電子書籍
歴史を見つめる新しい視点
2020/08/12 15:37
2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:淡路島人 - この投稿者のレビュー一覧を見る
「歴史」を科学的に分析して、そこから得られた知見を用いながら新しい(別の)歴史上の出来事を分析する。ドラマとして歴史を見つめる観点を認めつつも、あくまで「科学的な」視点から「歴史」を捉えようとする筆者の姿勢に共感しました。
本書は日本の「軍事」を軸足に考察が展開されますが、筆者は「左」や「右」といった思想的な傾向に捉われることなく、あくまで「科学的な」視点に基づいて歴史的な事実を分析していきます。
「戦争に勝つとはどういうことなのか」そもそも「戦争とは何か」といった大きなテーマにも興味を惹かれますが、それぞれの時代に生きていた人々(弱い人々)の心情に焦点を当てながら「戦争のリアル」を歴史の中から読み取っていく筆者の研究者としての姿勢に惹かれます。
通読することで、歴史だけでなく現在の「社会」を見る新しい「視点」を手に入れることができました。歴史には直接興味がないという方でも楽しめる一冊だと思います。
紙の本
軍事から見ての歴史の一考察
2019/03/18 19:13
2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:はるはる - この投稿者のレビュー一覧を見る
第二次世界大戦の後遺症で日本では、軍事に関する研究は、タブーとなった(防衛大を除く)。しかし、この本はこのくびきを破ろうとするもので、画期的とまではいかないが、 一般書としては稀な本ではないだろうか。諸外国では一般大学に軍事学部が設けられていること、また、国民に対する戦時国際法(例えば捕虜の取り扱いなど)についての教育がなされていることなどは、故小室直樹博士や橋爪大三郎氏が指摘するところであるが、軍事というものを真面目に考える一助となるのではないか。そういえば、故小室氏は、桶狭間の奇襲を否定されていたと記憶しているが、この本でもそれは否定的見解である。
1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:ぽぽ - この投稿者のレビュー一覧を見る
日本の歴史を軍事の点から見た書籍です。1万軍を維持するためには経費はいくらかかるのかなど、教科書ではん学べない内容。
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新書を書きまくっている本郷先生。今度のテーマは「軍事」です。いつものペースで話は進みますが、今回はややエッセイ風で、題材に比し筆致は軽め。軍事がテーマということで、最後に明治維新と太平洋戦争まで踏み込んだのは、読み応えがありました。
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<目次>
第1章 戦いとは何か~科学的アプローチを可能にする「物差し」
第2章 長期的視野で見る武将の知略~「青野原の戦い」と「高天神城」の戦い」
第3章 地政学的要因と戦国大名の実力~織田信長が恐れた「挟み撃ち」の衝撃
第4章 武に勝るものなし!~日本的な「武官と文官」の力関係
第5章 軍勢が激増した室町以降~一騎打ち・集団戦・総力戦・追撃戦
第6章 明治維新と太平洋戦争~皇国史観の誕生と歴史学
第7章 「大義名分」の破壊力~「錦の御旗」から「万世一系」まで
第8章 日本史の面白ポイントで「流れ」をつかめ!
