紙の本
ずっと読み続けるだろう一冊
2022/05/05 20:11
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投稿者:GORI - この投稿者のレビュー一覧を見る
なんと心地よい読書。
自分の人生を振り返るように読んでいた。
きっとこの後も読み返す一冊になるだろう。
父に連れられ山を歩く街の少年と山で暮らす少年が出会う。
その日々が二人を作っていた。
その時には気づかなかったが、父を亡くし自分が生まれた時の父の年齢を超えて、二人が再び出会い山を歩き、山で暮らし、父の思いに気づいていく二人。
こんな風に父を思って、父親から教えられた山登りを重ね、二人は自分たちの人生を歩んでいく。
子供へ教えられることなんて無いかも、でも子供が感じて身につけるものが間違いなくある。
なんて心地よく、温かい物語だろう。
紙の本
自然と都会とを行き来し、主人公は未知の場所へ歩き出す
2022/12/17 20:16
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投稿者:トリコ - この投稿者のレビュー一覧を見る
ようやく読めた。父親や友との関係を築いた山。両者を失った主人公は、未知の地域へと歩みだす。自然の美しさと厳しさ、成長に伴う戸惑いが丁寧に描かれた小説。
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投稿者:えんぴつ - この投稿者のレビュー一覧を見る
原題は「8つの山」、8つの山とは何だろう・・・とまずタイトルから惹かれた。
静かな作品である。
僕は、回想する。僕と、僕たちと僕たちの山の生活を。
新しい山岳小説と評した人がいる。しかし、山岳小説と規定してしまうことはどうだろうか。この作品は、僕や、僕の家族やブルーノの話で、山は、人とは超絶したところで、そこに在る。
須弥山と八つの山、そして海・・・・。
映画化され、日本での公開も決まっているらしい。北イタリアの山はどう描かれるのだろう。ブルーノがなりたかった山の人は、どう描かれるのだろう。
寡黙で、しかし多くを語ってくれた作品だ。
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プロローグから、ぐいっと引き込まれる。
本書を読んでいた1週間余り、僕は北イタリアの山村に滞在していたのかもしれない。美しい山と静かな湖、清冽な渓流は冷たく喉を潤す。牛が牧草をはんでいる風景に、夜ごと浸っていたのだと思う。
主人公の少年は父親との関係に悩み、やがて決裂するが、父の遺したものに救われる。旧友との関係もその一つだ。旧友と自身の限られた時間の交錯に友情は深まり、互いにかけがえのない存在として感じ合うようになる。
父との軋轢、人生への焦燥、豊かな母性に囲まれた彼ら二人は不器用に生き方を模索しているようだ。また、小説の終わり方はドラマチックでも何でもないが、強く印象に残る。
起伏のないストーリーだが、強く静かに、心に染み入る小説だった。
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煌めくような自然、牛やチーズ作りの日々などの描写がゆっくり丁寧で暖かく、心地よい。山の哲学を啓示してくれる山岳小説としても読めるし、父子もの、友情もの、郷愁ものとしても読める。
『ニューシネマパラダイス』を思い出すような感触。
クラカワー『荒野へ』も思い出したが、やはり影響を受けているようだ。
穏やかな悲しみ。素晴らしい。
誰にも” 帰れない山” があるのだと思う。
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ミラノから北イタリアのグラーナ村に毎年両親と夏を過ごしにくるピエトロ。村の牧場の少年ブルーナとピエトロは、ともに多くを語らないが夏の間の友人として、ともに育っていく。山を愛し、山の暮らし以外に考えられないブルーナ。けして裕福ではないブルーナは、ピエトロの両親に信頼され、我が子のようにかわいがられ、ピエトロと共に成長していく。
大人になるにつれ、それぞれの道を歩んでいるように見えた二人だが、ピエトロの父の死を機に、二人でピエトロが父から残された山小屋を二人で修復することになる。
