大会を開催するまで、様々な人の想いと、苦労があったんだなと、これはもちろんフィクションなんですけど、実際も同じように大変だったんだろうなと思える作品で、夏が来るたびに思い返す一冊になりそうだなと思いました。
須賀しのぶさんの書く野球小説はやっぱり面白いですね!
毎年夏に一冊ずつ野球小説書いて欲しいです!
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今年の夏、100回を迎えた全国高校野球選手権大会、そのタイミングで書かれた高校野球復活の物語。敗戦後の日本で、甲子園大会を復活させて、未来の若者に元気と希望をって思いで東走西奔する新聞記者の神住。しかし、GHQや野球道具不足など幾多のハードルが待ち構えていて、学生野球に対する野球道のような考え方の危うさもあって、考えさせられる部分もあります。それにしても、彼の奥さんはよくできた男気のある女房だなあ(笑)
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高校時代に野球部のマネージャーをしていた身としては野球の美しさと残酷さを痛いほど知っているので、描写がとても突き刺さった。
正直主人公の神住があまり好きになれないまま終盤まで読み進めたけど、それを差し引いても戦後一年で高校野球を復活させるという物語は魅力的だった。どんなに辛い状況でも、それが心から楽しめないものだったとしても、甲子園がたった一年で復活したことには大きな意味があったと思う。
沢村をはじめ、戦争に散っていった色んな選手のエピソードを知れたのもよかった。
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終戦の一年後、
まだ道具はおろか、食べるものさえも満足に揃っていない状況の中
甲子園での高校野球大会が復活する。
人々は野球に何を託し何を見ているのか。
日本人にとっての野球とは
単なるベースボールではないことを
今の時代の私でさえ感じることがある。
野球が人々の心の支えなると信じて
退会復活のために東奔西走した朝日新聞社員たちの
熱い物語でした。
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現代の高校球児、その時代は中等学校の球児だった朝日新聞の記者が、終戦直後に高校野球を再開させようと奮闘する。
史実にもとずくフィクションは大好物です。
初めは読みにくく、気づけば流し読みとなっていて、もしかして合わないかも?と残念に思っていましたが、ジョーの秘密に到り、ビビビと来てしまい、改めて初めから読み直しました。
高校野球再開に奔走する神住の熱意が今ひとつつかみにくい感じでしたが、この時代にあれだけの行動力は熱意なくてはできないことかと、後に読み込みきれていなかったことに反省しました。
高校野球、六大学野球、プロ野球の当時の立ち位置が、今とは少し違うようでとても興味深かったです。
近いうちに「二つの祖国」を読む予定です。
タイミングも良かったと思います。
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戦後焼け野原の日本で野球を禁止されていた日本球児から再び野球を取り戻し、甲子園を復活させる為奮闘した人達がいた。奮闘してくれた人達がいたからこそ今ある100回目の甲子園。
スポーツは例え敵国同士だったとしても、人の心を繋いでくれる。あの時日常生活もままならない中、反対意見も受け止めて、未来の子供達に夢と希望を繋いでくれた人達がいた事を知れてよかった。読み終えた後すぐカバーの絵を見ると熱いものがこみ上げる。タイトルもまた凄くいい。
夏にこそ読みたい一冊。
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終戦直後、高校野球の復活を目指して全国を回る記者。彼はかつて投手として活躍していたが、苦渋を味わって野球から遠ざかった身だった。
そんな彼が、戦争の傷跡が深く残る世間に野球を復活させようと駆けまわる。彼を動かすものはなにか…そして、大会の再興を阻むものはなにか。
真摯にその時代を描き、野球にまつわる人々の思いを様々な側面から描いた物語。