<内容>
本郷先生、ちょっと書きすぎじゃないんですか?!でも、この人の新書本は語り口が平易で読みやすい。専門外にも平気で口出しをするから面白い。今回は「戦争」。日本は中世から近世は武家政権なので、「武官」の世の中なのだが、江戸期は武官が文官に変身した時代(本郷先生的には、「朱子学」から「水戸学」が自らの首を絞めたという)。本郷先生の専門の中世は、まさに「武官」の時代なので、そこを中心に分析しつつ、最後は太平洋戦争まで分析している。明治期の発想から昭和期の失敗までのなか、失敗を指摘している点はわかりやすいが、その変化については分析不足か?(専門外だからね)。そして、今こそ古代・中世の戦争を研究するのが必要という意見には、賛意を示したい。
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軍事と日本史の話。
武力と権威の関係。戦国大名の兵站に対する考え。職業軍人である武士ではない農民を戦わせた工夫…などについて書いてた。
時代時代で戦いというものをどう考えるのか、ということが変わっているのは面白くて特に印象に残った。
例えば鎌倉時代は職業軍人である武士が戦うのが前提。でも、室町時代になると数を重視して素人が参加する戦いになる。素人を戦わせるために槍が生まれたり、兵の数が増えることで兵站に対する考えが生まれるなど、先人たちは戦いに勝つこと、負けないことを目指して色んな工夫を研究し続けたんだなーと思った。軍事関連って日常であまり触れないから新鮮。
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昨年(2018)に本郷氏の本に出合って、彼の本を読むようになり、順不同ですがこれが8冊目の本となります。毎回テーマが異なっていて、様々な角度から日本史を通して、各時代に生きた人間の考え方がわかるような気がしてきます。
鎌倉、南北朝、室町、戦国時代と、使われる武器の種類も異なりますし、それに応じて戦い方も変わってきます。その様子を、本郷氏の解説により楽しく読ませてもらいました。時間に余裕ができたら、このような講義も受けてみたいなと思いました。
以下は気になったポイントです。
・戦争には、1)戦術;戦争をする場所、2)戦略;誰と戦うのか、どういう展望を持って戦うのか、別の大名に攻められないようにどう手を打つか、3)兵站から成り立っているのが大前提である、戦略と兵站という視点がないことが多い、更に必要なのは、4)兵力、5)装備、6)大義名分である(p27、28、37、38)
・戦争が起きるのは、政治と外交という両輪が機能しなくなったときに起きる(p40)
・当時は太平洋より日本海交易が栄えていたので、日本海側で作られている焼き物を蝦夷地で売買、そこで仕入れた海産物を直江津に持ってくる、越後で作られていた、アオソという木綿ににた繊維を載せて京都に行く。直江津を押さえれば海を通じた交易権を手にできた(p63)
・戦争をするには理由がある、どちらが戦いを仕掛けたか、どんな目的があったのか、その目的を調べてそれが達成されていればそちらの勝ちである(p75)
・領地からどれだけ米が取れるかをお金に換算し、米ではなく銭の単位で表した、この貫高によって軍役を課していた(p96)
・大江広元の子孫として有名なのは、毛利家であるが、武将の毛利元就に文官のイメージはない、上杉家も宗尊親王が京都から鎌倉に下向してくるときについてきた下級貴族が上杉で元々は文官だが、それに反して武官になっていく。日本では武官が文官より上であった(p104)
・天皇という地位を降りた上皇が権力を握り続けるのは、皇族・皇家の家父長が上皇であり、その次の家父長になれるよ、というメルクマールが天皇である(p112)
・戊辰戦争の時の軍勢は、薩摩軍・長州軍を併せても約2,3000程度、これは武士だけを集めているからで農民は排除している。戦闘を行う人々に限ればこの程度であり、農民を大量に動員してくると何万人という軍勢になる(p159)
・非常時に忘れてはいけないポイント、1)食糧、2)恐怖心があることを理解する、3)神頼みを本気で信じてはならない(p175)
・承久の乱では、賊軍とされた鎌倉幕府が勝利を収めたが、これは例外中の例外、たいていの場合は江戸幕府を終わらせた戊辰戦争のように官軍は強かった(p207)
・自分の属している会社はどういうビジョンを持っているかを社員が理解する、ビジネスの現場で判断を迫られたとき、自分の行動はそのビジョンに即しているか、別の方向に行こうとしているかを考えることができる(p240)
2020年4月13日作成
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私は著者の主張にある程度共感しています。
1つは戦争をリアルにとらえるということ。
例えば、日本史上(世界史でもそうなのでしょうが)数千、数万で構成された軍隊は大半が農民から徴募された兵で構成されます。昨日まで農民だった兵隊が、次の日から勇ましく敵兵を切り倒すことが可能であるのか?あるいは将領の指示に即座に機械的に対応することが可能なのか?