北イタリアのアルプスを望む山村ではぐくまれる二人の友情と、ピエトロと父との確執。現代社会の中では、ちょっと変わり者と思われる二人の山男らしい友情を清冽に描く。
モンテローザを望む北イタリアの空気が感じられるような良い物語だった。
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なにで読んだのか、いつ読んだのか、全然覚えていないのだけどずっと心の中に残っている文章があります。「長い一本道を向こうから歩いてくる二人の男がいる。一人は年老いた男で、一人は若い男である。ふたりはずっと無言のまま言葉は交わしていない。だとしたら二人は父子である。」たぶん記憶の中で原典とは違う文章になっていると思いますが、でも忘れられません。自分も父とのコミュニケーションに居心地の悪さを感じていた十代のころに出会った言葉なのではないか、と思っています。この本を読んで、思い出したのはその言葉です。父親の息子に向ける想いと、それを受け取る息子の心は必ずタイムラグがある…同じ瞬間には繋がらないものなのでしょう。そんな父との関係が縦糸です。横糸は逆に時間を経てもそれをものともしない子どもの頃に一緒に過ごした友達との関係。こちらも自分にとってのブルーノの顔が浮かび上がりました。ただ自分も彼も時間の流れの中で変わり過ぎてこの物語のようにふたたびの関係を蘇らせることは出来ませんでしたが。この縦糸と横糸を編み込む織機はアルプスの山々。自動織機のようにガチャガチャ動くのではなく春夏秋冬の不変のテンポでゆっくり編み込まれていくのです。時が経たないと見えてこないこと、時が経っても変わらないもの、時が経つと失ってしまうもの、山という舞台がなければ見えてこない織物です。「山と父と友」というタペストリー。胸の中に起こるムズムズは自分が男だからなのでしょうか?女性もこの物語に心揺れるのでしょうか?いつも山を楽しんでいる友人と山歩きしながら、この本の話をしたくなりました。
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体力に自信がないので、本格的な登山はしたことがない。ただ、山に対する憧憬はあり、旅をするときは信州方面に向かうことが多かった。落葉松林や樺の林の向こうに山の稜線が見えだすとなぜかうれしくなったものだ。子どもが生まれてからは八ヶ岳にある貸別荘をベースに、夏は近くの高原に出かけ、冬はスキーを楽しんだ。この本を読んでいるあいだ、ずっとあの森閑とした夜を思い出していた。
北イタリア、モンテ・ローザ山麓の村を舞台に、ひとりの男の父との確執と和解、友との出会いと別れを清冽に描いた山岳小説。ピエトロは小さい頃から夏は両親に連れられ、あっちの山こっちの山と連れ回された。麓の宿に着くと、父は一人で山を目指し、母と子は近くを散策しながら父の帰りを待った。母は二週間も泊まる宿が毎年変わることを嫌がり、やがて一家は母が見つけてきた一軒の家を借りることになった。
ミラノもネパールも出てきはするが、小説の主たる舞台はグレノン山を仰ぐグラーナ村だ。母が見つけてきたのは鋳鉄製のストーブ以外何もない家。集落の上方に位置するその家でピエトロは少年時代の夏を過ごす。僕の沢と名づけた沢で遊んだり、大家の甥であるブルーノという少年と廃屋を探検したり、ミラノ育ちの都会っ子は次第にたくましくなってゆく。
「僕」が六つか七つのとき、初めて父と山に登る。父の登山はとにかく誰よりも早く頂上を攻めるスタイルだ。休むことなく一定のリズムで歩き続ける。迂回路を拒み、たとえ道がなくても最短距離のルートを選ぶ。そして、頂上に登りつめると興味をなくしたかのように、後は急いで家に帰りはじめる。「僕」は父の言うままに登山をはじめ、やがてモンテ・ローザ連峰の四千メートル級の山々に挑むことになる。
ある年、父はブルーノと「僕」を連れ氷河を目指す。しかし、高山病にかかった「僕」は、クレバスを前にして吐いてしまう。一心に登頂を目指す父とはちがい、「僕」は山歩きの途中で目に留める風景や人々の様子に魅かれていた。思春期になり「僕」は両親と距離を置きはじめる。そして、ある日ついに「僕」はいっしょにキャンプしようという父に「いやだ」と言う。初めて父に対して自分の意志を表明した訳だが、父はそれを受けとめられなかった。その日以来二度と二人はいっしょに山を歩くことはなかった。