この作者さんは、戦争ものも残酷さ含めて難なく描き、さわやかな青春小説も軽く描いてしまう幅広く豊かな作風を持たれています。
そんな手練れの作者さんが、いたってストレートに(フィクションとはいえリアルに)高校野球大会の復活までを市井の人々の視線で真正面から描いた物語は、あっという意外性や悲劇がなくともこんなに読ませてくれるのだと思うほど、いきいきとした力に満ちていました。
その力を生むのは、野球へかける熱い思いを持つ人、複雑な想いを抱く人、そして憎しみをも抱く人。さまざまな立場の人々の生きざまが文章を通して浮き上がり、話に温度を持たせてくれたと思うのです。
読み終えると表紙のような青空を仰ぎ見たときの気持ちになれる、とても素敵な小説でした。
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著者作品は3作目。
ドイツが好きで、ヨーロッパの近現代史が得意分野と思っていたが、高校野球を題材にしたものもあるのも知っていた。その著者が、2018年夏、高校野球100回大会の節目に世に送り出したのが本書。
大戦後1年で復活を果たした高校野球。その史実を基に、その復活までの尽力を、朝日新聞社運動部の一記者神住を軸に描く。
舞台は、1945年夏の大阪、物語はあの玉音放送から始まる。それまでの正義、価値観がひっくり返り、食うや食わずの焼け野原の中、敗戦翌日からストーリーは動き出す。
物質的な困難は容易に想像つくが、GHQの存在、文部省との綱引きなど、周辺には多くの障害があったことを、ひとつひとつ丹念に描いている。そのあたりは、さすが歴史もの作家という筆致だ。読みやすい。
予想外だったのは、野球の普及には、当然、それを国技とするアメリカの強力な後押しがあったからと思っていたが、大リーガーに代表されるプロが魅せる“ベースボール”と、なぜか、当時は六大学に代表される学生のゲームが人気を博していた“野球”との違いに、アメリカ側=GHQが異を唱えていたという点。
職業野球は読売グループが東京を中心に動いており、六大学野球もまた別の動きをしている中、関西では甲子園球場での高校野球の再開に向け、朝日新聞が奮闘する絵図が面白い。思いもよらない障害が、内外の要因で錯綜する。
歴史的事実も実に興味深いのだが、そのような史実の後追いだけではないのが、この著者の巧いところ。主人公の神住を、かつて夢破れたの高校球児とし、さらには沢村栄治の同世代に設定した。熱狂する甲子園、それに翻弄される若者の夢、挫折の心情にも触れる。さらには戦争で徴兵される無念を沢村の人生に象徴させる。
また記者の立場として、地方を巡り当時の日本の敗戦直後の実情を描き出し、同僚たちの会話から、記者魂の他、マスメディアのあるべき立場、世間に対する責任までを論じようとする、実に欲張りな内容になっている。戦中、“紙の爆弾”(=大政翼賛の新聞記事のことだ)を放ち続けた新聞、その中に居た人間たちの生身の苦悶が生々しく描かれている。
史実部分より、実は、そうした同僚、先輩記者、カメラマンとの熱い会話が読み応えあったりする。さらには、妻美子が神住に放つ言葉は夢ばかり求めがちな男どもへの痛烈な警鐘に聞こえた。
「あんな、動機なんてどうでもええねん。言うとくけどな、調子乗っっとった男は、なんやうまくいかへんなった途端に、すぐ行動理念やの何やのと目に見えんこと言い出すけどな、そうなったらまずろくなことにならへんからな。戦争がええ例や。あんたらすぐ、精神論に走って目的見失って迷走して取り返しのつかんへんことになるやんか」
占領軍のアメリカ側とに芽生える不思議な友情も見ものだ。“キベイ”という存在も本書で初めて知った。「イッセイ」でも「ニセイ」でもない「キベイ」。多くの英語辞典に“kebei”という単語として掲載されている特別な意味をもった言葉。その運命を背負った一人の男が、学生野球の存在を良しとしないアメリカ側を説得する切り札として登場する意外性と、フィクション部分では���ろうが、アメリカ軍vs日本軍で合いまみえるテストマッチの清々しさ。 野球世代には響くものがある、実に読み応えがあった。なのに、平易な文章で読みやすいんだなぁ、これが。
あと巧いと思ったのは、タバコの使い方。昭和の記者は、ぜったいヘビースモーカーだったろうなというのがよく分かる。時代感を出す小道具としてタバコが活きている。また「朝日」という銘柄のタバコがあったのを上手に使っている点にもニヤりとさせられる。