また1つは戦争は最終的にその目的を達したほうが勝ちであるということ。
戦争の勝敗は長期的な視野で判断しなければならない、ということでしょうか。各会戦ごとの戦術的勝敗に目が向きがちだが、それが同長期的趨勢を左右したのか、その戦略的側面も重視する必要がある(というかそれがすべてである)。
たとえば川中島の戦いで武田軍は、信玄の弟・信繁をはじめとした多くの有力武将を失った一方、謙信方は有力武将の損失はなかった。それをもって検診勝利と判断する人もいるが、しかし最終的に謙信は戦争を始めた当初の目的(領土獲得)を果たすことはできなかった。戦争では大量のリソース(金や兵糧)が必要となる。そのため戦争を始めて目的を達成できなければ、それはやはり負けである。
著者のこれらの主張は非常に合理的です。
おそらく戦争というものをもっとシンプルにとらえるべきと主張しているのでしょう。信長の唱える「天下」とは実は近畿地方を指しているに過ぎない、という説があることについても、著者は「やっぱり日本全国を考えていたんじゃないの?」という立場です。様々な論理をこねくって奇妙な論旨を組み立てるのではなく、「もっと大局的に立ってシンプルに分析しましょうよ。信長の活動を長い目線、大きな目線で見てみたら、やっぱり日本全国を考えていたとシンプルに結論できるんじゃないの?」と言いたいのでしょう。
ただし本書には2つの欠点があると感じました。
1つは本書の構成と一貫性。
本書は全8章で構成されていますが、各章にぶら下がるサブタイトルに一貫性がなく、章のタイトルを説明・証明するのに関係のない結論が混ざっていて混乱します。
たとえば第2章(長期的視野でみる武将の知略)にある「上杉謙信の戦の理由」では、”上杉軍が略奪を旨として、それを目的に国境侵犯を行っていた” という説が紹介され、それに著者が疑義を持っている旨説明されていますが、何言いたいのかが不明であるし、この2章の論旨とどうつながるかも不明です。
また第5章(軍勢が激増した室町以降)の「ご褒美にはならない?」では、関ヶ原で寝返った小早川秀秋は備前・備中に移封されて50万石の大大名となるが、一方でそれまで支配していた筑前の大都市 博多を手放さざる得なくなった点を指し、「これは本当にご褒美だったのか?」と問うが、一方でそもそもが35万石だったのであれば「ご褒美とはいえるのでは」といい、また一方で35万石だった場合に養える兵数を算出したり、最終的には「石高で養える兵数は決まるが、乱世ゆえに資料が乏しいのが苦しいところ」と締めくくっており何が言いたいのか全く分からない。
本書にはこのような(全体のつながりで趣旨がよく見えない)サブタイトルが多いように感じます。
ただしそれぞれのサブタイトルにはトリビアな情報が夜空の星のようにちりばめられています。おそらく著者は書きたいことが山ほどあったのでしょう。
もう1つは専門外領域における著者の歴史解釈にみられる若干の浅さ、です。
(ただこれはそもそも職業的門外漢である私が指摘するのは本来おこがましい話なのですが)
まずは本人の分析というか、意見が多く、「証明された事実」ではない主張が多いです。その内容についても例えば、
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特に日露戦争の時、・・・203高地では熾烈な戦いが繰り広げられました。
トーチカから重機関銃をぶっ放され、歩兵戦の日本軍はなす術なく次々に倒されていった。
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その勝利のためにはどれだけの血が流れたかわからない。「このままでは太刀打ちできない!」と明治の陸軍はかみしめました。
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児玉源太郎は、日露開戦後は陸軍大将になっていましたから、そうしたことが骨の髄までわかっていたはずです。だからこそ彼は戦争終結の道を探るように具申し・・・講和に向けた準備が動き出したのです。
一方、児玉と同じく陸軍大将だった乃木希典は、そのあたりの感覚が希薄だったようで、この圧倒的な総力の差を埋めるための有効な手段を講じることができませんでした。
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まず第1に、児玉源太郎が大山巌とともに本部付だったのに対し、乃木希典は野戦軍指揮官です。前線から遠く離れた地で戦況報告を聞くだけの参謀付と違い、野戦軍指揮官は実際に部下の奮闘を目にするのであり、兵が銃砲火の前でミンチになる姿を見て何も思わないことがあるでしょうか?それが著者の言う「戦場のリアル」でしょうか?
言ってしまうと、当時は戦車や戦闘機といった近代兵器はまだ誕生しておらず、攻め側の最強の武器は「歩兵の突撃」でした。そして当時の旅順は堡塁と塹壕で守備された何層もの防衛線で構成されていました。第1次世界大戦でも明らかになっていますが、このような強固な防衛線に対して攻め側が勝利することはほとんどありません。たいていは大量の死傷者を出し、いくつかの塹壕を確保できても逆襲に耐えられません。重砲や戦車、戦闘機が大量運用された第1次大戦ですらそうなのですから日露戦争でも当然そうなります。有効策などありません。
加えて乃木は参謀本部や海軍から速やかなる旅順占領を求められていました(バルチック艦隊がやってくるからです)。これは強要に近い。だからこそ乃木は損害を覚悟のうえで強攻したのです。なのに「損害が多い」と彼を非難するのでしょうか?
