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紙の本
幽囚回顧録 (中公文庫)
著者 今村均 (著)
リベラル派で知られる軍人、今村均。禁固10年が宣告され、東京に送還されるも、部下と命運をともにしたいとマヌス島の刑務所に残留した聖将が、理不尽な戦争裁判を顧みる。伊藤正徳...
幽囚回顧録 (中公文庫)
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商品説明
リベラル派で知られる軍人、今村均。禁固10年が宣告され、東京に送還されるも、部下と命運をともにしたいとマヌス島の刑務所に残留した聖将が、理不尽な戦争裁判を顧みる。伊藤正徳のエッセイも収録。〔秋田書店 1966年刊に伊藤正徳氏の記事を掲載〕【「TRC MARC」の商品解説】
インドネシアの軍政下で自治を認め、ラバウルでは自給自足を実現し、リベラル派で知られる軍人が理不尽な戦争裁判に立ち向かう。オランダ法廷では無罪になったが、オーストラリアの法廷では禁固10年が宣告されていたため、巣鴨プリズンに移送されたが、部下と命運をともにしたいとマヌス島の刑務所に残留した。巻末に伊藤正徳のエッセイを収録【商品解説】
著者紹介
今村均
- 略歴
- 一八八六年、仙台生まれ。一九〇七年陸軍士官学校卒業、少尉任官。一九一五年陸軍大学卒業。一九三一年参謀本部作戦課長。一九三二年歩兵第五十七連隊長。一九三五年歩兵第四十旅団長。一九三八年陸軍省兵務局長。一二月第五師団長。一九四〇年教育総監部本部長。一九四一年、広東方面軍司令官。一九四一年一二月ジャワ方面軍司令官。一九四二年一二月ラバウル方面軍司令官。一九四三年陸軍大将になる。一九四六年四月ラバウル戦犯者収容所に入所。一九四七年五月オーストラリア軍裁判判決(禁固10年)、ジャワに移送される。一九四八年死刑を求刑されるも、のち無罪。一九五〇年一月、東京に送還されるが、二月マヌス島服役を申し出て、同島の豪海軍刑務所に移送、一九五三年、同刑務所の廃止により他の戦犯とともに東京巣鴨拘置所に移管された。一九五四年刑期を終え出所。日本に帰国後、世田谷自宅に三畳の小屋で自ら幽閉し質素な生活を送り執筆を続ける。著書に「私記 一軍人六十年の哀歌」「今村均回顧録」などがある。一九六八(昭和四三)年死去。享年八三
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紙の本
人の命を預かる重さを受け止めた偉人
2019/06/01 21:30
5人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:そうしこ - この投稿者のレビュー一覧を見る
連合国による復讐裁判により日本の政治家・外交官・軍人が次々処刑されていきました。
特に功績ある軍人は言いがかりをつけられて容赦なく処刑されました(その意味で日本海軍の提督たちがほとんど無傷であったのは興味深い)が、方面軍司令官にあって処刑されなかったのは今村均氏のみということです。
不敗将軍と呼ばれる軍功だけでなく、聖将として原住民から慕われた今村氏を処刑することは、連合軍にすらできませんでしたが、氏に最も厳しい処罰を与えたのは今村氏自身でした。
部下とともに南海の孤島に戦犯として服役することを志願し、そして部下を守るため理不尽に立ち向かったその姿は、かつての日本にこうしたリーダーが本当にいたんだと胸に沁みます。
現在、インドネシアが親日国である理由は、今村氏の業績を避けて通れません。戦中戦後と日本という国に限りない貢献をしてくれた方だと信じます。
ちなみにこの本の印税はすべて戦死者や戦犯刑死者の遺族の為に用いられた、ということです。
紙の本
太平洋戦争で陸軍大将を務められた今村均氏の貴重な回想録です!
2020/07/31 08:57
3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:ちこ - この投稿者のレビュー一覧を見る
本書は、太平洋戦争で陸軍大将を務められた今村均氏の戦争時代の回顧録です。インドネシアの軍政下で自治を認め、ラバウルでは自給自足を実現し、リベラル派で知られる軍人であった著者が理不尽な戦争裁判に立ち向かいます。オランダ法廷では無罪になったのですが、オーストラリアの法廷では禁固10年が宣告されていたため、巣鴨プリズンに移送されることになったのですが、部下と命運をともにしたいとマヌス島の刑務所に残留されました。その後、刑期を終え、日本に帰国されてからは、世田谷自宅に三畳の小屋で自ら幽閉し質素な生活を送り執筆を続けられた著者・今村均氏の思いが綴られた作品です。同書の内容構成は、「第1部 ラバウル幽囚録」、「第2部 ジャワ裁判の記録」、「第3部 マヌス島回想録」、「及第した陸軍大将―今村均は死刑を免かれた(伊藤正徳)」となっています。