細部にまで配慮の行き届いた、なかなかニクイ作品。
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野球少年がいるので、期待して読んだけど…
『革命前夜』や『また桜の国で』に比べると、読み応えが…。
受容する私の問題かな。
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毎年夏になると新聞もテレビもこぞって野球一色になる。
ずっとマイナーなスポーツをしてきた身にとしては、ちょっとうらやましいようなねたましいような、そんな気持ちでいつも見ていた。
それでも白い球を必死で追う姿に、そして勝っては泣き、負けてはなくその姿に、ついついもらい泣きするのも事実。
もともとそれほど野球には詳しくないけれど、それでも沢村栄治やスタルヒンの名前は知っていたし、終戦の翌年にはやくも甲子園大会(場所もちがうし「高校生」でもないけれど)が開催されたことも知っていた。
けれど、その「大会」の開催のためにどれほど多くの人の、どれほどの苦労があったか、ということは全く気にしたこともなかった。毎日の暮らしさえままならぬ日々の中で、道具も、場所もない中で、よく開催されたしみんな参加したよね、とそれくらいの認識だった。この本を読むまでは。
なんていうのか。どのスポーツにもそれぞれに歴史があり、意義があり、歴史がある。だけど、この「終戦の翌年」に「学生の野球大会を開催する」ということには、この国が背負う未来への可能性の全てが込められていたのだろうと思う。
主人公の記者が抱くさまざまな思い。それはあの時、この国に生きていたすべての人の中にあったものなのだ。
価値観がひっくり返され、何を信じて、何を目指して生きていけばいいのかわからない光の見えない時代に、たった一つの白球でつながる未来はどれほどまぶしかったことだろう。なにかを信じて生きること、その意味と意義。
そうだ、これは一つのスポーツの物語なんかじゃない。過去を、今を、そして未来を生きる、すべての人が心のどこかにいつもとどめておくべき矜持の物語なのだ。
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終戦後の生きていくのも大変な中果たして高校野球開催は時期尚早では?
感動的な話だけで終わらせないのはさすが須賀さん
混乱の日本の様子がよく分かる。
実名も出ているが
どこまで真実でどこから小説なのか?
興味はつきない。
そう言えば、父はプロ野球も高校野球も好きだったな
父の世代は今よりずっと野球に熱中していた
その意味が少し分かった気がする。
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文庫化まで待ちきれず。
戦後の甲子園再開に奔走した人々の群像劇、と思いきや、主人公の奮闘がメイン。
しかし、周囲の人物たちもしっかりと魅力的。
(とくに主人公のオクサマ)
表紙カバー絵の構図、こういう意味だったのか。
この作品にも取り上げられているとおり、日本の高校野球のあり方については賛否両論さまざまな意見があるとは思うが、甲子園の球児たちのひたむきなプレイはず~っと変わらず、いつ見ても感動してしまうのだなぁ。
今年の「給水タイム」はイイネ!
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高校野球、ファンではないけれど他にない魔法がかかっているのは私もわかる。
その高校野球と、戦争が重なりあい、ドラマが生まれる。
登場人物それぞれの背負うものと、それらが噛み合う運命と。
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読みやすいのでどんどん進む。
甲子園って敗戦一年後に復活だったのか。
執念。
野球に代表される学生スポーツ信仰は特異である。
ベースボールと野球が違うっていうのは新鮮だった。
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75戦後にはこう言った熱い気持ちとバイタリティを持った方々が復興の礎を作ったんですね。朝日も初心に戻って肥大化した功罪を改めて考えたらどうかな?