このような状況を著者がご存じなのかは知りませんが、その主張は薄っぺらく感じます。
著者は言います。
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古代史から明治維新までという幅広すぎるほどのスパンで積極的に歴史を語ると、「邪道だ」「お前の専門は中世だろう!」という学会的なお叱りの声が聞こえてきます。専門は狭ければ狭いほど尊い、というのが研究者の言い分です。
でもそれは怠け者の自己弁護ではないでしょうか。時代の流れを考えて日本史というものを相手にしたい、というのは僕の偽らざる本心���す。そのために時代の区分にとらわれることのない視点を大切にしたい。
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これは私はその通りだと思います。しかし専門を狭くすべしという言い分もわかります。物事を深く、正しく把握するためにはある程度の範囲限定は必要だからです。その範囲を広げるとなれば当然大変な労力が伴います。
もし著者が上記のように望むのであれば、少なくとも著書で言及する部分だけでもその労力は惜しむべきではないでしょう。
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戦国時代を中心に、川中島の合戦や関ヶ原の合戦の勝利条件にはじまり、明治維新から太平洋戦争までの天皇の立場といったものを、戦略的に分析した一冊。
戦争はひとの生死もありますが、何よりもお金がかかる。だからこそ経済力が最後にはものをいう。そして、どんなに局所的な勝利をあげようと、関ヶ原のように大きな戦いに勝たないと全てを失うこともある。
失敗の本質のように、手段と目的を分けることの大切さを改めて感じました。
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戦争をどう考えるか、がわかる。
誰が何のためにしかけたのか。
それを達成したのか。
対抗側は、それを阻止できたのか。
これが、勝ち負けの前提。
戦いは、基本的に、数の勝負。
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農民は戦場に狩り出されたって人を殺すのは嫌だろうし、できたら木の陰に隠れてやり過ごしたいと思うんじゃないか。私ならそう思うし、著者もそう思うらしい。武将ばかりがクローズアップされる戦国モノの新書に新たな一石を投じる問題作(?)。
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●タイトルはわりと硬めだが、中身はいたって読みやすい。
●事実の羅列ではなくしっかりした意欲的な考察なのでわかりやすい。
●戦国時代の戰のリアルが少しは理解できたかな。農民ならそりゃ殺せないし、槍で叩くというのもなるほどなと。実際斬り合いなんて中々出来るわけじゃない。
●あまり日本史は詳しくなくて、将軍と天皇の関係性はどうかわからないけれど、筋の通った解釈というのは中々難しいのではないか。原則はあれど例外も多いし、当時の状況で臨機応変に変わるはず…
●しかし、戦国時代なんて昔すぎて精緻な話はないなんて、とんでもないなと。小さい島国の中でも必死に知恵を絞りながら乗り切っていたんだとわかる。昭和時代の軍が研究したのも理解できる。結局、時代は変われど、人間ということは普遍。考えることは似通っているって話だよね。
●個人的に、最後のあとがきがいきなりテイストが変わって、弱者の視点って言い出したのは笑った。
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時代の流れを考えて日本史を相手にしようという著者の考えと時代の区分にとらわれることのない視点を大切にし、歴史的な点、ポイントにこだわるのではなく、多面的に時代を見、どういうベクトルで歴史が動いているのか、その流れをつかむという2つの事を前提に「軍事」という方面から応仁の乱、関ケ原の戦い、川中島の戦い、桶狭間の戦いなどを詳細に分析していく。戦争には(1)戦術(2)戦略(3)兵站という三つが重要になって来る。この三つは戦う上での要諦だから、近現代の戦争でも変わらないベーシックなものである。さらに戦術については「兵力」「装備」「大義名分」があると著者は言う。勝負を直接的に左右する、戦術、さらに「誰と戦うのか」「どういう展望をもって戦うのか」という戦略も大事になって来る。詳細→
http://takeshi3017.chu.jp/file9/naiyou28104.html
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『三河雑兵心得』の展開を復習するがごとく読めた。軍事行動が戦術、戦略的なものとして考察できるのは、やはり戦国時代以降なのだろう。そして著者が言うように、歴史学者だけではなく、軍事の専門家との共同研究は必要だと思う。信長、秀吉、家康までの戦の進め方とその理由は理解できた。もう一つは著者が研究課題としている明治維新と太平洋戦争の相関関係で、私は本書の説明では得心がいかず、引き続き著者の研究が進むことを願うのみ。ただ、個人的には薩長閥が軍部の実権を握り、無謀な戦争が継続されたとの思いは拭えない。