父の死後「僕」は、父が自分にグラーナ村の土地を遺したことを知らされる。久しぶりに村を訪れた「僕」は、親子が夏を過ごした家の壁に張られた地図に記されたフェルトペンの跡に感慨を覚える。網目状に広がる線の黒いのは父、赤いのは「僕」、そして緑がブルーノの踏破した軌跡だった。「僕」が同行しなくなってから父はブルーノと登っていたのだ。そして、「僕」は久しぶりに大きくなったブルーノと再会を果たす。
父が「僕」に遺したのは湖を臨む土地に「奇岩」(パルマ・ドローラ)と呼ばれる岩壁を背負った石壁造りの家だった。雪の重みに耐えられず梁が折れて屋根は崩れていた。父はブルーノにこの家の再建を頼んでいた。金がない、と躊躇する「僕」に、手伝いがあれば安く上がる、とブルーノは言う。父の思いは疎遠になった二人をもう一��近づけることだと気づいた「僕」は喜んで従う。吹っ切れたように家づくりに励むことで「僕」は、再び山に、そしてブルーノと過ごす日々に夢中になる。
ネパールで出会った老人が地面に円を八分割した図を描く挿話が出てくる。八辺の上に八つの山を描き、その間に波状の線を描いて海だという。そして中心にあるのが世界の中心である須弥山(スメール)だ。老人は度々ヒマラヤを訪れる「僕」のことを「八つの山をめぐっている」のだといい、須弥山の頂上を極める者と、「どちらがより多くを学ぶのだろうかと問うのさ」という話をする。「僕」は、山から離れないブルーノのことを思う。
ピエトロの母はどこにいても誰かと関係を結び、年をとっても孤独でいる気遣いはない。山に魅せられた男三人との対比が鮮やかだ。家族もいるというのに、牧場の経営が破綻しそうになっても山を下りる生活が考えられないブルーノ。いくつになっても独り身でドキュメンタリー・フィルムを撮る資金を集めてはネパールやチベットに通い詰めるピエトロ。放浪と定住という差はあるにせよ、山に縛りつけられている三人の男の桎梏がせつない。
まるでその場にいるようなグラーナ村とそのまだ上にあるパルマ近辺の森や湖、湧きあがる雲、降り積もる雪の描写が素晴らしく美しい。初読時は一気に読み、次の日にはじっくり再読した。頑なな父の気質がどこから来たのか、それに悩まされながらも突き放すことなく粘り強く接し続けた母。その母は決して氷河の上を歩こうとしなかった。そこには深い訳があったのだ。
原題は「八つの山」(Le otto montagne)。中央に聳え立つ山ではなく、その周囲にある山をさまよい続ける人々を意味するのだろう。邦題は逆に、中央の山を『帰れない山』と名づけている。その意味は最後の段落にある「人生にはときに帰れない山がある」という一文を読んで初めてわかる。深い喪失の悲しみに胸蓋がれる結末が読者を待ち受けている。それでも、何度でも頁を繰りたくなる。近頃めったと出会えない心に沁みる長篇小説である。
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自然の描写がとても美しく丁寧で読んでいて気持ちよい。成長するとともに伝わってくる父親の心情、二人の少年の人生、その根底に流れる変わらないもの。深い友情。感動しました。
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仕事や家庭生活を2番目にして、「山」を愛してきた女性を知っている。喜寿のお祝いを家族がするといっていると、うれしくなさそうでもないおしゃべりを先日聞かされた。彼女に、まず最初に薦めたい。
読み終わったばかりで、うまくいえないが、「山」そのものを描いて、ここまで一気に読ませる作品がかつてあっただろうか。
https://www.freeml.com/bl/12798349/1069459/
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良い時間を過ごした、そう思えた一冊でした。 一人の男が人生を振り返り静かに語るのをゆっくり聴いた(読んだのではない)感じです。
ミラノに住む少年ピエトロは、毎年夏にイタリア北部のモンテ・ローザ山の麓で夏を過ごし、そこで牛の放牧をする少年ブルーノと出会う。
山で遊び冒険をし、山は二人にとってかけがえのない存在となってゆく。
登山好きの父親に4000メートル級の山に連れていかれ厳しさも知るが、次第に強引な父親への反発も強めていく。
子ども時代過ごした山の描写がとても素晴らしい。
ピエトロは大人になり山を離れ都会に暮らすが、父の死をきっかけに、再び山と向きあうことになる。
父親が記録していた登山行程の地図を見たときのシーンは感動的だ。そしてピエトロは父の歩いた登山行程をなぞりながら山を歩く。父の姿を求めるように。
山男のブルーノとも再会し、助けられながら父の残した山小屋を建てていく場面に胸打たれる。
それは、父を理解するための作業であり、ブルーノとの友情を築き直すための作業でもあったのだ。
ピエトロの父に対する気持ちの変遷が丁寧に語られている。
子ども時代は夏山の情景だけだったが、大人になり同じ山の冬の姿が描かれる。それは夏には想像もつかない厳しさであり美しさでもある。人生とリンクするような山の描写がまた巧みで素晴らしい。
男の友情、父と息子、男同士の関係がもどかしく、切なく、美しく、静謐。異性である私はその世界に魅せられました。
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裏表紙のレビューにもあるように、近年の小説には珍しい骨太派だ。なんといっても山と男同士の友情(とみに使われるようになったブロマンスという安易な言葉は似つかわしくないだろう)というテーマ設定と、原題でもあり物語全体を包み込む「八つの山」の説話が素晴らしい。
ストーリーの核になるのは時代は異なるものの、運命の輪の中でおのおのの孤独を胸に抱えながら、この世界をさまよい続ける四人の男たちのエピソードだろう。ストーリーには魅力的な女性キャラクターも登場人物として現れるものの、やはり本書には男性性、男として生きてゆくことへのさびしさ、かなしみのようなものが色濃く刻まれていると感じた。しかし本書は決して女性に対して開かれていない…というわけではない。著者の筆はむしろ普段は男性優位の社会構造の中だと滅多に現れることの無い、マイノリティーの立場で生きる男たちの姿を鮮明に描くことで、性のはざまを飛び越え「人としてどう生きるか」というある種の普遍性へと突き抜けてゆくからだ。
またコニエッティはまるで山と自然がもう一人の主人公であるかのように、五感に訴えかける自然描写でわたしたちを誘惑する。北イタリアの山岳地帯やヒマラヤに訪れる美しい四季、時に無慈悲なほどに苛烈な表情を見せる自然やそこに暮らす動物と人びと、それらを描写する著者の明晰な筆致とコレクティブな描写力は本物だ。(そしてその美しく整ったイタリア語で書かれたという原書の文体を、ここまで見事に日本語に移植してみせた訳者の力量も尋常ではない) 近年の小説でここまで自然描写が克明に描かれることは稀だろうが、それこそがこの小説のクオリティを飛躍的に高めている。この描写を味わうためだけでも、本書を読む価値は十二分にあるだろう。イタリア本国のレビューの言葉を借りれば、まさに'別の時代から落ちてきた隕石'のようでもあり、'奇跡'でもある。嘘ではない。
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2人の主人公の子供から大人までの一生を書いた物語
淡く急展開などはないが、登場人物が正確に描写されていて、はっきりと想像できた。
また、山が舞台となっており
四季折々の風景が見事に描かれている。山に感情があるかのように表現され、第3の主人公的に表されていた。
友情、親子関係、恋愛、仕事、趣味、生きがいなど様々なシチュエーションがゆっくりと推移しており飽きずに読める
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20190526 生きるということを家族と友人を通して考えさせられる内容。生まれた場所、両親、束縛は無いはずなのだけれど生き方には影響があるのだと思わせる。日本に置き換えても何とか理解はできるかも知れないがストイックな点で今の日本では現実的でなく、だからこそ読んでいて感動させられた。
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限りなく☆5に近い☆4。
「それぞれの土地によって、しまわれている物語は異なる。そこへ帰るたびに、自分の物語を再読できる。そんな山は人生においてひとつしか存在せず、その山の前ではほかのどんな名峰も霞んでしまうのだ。」
これは本当にそう感じる。ホームグラウンドとなる山、大切な思い出が残る山、いろいろあるがどれも大切な山。
終盤、苦しい話が続くが、この言葉に救われる。